2015年12月6日日曜日

N響第1823回 定期公演 Aプログラム

2015-12-06 @NHKホール


シャルル・デュトワ:指揮
ヘロデ:キム・ベグリー(テノール)
ヘロディアス:ジェーン・ヘンシェル(メゾ・ソプラノ)
サロメ:グン・ブリット・バークミン(ソプラノ)
ヨカナーン:エギルス・シリンス(バス・バリトン)
ナラボート:望月哲也(テノール)
ヘロディアスの小姓/どれい:中島郁子(メゾ・ソプラノ)
5人のユダヤ人 1:大野光彦(テノール)
5人のユダヤ人 2:村上公太(テノール)
5人のユダヤ人 3:与儀 巧(テノール)
5人のユダヤ人 4:加茂下 稔(テノール)
5人のユダヤ人 5:畠山 茂(バス・バリトン)
2人のナザレ人 1:駒田敏章(バリトン)
2人のナザレ人 2:秋谷直之(テノール)
2人の兵士 1:井上雅人(バリトン)
2人の兵士 2:斉木健詞(バス)
カッパドキア人:岡 昭宏(バリトン)

NHK交響楽団

R.シュトラウス:楽劇「サロメ」(演奏会形式)


サロメの話を知ったのは、多分、映画が一番先だったろう。
長じて聖書も読んだし、別の映画でも観ている。サロメが主人公というより聖書物語の一部として登場したような気がする。
あらためて映画のデーターベースで「サロメ」を探すと5本もあったが、ほかにも「サロメ」を含むタイトルがあれこれ出てくる。とにかく、映画や芝居には格好の題材なのだ。

イエスに洗礼を施したヨハネ(=ヨカナーン)はヘロデ王にとっては邪魔な存在であったが、ヨハネが多くの信奉者を集めている以上、また彼自身もヨハネに絶対的な存在の陰を感じていたようで、捕縛したまま処刑には及んでいなかったが、ヘロデの妻によってそそのかされた娘サロメの希望を叶えるため、やむなく首を切り落とした、というショッキングな話のせいか、あるいはそこに何か象徴的な深い意味を汲みとったのか、後世の多くの芸術家がサロメの話を絵画や芝居などに翻案している。

R.シュトラウスは、オスカー・ワイルドが書いた戯曲(1891年)をベースに作り上げた一幕物のオペラを作曲した(1905年完成)。

ワイルドの戯曲が既に聖書の記述を大幅に改変しており、サロメこそこの残酷物語の主人公で、その美貌で誰をも従わせることができるのに唯一関心すら持ってくれないヨカナーンに激しい恋心を抱くと同時に叶えられない苦しさが凶行へと走らせるとんでもない聖書劇で、だからこそ、スランプ状態にあったR.シュトラウスのやる気を刺激したらしい。

オーケストラの規模が100人を超える大編成で、登場する歌手は16人だが、主要な役はヘロデ王、その妻ヘロディアス、その連れ子(ヘロデの兄とヘロディアスの子)であるサロメ、そしてヨハネ(ここではヨカナーンと呼ばれている)だ。

一応4場構成のようだが、序曲もなければ間奏曲もない。アリアもレシタティーヴォもない。
昨年12月にデュトワ+N響でドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」(演奏会形式)を聴いたが、これも、旧来の歌劇形式にとらわれないスタイルだったが、この形はドビュッシーが先行したのだろうか。
「ペレアス~」の完成が1902年というから「サロメ」よりわずかに早い。R.シュトラウスは「ペレアス~」を聴いていたのだろうか?
オペラとしてのスタイルも似ているが、音楽自体も類似点が多いような気がする。

発表当時は超現代音楽だったろうが、今でも僕の耳ではなかなかすんなりとは楽しめない。

物語として不可解な点は捨象しても、不協和音の連続の音楽がしっくり入ってこないのだと思うが、唯一、多少耳に馴染みのある「サロメの踊り」の音楽も演奏会形式では物足りなかった。

後日、MET版「サロメ」のブルーレイディスクを持っているのを思い出して早送りで観たが、こちらはなるほどの迫力。
訳は分からないけど、サロメの狂気が伝わってくる。
「ペレアス~」では演奏会形式に違和感がなく、音楽表現形式として十分成立しているように思ったが「サロメ」に限っては、やはりオペラとして観賞すべき作品だったかも。

https://youtu.be/czi6qt9s_qg


♪2015-121/♪NHKホール-13