2017年12月27日水曜日

N響「第九」Special Concert

2017-12-27 @サントリーホール


クリストフ・エッシェンバッハ:指揮
NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ

オルガン:勝山雅世*
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ソプラノ:市原愛
メゾ・ソプラノ:加納悦子
テノール:福井敬
バリトン:甲斐栄次郎

J.S.バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564 ― トッカータ*
J.S.バッハ(デュリュフレ編):コラール「主よ、人の望みの喜びよ」*
J.S.バッハ(イゾアール編):アリア「羊は安らかに草をはみ」*
J.S.バッハ:「天においては神に栄えあれ」― フーガBWV716、コラールBWV715*
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ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125 「合唱付き」

さて、エッシェンバッハの指揮をナマで聴くのは初めて。
N響C定期ではブラームスの交響曲を2回にわたって全曲指揮し、既にNHK-TVのクラシック音楽館でも放映され、録画の際にちらっと聴いたものの、ゆっくり聴く時間がないので本気では対峙していないが、年末年始にじっくり聴いてみようと思っている。
このブラームスの演奏は概ね好評だったようだが、今回の「第九」に関するNET評なども「良かった!」という評判が多いので、大いにがっかりした僕としては、世間の評はアテにならないという思いを今更ながら強く確信した。ブラームスも予断にとらわれずに聴かねばなるまい。

オケまず、合唱は、今回 P(舞台後方)席を客席とせず、ここに並んだ。これは数えやすい。全部で90人だった。やや少なめだがプロ集団だから数に恃む必要はないのだろう。東京オペラシンガーズだ。やはり、少ない人数を感じさせない馬力があった。大規模編成のオケにちっとも負けていない。それでいてあまり濁ることもなかったのはさすがプロだ。合唱団には満足できた。

声楽独唱者は、全員、何度か「第九」やオペラなどで聴いている人で各人は一流の腕なのだろう。しかし、バランスがどうだったか。特に合唱団に馬力があるので、合唱と独唱が一緒に歌うところでは独唱のアンサンブルの声量に不足を感じた。

オケ編成は、所謂16型。倍管。なのでコンバスも8本だ。今年聴いた「第九」の中で最大編成かどうかは分からないが、一、ニを争う大きな編成だった。そのせいで、合唱はP席に追いやられたのかも…。結果、観客席が制限を受け、そしてチケットが高くなった…という訳ではないだろうな。昨年、サントリーホールで都響の「第九」を聴いた時は合唱団は舞台上に陣取ったので、今回のN響の編成でも合唱団も一緒に並ばないこともなかったのかもしれないが、でも、並んだら相当窮屈だったろう。

大規模編成だから、迫力はあるし、演奏能力は高い。やはり、弦の美しさ(美しいところでは!)はどのオケよりもきれいに思う。しかし、今回の演奏にがっかりしたのは、演奏能力の問題ではなく、指揮の問題だ。

どの楽章もテンポは中庸ないし遅め(特に第3楽章)の設定だった。これは僕としては好みではない。できたら、第3楽章以外は可能な限り in tempo で疾走してほしい。でも、これは僕の偏った好みかもしれないから、テンポ設定に文句は言うまい。

問題は、テンポや音量を弄り過ぎだということだ。演出過剰で、外連であり、嫌味である。俗っぽすぎる。素人芸のようでさえある。フレーズの終わりを極端に dim したり rit して次のアタックを効かせるなんて、あまりにも安易ではないか。

かと思うと、第2楽章など本来は molto vivace なのであるから、相当速いはずだが、それが随分ゆったりしている。弦のアンサンブルが微妙にずれて、小節の頭だけで合わせていたような部分があったが、これは中途半端なテンポ設定に原因したのではないか。

また、第3楽章は遅くとも良い。 Adagio なのだから。いくら遅くとも音楽になっておればいい。
エッシェンバッハは16分20秒だった。この年末に6回聴いた「第九」の中では一番最長時間だが、長さだけを見れば世界標準だろう。
朝比奈隆のCD(新日本フィル・1988年12月@サントリーホール・ライブ録音)など第3楽章に19分48秒をかけていて、それはそれできれいな音楽になっているのだ。

問題は、冒頭書いた演出過剰だ。一番驚いたのが92小節目のホルンの独奏だ。聴きどころ・聴かせどころだが、ここで急ブレーキを踏んだように遅くなった。それで気持ちがつんのめってしまった。この急ブレーキに必然性はあるのだろうか。スコアを見てもこの場所にはテンポを含め何らの指示もないのだ。

どうやら、エッシェンバッハは「第九」の世界の中で独自の呼吸をしているようだ。僕にはそれが過剰だと思う。おそらく、N響の団員たちも違和感を払拭できていないのだ。

第4楽章。冒頭の強奏後、何度も繰り返される低弦のレシタティーヴォに勢いがない。ここはチェロやコンバスにとって最大の聴かせどころだが、勢いに欠ける。音も美しくない。年末の6回の「第九」中最低のレシタティーヴォだった。N響とは思えない。
それというのも、こういう部分こそ、特に指揮者と奏者が息を合わせなくちゃうまくゆかないが、呼吸があっていないのだ。
エッシェンバッハはそれを感じていなかったのだろうか?年末に計5回の「第九」を演奏して、今日がその最終日だというのに両者の呼吸が合っていない。
なぜ合わないか。
そりゃ、あまりにエッシェンバッハの呼吸が「独自」過ぎるからだ。こういう独自解釈を押し付けられてはいい迷惑だが、それでも、プロ同士として両者歩み寄り、それなりに呼吸を整えてモヤモヤの残らない演奏を聴かせてほしかった。

