2014-09-28 @NHKホール
NHK交響楽団
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」
今日は、ほぼ満席。こんなに客席が埋め尽くされたのは初めての経験。自席の周囲でいつもは空いている席も埋まっていた。
9月から新シーズンということで、定期会員の数が増えたのかもしれないが、おそらく、一時的なものではないか。
まずは、ブロムシュテット人気だ。
そして、演奏曲目の人気だろう。
シーズン幕開けの3つのプログラム(ABC)はいずれもヘルベルト・ブロムシュテットの指揮で、モーツァルトとチャイコフスキーの最後の3つの交響曲の組み合わせだ。
Aプロはモーツァルト41番ジュピターとチャイコ6番悲愴。
Bプロは同じく39番と4番。
Cプロは40番と5番。
演奏会の日程はB-C-Aの順番だから、曲目も番数の順番になっている。
全日程を聴く人も少なく無いだろう。僕も追加でCプロを聴きたかったが、行事がダブってダメだった。
この3つのプログラムのうちどれか一つと言えば、多くの人は両天才の最後の傑作のカップリングを選ぶだろう。
多分、そんな理由で大観衆になったのではないか。
いつにない熱気があった。
ブロムシュテットは昨年も同じ時期に(ABCプロで連続して)ブラームスを取り上げ、これが昨年のN響コンサートの人気投票ベスト3を独占したという。
僕は生では聴いていないけど放送されたものを全部録画して聴いた。交響曲1番だけ抜けているのは(演奏会が3日間)残念至極だけど、ちょっとした宝物だ。
さて、モーツァルトとチャイコフスキーの組合わせって、前日のモーツァルトとレスピーギの組合わせと同じで、変に思う。
しかし、プログラムの解説では、ブロムシュテット自身が「チャイコフスキーはモーツァルトを敬愛していた~からチャイコフスキーを演奏するときはモーツァルトを意識しなければなりません。チャイコフスキーの作品は、速いテンポの大音量で演奏されることがしばしばです。チャイコフスキー自身はそういった大げさなことは嫌いでした。根本的には古典派なのです。」と語っている。
なるほど。
昨日、日フィル定期のアンコールで聴いたモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はリスト編曲のピアノ版だったが、チャイコフスキーも管弦楽組曲に編曲しているそうだ。
録画しておいた「らららクラシック」が偶々チャイコの再放送で、ここでも、少年時代にオーケストリオンという自動演奏装置によって、モーツァルトのオペラを夢中になって聴いていたと紹介していた。
ま、2人に強固なつながりはあるようだ。
でも、モーツァルト以降の作曲家にとってモーツァルトの影響を受けなかった人はいないだろうし、どうも肌に合わないという人もいないだろう。
チャイコが「敬愛」を超えて、作曲技法など技術的な面でもモーツァルトを取り込んでいるのかどうかは分からない。
ブロムシュテットの指揮ぶりは「ジュピター」も「悲愴」も平凡なる耳にはフツーに聴こえた。
それで十分で、フツーが一番安心だ(時にはフツーでないのを聴いて感動するときももちろんあるけど。)。
チャイコは<大音量で速く>は良くないそうだし、<古典派>っぽいチャイコに不安があったけど、実際に始まってみると全然そういうことは感じない。
キビキビした演奏がまずは印象的で、安心して音楽に身を任せられた。
「悲愴」の終曲は長い休止が続いた。
ブロムシュテットは指揮棒を止めたまま降ろさない(この様子は放送されるだろうか。)。
チャイコの世界から現実世界に戻るにはだいぶ時間を要した。
しかし、観客席も水を打った静けさで息を呑んでブロムシュテットの呼吸に合わせている。
ようやくタクトが完全に降りたや否や、3千人以上入ったホールは割れんばかりの拍手喝采の嵐に包まれた。これはお義理の拍手ではない。敬愛、感謝、感動が音を立てているのだ。
今日の目的はこの時にあるとばかりの歓声も混じってものすごく、ブロムシュテット人気を実感した。
ご本人、御年87歳のはず。
温厚な好々爺然とした風貌だが、指揮棒を握っている姿はとてもエネルギッシュだ。
自身、とても演奏には満足の様子で、カーテンコールには何度も応え、団員たちとの握手を繰り返し、団員からも熱い拍手を送られていた。
こういう瞬間が、コンサートでは時に音楽以上に感動的だ。
昨年もそうだったのかもしれないが、鳴り止まない拍手に、団員が引き上げた後、椅子だけが並んだステージに呼び出されて歓声に応えてくれた。
こうしてブロムシュテットの神話が作られてゆくんだなあと思った。
その時を共にしたことをうれしく思った。
♪2014-89/♪NHKホール-04