2015年4月11日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽堂シリーズ第4回定期演奏会

2015-04-11 @県立音楽堂


川瀬賢太郎:常任指揮者
豊田実加:首席ホルン奏者
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:ホルン協奏曲第3番  変ホ長調 K447
ハイドン:交響曲45番 嬰ヘ短調 Hob.I45「告別」
シューマン:交響曲第3番 変ホ長調作品97 「ライン」
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アンコール
ピアソラ(大橋晃一編):アヴェ・マリア(ホルンと管弦楽)


実は、ホルン協奏曲には若干の不安があった。
けど、出だし快調。始め良ければ終わり良し。
これといって破綻もなく、多分、初めて聴く?作品を楽しめた。

ハイドンの「告別」は、音楽は多少の馴染みもあり、演奏上どういう仕掛けがあるか知っていたが、生の演奏を聴く・観るのは始めてで、なるほどおかしかった。

「告別」と聞くと「葬儀」をイメージするけど、ここでは言葉の本来の意味どおり「いとまごい」といった意味だ。

ハイドンたち宮廷楽団員の雇い主(エステルハージ公爵)が夏の別荘で思わぬ長居をすることになり、楽団員たちの単身赴任期間が延長されそうになって一計を案じたハイドンが、新しい交響曲で、もう家に帰らせてください!というシグナルを送り、公爵もその意味に気づいて滞在を切り上げたのだそうだ。

元々はオーケストラと言っても当時はとても小規模だったし、特にこの曲は13人だったらしい。避暑地の演奏形態としてポータブルにしていたのかも。

今回の神奈川フィルの編成はさすがにそんなに小さくはなくて、20人前後はいたように思ったけど、まあ、いつもの編成に比べると格段に小さい。

ハイドンには珍しい短調(交響曲全108曲のうち短調は11曲。)で、これは何事か!というただならぬ気配で始まる。
第2楽章は倦怠感たっぷり。
第3楽章は、型どおりのメヌエットを配置しました、という感じ。
そして問題の第4楽章。
後半アダージョに変調してから残り4分位からかな。楽団員が一人、また一人と舞台からいなくなってしまう。
照明もだんだん落ちていった。
ハイドンの初演時は消えてゆく楽団員はそれぞれろうそくを消して退場していったらしいからそれに倣った演出なのだろう。

やがて小規模弦楽合奏になり、そこから、チェロが去り、ビオラが去り、バイオリンを2人残して指揮者もいなくなる。
最後の最後はコンサートマスターがラストの音を弾き終えて彼も舞台を去る。

こういうハイドンらしいユーモアに満ちた仕掛けで、公爵も重い腰を上げざるを得なかったようだ。

コンサートは誰もいなくなった舞台に明かりがついて、休憩に入った。


この後、シューマンの「ライン」で、音楽的にはこれが一番の楽しみだったが、どうもいまいちピンと来なかった。

古典派の音楽は、オケも小編成なので、各パートの音もクリアに聴こえる、残響の短い音楽堂ならではのソリッドなサウンドがピッタリあっているように思うけど、ロマン派の場合、音があまりにクリアカットだと音楽としてはどうも情感に乏しい。
ましてやシューマンだ。芳醇な響きがほしい。
どうも、ハイドンの続きのような乾いたシューマンだったのは、音楽堂のせいもあるだろうけど、オケの規模が小さすぎたのかもしれない。

それはそれとして、前に、読響でモーツァルト「魔笛」序曲、シューマン交響曲第3番「ライン」、ベートーべン交響曲第3番「英雄」のプログラムを聴いた時の解説に、すべてに共通する「3」という数字に秘められた意味が書いてあったが、今回の神奈川フィルのプログラムにも同旨のことが書いてあった。

その表面的な部分だけ抜き出せば、ホルン協奏曲も「ライン」も第「3」番。
このいずれも変ホ長調で♭が「3」つ。
「告別」も嬰ヘ短調で♯が「3」つ。
「ライン」の冒頭は3拍子が2拍子に聴こえる作曲手法「ヘミオラ」を多重に用いて、本来の4分の3拍子と2分の3拍子の「ヘミオラ」に1分の3拍子の「二重ヘミオラ」の「3」つの3拍子を組み合わせている。
で、だから何だ、ということだが、キリスト教社会にあって、「3」は「三位一体」を表している。
教会音楽では長く頑なに3拍子が守られ、2拍子の導入は宗教上の大問題だったらしい。

たまたまのことなのか、作曲家がそんなこだわりを以って作曲したのか、僕は分からない。

♪2015-29/♪県立音楽堂-03