一昨年のパーヴォ、昨年のブロムシュテットと組んだN響の「第九」は素晴らしかった。「神は細部に宿る」という言葉を実感したような、行き届いたアンサンブルであった。
今年も一番の期待をかけて1年のコンサート聴き納めに選んだのだが残念な結果だった。

♪2017-212/♪サントリーホール-06

2017年12月25日月曜日

都響スペシャル「第九」演奏会

2017-12-25 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団
合唱:二期会合唱団

ソプラノ:林正子
メゾソプラノ:脇園彩
テノール:西村悟
バリトン:大沼徹

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱付き」

文化会館の大舞台に並んだ大編成のオケが気分を高揚させる。
1階席から見ているので弦が重なり合って正確に数えることはできないが、所謂16型ではなかったか。
Vn1⇒16
Vn2⇒14
Vl⇒10
Vc⇒10
Cb⇒8
だったように思う。

今日までに聴いた年末の「第九」の5つのオケの編成を比べるのは数えられないから無理で、正確なのはコントラバスCbの本数だけだ。これはどこに座っても数えられるから。
で、Cbの8本とその日の情景を思い出して、大編成だったのは、東響と日フィル、そして今日の都響だ。
特に、文化会館の舞台が大きい(と思う)のでオケの編成も一層大きく見えたのかもしれない。

合唱団は二期会で、これは80人程度。
読響のときは新国立合唱団で60人程度だった。
どうやら、プロは精鋭を揃え、アマチュアは数で勝負といったところか。今回の二期会も少数ながら力は十分だった。

好漢大野の指揮は(全曲69分だったが)全体にゆったりして堂々の本格派。オケも毎年この時期に何度も「第九」を演奏するせいで、アンサンブルも板についている感じだ。
堂々として迫力十分。最近都響に感じていた欲求不満をきれいに払拭してくれた。

独唱陣は第2楽章が終曲して入場した。
であるならば、第3楽章の終わりから終楽章へは間髪入れずなだれ込むことができたのに、大野は一旦タクトをおろした。大して長い時間ではないので、格別不自然でもないが、欲を言えば3-4楽章は一息で聴きたかった

♪2017-211/♪東京文化会館-16

2017年12月24日日曜日

読響第99回みなとみらいホリデー名曲シリーズ 「第九」演奏会

2017-12-24 @みなとみらいホール


サッシャ・ゲッツェル:指揮
読売日本交響楽団
合唱=新国立劇場合唱団

ソプラノ=インガー・ダム=イェンセン 
メゾ・ソプラノ=清水華澄
テノール=ドミニク・ヴォルティヒ 
バス=妻屋秀和

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱付き」

22日の神奈川フィルと同じく読響でも体調不良により急遽指揮者が交代した。エマニュエル・クリヴヌに代わったのがサッシャ・ゲッツェルだ。クリヴヌ(仏国立管弦楽団音楽監督)という人はまったく知らないが、ゲッツェルは昨年度まで神奈川フィルの首席客演指揮者をしていたので、相当回数聴いている。僕の印象では、正統的な王道を行くという感じで、好感を持っている。

まあ、その一方で、変わり種の「第九」も聴きたくて仕方がないから、仏訛の「第九」も良かったかなとちと残念でもある。

正確な弦の編成は分からないけど、コンバスが6本、Vn1が12本、Vn2が10本、VlとVcが各8本だったと思う。神奈川フィルと同じような規模で、決して大編成ではない。管・打楽器の編成からしても本来はせいぜいこの程度、いや、これでもベートーベンの時代より多いのかもしれない(いずれにせよ、好みの席が1階中央前寄りなもので弦楽器はコンバスのほかは舞台最前列に並んでいる分しか数えられない。その内側は奏者が重なっているのでよく分からない。)。

これまでの経験では弦の多数は(極端な差ではない限り、12本であろうと16本であろうと)あまり音圧に決定的ではないように思う。迫力を感ずるのはやはり管や打楽器の数かな。

昨日の日フィルに比べて明らかに弦編成の規模は小さかったが、音圧は負けていなかった。
また合唱団も60名位しかいなかったのではないか。この年末の「第九」は今日で4回目だが、目下のところ一番規模が小さい。しかし、4回目にして初めてのプロ合唱団で、これはなるほどと思わせる出来栄えだった。東響と組んだ東響コーラスもアマチュアとも思えなかったが、こちらは160名ほどの大合唱団だ。それに引き換え半分以下の小規模合唱団が勝るとも劣らない迫力ある合唱を聴かせた。
また、声楽ソリストも全員がバランスの取れた良い出来だった。


さて、肝心の音楽は、やっぱり、そうか。という演奏で、テンポは中庸。わざとらしさやいやらしい演出などの外連味はゼロで、堂々たる「第九」だと感じた。
第2楽章が終わった時点で独唱者が入場し、その間隙を縫ってチューニングもしたので、ここでは少し間が伸びた…といっても時計を見ていたら1分前後なのだけど。

