2014年6月8日日曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第98回

2014-06-08 @ミューザ川崎シンフォニーホール



三浦文彰(バイオリン)
垣内悠希指揮東京交響楽団
大谷康子(ソロ・コンサートマスター)

メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」 序曲 作品21
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番  ト短調 作品26
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68
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アンコール(バイオリンソロ)
アンリ・ヴュータン:アメリカの思い出「ヤンキー・ドゥードゥル」作品17



なんか最近「真夏の夜の夢」の名前を目にすることが多いなあと思ったら、シェークスピアの生誕450年だそうな。

メンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」は「結婚行進曲」(を含む全12曲)で有名だけど、今日の序曲はその劇音楽版の元となった作品で序曲というが、単独完結作品だ。

どおりで、ところどころに耳に馴染んだ旋律があったけど、全体としては初めて聴いたかもしれない。
メンデルスゾーンは僕にとってハイドンと同じく、生意気にも若い頃は軽く見て、熱心に聴くことはなかった(いったいどうしてそんな不遜な態度をとることができるんだろうと、我ながら呆れるけど。)。

しかし、何がきっかけだったか(たぶんグレン・グールドのCDの中にメンデルスゾーン再発見があったように思う。)、思いを改め数年前にこれまでの非礼を詫びて、全作品集という40枚組を買った。でも、それはほとんど手につけていない。以前から持っていたものばかり聴いているけど、いずれはメンデルスゾーンの全作品を聴き倒し!てみたいものだ。


ほぼ1週間前にブルッフのバイオリン協奏曲を読響で聴いた。
とても良かったので、あれを超えることはあるまい、と思いながら初めて聴く三浦文彰クンの演奏を聴いたが、こちらもなかなかのものだ。

彼は2009年のハノーバー国際コンクールで史上最年少の16歳で優勝したそうで、そういえば、そんなニュースを聞いた覚えがあった。てことは現在21歳前後か。まあ、とにかく若い。

ブルッフの協奏曲は大いに楽しめた。
しかし、アンコールに応えて弾いたアンリ・ヴュータンが作曲したバイオリン無伴奏曲「ヤンキー・ドゥードゥル」が技術的には超絶技巧を要する曲と見えたが、楽しそうに弾きこなして観衆をびっくりさせた。


話がずれるけど、そもそも、アンリ・ヴュータンなる作曲家が初耳で、現代の作曲家だろうと思っていたが、帰宅後調べてみたら1820年生まれで、フランク、スメタナ、ブルックナーとほとんど同時代だった。
この時代の作曲家で、今もコンサートに取り上げられる作曲家を知らなかったなんて、軽い衝撃だ。
まあ、深追いはするまい。
ただ、「ヤンキー・ドゥードゥル」は本来はピアノとバイオリンのための作品のようだけど、三浦クンは、ピアノ無しで弾いた。あるいは、初めから無伴奏のバージョンもあるのだろうか。

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休憩を挟んで、本日のメインディッシュはブラームスの1番。
読響でブルッフのバイオリン協奏曲を聴いた時のメインディッシュはブラームスの2番だったから、よく似たプログラムになったが、同時代(ブラームスが5歳上)の同国人で、ともにドイツロマン派として類似性が高いから、カップリングとしては好ましいのだろう。

因みに両者の作品リストを見比べると同じような形式の作品群が並んでいてその類似性に驚く。もっともブルッフは今に残る作品があまりにも少ないが。


ブラームスの1番。
彼の交響曲の中ではそれこそ1番に好きになった曲で、ブラームスが完成までに20年余をかけ、43歳にして完成させたという遅咲きの大輪だ。

第1楽章はティンパニーのドンドンと規則正しい響に乗って、C-C#-Dという半音上昇形を基本に弦と木管がうねるようなメロディーをチラチラ見せながら、決して高らかに歌い上げることは無く、時々小爆発を繰り返し、余韻を残して終わる。
先日聴いた2番がD-C#-Dという音型に依っているのとよく似ている。

第2楽章は古典派では歌うような緩徐楽章である場合が多いが、ブラームスではあまりカンタービレにはならない。短いオーボエソロと後半1/3くらいかなバイオリンソロ(コンサートマスターによる。今日は大谷康子だった。)にややそれらしいメロディーが出てくるけど、伸びやかな歌心は感じられず。全体に散文的。これは4楽章全体を構想しているからだろう。

第3楽章。本来スケルツォだけど、前楽章が3拍子だったせいか、ここは2/4。割と調子の良い、分かりやすい音楽だ。
第4楽章のテーマがちょっと顔をのぞかせることで、全曲の構成感を高めている。

第4楽章。ハ短調の重苦しいような長い序奏部がクネクネ続いて、一転ハ長調に変わり、ようやくまことに明るくて分かりやすい第1主題が登場するが、これが実に正統なドイツ歌曲のような気がする。これをベートーベンの第9番の「歓喜の歌」に喩える説明もよく目にするがもっともだと思う。
ソナタ形式だが展開部を欠く代わりにこの主題が姿を変えては何度か登場し、小クライマックスが来て、ようやく最後の1分強が2/2にテンポを変えて怒涛のクライマックスだ。

ブラームスなら手放しというわけでもない。例えば弦楽六重奏曲第1番(27歳の作品)は大好きだけどラストに構成感の不満があるが、交響曲第1番はさすがに20年余をかけ、満を持して発表しただけに、前半のもやもやを全て受け止めて高らかにドイツ音楽ってこれです!という感じで50分近い大曲を堂々と締めくくって大いなるカタルシス。
ハ短調に始まってハ長調に終わり、まさにベートーベンの第9番「苦悩を通じて歓喜に至れ」の再現だ。「第10番交響曲」と言われる所以なり。

ところで、この作品におけるティンパニーの使い方は実に効果的だ。

ひょっとして、ティンパニー付き管弦楽作品中屈指ではないだろうか…とは言い過ぎかもしれないので、これからもオーケストラを聴く際にはティンパニー活躍度にも関心を持って聴こうと思う。

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枝雀は落語を「緊張と緩和」で説明していたけど、時間芸術は基本的にそういうものだ。音楽に特化して言えば、意味は同じだけど「溜めと解放」とという表現の方がピッタリ来る。
ブラームスの音楽(シューマンも)はとりわけ、そこが妙味になっているように思うが、見当外れかも。


指揮の垣内悠希は昨年秋に神奈川フィルでやはりブラームスの3番を聴いているが、その時の印象について、鑑賞ノートはなんにも具体的なことを書いていなかった。その日の興味はほかのところにあったからだろう。

この人もまだ若く36歳くらい。輝かしいキャリヤを積んでいるが、まだまだ音楽性に磨きをかけるんだろう。
ブルッフもブラームスもとても惹き込まれた。

♪2014-60/♪ミューザ川崎シンフォニーホール04