ミシェル・コルボ:指揮
ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル
J.S.バッハ:ヨハネ受難曲 BWV245
ミシェル・コルボの指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルでは、これまで「熱狂の日」でモーツァルトの「レクイエム」しか聴いたことがなかったが、マタイの次に楽しみにしていた「ヨハネ受難曲」をこの演奏で聴けるとは実に嬉しい。
人気のプログラムなので、今年も国際フォーラムの最大キャパのホールA(5,102席)で行われた。できることならホールC(1,502席)くらいの規模で聴いてみたいのだけど。
前日の「マタイ」で失敗した歌詞の訳詞は事前に自前でプリントして持参した。訳詞はネット上にいくらでも見つけられるが、何種類かの異なる版があるようで、手持ちのCDとも、今回の演奏とも若干の違いはあったが、歌で綴られる受難劇の進行が逐一分かるのが嬉しい。
この曲も演奏時間は「マタイ」(3時間)ほど長くはないけど、2時間を要する大曲で、しかも「マタイ」と違って途中に休憩がなかった。
音楽は2部構成になっているのだから、その中間で休憩がほしいところだ。20:30という遅い開演だったが、午後からは水一滴飲まずに我慢したよ。
「ヨハネ受難曲」はヨハネ伝による受難劇だが、テキストが違う(一部はマタイ伝も使っているそうだ。)からか、音楽の様子がだいぶ異なる。4つの福音書のうち「マルコ」、「マタイ」、「ルカ」は共観福音書と言われているが、素材が共通なのだろう。
一方、「ヨハネ」は最後に書かれた福音書で、ギリシャ哲学の影響を受け、哲学的で世界布教を意図して書かれた、という記事を何処かで読んだ記憶がある。
「始めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」は有名な冒頭の言葉だけど、不信心で不勉強な読書家はまずここでつまずくのではないか。
それはともかく、「マタイ」に比べて劇的緊張度が高いように思う。
各役(エヴァンゲリスト、ペテロ、イエス、ピラトなど)のレシタティーヴォの応酬の間にアリアとコラールが入ってくるが、アリアの比率が低いようだ(曲の絶対数も「マタイ」に比べて少ないのだけど)。
「マタイ」にはまことに美しいアリアがあり、コラールも覚えやすいきれいな同種旋律(賛美歌#136の転用)が繰り返されるが、「ヨハネ」では(たぶん)全部異なっていると思う。
ま、詳しいことは分からないけど、バッハの受難曲をまず聴いてみようという向きには「ヨハネ」の方が入りやすいかもしれない。劇的構成と何より1時間も短い。
そうそう、この演奏でも男性アルト(カウンターテナー)だったが、この人の場合は、さほどに違和感を感じなかった。高音部も自然に伸びていたから。結局歌手によるのかな。
♪2015-40/♪東京国際フォーラム-05