2019年4月28日日曜日

藤原歌劇団公演オペラ『蝶々夫人』

2019-04-28 @テアトロ・ジーリオ・ショウワ


指揮:鈴木恵里奈
演出:粟國安彦

管弦楽:テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
合唱:藤原歌劇団合唱部

蝶々夫人⇒迫田美帆
ピンカートン⇒藤田卓也
シャープレス⇒市川宥一郎
スズキ⇒但馬由香
ゴロー⇒井出司
ボンゾ⇒田島達也
ヤマドリ⇒柴山昌宣
ケート⇒吉村恵
神官⇒立花敏弘

ジャコモ・プッチーニ:『蝶々夫人』
全2幕<イタリア語上演/字幕付>
予定上演時間:約2時間50分
第Ⅰ幕60分
 --休憩25分--
第Ⅱ幕85分

平成最後の鑑賞を大傑作で締めることができて嬉しい!

海外プロジェクトの蝶々夫人は合わないなカツラに妙な着付け。立ち居振る舞いもなっておらん。何もかも違うぞーっ!という思いが先に立ち、イマイチ違和感拭えず、満足した事は無かったが、やはり純国産は没入できる。

今日が実質デビューという指揮者(鈴木恵里奈)も蝶々夫人(迫田美帆)も見事な演奏・歌唱で信じられない上出来だった。

演出も良かった。
いやほんの一部に他にやり用はなかったかと思う場面もあったが全体としてとても自然で説得力あり。
特に最後の場面の意表を突く暗転にやられた!

この頃涙脆い僕は2幕からずっとウルウルしっ放しだった。
できれば号泣したいくらい。
今、思い出しながらも目が潤んでくるよ。

古手の日本男子としては、蝶々さん(設定は15歳〜18歳)のように可愛くて、純粋で、疑いを知らず、でも利発で、矜持を持つ女性を理想的に見てしまう。こういう女性こそ男性から一歩退き乍ら実は<男を育てている>のだが、そういう点は近頃捨象され、女性蔑視と批判されがちなのは残念。

6月に新国立でも観るが非常に楽しみ。今度は遠慮せず泣こう!

♪2019-056/♪テアトロ・ジーリオ-01

2019年4月27日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第346回横浜定期演奏会

2019-04-27 @県民ホール


ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

村治佳織:ギター*

ラウタヴァーラ:In the Beginning
武満徹:夢の縁へ*
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 op.36
-----アンコール-----
オーバー・ザ・レインボウ&イェスタデイ*
シベリウス:悲しきワルツ

ラウタヴァーラという作曲家の存在は知らなかったし、その作品「In the Beginning」も初聴き。2016年に亡くなったフィンランドの作曲家だというから、同国出身のインキネンにとっては大切な作品なのだろう。

2017年にインキネンがドイツ放送管弦楽団で世界初演をしている。
現代の作品なので、調性は曖昧で、終始不穏な響きが継続するが、あまり嫌な感じではなかった。
https://youtu.be/CdoZU2c2ilI

武満徹の「夢の縁へ」は小ギター協奏曲風。初聴き。
ギター独奏の村治佳織も初めて。名前は知っているけど、これまで縁がなかった。ともかく、音が小さい。ギターは爪弾く楽器だから音量の面で不利ではあるけど、それにしても小さかった。
彼女の技量の問題もあるだろうけど、いつものみなとみらいホールでの演奏なら、よく響くホールだから、音量不足をあまり感じなかったかもしれないが、今回はなぜか、県民ホールだ。残響は少ないし、客席空間は広い。それもあったかもしれない。
縁コールで、ギター独奏をしたが、これもやはり音が小さくて話にならない。
僕の席は絶好の良席だが、それでもイマイチなのだから、後方や2階、3階席では音楽として届かなかったのではないか。

メインのチャイコの4番は、10日ほど前に東フィルで聴いたばかりだったが、その際に残念に思った冒頭のファンファーレは僕の耳には完璧な出来栄えだった。
もちろん、ファンファーレだけではなく、全体としても迫力のある高水準な演奏だったが、ここでも、県民ホールの限界というか、管・弦の響きに豊かさが不足して、やはり、残念なことであった。でも、こういう音楽こそ県民ホール向きなのだけど、これでも満足を得られないとなると、悲しいね。


