2017年12月27日水曜日

N響「第九」Special Concert

2017-12-27 @サントリーホール


クリストフ・エッシェンバッハ:指揮
NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ

オルガン:勝山雅世*
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ソプラノ:市原愛
メゾ・ソプラノ:加納悦子
テノール:福井敬
バリトン:甲斐栄次郎

J.S.バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564 ― トッカータ*
J.S.バッハ(デュリュフレ編):コラール「主よ、人の望みの喜びよ」*
J.S.バッハ(イゾアール編):アリア「羊は安らかに草をはみ」*
J.S.バッハ:「天においては神に栄えあれ」― フーガBWV716、コラールBWV715*
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ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125 「合唱付き」

さて、エッシェンバッハの指揮をナマで聴くのは初めて。
N響C定期ではブラームスの交響曲を2回にわたって全曲指揮し、既にNHK-TVのクラシック音楽館でも放映され、録画の際にちらっと聴いたものの、ゆっくり聴く時間がないので本気では対峙していないが、年末年始にじっくり聴いてみようと思っている。
このブラームスの演奏は概ね好評だったようだが、今回の「第九」に関するNET評なども「良かった!」という評判が多いので、大いにがっかりした僕としては、世間の評はアテにならないという思いを今更ながら強く確信した。ブラームスも予断にとらわれずに聴かねばなるまい。

オケまず、合唱は、今回 P(舞台後方)席を客席とせず、ここに並んだ。これは数えやすい。全部で90人だった。やや少なめだがプロ集団だから数に恃む必要はないのだろう。東京オペラシンガーズだ。やはり、少ない人数を感じさせない馬力があった。大規模編成のオケにちっとも負けていない。それでいてあまり濁ることもなかったのはさすがプロだ。合唱団には満足できた。

声楽独唱者は、全員、何度か「第九」やオペラなどで聴いている人で各人は一流の腕なのだろう。しかし、バランスがどうだったか。特に合唱団に馬力があるので、合唱と独唱が一緒に歌うところでは独唱のアンサンブルの声量に不足を感じた。

オケ編成は、所謂16型。倍管。なのでコンバスも8本だ。今年聴いた「第九」の中で最大編成かどうかは分からないが、一、ニを争う大きな編成だった。そのせいで、合唱はP席に追いやられたのかも…。結果、観客席が制限を受け、そしてチケットが高くなった…という訳ではないだろうな。昨年、サントリーホールで都響の「第九」を聴いた時は合唱団は舞台上に陣取ったので、今回のN響の編成でも合唱団も一緒に並ばないこともなかったのかもしれないが、でも、並んだら相当窮屈だったろう。

大規模編成だから、迫力はあるし、演奏能力は高い。やはり、弦の美しさ(美しいところでは!)はどのオケよりもきれいに思う。しかし、今回の演奏にがっかりしたのは、演奏能力の問題ではなく、指揮の問題だ。

どの楽章もテンポは中庸ないし遅め(特に第3楽章)の設定だった。これは僕としては好みではない。できたら、第3楽章以外は可能な限り in tempo で疾走してほしい。でも、これは僕の偏った好みかもしれないから、テンポ設定に文句は言うまい。

問題は、テンポや音量を弄り過ぎだということだ。演出過剰で、外連であり、嫌味である。俗っぽすぎる。素人芸のようでさえある。フレーズの終わりを極端に dim したり rit して次のアタックを効かせるなんて、あまりにも安易ではないか。

かと思うと、第2楽章など本来は molto vivace なのであるから、相当速いはずだが、それが随分ゆったりしている。弦のアンサンブルが微妙にずれて、小節の頭だけで合わせていたような部分があったが、これは中途半端なテンポ設定に原因したのではないか。

また、第3楽章は遅くとも良い。 Adagio なのだから。いくら遅くとも音楽になっておればいい。
エッシェンバッハは16分20秒だった。この年末に6回聴いた「第九」の中では一番最長時間だが、長さだけを見れば世界標準だろう。
朝比奈隆のCD(新日本フィル・1988年12月@サントリーホール・ライブ録音)など第3楽章に19分48秒をかけていて、それはそれできれいな音楽になっているのだ。

問題は、冒頭書いた演出過剰だ。一番驚いたのが92小節目のホルンの独奏だ。聴きどころ・聴かせどころだが、ここで急ブレーキを踏んだように遅くなった。それで気持ちがつんのめってしまった。この急ブレーキに必然性はあるのだろうか。スコアを見てもこの場所にはテンポを含め何らの指示もないのだ。

どうやら、エッシェンバッハは「第九」の世界の中で独自の呼吸をしているようだ。僕にはそれが過剰だと思う。おそらく、N響の団員たちも違和感を払拭できていないのだ。

第4楽章。冒頭の強奏後、何度も繰り返される低弦のレシタティーヴォに勢いがない。ここはチェロやコンバスにとって最大の聴かせどころだが、勢いに欠ける。音も美しくない。年末の6回の「第九」中最低のレシタティーヴォだった。N響とは思えない。
それというのも、こういう部分こそ、特に指揮者と奏者が息を合わせなくちゃうまくゆかないが、呼吸があっていないのだ。
エッシェンバッハはそれを感じていなかったのだろうか?年末に計5回の「第九」を演奏して、今日がその最終日だというのに両者の呼吸が合っていない。
なぜ合わないか。
そりゃ、あまりにエッシェンバッハの呼吸が「独自」過ぎるからだ。こういう独自解釈を押し付けられてはいい迷惑だが、それでも、プロ同士として両者歩み寄り、それなりに呼吸を整えてモヤモヤの残らない演奏を聴かせてほしかった。

一昨年のパーヴォ、昨年のブロムシュテットと組んだN響の「第九」は素晴らしかった。「神は細部に宿る」という言葉を実感したような、行き届いたアンサンブルであった。
今年も一番の期待をかけて1年のコンサート聴き納めに選んだのだが残念な結果だった。

♪2017-212/♪サントリーホール-06