2014年3月1日土曜日

金沢区民フィルハーモニーオーケストラ第11回定期演奏会

2014-03-01 @神奈川県立音楽堂


松岡 究指揮:金沢区民フィルハーモニーオーケストラ

シューベルト:ロザムンデ序曲
ハイドン:交響曲第101番「時計」 Hob.Ⅰ:101
シューマン:交響曲第4番Dm Op120

金沢区民フィルハーモニーオーケストラは初めて聴いた。
アマチュアでも随分レベルの高い技量を有するオケもあるし、自分もかつてはアマオケ活動していたゆえの親近感があって、都合が付けば聴きに行くことにしているが、横浜交響楽団のように年間8回もの定期演奏会を開催できる本格派は別として、たいていは年に1度かせいぜい2度。
それも今日の金沢区民フィルのような特定地域住民で構成される団体は地元で演奏することが多い(だろう)から、たくさんのアマオケがあっても接する機会は少ない。

今日は、シューベルトにハイドンとシューマンという独墺古典派とロマン派のプログラムだ。まさに僕好みの組み合わせで、多少は期待して出かけた。

果たして、ロザムンデ序曲の冒頭の全強奏の音響に違和感を感じてしまった。
よくコントロールされているのに何かおかしい。
アマチュアだから、ピッチの不揃いによる濁りはよくある。でもそれだけではない。
その後も最後までその何かヘンの感じは消えなかった。

県立音楽堂は、かぶりつきはともかくどこで聴いていてもさほど不満を感じない。それは元々音響設計が優れているのだろうし、キャパシティも小さい(千人強)からだ。
しかし、今日のオケの乾いたざわめきは何故か?


で、ひとつの仮説。
各楽器の音は原音に適度な残響が混じる(交響)と客席の耳に心地よく入ってくるが、この残響は、下手なカラオケはエコーを効かせなくちゃ聴いてられないのと同じで、原音をごまかす効果もある。

県立音楽堂のホールの残響時間を調べてみたら、えらく短い。

上記サイトの表は全国の主要なホールに関して、およそ残響時間の短いホールから長いホールの順番でリストアップされているが、一番目(短い)に県立音楽堂が、最後(長い)にみなとみらいホールが掲上されているのが興味深い。

つまり県立音楽堂の残響設計はソリッドなのだ。
ピッチの不揃いが率直に出てしまう。

あのざわめきは、不揃いな原音(楽器が発した音)が残響の衣をまとってマイルドになる前に観客の耳に届いてしまった為ではないだろうか。

これがプロの演奏ならば、むしろそのソリッドさは、音の輪郭が明瞭で粒立ちの良さを引き立てるのだろう。

来週開催の、神奈川県立図書館・音楽堂60周年講演会に応募したら当選したので(本当によく当たる!)、「建築と音楽が出会うところ」という話を聴くことにしているが、一層楽しみになってきた。

さて、音を聴きに行ったのではなくて音楽を聴きに行ったのだけど、ことほど左様な次第でなかなか集中できなかったが、アマオケの場合は大抵1曲めより2曲め、2曲めより3曲めとその場で腕を上げるのが普通で、この神奈川区民オーケストラも同じく、ロザムンデで疑問符がついたものの、最後の大曲シューマンの交響曲第4番は、クララの誕生日プレゼントとして作曲されたそうだが、甘い哀愁の大きなウネリを感じられて良かった。

ところで、この曲は全4楽章が切れ目なく演奏される。
交響曲1番も第2楽章~第3楽章は切れ目なく演奏される。
チェロ協奏曲も全3楽章切れ目なく演奏される。
ほかにもあるのかもしれない。CDでは一応各楽章ごとにトラックが分かれているので、聴いていただけでは分からない。
コンサートで初めてそうだったのか、と発見することがある。

ま、黙って聴いておれば良いのだけど、シューマンが古典的な形式に従って作曲しながら演奏の指示を全曲通してという指示をしているところが、何か、それまでの形式を革新しようとしたのではないかと思えて、興味深い。

彼がその才能を発見し、深い親交のあったブラームスが、一層古典的形式にこだわりながらロマン派のパッションを封じ込めているのもひょっとしてシューマンの影響なのか、と、ふと思いついたが。

あれこれ興味・好奇心のタネが尽きない。
困ったことだ。

♪2014-18♪県立音楽堂-05