♪2019-055/♪県民ホール-04

2019年4月26日金曜日

東京都交響楽団 第877回 定期演奏会Bシリーズ

2019-04-26 @サントリーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団

武満徹:鳥は星形の庭に降りる(1977)
シベリウス:交響曲第6番ニ短調 op.104
ラフマニノフ:交響的舞曲 op.45

部分的に教会旋法を使って作曲された作品例はあるが、シベリウスの交響曲第6番は、いわゆる教会旋法のドリア調で全曲が書かれているそうだ。教会旋法のことは大雑把な知識しかないが、古典派以降は長調(これを3度下げて作られた短調)に取って代わられて、特別な効果を求めるとき以外は用いられていないようだ。
ゆえに、シベリウスがドリア調で全曲を書いたというのは非常に珍しい出来事な訳だ。

ドリア調ではD音(ハ長調で言えばレの音)が第一音だが主音ではない。終止音というらしいが長調でいう主音に相当するのだろうか?
一方で、支配音というのもあって、それは旋法によって異なるがドリア調の場合はちょうど5度上のA音だというから長調で言えば属音に当たる。それぞれがどんな役割を担うのかさっぱり分からない。ちょっと調べてみたが、疑問の草叢に分け入るだけみたいだから、早々にUターンした。
知らなくたって音楽は聴いて楽しめばいいから…というのは負け惜しみだけど。

ともかく、古典派以降でいう「調性」はないのだから、機能和声が説明してくれるような機能(属音・下属音・導音など)が各音に割り当てられてはいないのだろう。
では、どうやって曲が始まり、終わるのか興味深い。和声に頼らず旋律だけで終止できるのか?

などと聴きながら考えていたらいつの間にか音楽は終わってしまった!

調性に慣れた耳にはカデンツ(機能和声でいう「終止形」)の手順を踏んでキッチリ決めた音楽にこそ安心感があるなあ。

ラフマニノフの「交響的舞曲」。
彼の最後の作品にしては分かり易い。都響で聴くのも2度目だが、あまりステージにかかることが少ない音楽だ。片鱗も覚えていなかったが、結構面白い。
が、今日の都響は第1バイオリンの高域が美しくない。
先日の神奈フィル@県民ホールのような響で聴きたかったな。

今季から席替えをした。席番は同じだが、7列も前に行った。原音と残響の混じり具合が良い感じだ。その分、弦の乱れはよく聴き取れてしまう。


♪2019-054/♪サントリーホール-03

2019年4月25日木曜日

河村尚子「ベートーベン ピアノ・ソナタ・プロジェクト」第3回(全4回)

2019-04-25 @紀尾井ホール


河村尚子:ピアノ

ベートーベン:ピアノ・ソナタ
 第26番変ホ長調 Op.81a「告別」
 第27番 ホ短調 Op.90
 第29番変ロ長調 Op.106
        「ハンマークラヴヴィーア」
-------アンコール
「告別」から第3楽章

2年でベートーベンのピアノ・ソナタ14曲を弾くプロジェクトの3回目(因みに第1回は4、8、7、14番。第2回は18、21、24、23番。)は26番「告別」、27番、29番「ハンマークラヴィーア」。

おいおい、僕の急所を突くような選曲だぞ。
ベートーベンのピアノ・ソナタのMyベスト4は28と最終3曲(なぜBest4なのか、なぜこの選曲なのかは説明可能だけど無駄に長くなるので省略。)。
一方、苦手ベスト3こそ今日の曲目だ。
特に29番にはうまく共感できない。


今日の演奏。
前2曲はベーゼン〜の柔らかい音が残響多めのホールと相まって美しかった。今回はベーゼンドルファーだったが、前回はスタインウェイではなかったろうか?少なくとも第1回のフィリアホールではベーゼンドルファーではなかった。最近彼女がリリースしたCDはいずれもベーゼンドルファーを使っているから、近頃お気に入りなのかも。

が、そもそも29番はベーゼン〜向きではないような気がする。
加えて残響多めのホールのせいで、冒頭の強奏がくぐもったのは残念。
とは言え、ここ一番の気迫が漲って強弱・遅速のダイナミズムが明瞭。3楽章終盤から4楽章冒頭まで我が貧弱な耳には音楽が迷子になったように聴こえるが、その隧道を過ぎると疾走するフーガが心地良い。

