2016年4月29日金曜日

読響第87回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2016-04-29 @みなとみらいホール



ラハフ・シャハニ:指揮
佐藤俊介:バイオリン*
読売日本交響楽団

メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲 ホ短調作品64*
マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
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J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第1番からアルマンド*

読響4月プログラムから
今日の指揮者ラハフ・シャハニは1989年(イスラエル)生まれというからまだ26、7歳という若さだ。2013年のグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝(その時の審査員長が東響の音楽監督ジョナサン・ノット。先週彼の指揮で「ドイツ・レクイエム」を聴いたばかり、ということで些細な縁を感じた。)し、メジャーデビューが昨年末、急遽代役でウィーン・フィルを振ったコンサートだというから、コンクール優勝はまぐれではなく、相当の実力者だと評されているのだろう。
近い将来、同じコンクールの第1回優勝者グスターボ・ドゥダメルクラスの大物になるのかもしれない。

とはいえ、僕の耳もいい加減だからあてにはならないけど、今日の演奏を聴く限り、大物のオーラは感じないし、読響を完全掌握していなかったように思った。

読響4月プログラムから
前半のメンデルスゾーンは、テンポが速めで小気味よい演奏だったが、ややそっけない感じもした。それは指揮のせいというより主に独奏バイオリンから受けた印象だ。
そのことは、アンコールで弾いたバッハの無伴奏で一層はっきりした。粘着性の乏しい、あまりレガートやテヌートを効かせない、その分情感に乏しい演奏だったが、これが佐藤俊介の持ち味なのかもしれない。
ただ、前回、彼の独奏(モーシェ・アツモン指揮神奈川フィル)でブラームスの協奏曲を聴いた際には、独奏部分と管弦楽の絡みに緊張感があって好ましいと感じたのだけど、これは音楽の違いからなのか、指揮者の違いからなのか、よく分からない。
ともかく今日のメンコンは「軽妙」という印象だ。

後半のメインディッシュがマーラーの第1番だ。これこそラハフ・シャハニにとって、幸運を招いた作品だ。
あまり表情を変えないのでリキが入っていたかどうかは分からないけど、スコアは持たない完全暗譜だった。

第1番はマーラーの交響曲の中で一番演奏会数が多いだろう。
僕は去年5回も聴いた。
この読響でも昨年10月に下野竜也の指揮で聴いた。半年で同じオケが定期演奏会で取り上げるのも如何なものかと思うけど、人気があるからだろう。

読響も慣れたもので、実にうまい。
しかし、イマイチ、緊張感が味わえないのは指揮者の無表情のせいもあるだろうが、なかなか音楽に没入できなかったからだ。
指揮者とオケとの一体感のようなものが不足していたのか。

まあ、ミミタコのように聴いている曲だから、僕自身の満足のハードルがだんだん高くなってきているせいもあるだろうな。

終盤に、マーラー自身の指示で、ホルン奏者が起立して演奏するところがあるが、マーラーは次のようにも言っているそうだ。

「ホルンの最後のコラールに十分な補強ができますか?これは私にとっては何よりも大切なことなのです。最悪の場合にはそれぞれ1本ずつエクストラのトランペットとトロンボーンを追加してください。しかし私にとってはもちろん、よりたくさんのホルンが望ましいのですが。」

かくして、今日の読響はホルン8本にトロンボーン、トランペットを加えた計10本という豪華版だった。

昨年hr交響楽団で聴いた時には確認できたのはホルン7本だけだったが起立しないまでもトロンボーンやトランペットも同じ旋律で補強していたのかもしれない。

ともかく、金管10本の起立しての咆哮は、視覚効果も手伝ってゾクゾクさせた。


♪2016-050/♪みなとみらいホール-15

2016年4月24日日曜日

横浜交響楽団第670回定期演奏会

2016-04-24 @県立音楽堂


飛永悠佑輝:指揮
岩下晶子:ソプラノ
相田麻純:アルト
土崎譲:テノール
大沼徹:バス:
横浜交響楽団
横響合唱団

ハイドン:交響曲第101番ニ長調「時計」
モーツァルト:レクイエムニ短調

前半のハイドンは率直に言ってダメだったな。
今日は、曲目に合わせて小編成なので、弦の不揃いがはっきりし、管楽器の頼りなさももろに聴こえてしまう。

最近、横響は腕を上げたと思っていたのに、どうしたことか。

しかし、後半のメインプログラムでは息を吹き返した。というか、オケに数倍する合唱団の迫力の陰で、少々の不揃いが目立たなかったということかもしれない。

声楽ソロは流石にプロだ。きれいな声がよく響き渡る。
横響合唱団もこの曲は歌い慣れているのだろう。全然危なげなかった。
欲を言えば、「トゥバ・ミルム」のトロンボーンソロをもう少しなめらかに決めて欲しかった。

(昨秋の都響とスウェーデン放送合唱団のレクイエムはとにかく素晴らしかったが、その時の「トゥバ・ミルム」のトロンボーンの見事さには大いに驚いたものだ。それを思い出したので、比較してはいけないけど、つい辛い評価になってしまう。)