第3楽章をゆったりと歌わせ、終わるや否や終楽章に突入したのは正解だ。こうでなくっちゃ。低弦のレシタティーヴォは、まるで自分が頭の中で歌っているのと同じようなフレージングでツボに嵌ったようで心地よい。

全曲終わって時計を見たら所要時間71分だった。
やはり、オーソドックスな「第九」はこの程度の時間を要するものなのかもしれない。

♪2017-210/♪みなとみらいホール-53

2017年12月23日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第333回横浜定期演奏会 ベートーベン「第九」演奏会

2017-12-23 @みなとみらいホール


小林研一郎:指揮[桂冠名誉指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京音楽大学

オルガン:石丸由佳*

ソプラノ:増田のり子
アルト:林美智子
テノール:錦織健
バリトン:ジョン・ハオ

J.S.バッハ:新年のコラール BWV615《汝のうちに喜びあり》*
J.S.バッハ:新年のコラール BWV614《古き年は過ぎ去り》*
J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565*

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125 「合唱付き」


これまで小林研一郎の「第九」は聴いたことがないが、炎のコバケンが演る以上フツーの「第九」では終わらないはずだという妙な期待。

編成が大きく、冒頭は弦の音圧も高くてかなりの期待値。昨日の神奈川フィルの「軽め」の「第九」とはだいぶ違って、荘大なる「第九」の雰囲気だ。

テンポも全楽章通じてゆったり目。特に第3楽章は相当遅く、演奏時間16分だった。帰宅後手持ちのCDで他の指揮者の演奏時間を調べてみたが、9人中の5番目の長さということはこれでも中庸なのか(各人1種類しか持っていないので録音時期によって演奏時間は異なるだろうけど、まあ、一つの目安として。)。
最近聴くのはいずれももっと早めのテンポだからえらく遅い感じを受けた。

全体の長さも72分とこれまた中庸だ。
しかし、今年の年末に聴く「第九」は今日が3回目だが、前2回は、
飯森範親+東響が66分、
鈴木優人+神奈川フィルが65分であったから、かなり長いといえる。

テンポが遅めでも全体の流れが上手く運んでおれば違和感はない。今回は手練のマエストロが手慣れた日フィルを隅々までコントロールして、重厚なアンサンブルと相まって壮大な世界を歌い上げたように思う。

しかしである。
やはり気になるのはところどころ顔を出すコバケン節だ。
第1楽章のラストはしっかりタメを効かせて大げさに終曲したし、終楽章の低弦のレシタティーヴォの開始は、直前に2秒もあったか…えらく長いポーズをとったり、行進曲の始まる前も一時的に相当テンポを落として、テンポの、よく言えばメリハリを付けるのだが、これは外連(ケレン)としか思えない。もっとフツーにやれば、壮大なる本格的な「第九」になったと思う。こういう演出は観客サービスなのだろうが、観客の感性を信用して素直で正統的な音楽を聴かせてほしいよ。

全体に、熱演。
合唱も今日までの3回では最大規模で160人以上居たと思う。
よく声がでていたが、女声の高域はキンキンと唸りとても天上の音楽ではなかった。今回は東京音大の合唱団だが、東響と組んだ東響コーラスの透明感には及ばず。

≪参考:第3楽章の演奏時間と全曲の演奏時間≫
D・ジンマン⇒ 11:32 / 73
A・バッティストーニ⇒ 12:09 / 52
A・トスカニーニ⇒ 13:01 / 62
小澤征爾⇒                   15:39 / 71
小林研一郎⇒ 16:00 / 72
H・ブロムシュテット⇒ 16:24 / 72
H・カラヤン⇒ 16:50 / 66
O・スウィトナー⇒ 17:00 / 72
朝比奈隆⇒                   19:50 / 81


♪2017-209/♪みなとみらいホール-52

2017年12月22日金曜日

神奈川フィル/ベートーベン「第九」演奏会

2017-12-22 @みなとみらいホール


ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 Op.125「合唱付き」

鈴木優人:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
神奈川フィル合唱団

ソプラノ:中江早希
アルト:布施奈緒子
テノール:中嶋克彦
バリトン:多田羅迪夫

鈴木秀美指揮神奈川フィルでベートーベンの「運命」を聴いたときの衝撃は忘れられない。良し悪しは別としてああいう「疾走するベートーベン」を聴きたいと思っていた。
それで、今年の神奈川フィルの「第九」を鈴木秀美が振ると知って内心狂喜したものだ。あの「運命」のテンポでやると第2楽章などどうなることだろう、終楽章の低弦のレシタティーヴォは息も継がせぬインテンポで演るのではないか…。


ところが、秀美御大は体調不良により、甥の優人に代わるというので、まずはがっかりしたものだ。

でも、血は争えないはず。鈴木家の疾走するベートーベンを聴かせてくれ!