で、それなりのカタルシスを得たが、どうも29番は深い。
一に慣れの問題だが、この巨大な精神世界になかなか踏み入れない。せっかくソナタ全集(楽譜も)持っているのだから、暇ができたときに楽譜と睨めっこしながら真剣に聴いてみよう。

このシリーズ次は最後の3曲(30〜32番)。
これはもう大好物なので楽しみだ。

♪2019-053/♪紀尾井ホール-1

2019年4月23日火曜日

四月大歌舞伎 昼の部

2019-04-23 @歌舞伎座


今井豊茂 作
藤間勘十郎 演出・振付
一 平成代名残絵巻(おさまるみよなごりのえまき)
常盤御前⇒福助
藤原基房⇒権十郎
  平宗盛⇒男女蔵
  平知盛⇒巳之助
平徳子⇒壱太郎
  遮那王⇒児太郎
  左源太⇒男寅
平重衡⇒吉之丞
右源太⇒竹松
平時子⇒笑三郎
建春門院滋子⇒笑也
鎌田正近⇒市蔵
平宗清⇒彌十郎

二 新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)
座摩社/野崎村
〈座摩社〉
油屋娘お染⇒雀右衛門
丁稚久松⇒錦之助
弥忠太⇒家橘
勘六⇒寿治郎
山伏法印⇒松之助
山家屋佐四郎⇒門之助
手代小助⇒又五郎
〈野崎村〉
久作娘お光⇒時蔵
油屋娘お染⇒雀右衛門
丁稚久松⇒錦之助
手代小助⇒又五郎
百姓久作⇒歌六
後家お常⇒秀太郎

坂田藤十郎米寿記念
三 寿栄藤末廣(さかえことほぐふじのすえひろ )鶴亀
女帝⇒藤十郎
亀⇒猿之助 
従者⇒歌昇
従者⇒壱太郎
従者⇒種之助
従者⇒米吉
従者⇒児太郎
従者⇒亀鶴
鶴⇒鴈治郎

四世鶴屋南北 作
四 御存 鈴ヶ森 (ごぞんじすずがもり)
白井権八⇒菊五郎
東海の勘蔵⇒左團次
飛脚早助⇒又五郎
北海の熊六⇒楽善

短いのが4本。

1本目の「平成代名残絵巻(おさまるみよなごりのえまき)」は平成から令和への代替わりを、
3本目の「寿栄藤末廣(さかえことほぐふじのすえひろ )」はその名前が掛けてある坂田藤十郎米寿を、
それぞれ祝う長唄舞。

いずれも華麗な衣装や舞台装置などで賑やかに寿いだ。
藤十郎はほとんど舞うこともなく、形を決めるだけ。まあ、それでも存在感があるのは大したもの…かな。
お大事にしてくださいよ、と言いたくなる。

「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」は、お染<雀右衛門>、久松<錦之助>、お光<時蔵>。
何れも悪くないが、今月の登場する役者の中で言えば、せめて猿之助、できれば米吉、児太郎、壱太郎等の世代でこの芝居を観たい。雀右衛門らのベテラン勢ではそろそろこの芝居は感情移入が難しくなってきた。

最後は「御存 鈴ヶ森 (ごぞんじすずがもり」。
滅法強い白井権八<菊五郎>と男伊達の幡随院長兵衛<吉右衛門>の出逢いを描く。
人間国宝2人の絡みと言っても多分に様式がかった演出で丁々発止の緊迫感は無い。
もう派手には動けない菊五郎<権八>の立回りが長過ぎだ。

歌舞伎役者も働き方改革しないと芸を消耗するよ。

♪2019-052/♪歌舞伎座-02

2019年4月20日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホール名曲シリーズ 第5回 「アメリカ」新世界で生まれ育ち移り行く音楽達

2019-04-20 @県民ホール


太田弦:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

阪田知樹:ピアノ
佐藤晴真:チェロ
田添菜穂子:司会

コープランド:「ロデオ」から“カウボーイの休日”
アンダーソン:タイプライター
アンダーソン:マクドナルドじいさんは農場をもっていた
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲(抜粋)
J.ウィリアムズ:雅の鐘
コルンゴルト:映画「嵐の青春」
J.ウィリアムズ:映画「スターウォーズ」よりメインタイトル、アステロイド・フィールド
ジョン・ケージ:4分33秒
ドボルザーク:チェロ協奏曲ロ短調Op.104から第1楽章
ドボルザーク:交響曲第9番ホ短調Op.95「新世界から」から第4楽章

