2015年12月11日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第670回東京定期演奏会

2015-12-11  @サントリーホール


尾高忠明:指揮
伊藤寛隆[首席奏者]:クラリネット
柳生和大:テューバ
日本フィルハーモニー交響楽団

フィンジ:クラリネットと弦楽のための協奏曲 作品31
ヴォーン・ウィリアムズ:バス・テューバと管弦楽のための協奏曲 ヘ短調
シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944 《ザ・グレート》

シューベルトの前の2曲はいずれも初めて聴く、というより、こういう音楽の存在すら知らなかった。フィンジという作曲家についてはその存在さえ知らなかった。
珍しい作品の組み合わせだった。



ジェラルド・フィンジ(1901-1956)は現代イギリスの作曲家だそうな。Wikiによれば「作曲家・園芸家」と書いてある。「演芸家」の間違いではない。

ヴォーン・ウォリアムス(1872-1958)の方が一世代前に生まれたが、彼の方が長命だったのでフィンジの2年後まで生きた。

詳しいことは知らない(調べたら分かるけど面倒だ。)が、2人は、同じ英国でほぼ同時代を生きたと言っていいのだろう。

作風については、なんとも分からない。フィンジについては今日はじめてこの1作を聴いただけだ。

かなり、切ない曲調だ。
調性がありそうな気もするけど表記はない。長短でいえば短調だな。ちょっと劇的な出だしの後、哀愁たっぷりにクラリネットの甘い音色でこれでもか、と胸をかきむしられるようだ。
第2楽章はやるせない。
第3楽章も結構ユウウツだ。ま、最後の最後に少し明かりが見えたという感じ。
でも、最近の僕の精神状態にはぴったりだったかも。

ヴォーン・ウィリアムズは好き。イギリス民謡組曲なんかヒジョーに好きだ。英国の土着の香りがする。もっとも、「英国」という国柄を論ずるのはこれまたヒジョーに難しいので深入りしないでおこう。
この民謡組曲に関してだけ言えば、「英国=イギリス」といっても実は「イングランド」のことであって、UKを指す訳ではない。

ついでに、「ヴォーン・ウィリアムズ」という名前。
つい最近まで、「ヴォーン」が名で「ウィリアムズ」が姓だと思っていたが、そうではなくで「ヴォーン・ウィリアムズ」ぜんぶが姓で、名は「レイフ」というそうだ。

バス・テューバと管弦楽のための協奏曲は、第1楽章はまるで日本の祭り囃子のような曲調だ。
第3楽章がせわしないが、奏者の腕の見せ所だ。聴いていてもあの大きな楽器をコロコロと鳴らすのは容易では無いだろうと思う。
しかし、まさにテューバ奏者のために作られたような作品で、感傷音楽としては如何なものか。もともとソロ楽器には絶対向いていないものなあ。

なんで、「バス・テューバ」か。
いわゆるテューバ(チューバとも)には少なくとも一番低い音の出る「コントラ・テューバ」。次の音域の「バス・テューバ」。一番高い音域の「テナー・テューバ」というのがあるそうだ。
「テナー・テューバ」なんて名前は自己否定みたいだが、吹奏楽でいう「ユーフォニアム」のことらしい。オーケストラでは「ワーグナー・テューバ」を指して「テナー・テューバ」という場合もあるそうだ。


シューベルトの第8番。
8番といえば、昔は「未完成」交響曲を指した。そして現在の第8番「ザ・グレート」はかつては7番だったり、9番だったりした。国際シューベルト協会が1978年に作品番号を改訂し、それ以降は8番(未完成は7番)で落ち着いているが、手持ちのスコアを見ると9番と書いてある。

その昔、アマオケ時代に演奏した曲で、今も、ボウイングを書き込んだパート譜も残しているが、楽譜の中に当時の演奏会のチラシが挟みこんであり、1989年7月と記されているので26年も前の事だったんだ。
まあ、そんな思い出もあって、特に好きな曲だ。
どの楽章もいいけど、やはり第2楽章か。シューマンは「天国的な長さ」と評したそうだが、終わってほしくない至福の時、というような気持ちでそう評したのだろう。

全篇に漂う雰囲気は、たぶん、…ウィーンの香りって、こういうのではないかと思う。


日フィルは、みなとみらいホールやサントリーホールのように残響の長いホールではこれまで弦に不満を感じたことはなかったのだけど、前回県民ホールでの演奏で、こう言っちゃ失礼だが、ボロを出したように思った。で、今回は特に弦の響きを気にしながら聴いたのだけど、やはり、以前のような聴き方はできない。
これまでは聴き過ごしていたのだろうが、この頃では、弦の高音部の濁りや中低域でもざわざわして透明感に欠ける部分が少なからずだ。たまたま今回もそうだったのか。僕の体調の問題かもしれないが。

せっかく久しぶりに「ザ・グレート」をもっと澄んだ弦のアンサンブルで聴きたかったな。

♪2015-123/♪サントリーホール-07