オケ編成は中規模。各パートの編成は重なって並んでいるので正確には数えられないが、コンバスが6本だということは3管編成の標準的なタイプだったのかも。

今日の神奈川フィルは、男性は全員燕尾服だった。これまでは略礼服のような黒のスーツで、燕尾服を見るのは初めてだ。全員新調したのだろうか。それとも毎年「第九」では燕尾服だったのだろうか。コンマスの﨑谷くんなど、身に付いていない風だった。

演奏は、概ね良し。弦が何時になくきれいな音を出していたが、細かったな。あれでもう少し厚みがあれば迫力が出るのだけど、この点は物足りない。
ホルンは最近良くなった。以前は第2、第3楽章の目立つソロを失敗することもあったが今日はとてもきれいで安心して聴いておれた。

合唱団は…東響コーラスと比べる透明度に欠ける。

鈴木優人の指揮は、うーむ。ちょいとがっかりかな。
どの楽章も中庸のテンポで、大変オーソドックス。嫌味な節回しなども一切なくてとても素直だ。

1年に1回しか「第九」を聴きません、という人には模範的な演奏だったかもしれない。でも、僕のように何度も(今年は夏にも1回聴いており計7回になる。)聴く者にとっては、やはり、どこかで、変種の「第九」を聴きたい。その可能性が一番あったのが鈴木秀美だったので、彼の交代がなおさら残念だ。

合唱団は最初から登壇。声楽ソリストは第4楽章のテーマ一巡後に入った。東響と同じスタイルだ。今年はこれが流行っているのか。

しかし、この登壇方法を取るなら、第3楽章と第4楽章の休止は限りなく短くすることが可能なのに、優人クンはしっかり休んだ。
ここで咳払い休憩を取ると、どうもテンションが続かない。

♪2017-208/♪みなとみらいホール-51

2017年12月20日水曜日

日本初演50周年記念公演 ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」

2017-12-20 @日生劇場



台本:ジョセフ・スタイン 
音楽:ジェリー・ボック 
作詞:シェルドン・ハーニック 
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」

オリジナルプロダクション演出・振付:ジェローム・ロビンス 
翻訳:倉橋 健

訳詞:滝弘太郎/若谷和子
日本版振付:真島茂樹
日本版演出:寺﨑秀臣

テヴィエ⇒市村正親
ゴールデ⇒鳳蘭
ツァイテル⇒実咲凜音
ホーデル⇒神田沙也加
チャヴァ⇒唯月ふうか
モーテル⇒入野自由
パーチック⇒広瀬友祐
フョートカ⇒神田恭兵
ラザール⇒今井清隆 他

このミュージカルは3~40年前に帝劇で観た森繁テヴィエ以来だ。映画も観たしビデオも持っているので筋も音楽も頭に入っていたが、いやはや想像以上に良い出来だった。後半、既にバラバラなりかけの一家を襲う民族の悲劇とそれに耐えて行く生き様に涙した。
大昔の初演版、1971年公開ノーマン・ジュイソン監督の映画版。それぞれに良い作品だったが、今日の日生版も素晴らしかった。

体調不良⇒風邪薬の飲みすぎによる情緒不安定も手伝って、後半はすっかり泣かされてしまった。

屋根の上のヴァイオリン弾きのように危なっかしい足場でユダヤ人達の暮らしをなんとか支えているのが信仰と伝統だが、テヴィエの可愛い娘たちは伝統に縛られず、親の言うことも聞かず、新しい価値観「愛」こそ一番!で家を捨て自分の決めた道を歩んで行く。

信仰と伝統と新しい時代に引き裂かれ、身悶えしながらも、若者たちの愛よりもずっと大きく力強いのが親の愛だ。そこに感動がある。

♪2017-207/♪日生劇場-05

2017年12月19日火曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~横坂源、田村響リサイタル〜

2017-12-19 @みなとみらいホール


横坂源:チェロ*
田村響:ピアノ

黛敏郎:文楽*
ウェーベルン:チェロとピアノのための3つの小品 作品11
シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70
ベートーベン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調 作品102-1
--------------
アンコール
サン=サーンス:白鳥

2年強前に、同じみなとみらいホールの大ホールの方でウィーン・フィルのヘーデンボルク・直樹のチェロ・リサイタルを聴いた際に黛敏郎の「文楽」を聴いた。音楽は忘れていたけど、こういう変わったタイトルなのでどこかで聴いたな、と覚えていた。
人形浄瑠璃の太棹をイメージした作品で、ピチカートと言うより、叩きつけるような撥音法が随所に取り入れられているが、旋法がまるで違うので、文楽をイメージするのは難しかったが、今回の横坂の演奏の方がインパクトが強かったのは、ヘーデンボルク・直樹は大ホールでの演奏(2列目とはいえ2階席。)だったのに比べて、今回は小ホールの演奏だからだろう。

みなとみらいホールの小ホールは僕が日常的に聴く小ホールの中では一番響が良いと思っている。小規模なシューボックスで天井以外はすべて木製だ。オペラシティのタケミツメモリアルを小さくしたような感じの柔らかい響がする。

ウェーベルン(プログラムにはアントン・ヴェーベルンと書いてあったが、僕は予てからウェーベルンと表記しているので従前に倣う。)の「チェロとピアノのための3つの小品」は初聴き。3曲と言っても、それぞれが9、13、10小節からなり全曲!でも2分ほどしかかからないという説明だったが、たしかに、いつの間に3曲が終わったのか分からなかった。演奏者も観客に終曲の合図をせず、そのままシューマンを始めたので、結局ウェーベルンは誰からも拍手を受けなかった。でも、演奏家にとっては何某かの味わいがあるかもしれないが、聴く側にはつまらない作品だ。独りよがりとしか思えない。