全体として、ハイドンとはうって変わって良い出来だった。
「レクイエム」は名曲ばかりだけど、やはりモーツァルト絶筆となった「ラクリモーサ」(涙の日)が、<歌曲>としては一番心に染みる。

今日は、開演冒頭に横響理事長のあいさつで、いつもどおり「東北震災復興祈念」と冠しているが、今日のコンサートは併せて、いやそれ以上に熊本の被災者に心を寄せて演奏したい、という趣旨のことを述べていたが、舞台のみならず観客も、その点で一つにつながったのではないか。
今日の演目は半年以上前に発表されていたものだが、この時期に大きな震災が起こるとは悲しい暗合だ。

個人的には、今月16日にはヴェルディの、昨日はブラームスのレクイエムを聴き、今日はモーツァルトのレクイエムが続くとはまことに不思議な偶然だ。


♪2016-049/♪県立音楽堂-03

2016年4月23日土曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第55回

2016-04-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
クレシミル・ストラジャナッツ:バス・バリトン&語り:
チェン・レイス:ソプラノ:
東響コーラス:混声合唱
東京交響楽団

シェーンベルク:ワルシャワの生き残り 作品46 ~語り手、男声合唱と管弦楽のための
ベルク:「ルル」組曲
ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45

東響音楽監督のジョナサン・ノットは時々変わったプログラムで驚かせるが、今日は前半が12音技法を採用した超現代音楽2曲。後半がブラームスの「ドイツ・レクイエム」とは、いかなるコンセプトか。

大体、無調音楽は苦手で、CDやビデオではまず、聴かない。
しかし、ナマで聴くと、これが案外面白かったりもする。
「ワルシャワの生き残り」はナチスの犠牲になったユダヤ人の悲劇を管弦楽と語りと男声合唱で表現しているので、終始、不協和音の連続で重苦しい。

シェーンベルクの弟子筋に当たるベルクもナチスには苦労したそうだ。この「ルル」組曲には政治的な主張はないが、原作がウィーン世紀末の退廃を描いているそうで、魔性の女ルルが多数の男を巻き込んで最後は殺されるというこれまた悲惨な話を題材にしている。元々オペラとして企画され、作曲は未完に終わったが、それらの中から抜粋して組曲が編まれた。
そのためにソプラノ歌手が登場してルルを演じている?のだろう。


現代音楽というのは、如何に観客を驚かすか、ということに腐心している(というのは嫌味で言っているだけだど)ので、ぼんやりと退屈している間はなく、そういう意味では最後まで飽きずに聴ける。しかし、何度も聴きたいとは思わない。

前半に、脳みそを掻き回されるような音楽を聴いたので、後半のブラームスがどんなに素晴らしかったことか。
なるほど、ジョナサン・ノットの計算はこういうことであったか。

第1曲の闇夜から徐々に陽が差してくるように静かに合唱が始まる時、もう、気持ちをキュンと掴まれてしまう。
全7曲で構成され、どれもが深い精神性を持っているようだ。

テキストが通常のミサ曲やレクイエムのようにラテン語ではなくドイツ語(なので「ドイツ・レクイエム」と呼ばれる。)であるというだけではなく、形式においても、通常は置かれるキリエ~サンクトゥス~ラクリモーサ~アニュス・デイ~リベラ・メなどの歌詞を持つ曲が全く配されていないので、レクイエムというより、聖書をテキストにした「管弦楽伴奏声楽独唱と合唱のための組曲」のようなものだ。
こういう点が、いわゆる三大レクイエム(モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ)にカウントされない理由かもしれないが、これらの3曲にまったく劣らない大傑作だと思う。個人的にはヴェルディを引きずり下ろしてもドイツ・レクイエムを入れたいところだ。


合唱の東響コーラスはアマチュアなのだけど、東響専属だけあって良く訓練されており、全員が楽譜を持たずに全曲を歌っていたのは驚いた。ソプラノグループに、特に最終曲の高音ピッチに不安が見られたけど、気にするほどのことではなかったか。

♪2016-048/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-11

https://youtu.be/rGWai0SEpUQ

https://youtu.be/YP12Bt9qjh4

2016年4月18日月曜日

四月大歌舞伎 夜の部

2016-04-18 @歌舞伎座


一 彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
杉坂墓所~毛谷村
毛谷村六助⇒仁左衛門
お園⇒孝太郎
杣斧右衛門⇒彌十郎
微塵弾正実は京極内匠⇒歌六
お幸⇒東蔵

高野山開創一二〇〇年記念
夢枕獏:原作、戸部和久:脚本、齋藤雅文:演出
新作歌舞伎
二 幻想神空海(げんそうしんくうかい)
沙門空海唐の国にて鬼と宴す
空海⇒染五郎
橘逸勢⇒松也
白龍⇒又五郎
黄鶴⇒彌十郎
白楽天⇒歌昇
廷臣馬之幕⇒廣太郎
牡丹⇒種之助
玉蓮⇒米吉
春琴⇒児太郎
劉雲樵⇒宗之助
楊貴妃⇒雀右衛門
丹翁⇒歌六
憲宗皇帝⇒幸四郎


