2018-07-06 @みなとみらいホール
尾高忠明:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
スヴェトリン・ルセフ:バイオリン*
リャードフ:魔法にかけられた湖 作品62
プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第2番ト短調 Op.63*
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op.47「革命」
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アンコール
フリトスコフ:ブルガリアン・ラプソディ*
リャードフなんて作曲家は知らない…と思っていたら、3年前に読響定期で「魔法にかけられた湖」を聴いていたよ。
久しぶりに2度めを聴いた訳だが、作曲家の名前も思い出せなかったくらいだから音楽を聴いたって前に聴いたことがある、ということを思い出せない。初めてのつもりで神妙に聴いた。
ほとんどリズムを感じさせない音楽で、小刻みの弦が水面を表しているのか。起伏がなく、ダイナミズムに欠けるというか、そもそもそこを狙っていない、まあ、気持ちよく過ごせる環境音楽のようである。
スヴェトリン・ルセフという人は初聴き。現在、スイスロマンドのコンマスを兼ねているようだ。楽器が日本財団貸与のストラディヴァリウス1710年製「カンポセリーチェ」だそうな。そのせいかどうか分からないけど、この人の弾くバイオリンの音色はとても柔らかくてきれいだった。弾き方も、余りガリガリと脂を飛ばすような弾き方ではないので余計にきれいに感じたのだろうな。
この1月余りで4回、バイオリン協奏曲を聴いたが、フランチェスカ・デゴのフェラーリの協奏曲と並んで心地よい音楽だった。
メインがショスタコだが、この曲はいつ聴いても、どのオケがやってもまずハズレがない。このところ(僕の耳には)好調な神奈川フィルだ。まず期待してよかろう。と思っていたが、その期待どおりの上出来だった。
ところで、何度も聴いている曲なのに、これまで、終楽章で鳴らされる銅鑼の存在に気が向くことはなかったが、この日の銅鑼に気が向かない人は一人もいなかったろう。何しろ、舞台最後列の中央に陣取ったそのサイズの大きいこと。かつて見たこともない大きさだ。
みなとみらいホールの開演の合図は鐘やベルではなく、みなと街にふさわしく銅鑼のグォ〜ンという音だが、この特大銅鑼ならお客は慌てて席に付いたろう。
音量もすごくて効果抜群だったが、これまで聴いてきたショスタコ5番ではいつも銅鑼が使われていたのだろうか、ふと疑問が出てきた。解説に書いてあるスコア上の楽器編成には銅鑼は書いてない。すると、銅鑼は当たり前のように思っていたけど、これまで銅鑼なしの「革命」を聴いてきたのだろうか。
過去に「革命」を取り上げた各オケの演奏会のプログラムをいくつか当たってみたが、いずれもスコア上の表記らしく銅鑼は書いてない。
Youtubeで探してみたら、いくつか銅鑼を使っているものを発見した。また今年1月のN響定期の録画をチェックしたらここでも銅鑼は使われていたから、どうやら指揮者の好みで使ったりつかわなかったりするらしい。すると、今日の尾高師は「思い切りでかい銅鑼を用意しろ」と指示したのかもしれない。
今後も聴く機会の多い作品だから、銅鑼の有無やサイズに注意して聴くこととしよう。
♪2018-080/♪みなとみらいホール-21