2018-11-08 @サントリーホール
小泉和裕:指揮
東京都交響楽団
レイ・チェン:バイオリン
ブラームス:バイオリン協奏曲 長調 作品77
ブラームス:交響曲第4番ホ短調 作品98
この数ヶ月、都響については欲求不満が募っていたが、小泉御大のブラームスの豪華2本立てでよくぞ立ち直ってくれた…というのは言いすぎ。
小泉師は神奈川フィルの特別客演指揮者でもあるので聴く機会が多い。個性がないのが個性のような、いつも安定したこれぞ独音楽という構成感の良さにゆりかごに揺られている感じで音楽を聴いていられる。
コンサートの冒頭にとんでもないハプニングがあった。
師が指揮台に上がったので、館内は静まり返った。タクトが降ろさされようとしたとき、微かに別の音楽が聴こえだした。これでは始められない。
僕の席は1階センター2/3位後方なので、舞台のそばでなっているように聴こえたが、もちろん、都響は演奏していないし、第一始まるのはバイオリン協奏曲だが、ぜんぜん違う音楽だ。
これで都はるみでも流れたら面白かったろうに。
ま、小ホールも同時にコンサートを演っていたからそこから漏れているのではないか、と思った。なんてけしからんホールだ。と驚くと共に呆れ果てた。…が真実は異なった。
1階の中央辺りに座っていた老婦人の携帯音楽プレーヤーが鳴り出した(既に鳴っていたものが、指揮者登壇の静寂ではっきり聞こえるようになったのかも)ということらしかった。
ややあって、件の老婦人は電源を切ったらしく、鳴り止むのを待っていた小泉御大、ソリスト、都響の面々が気持ちを切り替えて、音楽が始まった*。
タクトが降りてしまえば重厚なVn協奏曲の世界だ。
独奏のレイ・チェンは初聴き。
後述するが、大編成の都響に埋没することなく、大曲を弾き切った。元々頭でっかちの音楽なのでオケともども力の配分が難しいだろうと思う。
そこは小泉師の采配も与って終楽章のクライマックスまで緊張が途切れなかった。
疑問は、この曲の所定の管楽器の編成は2管編成なのに、弦が16型(Vn1=譜面台8本なので人数にして16人。Vn2=14人、Vl=12人、Vc=10人、Cb=8人、計60人)って多すぎないか?
ブラームスがこの編成で聴いたら吃驚したろう。
ブラームスは協奏曲といえどもシンフォニックな作品を構想していたらしいが、それは音楽の形式のことで、アンサンブルの響のことではない。
とは言え、大編成も、きちんとコントロールされたら楽しみは大きくなる。問題は、都響が音楽の有り様を考えて、この編成を選択しているのかということだ。どうも、いつも都響の編成は大規模化の傾向が強い。団員の失業対策ではないか、と勘ぐりたくもなる。
メインの交響曲第4番も、管の編成が楽譜に指定された編成で、協奏曲より少し増えたが弦の編成は同じ規模だった。
交響曲と言えど、この編成もブラームスとして如何かと思うが、厚いアンサンブルは魅力で(Vn1高域に問題あるが)、堂々たる音楽を楽しんだ。
それだけに、前半の協奏曲の編成を少し小さくしておけば共に引き立ったろうに…。
*コンサートホールや劇場での鑑賞マナーに関しては少なからぬ女性に不快を感じている!
大抵2人で来て、ぎりぎりまでおしゃべりが止まない。
携帯電話の電源を切るように何度もアナウンスされているにもかかわらず、スリープかマナーモードにするだけ。どうせ使えないのに充電池節約のためにも切った方がいいし、アラームをセットしているのを忘れていることもあるだろう。機械そのものがトラブルで音を発することも考えられなくもない。とにかく、電源を切らずにいるメリットは何にも無いはずだ。
今日のような音楽プレーヤーなど論外だが、でも、始まる前に鳴って良かった。音楽の途中、ppの辺りで客席から都はるみでも聴こえてきたらそのおばちゃん、生きては帰れなかっただろう!
女性は荷物が多く、それを膝ではなく、自分の足元に置く(開演中はそれで良い)ので公共通路を通り抜けるのに苦労する。一度、その荷物の山をまたがなければならなかったので、わざと「踏んづけてもいいですか」と聞いたら、慌てて荷物を膝に載せたおばちゃんがいた。
因みに、僕は自席の前を他の人が通る場合は、必ず、椅子を跳ね上げ立ち上がることにしている。そうすれば、お互いがスムースに通路を移動できるのだから。
♪2018-143/♪サントリーホール-11