「彦山権現誓助剱」は昨年2月に歌舞伎座で観たが、その時の主要な役者は菊五郎(六助)、時蔵(お園)、東蔵(お幸)で、東蔵は今回も同じ役だった。
この時は「毛谷村」だけの上演だったが、今回は「杉坂墓所」という前段が演じられて話がより分かりやすくなった。

前回は初見だったが、これは面白かった。そもそも話が面白いのだ。
今回は菊五郎から仁左衛門に、時蔵から孝太郎に変わったが、やはり面白い。一番楽しめるのは男勝りで腕自慢のお園が、六助こそ自分の許嫁であることを知って、急にしおらしく、女っぽくなるおかしさだ。
それでも照れながら庭の臼を転がしたりとつい地が出たり、慌てていて火吹き竹の代わりに尺八を吹いてしまうなど、まるでコントのようなおかしさだ。
それを孝太郎が実におかしくやるので笑いが止まらない。

仁左衛門の六助が菊五郎と違ってとても陽性で、人の良い六助にぴったりだ。この仁左衛門・孝太郎という実の親子の掛け合いが、本筋とは別に、とても幸福感に満ちて良かった。

さて、今月の歌舞伎座のメインは新作歌舞伎「幻想神空海」だろう。そう思い、興味もあって、今月は<夜の部>を選んだ。

しかし、これがちっとも面白くないのだ。
音楽、音響効果、照明、セリフ回しを含め、これが「歌舞伎」?という疑問もあるけど、まあ、そこは<面白ければ>なんでもあり、というのが「歌舞伎」の真髄だと思うので受け入れることができる。
しかし<面白ければ>許される新しい試みは全然効果を発揮していない。
まずもって、芝居の筋が分かり難い。
観劇の最中は客席の照明も落とされるし、2時間12分の長丁場に幕間休憩もないので、筋書きをチラチラ読むこともできない。
予めざっと目を通していたけど、人物の名前もなかなか覚えきれないまま本番に突入したので、ほとんど役に立たなかった。

空海が主役と思っていたが、必ずしもそうとも言えないようだ。
空海が留学僧として、唐で密教を学び成長してゆく話かと思いきや、なるほど夢枕獏の原作であるからにはそんな正統的な話であるはずがない。それはそれで良い。突飛な物語も結構だけど、空海の存在が希薄なのだ。
終わってみれば、楊貴妃をめぐる白龍と丹翁の確執の物語ではないか。空海は狂言回しのような存在にすぎない。

これは意欲的な取組みだったがこのままでは失敗作で終わるのではないか。


♪2016-047/♪歌舞伎座-03

2016年4月17日日曜日

N響第1832回 定期公演 Aプログラム

2016-04-17 @NHKホール


レナード・スラットキン:指揮
NHK交響楽団

J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第3番 ホ長調 BWV1006~前奏曲
J.S.バッハ:カンタータ「神よ、あなたに感謝を捧げます」BWV29~シンフォニア
J.S.バッハ(ウッド編):組曲第6番~終曲(無伴奏バイオリン組曲第3番~前奏曲)
J.S.バッハ(バルビローリ編):カンタータ「狩りだけが私の喜び」BWV208~「羊は安らかに草を食み」
J.S.バッハ(オーマンディ編):カンタータ「心と口と行いと生命」BWV147~「主よ、人の望みの喜びよ」
J.S.バッハ(ストコフスキー編):トッカータとフーガニ短調BWV565

プロコフィエフ:交響曲第5番変ロ長調作品100

前半がJ.S.バッハ。休憩を挟んで後半がプロコフィエフ。
この200年以上も離れた世界に生きた両者をつなぐものはなんだろう?
指揮者のスラットキンはバッハに関しては(プログラムに特別に挟み込まれたプリントで)言及していたが、プロコフィエフについてはノー・コメント。解説でもそれに触れた部分はなかった。
というのも、特段の意味が無いのなら折角の機会なので、全部の時間を費やしてバッハの原曲と編曲のパレードを繰り広げて欲しかったと思ったからだ。

もっとも、プロコフィエフは個人的には苦手なタイプで、こういう定期演奏会のような形で押し着せられないと自分からは聴こうとしないので良い経験ではあった。特にプロコフィエフの交響曲はナマでは多分第1番(古典交響曲)しか聴いたことがなかったから。

バッハプログラムの最初は、コンサートマスターの伊藤亮太郎による無伴奏バイオリン組曲第3番から前奏曲。これは原曲そのままなので、当然、バイオリンソロだ。
続いて、その同じ曲をJ.S.バッハ自身がオルガンを含む小規模管弦楽に編曲したカンタータ。こういう作品があるとは知らなかった。
元々元気の良い曲だからこういう編曲はとても効果的だ。

