2016年4月7日木曜日

東京都交響楽団第804回 定期演奏会Bシリーズ

2016-04-07 @サントリーホール


フランソワ=グザヴィエ・ロト:指揮
東京都交響楽団

シューベルト(ウェーベルン編曲):ドイツ舞曲 D820
R.シュトラウス:メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作
ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55《英雄》

フランソワ=グザヴィエ・ロトという指揮者。この舌を噛むような名前に、だからこそだろうけど、聞き覚え、見覚えがあるのだけど、過去の記録を手繰ってみてもどうやら初めてらしい。

放送で聴いたのかなと思って録画ディスクを調べたら、2014年のN響の「第九」を振っていた。年末のN響の「第九」はほぼ毎年聴いているからそれで、頭の片隅に「グザヴィエ・ロト」という変わった名前がインプットされていたらしい。

この人、一つのコンサートで古楽器とモダン楽器を使い分けたプログラムを演奏するなど、かなり革新的、意欲的な取り組みをしているようだ。

そういえば、本日のメインディッシュ、ベートーベンの「英雄」の手綱さばきは、モダン楽器を使いながら、ベートーベン時代ならこうかもといった感じの演奏だった。
つまり、オケの規模はこじんまりとコンバス4本、チェロ6本、バイオリン&ビオラは5プルトずつの編成だったような気がする。

シンフォニックな響に欠ける割に、各パートが明確に聴こえてくるのがこういうピリオド風(その時代風)な演奏の面白さだ。
そして、ビブラートを控えめにして、テンポは速め、というのもまさにピリオド風味の演奏スタイルだ。

このスタイルは、前に聴いたロジャー・ノリントンやジャナンドレア・ノセダ(いずれもN響)、鈴木秀美(神奈川フィル)らのベートーベン解釈とやや類似性があるのではないか。
パーヴォ・ヤルヴィもこの仲間に入れても良いかもしれない。少なくともヤルヴィの年末のN響「第九」ではそういうアプローチが新鮮だった。
疾走するベートーベン、とまでは言えなくとも、かなりテンポの良いベートーベンだった。

さて、今日のプログラムは相当凝った仕掛けが施されていた。

まず、シューベルトの「ドイツ舞曲」D820は、6曲の舞曲からなるピアノ曲だ(ほかにもシューベルトは12のドイツ舞曲という作品集D790も作っている。)。これを12音技法の確立に寄与したウェーベルンが木管と弦楽のアンサンブルに編曲したものだ。
原曲の方も今回のコンサートの予習として何度か聴いたが、ウェーベルンの編曲したものはCDの手持ちにないし、過去にも聴いたことがなかった。ウェーベルンが編曲したのだから、相当モダンな、調性の怪しい作品になっているのではないかと思ったが、ウェーベルンはそこまでは編曲しなかったようで、19世紀前半の音楽ぽい出来上がりだった。
ただし、原曲の6曲をウェーベルンは並べ替え繰り返し、計10曲の作品に「変容」させていることで、単なるオーケストレーションには終わっていない。

R・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」は編曲作品ではなく、シュトラウスのオリジナルだが、バイオリン10、ビオラ5、チェロ5、コンバス3という小規模弦楽合奏で、それぞれのパートは、通常のオーケストラ曲と異なって、かなり各人が独奏的な動きをするところが特徴か。
そして、タイトルが表す「変容」は通常の冒頭提示される主題が繰り返し変奏されるという形ではなく、最初は音楽のかけらがばらまかれ、やがて形を成し、最終部に至って、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章の有名な主題が浮かび上がるという凝った仕掛けだ。

「変容」をテーマに構成されたプログラムが「英雄」の葬送行進曲に完結して、後半、いよいよ本物の「英雄」が登場するなんて、よく考えているね。


♪2016-039/♪サントリーホール-03