そのシューマンも残念ながら小品なので、じっくり2人の駆け引きなどを味わうような作品ではない。
そんな訳で、メインはベートーベンのソナタ4番。やはり、これはしっくり来る。ピアノ・ソナタで言えば、27番(1814年)と28番(1816年)の間(1815年。チェロ・ソナタ5番も同年)に作られたらしいが、この辺はベートーベン後期の始まりと言えるのではないか。ピアノ・ソナタ27番と28番では随分様相が異なる。
チェロ・ソナタも有名な3番(1808年)の明快さに比べると4番はとても深刻そうで内省的だ。7年の時が経過したこともあるのだろうが、ピアノ・ソナタで言えば27番と28番の違いと似たようなものがあるのではないか。また、その単純でないところが(耳馴染むまではともかく、馴染んでしまえば)面白さでもある。

10月に大好きな藤原真理の演奏で、大ホールの方でこの4番を聴いている。それももちろん感銘深いものだったが、今日の演奏、特にチェロの音といい、ピアノのおとといいを聴きながら藤原真理もやはり小ホールで前の方に陣取って聴きたかったなあと思った。

アンコールは、弾く前に、安直だが「白鳥」だろうと思ったがそのとおりで、これはちと物足りなかったな。

♪2017-206/♪みなとみらいホール-50

2017年12月17日日曜日

東京交響楽団 名曲全集第132回 「第九」演奏会

2017-12-17 @ミューザ川崎シンフォニーホール


モーツァルト:交響曲第30番ニ長調 K202
ベートーベン:交響曲第9番ニ長調 作品125「合唱付き」

飯森範親:指揮
東京交響楽団
合唱:東響コーラス

ソプラノ:鷲尾麻衣
メゾ・ソプラノ:池田香織
テノール:又吉秀樹
バス:ジョン・ハオ

今日から第九シーズンが始まった。ここ数年は毎年5〜6回聴いているが、今年も全6回(正確には7回!)聴くが、演奏の巧拙とは別にこうあって欲しいというスタイルを書き出せば、
①テンポは3楽章以外は速めに。
②合唱団は冒頭から登壇。
③独唱は3楽章までに着席。
④3楽章後は一呼吸で終楽章に雪崩れ込むべし。
④終楽章の低弦のレシタティーヴォは可能な限りインテンポで。

かつ、細部まで呼吸が整い、クリアな音質とパワフルな音圧で、そして何か新発見があるとなお嬉しいが。
さて、今年のトップバッター…と思っていたら、今年は5月にも「第九」を聴いていいたので、正確には2番手だが、まあ、年末恒例の、という意味では本日が初回だ。

指揮の飯森範親は、顔つきは一癖ありそうに見えるのだけど、意外や意外。いつ聴いても外連味のない誠に正統的な音楽で好ましい。が、長く印象に残ることもないのだが(異端も好きで、ジャナンドレア・ノセダや鈴木秀美、上岡敏之などはやはりもう一度聴きたい。)。

テンポは中庸。3楽章はもっと遅くとも良かった…と言うか、正味13分強だったと思うが、これはむしろ速い部類に入るだろう。トスカニーニ並だ。朝比奈隆など約20分もかけて演奏しているからなあ。全体でも66分くらいだった。3楽章をもう少しネチネチと聴かせてほしかったな。
終楽章のTuttiのあとの低弦のレシタティーヴォも何の違和感もない自然な流れだった。

合唱団は最初から登壇。すると、声楽独唱者はどのタイミングで舞台に上がるのか?3-4楽章の間に入られたんじゃ緊張感が台無しになる。できれば終楽章の入りは一呼吸で突入してほしい。そのためには1-2楽章の切れ目か2-3楽章の切れ目しか無い。
でも3楽章が始まっても声楽ソリストは入ってこない。やはり3-4楽章の前に長い休止を取って登壇させるのか、ならがっかりだな、と思っていたら、3楽章が終わり、ほんの一呼吸で4楽章が始まった。これはいい。そうあるべきだが、でも独唱は?と不安に思っていたら、オケによる歓喜のテーマの一巡後に(当然、音楽を中断すること無く)両袖から粛々登壇で安心した。こういう登場スタイルは初めて経験するよ。

弦も、書道で言えばトメ・ハネなどの形が揃ってシャキシャキと聴こえる。もっと透明感があればなお良かったが、まあ、良好な方だろう。ミューザの音響効果も手伝っているのかもしれない。管弦音量の調和に部分的にはどちらかが埋もれてしまうような場所があり残念だった。
声楽は独唱合唱共に良い。特に東響コーラスはアマチュアながらいつも良い仕事をする。

♪2017-205/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-35

2017年12月16日土曜日

東京都交響楽団 第845回 定期演奏会Bシリーズ

2017-12-16 @サントリーホール


ヤクブ・フルシャ:指揮
東京都交響楽団

マルティヌー:交響曲第1番 H.289
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68

月曜のA定期と同じマルティヌー&ブラームスの今日は2番。オケの編成も多分同じ。コンバス8本でブラームスっていいのかという疑問あり。あまり弦が多いと透明感が減少するリスクが増える。惜しい。
同日マチネで聴いたN響のメンデ3番もコンバス8本の大編成だったがパート毎に分離する音の明瞭さ。今日の都響も一歩及ばず。

