2014年5月4日日曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2014 No.233

2014-05-04 @東京国際フォーラムB5


堀米ゆず子(バイオリン)
海老彰子(ピアノ)

ドボルザーク:4つのロマンティックな小品 Op75
ブラームス:バイオリン・ソナタ第3番ニ短調 Op108 

堀米ゆず子さんはとても有名なバイオリニストで、何かの折に聴いているはず。その折の曖昧な記憶では、可愛らしくて、スリムだった。

最近ではTVでも見ないので(日本に住んでいないのだね。)、はるか昔の容貌とリアルな堀米さんとの違いに愕然とした。

約2年前に新聞を賑わせた際には、ありゃ、そうとう昔の写真を使ったんだな。こういうタレント、アーチストの写真はたいていマネージメントする会社が管理していて、コンサートのプログラムやネットの告知などに掲載する顔写真も略歴も定型が使われる。
それで、いつまでも歳を取らない写真が使われるのだ。

<この問題は無償で返還され解決済み>

ま、音楽外のところで、愕然からスタートしたけど、間近で、とりわけブラームスのソナタを聴くことができたのは良かった。
堀米さんはとても愛想が良く、低姿勢で、誠実そうな人柄が感じられた。できたら、ちょっとダイエットして欲しい。

ドヴォルザークは、これは多分初めて聴く曲だった。
「ロマンティックな」小品とあるが、第1曲がちょっと民謡風雨であったが、その他はドヴォルザークとは思えない、甘さのかけらもないどちらかというと重い楽想で貫かれていたように思う。

ブラームスは、まあ、なんでも好きで、自分の好みがもうすっかりそう云うモードになってしまっているのだ。
シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンなどがそういう感覚かな(ベートーベンやバッハ、モーツァルトなどに至っては別格官幣大社でほぼ信仰の域かもしれない。)。

ドヴォルザークは生意気にも若い頃の経験でその才能に疑問をいだいたことがあり、今も払拭されないでいるが、そのことは、むしろ、音楽とは何か、本物とはなにか、を考える場合の物差しにも役立っている。


また、ブラームスに戻るが、この第3番のソナタは第3楽章がブラームスの特徴をよく表しているように思う。単純な主題で始まるけど、少しずつ半音階?移動を繰り返し、なかなか”歌わない”のだ。
それが第4楽章に至るともう初っ端から激情が溢れ出す。けど、それも長く続かず、少し気持ちを冷ますと見せかけて、また高揚してくる。
この感情のコントロールの小気味よさ。ブラームスってオトナだ。

♪2014-43/♪東京国際フォーラム05