次はヘンリー・ウッド(1869-1944。英・指揮者)が、やはり同じ前奏曲を大規模管弦楽に編曲したものだ。
原曲とは対極に位置するような編曲だが、やはり、原曲の面白さが十分に生かされて、こういうバッハもいいかなと思う。

続いてジョン・バルビローリ(1899-1970。英・指揮者)の編曲によるカンタータから。
これは小ぶりの弦楽に木管10本の編成。
聴いたことがあるなと思ったら、以前NHK-FMの朝のバロックのテーマ曲だった。

次にユージン・オーマンディ(1899-1985。フィラデルフィア管弦楽団の指揮者として有名だった。)の編曲によるカンタータから非常に有名な「主よ、人の望みの喜びよ」。これは弦楽のみで演奏された。

最後は、バッハのオルガン曲の管弦楽編曲としてはおそらく最も有名なレオポルド・ストコフスキーによる「トッカータとフーガニ短調」だ。ディズニーの音楽映画「ファンタジア」ではトスカニーニ自身が指揮(フィラデルフィア管弦楽団)をした映像が残されている。
今回の編曲モノのなかでは最大規模の管弦楽で、派手なオーケストレーションによる迫力のあるバッハだ。
ここまでくるとこれはバッハではないという意見もあるだろうな。しかし、知的で贅沢な遊びとしては大いに楽しめる。

プロコフィエフの第5番は初聴きだったが、これが案外親しみやすい作品だった。1944年に完成し、1946年にはスターリン国家賞を(他作品とともに4作同時に)受賞したそうだ。
この時代のロシア(ソ連)の芸術家たちの苦節を思いやればスターリンの折り紙つきというのもまことに皮肉だ。


2016-046/♪NHKホール-03

2016年4月16日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第316回横浜定期演奏会

2016-04-16 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮

ソプラノ:安藤赴美子(大隅智佳子から変更)
メゾソプラノ:池田香織
テノール:錦織健
バス:妻屋秀和
合唱:晋友会合唱団
日本フィルハーモニー交響楽団

ヴェルディ:レクイエム

ヴェルディの「レクイエム」は、モーツァルト、フォーレと並んで三大レクイエムと呼ばれているが、フォーレはともかく、モーツァルトと並ぶ作品だろうか?三つ選ぶならブラームスの「ドイツ・レクイエム」がなぜ入らないのだろう、という疑問を持っていた。

よく言われているようにこの作品はオペラ作家らしくとても劇的な音楽だ。それで、宗教性や精神性が低いとみる向きもある。
これまでビデオやCDでしか聴いたことがなかったが、今回、じっくりと集中して聴いたので、なるほど、まるでオペラのような部分もあるし、有名な「怒りの日」の主題(はその後もクイド・スム・ミゼルの前、ラクリモサの前、リベラ・メの後でも再現される)など、ここまで激しい表現がレクイエムに必要なのか、とも思うが、一方で、ヴェルディの本作の作曲動機(敬愛するイタリア文学者マンゾーニの死去に対する弔意)を知るとこれらの劇的表現も納得できる。


ま、ともかく、約80分間、喜怒哀楽の激情の音楽に晒されていると徐々にアドレナリンが噴出してきて体内を駆け巡り、否応なく興奮してくる。
宗教性だの精神性だのは超越して、この巨大な音楽に圧倒されてしまうのだ。

大規模管弦楽に大規模合唱団と声楽独唱4人を加えて240人位はいたように思う。
音楽を聴いた、というより体験した、という感じだ。

で、やはり3大レクイエムなのだろうか…という疑問は残ったままだ。ヴェルディの大作を聴き終えてもやはり、個人的にはヴェルディを外してブラームスを入れたい。

♪2016-045/♪みなとみらいホール-14

2016年4月14日木曜日

みなとみらいアフタヌーンコンサート2016前期 ≪ウィーンのチェロ≫フランツ・バルトロメイ チェロ・リサイタル

2016-04-14 @みなとみらいホール


フランツ・バルトロメイ:チェロ*
後藤泉:ピアノ

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009*
チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ
シューマン:幻想小曲集 作品73(全3曲)
ベートーベン:魔笛「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲
サン=サーンス:「動物の謝肉祭」から「白鳥」
J.シュトラウスⅡ:ロマンス第1番ニ短調作品243/同第2番ト短調作品255
クライスラー:美しきロスマリン/愛の悲しみ
ルドルフ・ジーツィンスキー:ウィーン、我が夢の街
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アンコール
カザルス編:「鳥の歌」
*のみチェロ独奏

フランツ・バルトロメイというチェリストの存在は知らなかった。
今期から始まったみなとみらいホール主催の「アフタヌーンコンサート2016」の第1回目に取り上げられたので聴きに行った。いわば、お仕着せだ。

フランツ・バルトロメイは数年前までウィーン・フィルの首席チェリストだったそうだ。
たまたま、このコンサートの後、自宅で数日前のNHKBS「クラシック音楽館」で放映されたニコラウス・アーノンクールの追悼番組の録画を観ていたら、2006年のウィーン・フィルを率いての日本公演で、フランツ・バルトロメイは確かに首席に座っていた。

