2014年5月4日日曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2014 No.224

2014-05-04 @東京国際フォーラムB7


ボリス・ベレゾフスキー (ピアノ)
マリナ・シシュ (1stヴァイオリン)
ドミトリー・マフチン (2ndヴァイオリン)
ミゲル・ダ・シルバ (ヴィオラ)
アンリ・ドマルケット (チェロ)

ドボルザーク:ピアノ五重奏曲 第2番イ長調 op.81



ブラームスより8歳若いドボルザークはブラームスによって才能を見出されたそうだ。
良き先輩に倣ってか、室内楽もたくさん書いている。

けど、個人的には弦楽四重奏曲「アメリカ」、弦楽三重奏曲「ドゥムキー」くらいしか聴かない、というかCDはコレクションが趣味みたいなものでドボルザークもかなり集めているけどあれこれ聴いているヒマがない。

それで、今回のピアノ五重奏曲第2番イ長調は初めて聴く曲だと思っていたが、始まってみると聴き覚えがあった。というより、なんという郷愁か。若い頃に相当聴きこんでいたらしい。

ピアノのアルペジオに乗ってチェロが哀愁に満ちたメロディーを歌い、まもな全楽器による小爆発から各パートが絡む劇的展開。

第2楽章もはっきりと聴き慣れたメロディーで、なんだか、少年期の思い出が一気に蘇ったような気がした。

全4楽章。
ドボルザークにしては破綻がない!
なんて、ああ、なんという偉そうな発言!

でも、ドボルザークには、稀におかしいなあ、と思う曲もあるのだ。
そんな聴き方をするのは、ビバルディとドボルザークだけ。その他の作曲家(現代作家を除いて)に対しては、無条件に畏怖の念、敬愛の念で接している。

ちょっと危うさも漂うドボルザークだけど、この曲のような作品を聴いていると、僕の耳にはシューマンやブラームスとの違いが分からなくなって困る。

それぞれの有名な曲については、例えばブラームス”らしい”という確固たる感覚が揺るぎないけど、あまり聴いていない曲だと僕が目安にしているその作曲家のイメージで音楽を消化できないのだ。
ながら聴きしているとそういうことになるんだ。

<東京国際フォーラムは旧都庁跡地にある。この太田道灌の像は旧都庁正面に鎮座していた。>

さて、ハプニングがあった。
終楽章だったろうか、記憶が定かで無いけど、第一バイオリンのマリナ・シシュ女史が弓を飛ばしたのだ。

曲が一瞬途切れるところで弓をUPして止めるつもりだったのだろうが、そのまま勢い良く手からスッポ抜けて宙を舞いステージ下に落ちてしまった。
慌てて拾いに行き、観客から渡してもらって自席に戻ったが、音楽は他の4人で悠然と流れていたので、全く不自然さはなかったのだが、多分、その暫くの間は第一バイオリンのパートは演奏できなかったか、あるいは、第2バイオリンが気を利かせてそのパートを演奏したのか。
ともかく音楽としては自然に流れていた。

マリナ女史は、自席についても、事の次第に呆然としたか照れ隠しか、しばしバイオリンは弾くのだけど笑いがこらえきれない。そりゃおかしいよね。弓を飛ばすかね。
まあ、面白い思い出ができた。
ドボルザークのピアノ五重奏曲を聴く度に思い出すだろう。

♪2014-44/♪東京国際フォーラム06