2018-10-19 @サントリーホール
大野和士:指揮
東京都交響楽団
タベア・ツィンマーマン:ビオラ*
アントワン・タメスティ:ビオラ*
室住素子:オルガン#
マントヴァーニ:2つのビオラと管弦楽のための協奏曲(2009)(日本初演)*
サン=サーンス:交響曲第3番 ハ短調 op.78《オルガン付き》#
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アンコール
バルトーク:44の二重奏曲 Sz.98からNo.28「悲嘆」*
前半はマントヴァーニ(1974年生まれ。ストリングスを多用した同名の名アレンジャー(1905-1980)とは別人。)によるビオラ2本(指揮者の下手と上手に位置した。)と管弦楽による協奏曲(2009年初演。本日は日本初演)。
不快音のみで構成され、意表を突くことで自己満足している現代作曲家の作品にうんざりしていたら、終盤、下手のビオラが断線し、弦の張替えのために5分弱中断した。そのまま弾いても誰も気づかなかったろうに。そういう聴き苦しい音楽だ。
その時、上手奏者が下手奏者に自分の楽器を貸し、自分は都響ビオラ首席(上手奏者の直ぐ側に位置している。)から借りたら良かったのに何故そうはならなかったか?瞬間のことでどうしたらよいか、分からなかったのかもしれないが。
実演奏時間を測っていたが、断線による中断時間は5分弱!
ひょっとして、作曲家は楽譜に<X小節目で下手奏者は断線を装い舞台袖に退く。約4分経過後舞台に復帰し、指揮者は正確に4分33秒を計測して音楽を再開すること>なんて書いてあるのではないか、といっときの妄想を楽しんだ。
それというのも、現代作曲家のジョン・ケージは4分33秒という3楽章構成の作品で全楽章とも演奏家に無音を強いている(これは初演者の演奏?が4分33秒だったので後日それがタイトルになったという説も聞く。)。
今日の中断時間が正にそれくらいの時間だったから、ジョン・ケージの馬鹿げた作品も取り込んでいると取れなくもない。
でも、実際は、舞台上の様子から、この長い沈黙が織り込み済みではないことは明らかだった。
39分の予定が45分位に延びた演奏が終わり、カーテンコールに応えて、ビオラの2人がアンコール(ビオラ二重奏)を弾く際に、2人の楽器の調弦がうまく合わず、上手奏者が都響ビオラ首席から楽器を借りて弾いたのは何故だろう?「本番で君が貸してくれたら良かったのに!」とでも言いたかったか。そうでもないだろうけどなあ。
ま、色々あって白けたよ。
後半は待望のサン=サーンス交響曲3番。「オルガン付き」と呼ばれているが、業界では「ガン付き」とも略すらしい。
これまで不満に思ったことがない好みの作品だ。
全2楽章だが、それぞれが2つの部分に分かれていて、全4楽章に分解できるが、2つの部分は途切れなく演奏されるので、耳には全2楽章に聴こえる。
冒頭の短い序奏が終わり所謂循環主題がざわざわ登場するところで、原始脳に1本目の覚醒剤が打たれ、第1楽章後半(第2楽章相当)に効きだして来る。
第2楽章(第3楽章相当)冒頭に2本目が打たれ気分は愈高揚してくる。
同楽章後半(終楽章相当)にオルガンが強奏しここでトドメの3本目。
そこからは小波大波を掻い潜ってひたすら荘厳な頂点へ!
これで前半の不具合も帳消しにするカタルシス、と言いたいところだが、全体にざわつきが大きく、透明感に不足したのは残念。
♪2018-132/♪サントリーホール-10