随分盛りだくさんの内容で、本篇最後のルドルフ・ジーツィンスキーの作品は初聴きだった(そもそもこういう作曲家がいたことを知らなかった。)が、それ以外は耳に馴染んだものばかりでいずれも楽しめた。


ただ、数日前にベルリン・フィルのメンバーによる室内楽を聴いた際に(東京文化会館小ホール)彼らの豊かな音色と音量と明瞭な音楽が素晴らしかったので、つい比較して、やや物足りなさを感じてしまったが、これは大ホールでのチェロ(とピアノ)の演奏であるから、本来は比較するのは適切ではないのだろう。

物足りなさは、あまりに優しい音色と表現で、例えば、チェロの低弦がガリッと脂を飛ばすような凄み(が魅力的だ)が全く無く、ひたすら穏やかに美しい。もう少し、ケレン味のある弾き方をしても良かったのではないかと思った。

が、最後にアンコールで「鳥の歌」を聴いた時、その穏やかさが見事にピッタリとハマって素晴らしい演奏だった。
こういう弾き方は彼のスタイルなのだ、と思ったら、ストンと腑に落ちた。


♪2016-044/♪みなとみらいホール-13

2016年4月12日火曜日

東京都交響楽団第805回 定期演奏会Aシリーズ

2016-04-12 @東京文化会館


フランソワ=グザヴィエ・ロト:指揮
東京都交響楽団

ストラヴィンスキー:バレエ音楽《ペトルーシカ》(1911年版)
ストラヴィンスキー:バレエ音楽《火の鳥》(1910年版)


舌を噛みそうな名前の指揮者、フランソワ=グザヴィエ・ロトも都響のB定期に続いて今月2度めだったので、ようやく名前を覚えて発音できるようになった。

この人は、2003年「レ・シエクル」というオーケストラを創設して、モダン楽器と古楽器を一つのコンサートで使い分けているそうだ。
そのコンビで、古楽器を使って原典版の楽譜で録音した「ペトルーシカ」と「春の祭典」は第52回レコードアカデミー賞大賞を受賞しているそうだ。

いわば得意のストラヴィンスキーという訳だ。
古楽器と初演版へのこだわりから生まれる響や音楽がどんなものなのか興味深い。
今日は、モダン楽器ではあるけど、2曲とも原典版(初演版)での演奏だった。

手元にあるCDは放送などでもよく聴く改訂版(「ペト~」は1947年版、「火の鳥」は1945年版が多いようだ。)と同じで、おそらく原典版を聴くのは放送、ビデオ、CDを含めて初めてだったと思う。そのせいか、特に「火の鳥」に馴染みのない音楽が垣間聴こえたが、それが原典版故なのかどうかは自信がないのだけど。

両者の原典版は改訂版に比べて、とりわけオーケストラの編成が大きいようだ。
弦5部の編成も大きいが、管楽器も、多種多様な打楽器や鍵盤楽器も加わって、その音色の派手なこと。

こういうモダンな音楽(とはいえ、もはや古楽器で演奏されるというのだから、モダンとも言えないのかもしれないが)は、文化会館のような(ミューザ・サントリー・みなとみらいホールなどに比べて)残響の短いホールでは、音のキレが良くて向いていると思った。

フランソワ=グザヴィエ・ロトがB定期(サントリー・ホール)ではベートーベン「英雄」ほかを演奏し、A定期(文化会館)ではストラヴィンスキーを選んだのはその辺りも考慮したのかもしれないな。


♪2016-043/♪東京文化会館-06

2016年4月10日日曜日

小ホール・オペラシリーズ 気軽にオペレッタ「メリー・ウィドウ」(全3幕・日本語上演)

2016-04-10 @みなとみらいホール


田島亘祥:指揮
今井伸昭:演出・台本
朴令鈴:ピアノ
竹田容子:振付

ハンナ:菊地美奈S
ダニロ:池内響Br
ツェータ男爵:泉良平Br
ヴァランシエンヌ:髙橋維S
カミーユ:大川信之T
クロモウ:鶴川勝也Br
ニェーグシュ:志村文彦Bs
カスカーダ:新津耕平T
サンブリオッシュ:野村光洋Br
オルガ:堀万里絵Ms
ボグダノヴィッチ:畠山茂Bs
シルヴィアーヌ:二見麻衣子S
プラシコヴィア:福間章子Ms
プリチッチ:須山智文Br
ダンサー:宮沢磨由、宮本楓

レハール作曲オペレッタ「メリー・ウィドウ」(全3幕・日本語上演)


毎年春恒例の小ホールオペラ。
今年はオペレッタ「メリー・ウィドウ」だった。
「メリー・ウィドウ・ワルツ」がダントツに有名だけど、オペレッタ全体は初見だなあ、と思って観ていたが、音楽だけではなく物語自体に既視感があったので帰宅後手持ちビデオを調べたらウィーン・フォルクスオパーの公演録画を持っていたよ。
こんなことなら、ビデオを観て予習しておけば良かった。

