2016年1月31日日曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第114回

2016-01-31 @ミューザ川崎シンフォニーホール


飯森範親:指揮
東京交響楽団

ベートーベン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
      :交響曲 第5番 ハ短調 作品67 「運命」
      :交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」


痛恨の寝坊で遅刻して、間に合ったのは休憩後の「6番」だけだった。(TдT);

せっかくのオールベートーベン交響曲プログラムだ。
4番はともかく、5番「運命」はどんなテンポで演奏されたのだろう。とても関心のあるところで、一昨年の鈴木秀美+神奈川フィルや昨年聴いたジャナンドレア・ノセダ+N響の演奏のようにアップテンポでコンパクトな演奏だったのか、逆に粘着質のスローテンポな演奏だったのか、はたまた新解釈の5番だったのか。
それを是非とも確かめたかったのだけど、残念無念。

ともかく、気を取り直して『一曲入魂』で聴いた。

6番「田園」は全9曲の中ではとても異質だ。
それについてあれこれ考え出すときりがない。
ベートーベン自身が、この音楽は自然の描写ではなく、感情の描写だと言っていることから、この曲も「絶対音楽」であると識者は考えているそうだ。
でも、この描写音楽と絶対音楽の違いは区別する意味があるのか、あるとすればその意義は奈辺に存するや。
どうしてベートーベンは5楽章で書いたのか。
3楽章以降はアタッカで連結され全体として1つの楽章のように演奏することになっているが、5番「運命」の第3楽章と第4楽章のつながりはそうすることで終楽章の盛り上がりを演出しているのだから効果テキメンだが6番のように5楽章形式にしておいて3つもの楽章を全部連結するなんて(5番同様、楽章の切れ目に休止を置いては音楽にならないように作曲されているから演奏上の連結は必然だけど、作曲の際にも)、必然だったのだろうか…。

など、思いを巡らす要素が色々ある。

でも、考えない。
乏しい知識と至らぬ感性であれこれ考えてもしようがないや。
そんな細かい点はどうであれ、この音楽はとても良く出来ていてそのままで素直に楽しめるのだから。

そんな次第で、6番はベートーベンの交響曲の中では異質だ。

異質であれ、第1楽章が始まった時点で「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」(ベートーベンが記した第1楽章の標題)がまことに心に染みいる。
途中、嵐もあるけど、最後は「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」に素直に共感できて気持ち良い。

ホルンが大活躍するが、東響のホルン陣はいつもうまい。
今日はスキンヘッドの外人首席(ジョナサン・ハミル)らが高らかに歌っていた。

久しぶりに田園を聴いて、あゝ、こんな名曲だったんだと思いを新たにした。


♪2016-012/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-03