東京都交響楽団
スメタナ:連作交響詩「我が祖国」(全曲)
今日は都響の「我が祖国」全曲。
5月にN響でやはり全曲を聴いたが、面白くない音楽だという印象だった。もちろん、単独でよく演奏される第2曲「モルダウ」は馴染んでいるせいもあってなかなか良い曲だとは思うけど、全6楽章、80分という長大曲にしては構成が悪いのではないか。
今日の指揮は、首席客演指揮者のヤクブ・フルシシャ。
既に何度か定期演奏会で聴いているし、定期外でも、昨年の我が鑑賞ステージの有終の美を飾ったのが、彼の指揮による都響「第九」だった。
その前日のブロムシュテット+N響の「第九」には薄皮一枚及ばなかったと記録しているが、好感度の大きな若手指揮者だ。しかも、彼はチェコの出身であるからには、「わが祖国」に対する思い入れも強かろうし、現に、全曲を暗譜で振った。
第1曲めは2台のハープの掛け合いで始まるが、今日の配置は1台を舞台上手に、他方を下手に置いて、耳目を舞台に惹きつける効果的な演出だったが、やはり、その後に始まる管楽器のアンサンブルが美しくない。これはN響でも全く同じく感じたことだ。演奏の上手い下手ではなく、オーケストレーションが悪いに違いない。
かくして、期待薄のまま前3曲が終わり、休憩に入った。
しかし、後半の3曲はだんだんよくなる法華の太鼓だ。
楽器も時間を経て奏者に馴染んで来たのか、あるいは、オーケストレーションが分かりやすいからか。
特に5曲めはユニゾンを中心にした管・弦の強奏のフレーズが多くなり、これが実に力強いアンサンブルだ。
そして、凱歌と共に第1曲のテーマが重なり、圧倒的なフィナーレになだれ込んだ。
このへんまで来ると、既に失聴していたスメタナの執念の作品であることや、その後も精神を病んで亡くなったスメタナの生涯、その「わが祖国」たるチェコ(当時はオーストリア・ハンガリー帝国ボヘミア)への作曲家の思いに、彼にとっても「わが祖国」であるヤクブ・フルシャのスメタナと故郷への思いとが幾重にも重なったかのように熱く盛り上がった。
もちろん、後半充実してきた都響の力強いアンサンブルが素晴らしかったのは言うまでもなし。
フェスタサマーミューザの初日の、ホームオケである東響によるオープニングコンサートよりもお客が多かったような気がする。見渡す限り空席は上層階や舞台後方に数える程でしかなくほぼ満席と言っていいだろう。これはフルシャ人気、都響人気もない訳ではなかろうが、開演時間が他のオケのように15時ではなく、19時だったのも集客に寄与したのではないか。
その満席の観客席は、終演後、ミューザとしては記録的な大きな拍手と歓声に長く包まれた。
儀礼を確実に超えた熱いカーテンコールにフルシャは何度も応えて大いに愛想を振りまいた。もう、オケの団員があらかた引き上げた後も拍手は鳴り止まず、遂に引き出されたフルシャは舞台近くで立ち上がっていた客の何人かと握手をしながら名残惜しそうに袖に消えた。
今日のコンサートで、一番感動したのは、多分、熱烈歓迎を受けたヤクブ・フルシャだったに違いない。しかし、指揮者、オケの団員、お客のすべてが、暖かい空気に包まれた事で、観客もホクホクした心持ちで帰途に着いたのも間違いない。
♪2017-128/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-17