日本語公演だし、オペラッタなのでアリアのつなぎはリアルなセリフだし、初見でも十分だと思っていたのでビデオの有無を調べようともしなかったな。

ところが、折角の日本語上演も残響のせいもあってやや聴き取りにくかった。
歌手たちの声量の豊かさには驚いたが、この小ホールは弦楽などの室内楽にはとても良い響きを提供するけど、声楽には残響が強すぎる(言葉が不明瞭になりがち)のではないか。

とはいえ、舞台装置は簡素ながら衣装、照明は小ホールオペラにしてはこれまでにない凝りようで見応えがあったし、客席もフルに使った演出が素晴らしく、舞台と満席の客席が一体感を持って盛り上がッた。

まさか、原曲のスコアに書いてある訳無いだろうが、途中の挿入歌でセリフ代わりにオッフェンバックの「天国と地獄」やシャンソンの「枯れ葉」が登場したのは遊び心なのだろうな。

愛とお金と意地の三すくみで翻弄される男と女。よくある話だけど、面白い。


♪2016-42/♪みなとみらいホール-12

2016年4月9日土曜日

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2016-ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽

2016-04-09 @東京文化会館


ノア・ベンディックス=バルグリー:バイオリン:
オラフ・マニンガー:チェロ
オハッド・ベン=アリ:ピアノ:

メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 op.49
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調 《偉大な芸術家の思い出に》 op.50


室内楽の編成でピアノを含むものはピアノ三重奏からピアノ六重奏まである(ピアノ七重奏もあるかもしれないけど、そうなれば単に七重奏曲というのではないかな?)が、中ではピアノ三重奏曲がダントツに多く作曲されているようだ。
ピアノ抜きでは弦楽四重奏曲が圧倒的に多いのと同じで、各パートの役割が安定して作曲に制約が少ないのではないか。
数が多いだけに名曲も多い。

古典派の作品では短調のものが極めて少ない。ハイドンは真正45曲中短調は8曲、モーツァルトは6曲中ゼロ、ベートーベンは7曲中1曲のみ。

ところが、ロマン派に入ると俄然短調の作品が多くなり、いずれも泣かせる要素が強く、そのメランコリックな情緒性が心持ちを酔わせてくれる。
そういう面では、メンデルスゾーンの第1番とチャイコの作品は双璧をなすだろう。

個人的にも大好きな2曲で、これにあとショパンとベートーベンの第3番ハ短調が加わればもう泣かせの四天王だ(もっとも、すべてのピアノトリオ(を聴いた訳ではないけど)から秀作を選ぶならベートーベンの第7番「大公」は絶対に外せない。)。

そんな訳で、大いなる期待を持って臨んだ。

ベルリン・フィルの第1コンサートマスターと首席チェリストに彼らとコンビを組むことが多いピアニストというメンバーだが、ベルリン・フィルだからといって、各人の技量が名の通った日本人ソロ演奏家と格段の違いがあるとは思っていなかった。

しかし、冒頭のチェロの音を聴いて、これは!と思った。
つい先日も同じ文化会館小ホールでピアノ四重奏などを聴いたばかりだったが、音色も音量も段違いに豊かだ。
それはチェロだけではなく、バイオリンにしても、先日と同じ楽器だと思われるピアノにしても同様で、かくも違いが生ずるのはどうしてだろう。多少は聴いている席の違いもあるだろうけど、それ以上に音楽の形が違うように思った。

これは今まで聴いたことのない異次元の巧さだ。
豊かな音色と音量が明確な輪郭を描き、2曲に通ずる「悲痛」は、そのまま「美に通ずる」事を実証した感がある。

満席の観客の誰もが心打たれたのだろう。小ホールのコンサートにしては珍しく館内大歓声でカーテンコールは照明がつくまで繰り返された。


ピアノ三重奏鑑賞上の間違いなく一つの基準となった演奏だったが、これはむしろ不幸なことかもしれない。
このような演奏に再び出会えることは極めて少ないと思えるからだ。

♪2016-41/♪東京文化会館-05

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第318回

2016-04-09 @みなとみらいホール


川瀬賢太郎:指揮
田村響&佐藤卓史:ピアノ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

コダーイ:ガランタ舞曲
プーランク:2台のピアノのための協奏曲ニ短調 FP.61
ベルリオーズ:幻想交響曲Op.14

コダーイとプーランクの作品はいずれも初聴きだったが、「ガランタ舞曲」は現在はスロバキア(その前はチェコスロバキア。その前はオーストリア・ハンガリー帝国)に属する「ガランタ」という地方の民謡(実質はロマの音楽)を素材にしているだけに、大げさな哀愁に満ちた、情緒溢れる、まさしく「ロマ」ンチックな音楽で、初聴きでもこれはほとんど抵抗感なく楽しめる。

