2014年2月6日木曜日

歌舞伎座新開場柿葺落 二月花形歌舞伎 通し狂言 青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) -白浪五人男

2014-02-06 @歌舞伎座



河竹黙阿弥作
通し狂言 青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) -白浪五人男

序 幕  初瀬寺花見の場
     神輿ヶ嶽の場
     稲瀬川谷間の場
二幕目    雪の下浜松屋の場
     同  蔵前の場
     稲瀬川勢揃の場
大 詰  極楽寺屋根立腹の場
     同  山門の場
     滑川土橋の場


弁天小僧菊之助・青砥左衛門藤綱⇒菊之助/
南郷力丸⇒松緑/
赤星十三郎⇒七之助
忠信利平⇒亀三郎/
鳶頭清次⇒亀寿/
千寿姫⇒梅枝/
青砥家臣伊皿子七郎⇒歌昇
青砥家臣木下川八郎⇒萬太郎/
浜松屋倅宗之助⇒尾上右近
手下岩渕の三次実は川越三郎⇒廣太郎/
手下関戸の吾助実は大須賀五郎⇒種之助
丁稚長松⇒藤間大河/
薩島典蔵⇒権十郎/
局柵⇒右之助/
浜松屋幸兵衛⇒團蔵/
日本駄右衛門⇒染五郎

リニューアル歌舞伎座、というより、そもそも歌舞伎座は初めてだった。
どうしてこれまで縁がなかったのだろうと自分でも不思議なくらいだ。
まあ、国立劇場で比較的安価に観られるので入場料の高い歌舞伎座でも観たい、という気になるほど歌舞伎が好きって言う訳じゃなかったからだな。
これまで年に数回だったが、今年から毎月1本は観ようと、とりあえず決めたので、2月に歌舞伎公演のない国立劇場に代わって歌舞伎座デビューとなった次第。
東銀座までは京急が乗り入れしているので非常に便利だ。
半蔵門(国立劇場)に比べると所要時間は半分くらいだろうか。
B3出口がそのまま、歌舞伎座の地下2階木挽町広場に繋がっている。


リニューアル歌舞伎座はまだ1年も経っていないのでどこもかしこもピカピカだが、残念ながら狭い。
1階ロビーなんか無いに等しい。各階のホワイエも狭い。
客席は1808らしい。国立劇場が1520だから、300席近く多いが、間口も横幅も国立劇場より狭いように思う(さらに舞台天井も低いだろう。)。
それでもたくさんお客が入るのは2階席、3階席(4階は一幕見席)の傾斜が怖いくらい急に作ってあるからだ。
その分、3階席からでも舞台が近いが、舞台天井の低さも邪魔をして大詰めの場面では舞台装置の極楽寺の屋根の瓦に昇った菊之助や山門の上の染五郎の見得を切る顔が隠れてしまって見えない。
やはり、国立劇場のほうがゆったりとみられる。


さて、芝居の方は、有名な弁天小僧菊之助、日本駄右衛門ら白波5人男の話だが、これまで部分的には映画や芝居などで観聴きしていたが、「知らざあ言って聞かせやしょう」の弁天小僧と「問われて名乗るもおこがましいが」の日本駄右衛門や白波5人男がどうつながるのか知らなかったが、今回、通し狂言(3幕9場)として観ることができたので、なるほどこういう話か、と合点した。

いかにも歌舞伎・世話物らしく、主要登場人物のほとんどが「(表向きは)某で、実は…」というビックリマーク付きで、よくまあ、こんなでたらめな話を作り上げたものだと思うが、そこは面白ければ何でもOKの庶民感覚なのだろう。

セリフも浄瑠璃調あり、現代話し言葉風あり、五七調ありのごった煮。
しかし、弁天小僧の「浜松屋の場」や五人男がそれぞれ名乗りを連ねる「稲瀬川勢揃の場」などの名調子こそ、歌舞伎の一つの典型なのだろう。何か懐かしささえ感じて日本人のDNAを刺激された感がある。

「(尾上)菊之助」の「(弁天小僧)菊之助」だったが、まだちょっと若い気もする。
日本駄右衛門の染五郎、
南郷力丸の松緑、
赤星十三郎の七之助、
忠信利平の坂東亀三郎はいずれも若い。
白波五人男としてはやや貫禄が不足した。

大詰めの極楽寺屋根立腹の場から山門の場に代わる所謂「がんどう返し」(大屋根が90度後ろに回転して、背景となりその下から2階建ての山門がせり上がってくる。)がなかなかの見世物だった。電気のない江戸時代によく作ったものだ。

ま、とにかく、この狂言、極めて様式化された「立ち回り」、「名乗り」、「連ね」(調子の良い長台詞)に「厄払い」(五七調の名文句)や「だんまり」(暗闘)や「見得」の連続で、これこそ歌舞伎入門に持って来いだと思う。

♪2014-12/♪歌舞伎座-01