とはいえ、A定期に比べると今日の方がずっと良いアンサンブルだった。弦がキンキンしなかったのはホールのせいだろうな。文化会館のA定期の席も悪くないのだけど、あのホールは残響が少ない分、原音:残響で言えば原音比率が高く、弦のピッチが甘いとそれがはっきりと聴こえてしまう。もう少し後ろで聴けばいいのかもしれないと思って、来季は3列後ろに移動することにしたが。

ところで、今回もフルシャの楽章間ポーズが長過ぎて緊張感に欠ける。楽章が終わる度に客席では咳払い狂騒曲が始まるのが耳障りだ。もっとテンポよくやってほしかった。

フルシャは今日で主席客演指揮者の座を降りる。
客席は大歓呼で送り出した。
人気もあるが、実力もあるのだろうな。その辺はどうもよく分からない。優れたオケとリハーサルを十分重ねたら、ハットするような音楽を聴かせてくれるのかもしれない。

♪2017-204/♪サントリーホール-05

NHK交響楽団2017横浜定期演奏会

2017-12-16 @みなとみらいホール


シャルル・デュトワ:指揮
NHK交響楽団
アンナ・プロハスカ:ソプラノ*

ハイドン:交響曲第85番変ロ長調 Hob.Ⅰ-85「女王」
細川俊夫:ソプラノとオーケストラのための「嘆き」−ゲオルク・トラークルの詩による(2013)
メンデルスゾーン:交響曲第3番イ長調 作品56

ハイドン85番冒頭の響でN響の実力を納得させた。
小規模編成ながら弦が豊かでクリアに響く。実力とみなとみらいホールの音響の良さが相俟っているのだろう。

細川の「〜嘆き」は聴くのが2回め。最初は東響で独唱がメゾ・ソプラノの藤村実穂子。その時は、『「嘆き」〜メゾ・ソプラノとオーケストラのための』というタイトルで、彼女のためにメゾ・ソプラノように編曲されたものだったが、今回の独唱はアンナ・プロハスカで原曲のソプラノ版だった。
と言っても、違いはよく分からない。当然、オケも含めて音程が何度か上げられているのだろう。ただ、声楽部分は意味も良く分からないし(プログラムに対訳があったが)、聴いていて面白いとも思わないけど、今回は、むしろ管・弦・打・合奏に魅力を感じた。
色々工夫がなされていて、アンサンブルが難しそうだが、これをきちんとハマるところに嵌めてこれも一興と感じた。

メンデルスゾーンの3番「スコットランド」も上出来。
特に終楽章、厚い弦に乗って4本のホルンの斉奏が実に美しい!
あまり愛想の良くないデュトワも満足気で、何度もカーテンコールに応じた。
N響とみなとみらいホールの相性の良さというか、ここでの演奏ではN響が真価を発揮するように思う。

♪2017-203/♪みなとみらいホール-49

2017年12月14日木曜日

平成29年度12月中席 三遊亭小円歌 改メ 二代立花家橘之助襲名披露公演

2017-12-14@国立演芸場

落語 三遊亭門朗⇒雑俳
落語 柳家花ごめ⇒からぬけ
落語   桂やまと⇒粗忽長屋
落語   五明樓玉の輔⇒宮戸川
曲芸   翁家社中(小楽、和助)
落語   三遊亭若圓歌⇒授業中
落語   三遊亭歌司⇒蜘蛛駕籠
      ―仲入り―
襲名披露口上
落語   金原亭駒三⇒権助芝居
落語   三遊亭金馬⇒禁酒番屋
浮世節   三遊亭小円歌改メ二代  立花家橘之助⇒たぬき〜道成寺〜

小円歌改め二代立花家橘之助…といっても粋なお姐さんだが…の襲名披露興行ということで、寄席にしては珍しく「浮世節」がトリに入った。いろいろな小唄、端唄などを集めて、ひとつの物語にしていくのが浮世節だそうな。
歌や三味線だけでは座が持てないからではあるまい。多芸なところを見せて、最後に踊りを披露して幕となった。
浮世節が、俗曲や粋曲などとどう違うのかサッパリ分からないが、これまで時々聴いている小菊姐さんよりずっと感じが良かったよ。

ま、珍しいものを聞かせてもらったし、落語以外で襲名披露というのも初めての経験だった。

しかし、その余の落語などはほとんど聴いていない。
何しろ、前夜4時間ほどしか睡眠を取れずに出かけたので、眠くて眠くて目を開けておれん。
翁家社中が、以前は父親と娘?のコンビだったのが、男同士のコンビになっていたのでアレと思ったが、ろくすっぽ見てなかったな。
本来ならトリを務める金馬の落語も途中で落伍してしまった。相済まぬ事だ。