プーランクの方も民謡やモーツァルトのピアノ協奏曲(第21番の第2楽章)、自身の過去作のフレーズなどが組み込まれた、作曲家の遊びのような作品で、これも気楽に聴ける作品だ。
楽器の編成(パート毎の人数)と配置が楽譜に指定されているそうだ。と言っても特に変わったところもなかったが。

いずれも賑やかな音楽だ。

その後、本日のメインイベント。
大編成に衣替えした大管弦楽団が前二者に倍するけたたましきベルリオーズの幻想交響曲を渾身の力で演奏。何しろ、ティンパニーも大太鼓も2セットというのがすごいね。
大いなるカタルシスを得て最近の鬱屈が一時的にせよ晴れた。

♪2016-040/♪みなとみらいホール-11

2016年4月7日木曜日

東京都交響楽団第804回 定期演奏会Bシリーズ

2016-04-07 @サントリーホール


フランソワ=グザヴィエ・ロト:指揮
東京都交響楽団

シューベルト(ウェーベルン編曲):ドイツ舞曲 D820
R.シュトラウス:メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作
ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55《英雄》

フランソワ=グザヴィエ・ロトという指揮者。この舌を噛むような名前に、だからこそだろうけど、聞き覚え、見覚えがあるのだけど、過去の記録を手繰ってみてもどうやら初めてらしい。

放送で聴いたのかなと思って録画ディスクを調べたら、2014年のN響の「第九」を振っていた。年末のN響の「第九」はほぼ毎年聴いているからそれで、頭の片隅に「グザヴィエ・ロト」という変わった名前がインプットされていたらしい。

この人、一つのコンサートで古楽器とモダン楽器を使い分けたプログラムを演奏するなど、かなり革新的、意欲的な取り組みをしているようだ。

そういえば、本日のメインディッシュ、ベートーベンの「英雄」の手綱さばきは、モダン楽器を使いながら、ベートーベン時代ならこうかもといった感じの演奏だった。
つまり、オケの規模はこじんまりとコンバス4本、チェロ6本、バイオリン&ビオラは5プルトずつの編成だったような気がする。

シンフォニックな響に欠ける割に、各パートが明確に聴こえてくるのがこういうピリオド風(その時代風)な演奏の面白さだ。
そして、ビブラートを控えめにして、テンポは速め、というのもまさにピリオド風味の演奏スタイルだ。

このスタイルは、前に聴いたロジャー・ノリントンやジャナンドレア・ノセダ(いずれもN響)、鈴木秀美(神奈川フィル)らのベートーベン解釈とやや類似性があるのではないか。
パーヴォ・ヤルヴィもこの仲間に入れても良いかもしれない。少なくともヤルヴィの年末のN響「第九」ではそういうアプローチが新鮮だった。
疾走するベートーベン、とまでは言えなくとも、かなりテンポの良いベートーベンだった。

さて、今日のプログラムは相当凝った仕掛けが施されていた。

まず、シューベルトの「ドイツ舞曲」D820は、6曲の舞曲からなるピアノ曲だ(ほかにもシューベルトは12のドイツ舞曲という作品集D790も作っている。)。これを12音技法の確立に寄与したウェーベルンが木管と弦楽のアンサンブルに編曲したものだ。
原曲の方も今回のコンサートの予習として何度か聴いたが、ウェーベルンの編曲したものはCDの手持ちにないし、過去にも聴いたことがなかった。ウェーベルンが編曲したのだから、相当モダンな、調性の怪しい作品になっているのではないかと思ったが、ウェーベルンはそこまでは編曲しなかったようで、19世紀前半の音楽ぽい出来上がりだった。
ただし、原曲の6曲をウェーベルンは並べ替え繰り返し、計10曲の作品に「変容」させていることで、単なるオーケストレーションには終わっていない。

R・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」は編曲作品ではなく、シュトラウスのオリジナルだが、バイオリン10、ビオラ5、チェロ5、コンバス3という小規模弦楽合奏で、それぞれのパートは、通常のオーケストラ曲と異なって、かなり各人が独奏的な動きをするところが特徴か。
そして、タイトルが表す「変容」は通常の冒頭提示される主題が繰り返し変奏されるという形ではなく、最初は音楽のかけらがばらまかれ、やがて形を成し、最終部に至って、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章の有名な主題が浮かび上がるという凝った仕掛けだ。

「変容」をテーマに構成されたプログラムが「英雄」の葬送行進曲に完結して、後半、いよいよ本物の「英雄」が登場するなんて、よく考えているね。


♪2016-039/♪サントリーホール-03

2016年4月6日水曜日

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2016-若き名手たちによる室内楽の極(きわみ) ~ベートーベン、シューベルト、ブラームス

2016-04-06 @東京文化会館


バイオリン:長原幸太
ビオラ:鈴木康浩
チェロ:上森祥平
ピアノ:田村響

シューベルト:弦楽三重奏曲 第1番 変ロ長調 D.471
ベートーべン:弦楽三重奏曲 第2番 ト長調 op.9-1
ブラームス:ピアノ四重奏曲 第2番 イ長調 op.26
----------------
アンコール
ブラームス:ピアノ四重奏曲 第3番 ハ短調 op.60から第3楽章



