2016-02-28 @サントリーホール
大野和士:指揮
東京都交響楽団
ベルリオーズ:序曲《ローマの謝肉祭》 op.9
ドボルザーク:弦楽セレナーデ ホ長調 op.22
チャイコフスキー:イタリア奇想曲 op.45
ラヴェル:ボレロ
ドボルザークは文字どおり弦楽五部だけ(管打楽器なし)による演奏だが、それ以外の3曲はいずれも管弦楽が華やかな作品だ。
それもマーラーやブルックナーみたいに重苦しさとは無縁の陽性の音楽ばかりだ。たまにはこういうのを聴いてみたくなる。
第1曲めの「ローマの謝肉祭」の冒頭から音がきらめいている。
やはり都響は明瞭な響がする。
ところで、ベルリオーズは歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」を作曲し、その序曲は今でも演奏されるが、肝心の本篇は不評で、名誉挽回のために「ベンヴェヌート・チェルリーニ」から主要旋律を抜き出して編曲し、タイトルも変えて世に問うたのが序曲「ローマの謝肉祭」であったとは、今日はじめて知った。
そしてこちらはこれは大評判で、歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」には2種類の序曲が存在することになった。
もっともベートーベンの歌劇「フィデリオ」には序曲「フィデリオ」に加えタイトルの異なる序曲「レオノーレ」第1番~第3番が存在するから珍しいことでもないのかもしれないが。
この「ローマの謝肉祭」を作曲した同じ時期にベルリオーズは「管弦楽技法」を書いているが、この理論書に対する実践編として「ローマの謝肉祭」が文字どおり華々しい管弦楽技法を伴って発表された訳だ。
ドボルザークの「弦楽セレナーデ」がどうして組み込まれたのか分からないけど、 これも親しみやすい音楽だ。弦楽器だけで演奏されるけど、ぼんやり聴いていると管弦楽のようにさえ聴こえる色彩豊かな音楽だ。
「弦楽セレナーデ」ではむしろチャイコフスキーの作品の方が有名かもしれないが、この人の管弦楽技法も鮮やかだ。
その「イタリア奇想曲」。
派手なトランペットのファンファーレに始まり、トロンボーンや木管が続き次いで両者が拡大して交じり合い、重々しいリズムを刻みながら弦を受け入れる。これがメランコリックで、イタリアというよりスペイン風に聴こえるのだけど、しばし重苦しい様子が続いたあとはイタリア舞曲(タランテラらしい)が華やかな終幕を飾る。
最後は「ボレロ」。
この曲は、よほど下手くそでない限りどのオケがどう演奏しても楽しめるようにできている。プリミティヴな感覚のツボを突いてくるのだ。必ず感動するようにできている。こういう作法はちょっとアンフェアではないかとさえ思うけど、いつもやられてしまう。
今回もやられた。
最弱音でスネアドラムがリズムを刻み始めると会場は一挙に極度の集中を強制される。徐々にテンションが高まリ、最後の1小節で突如のクライマックスを迎えようやくにして緊張が解き放たれるが、それが大いなるカタルシスだ。
最近ではN響のボレロも聴いているが、今日の都響の方が強烈だったな。
演奏が終わると指揮者は、ソロを受け持った演奏者を指名し、観客の拍手を促すが、フルートに始まって、トランペット、ホルンなどが続き、トロンボーンでは会場の反応がひときわ高くなった。
ちょっと大野さん、一番大事な人を忘れているんじゃないの?と心配していたら、最後に、この日は舞台中央に陣取ったスネアドラムを指名して、もう会場は割れんばかりの歓声と拍手だった。
好漢大野和士の心憎い演出だ。
♪2016-023/♪サントリーホール-02