かくして、2017年の演芸場通いが終わった。20回も通ったのか…。全興行が22〜23回のはずだから、ほぼ皆勤賞だな。

♪2017-202/♪国立演芸場-020

2017年12月13日水曜日

12月文楽鑑賞教室「日高川入相花王」ほか

2017-12-13 @国立劇場


●日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)
     渡し場の段


豊竹芳穂太夫
豊竹靖太夫
豊竹咲寿太夫
豊竹亘太夫
竹本碩太夫

鶴澤清丈
鶴澤友之助
鶴澤清公
野澤錦吾
鶴澤清允

<人形>
吉田簑紫郎
吉田文哉

●解説 文楽の魅力

豊竹希太夫
鶴澤寛太郎
吉田玉誉

●傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)
     新口村の段

口 竹本小住太夫
  鶴澤清公
前 豊竹呂勢太夫
  鶴澤燕三

後 竹本千歳太夫
  豊澤富助

<人形>
吉田勘一
桐竹勘次郎
吉田勘彌
豊松清十郎
吉田玉男 ほか


文楽の「鑑賞教室」は初めてだった。
文楽鑑賞歴は短いものの熱心に足を運び、家でもビデオ鑑賞したりしてだいぶ勉強が行き届いてきたので、学生向けの解説は既に承知のことばかり…と思いきや色々と学ぶところは多かった。

文楽は、三味線・義太夫・人形遣いの3つの分野で成り立っているが、それぞれの分野から解説者が立った。歌舞伎の鑑賞教室だと歌舞伎役者の若手が説明に立つが、彼らは大舞台で喋るのが商売だからうまくて当たり前。それに比べると文楽の場合は太夫は声を使う仕事とは言え、喋るというより語るのだからだいぶ違う。ましてや三味線も人形遣いも一言も発さないのが本来であるから、舞台に立って解説をするというのは慣れない仕事だろう。それにしてはいずれもなかなか上手な説明だった。

配ってくれた解説のパンフレットも簡潔にまとめてあってこれからも重宝しそうだ。


「日高川入相花王〜渡し場の段」は安珍・清姫の物語だ。清姫が愛しい安珍とその婚約者を追って日高川の渡し場まで来るが、船頭は先に渡した安珍からお金をもらって清姫が来ても船に乗せないでくれと言われているので必死に頼む清姫の願いを拒絶する。

嫉妬に狂った清姫はついに大蛇になり日高川を泳いで安珍の後を追う…という場面だが、ここで、有名な「角出しのガブ」という頭が使われる。知識として走っていたが、ホンモノを見たのは初めてだ。きれいな娘の顔が一瞬にして口が裂け、目が充血して角膜が黄金色に変わり、頭からは角が出る。よくできているが、コワイ。


「傾城恋飛脚」は近松の「冥途の飛脚」を後年菅専助、若竹笛躬が改作したもので、2月に観た「冥途の飛脚」の最終段は「道行き相合かご」で、かごを帰した梅川と忠兵衛がこれから忠兵衛の故郷<新口村>の親に逢いにゆこうとするところで終わるが、「傾城恋飛脚」では、この段を「新口村の段」に改作して、雨の場を雪に変え、忠兵衛は父親に会えるのだが追手が近づいてきたということで終わる。この趣向がとても良いというので、「冥途の飛脚」の公演でも「新口村の段」を取り入れているものもあると聞くが観たことはない。

鑑賞教室ということで、2本とも1段(場)のみだったが、気軽な文楽鑑賞を楽しむことができた。

♪2017-201/♪国立劇場-20

2017年12月11日月曜日

東京都交響楽団 第844回 定期演奏会Aシリーズ

2017-12-11 @東京文化会館


ヤクブ・フルシャ:指揮
東京都交響楽団

ドボルザーク:序曲《オセロ》 op.93 B.174
マルティヌー:交響曲第2番 H.295
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調op.73

J.フルシャでマルティヌー2番、ブラームス2番他。
弦5部の編成は3曲とも同じだったような…。
大規模でコンバス8本。これでブラームス演る?
音圧は大きいが豊穣な響とは言えない。

この頃都響に満足できず欲求不満が続く。
次回のサントリーでも同指揮者・作曲家作品。さてどう響くか。

♪2017-200/♪東京文化会館-15

12月歌舞伎公演「今様三番三」、「通し狂言 隅田春妓女容性―御存梅の由兵衛―」

2017-12-11 @国立劇場


●今様三番三(いまようさんばそう)
   大薩摩連中
   長唄囃子連中

並木五瓶=作
国立劇場文芸研究会=補綴
●通し狂言 隅田春妓女容性(すだのはるげいしゃかたぎ) 三幕九場
 ―御存梅の由兵衛― (ごぞんじうめのよしべえ)
             国立劇場美術係=美術
序幕  柳島妙見堂の場
    同 橋本座敷の場
    同 入口塀外の場
二幕目 蔵前米屋店先の場
    同 塀外の場
    同 奥座敷の場
    本所大川端の場
大詰  梅堀由兵衛内の場
    同 仕返しの場

中村吉右衛門⇒梅の由兵衛
中村歌六⇒源兵衛堀の源兵衛
中村又五郎⇒土手のどび六実は十平次
尾上菊之助⇒由兵衛女房小梅/丁稚長吉
中村歌昇⇒佐々木小太郎行氏/延紙長五郎
中村種之助⇒結城三郎貞光/芸者小糸
中村米吉⇒米屋娘お君
中村吉之丞⇒医者三里久庵
嵐橘三郎⇒米屋佐次兵衛
大谷桂三⇒曽根伴五郎
中村錦之助⇒金谷金五郎
中村雀右衛門⇒曽我二の宮実は如月姫/額の小三
中村東蔵⇒信楽勘十郎
 ほか