読響コンマス他によるシューベルト、ベートーベン、ブラームスの弦楽三重奏&ピアノ四重奏という独墺古典の精華。

シューベルトの作品は初聴きだったが、第1楽章しか完成していない未完成のものだ。
まあ、シューベルトらしい歌心が奔放に繰り出されるといった感じだが、やはり、散漫な感じはする。
「弦楽三重奏曲 第1番」という作品形式の標題ではなく、「断章」とかにしておけばハナからそういう心構えで聴くからもっと好感できたかもしれないのに、と思った。

さて、シューベルトの後でベートーベンを聴くとさすがに見事な「完成品」だ。
弦楽三重奏曲は、楽聖ベートーベンの作品でさえピアノ三重奏曲や弦楽四重奏曲の陰に隠れてあまり有名な作品がない(全4曲)ので、個人的には聴く機会が少ない⇒馴染めない⇒ますます聴く機会が少なくなるという負の連鎖をたどっている。

しかし、今回、ナマで聴いてみると、弦楽三重奏は各声部の動きがこの上なくはっきりしている点が聴いていて面白いな、と思った。

最後にピアノが加わったブラームスのピアノ四重奏曲が一段と素晴らしかった。それまでの単色彩から一挙にカラフルな世界が拡がり、ブラームスらしい情緒が、放逸と抑制の危ういバランスを保ちながら奔流する。これはベートーベンでは味わえない人間・ブラームスの魅力だ。

かくして、今日の各作品は、作曲家各人の個性・力量が演奏順に色彩を伴って明確に現れてきたところが興味深いところであった。


♪2016-38/♪東京文化会館-04

2016年4月3日日曜日

国立演芸場4月上席

2016-04-03 @国立演芸場

落語 林家はな平⇒牛ほめ
落語 春風亭百栄⇒寿司屋水滸伝
漫才 青空一風・千風⇒
落語 林家三平⇒紀州
落語 鈴々舎馬桜⇒厩火事
―仲入り―
落語 林家種平⇒たいこ腹
落語 柳家はん治⇒千早振る
余談漫談 林家ペー⇒

落語 林家正蔵⇒中村仲蔵

林家正蔵。バラエティ専門のタレント「こぶ平」のイメージが強く、落語もまともに聴いたことはなかったが、いやはやうまい。既に五十路を過ぎているのだし大名跡を継いではや10年。当然でもあるけど。
弟の三平(前・一平)もなかなか上手だったがまだ若々しい。
兄妹で何歳違うのか知らないけど、兄の正蔵は貫禄があって、まるで親子のようだったな。

林家ペーがこの一門でどういう位置にいるのか知らないけど、たしかに話しぶりは慣れたものだけど、お客さんのあしらいがイマイチ。

その後のトリを務めた正蔵が、着座するや否や、「先ほどのペーの話は無かったことにしてください。」と言って笑いを取ったが、半ば本心だろうと思ったよ。













♪2016-037/♪国立演芸場-02

2016年4月2日土曜日

ミューザ川崎ホリデーアフタヌーンコンサート2016前期 「アルペジオーネ」有希マヌエラ・ヤンケ&エマヌエーレ・セグレデュオ・リサイタル

2016-04-02 @ミューザ川崎シンフォニーホール


有希マヌエラ・ヤンケ:バイオリン:
エマヌエーレ・セグレ:ギター

ジュリアーニ:協奏的大二重奏曲 作品85
シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ D.821
ピアソラ:タンゴの歴史(全4曲)
ヴィラ=ロボス:
5つの前奏曲から第1番
12の練習曲から第11番
バルトーク:ルーマニア民族舞曲(全6曲)
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アンコール
イベール:間奏曲
パガニーニ:カンタービレ

有希マヌエラ・ヤンケ(バイオリン)とエマヌエーレ・セグレ(ギター)のコンサートを昨春、NHKTVのクラシック倶楽部で聴いて、なかなか楽しめたのは、2人が呼吸を合わせてひとつの音楽を形作ろうとしている姿勢が分かりやすく伝わってきたのと、両者の控えめな人柄に好感を持ったからかな。

今回のプログラムは放送されたものと基本的に同じで、放送時は放送時間の制約から割愛されたのか、そもそも演奏されなかったのか分からないが、今回の公演はそれに倍する時間をかけて、アルペジオーネ・ソナタやヴィラ=ロボスの作品を含むイタリアの古典派からドイツ・ロマン派、東欧近代、南米現代まで盛りだくさんの音楽時空の旅。

どれも精緻な音楽で集中して聴くことができたが、残念に思うのはバランスに難。
放送ではミキサーで調整をしているのではないかと思うが、生演奏では、音の響きが良いミューザでも2階中段最前列(オーケストラを聴くにはベストポジションだと思っているが。)ではやはりギターの音量がやや寂しい。
この編成では小ホールで聴きたかったよ。


♪2016-036/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-10