連日の劇場通いで初見演目なのに予習なし。寝不足。折角2階花道寄り最前列を取ったのに集中できず。吉右衛門、雀右衛門、歌六、東蔵、又五郎、菊之助、米吉…みんな好きなのにゴメン!
でも、筋もイマイチだったかもな。39年ぶり上演(=永く上演機会がなかった)にはこういう理由もあるのかも。


♪2017-199/♪国立劇場-19

2017年12月10日日曜日

東京交響楽団 オペラ「ドン・ジョヴァンニ」(演奏会形式)

2017-12-10 @ミューザ川崎シンフォニーホール


モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K527
<全2幕 原語上演 日本語字幕付き ノーカット版>
第1幕…90分 休憩…25分 第2幕…80分

ジョナサン・ノット:指揮&ハンマー・フリューゲル
演出監修:原純

東京交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団

ドン・ジョヴァンニ⇒マーク・ストーンBr*
レポレッロ:シェンヤンBs-Br
ドンナ・アンナ:ローラ・エイキンSp
ドン・オッターヴィオ⇒アンドリュー・ステープルズTn
騎士長⇒リアン・リBs
ドンナ・エルヴィーラ⇒ミヒャエラ・ゼーリンガーMs**
マゼット⇒クレシミル・ストラジャナッツBs-Br
ツェルリーナ⇒カロリーナ・ウルリヒSp

ミヒャエル・ナジの代役*
エンジェル・ブルーの代役**

このコンサートのチケットが売り出されたのは今年の3月だった(9月以上前のことだ。)。
同じミューザでほぼ同時期に行われるベルリン・フィル、コンセルトヘボウのコンサートと今日の東響「ドン・ジョヴァンニ」がセット券として発売された。この発売が最先行なので、良い席を確保する為にセット券を買った。
しかし、ベルリン・フィルとコンセルトヘボウのセットは、まあ分からないでもないが、東響もセットにするというミューザの商魂がたくましいというか、呆れてしまった。

セット券以外でも単券での発売はあった。セットで買えば良席確保と、少し割引しますということだったのだけど、購入時点から「売れない商品を抱き合わせで買わされた」感じが拭えないで今日に至ったのは不幸なことだった。

おまけに、本番前1週間位になってからだったか、タイトルロールのドン・ジョヴァンニ役やこちらも重要なドンナ・エルヴィーラ役が交代してしまった。オペラ歌手には明るくないけど、代役はいかにも軽量級の感じ(NETでもほとんど情報が得られない。)。

そんなこんなで、あまり前向きになれないまま今日の本番を迎えてしまった。
席は先行セット券購入のお陰で個人的には(特に演奏会形式とは言えオペラには)最高の場所だったが、あいにくと前の席の御仁がデカイ!その頭でせっかくの正面の(唯一セットらしい長椅子?が置いてある。)多くの部分が塞がれてしまうという悲劇。

…と、音楽と関係のない恨み節をダラダラ書いてしまったが、いざ始まってしまえば、だんだんとペースに乗せられてきた。
また、うれしいことに休憩後の第2幕からは前の席のデカイ頭がなくなって一挙に視野が開けてウレシイ(1幕だけで引き上げる予定だったとは思えない。2幕の開幕前に席に戻ってこれなくなって立ち見席で聴いていたのかも…)。

オケの編成はとても小ぶりで、ミューザの広い舞台の真ん中に小さくまとまっている(ついでに言えば、打・管はモーツァルト当時の(複製?)楽器らしかった。華やかさに欠けるが、これも一つの味わい。)。そのため、舞台の周辺部分が空いており、ここが芝居の舞台として活用されていた。
とは言え、舞台装置も衣裳も照明も簡素そのもの。せっかく、オケの周囲にスペースが空いていたのだからもう少し工夫できなかったろうか。
先日NHK音楽祭でもN響が「ドン・ジョヴァンニ」を演奏会形式で取り上げたが、こちらはもう少し舞台効果が取り入れられていた。同じくN響が文化会館でやった「神々の黄昏」でも演奏会形式をやや拡張して迫力があった。

特に、終盤、ドン・ジョヴァンニが地獄へ落ちる場面なんぞ、あまりにあっさりとして残念だった。

しかし、演奏会形式による物足らなさはあったものの、ピンチヒッターの主役たちもみんな上手に役をこなして大したものだ。
終演後のカーテンコールがいつになく盛り上がったのは、何と言っても歌手たちの熱唱への賛辞だ。オケが引き払っても拍手が続き歌手たちは舞台に呼び戻された。セット券で鑑賞したベルリン・フィル、コンセルトヘボウも熱狂的なカーテンコールではあったが、やはり、オーケストラという性格上指揮者以外に呼び出す相手がいないから、今日の「ドン・ジョヴァンニ」ほどではなかった。
セット券による3公演中、一番安価な東響が少なくともカーテンコールだけは一番盛り上がりを見せた。

♪2017-198/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-34