アメリカ縁の小品・断章集。
指揮は新生・太田弦。
不出来なMCもついて親子名曲コンサートぽくなった。
おやつみたいなものばかりで主食のないもどかしさはあったが、演奏は上出来で(J.ケージの「4:33」は邪魔だったが)楽しめた。

特に最後のドボルザーク交響曲第9番「新世界から」の第4楽章冒頭の弦のアンサンブルの美しいこと。
県民ホールは音響もNHKホールとよく似て下手な演奏はごまかせない。
神奈川フィルも時に聴きたくない音を発するが、今日は見事だった。
管・弦が正確なピッチで適度に混ざり合う”交響”が管弦楽のナマの醍醐味を伝える。

♪2019-051/♪県民ホール-03

2019年4月19日金曜日

バッハ・コレギウム・ジャパン第132回定期演奏会

2019-04-19@東京オペラシティコンサートホール


鈴木雅明:指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)
ソプラノ:キャロリン・サンプソン
ソプラノ:松井亜希
アルト:ダミアン・ギヨン
アルト:クリント・ファン・デア・リンデ
エヴァンゲリスト(福音史家)/テノール:櫻田亮
テノール:ザッカリー・ワイルダー
イエス/バス:クリスティアン・イムラー
バス:加耒徹

J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244

2015年春以来のBCJの「マタイ」だった。
その間に聴いた聖トーマス教会合唱団+ゲヴァントハウス管弦楽団による至高の「マタイ」が一種の物差しになっているのは不幸な事かもしれない。

とはいえ、前回のBCJと比べてとても好感した。
テンポは早めでアッサリと小気味良い。
全曲中一番有名な「神よ憐れみたまえ」も泣かせたりしない。福音史家役が大活躍をするが、この肝心のテノールに人を得た。素晴らしくよく通る美声だった。

不満といえば、どうしてアルトにカウンターテナーを使うのか。やはり、女声で聴きたい。
「マタイ」に限らずこれまでにカウンターテナーで満足したことがないのは僕の経験不足だろうが、そもそも不自然ではないか。
児童合唱でなく女声合唱を使うのならソロも女声で良かろう。

また、席がイマイチだった。センターを取ったが、BCJを聴くには席が遠かった。
前方1/3で聴くべきだった。
チケットが取れず後方1/3で聴いた。

オケを聴く席として悪くはないが、この編成(管弦楽30人足らず。声楽25人くらい?)には遠かった。
前方1/3なら良い「音楽体験」ができたろうが、後方1/3では澄まして「音楽鑑賞」だった。やはり没入度が違う。

それにしても武満ホールはとても自然な響だ。縦長シューボックスが良い効果を齎しているようだ。

♪2019-050/♪東京オペラシティコンサートホール-02

2019年4月17日水曜日

新国立劇場オペラ『フィレンツェの悲劇』/『ジャンニ・スキッキ』

2019-04-17 @新国立劇場


指揮:沼尻竜典
演出:粟國淳
美術:横田あつみ
衣裳:増田恵美
照明:大島祐夫
舞台監督:斉藤美穂

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

<フィレンツェの悲劇>
グイード・バルディ⇒ヴゼヴォロド・グリヴノフ
シモーネ⇒セルゲイ・レイフェルクス
ビアンカ⇒齊藤純子

<ジャンニ・スキッキ>
ジャンニ・スキッキ⇒カルロス・アルバレス
ラウレッタ⇒砂川涼子
ツィータ⇒寺谷千枝子
リヌッチョ⇒村上敏明
ゲラルド⇒青地英幸
ネッラ⇒針生美智子
ゲラルディーノ⇒吉原圭子
ベット・ディ・シーニャ⇒志村文彦
シモーネ⇒大塚博章
マルコ⇒吉川健一
チェスカ⇒中島郁子
スピネッロッチョ先生⇒鹿野由之
アマンティオ・ディ・ニコーラオ⇒大久保光哉
ピネッリーノ⇒高橋正尚
グッチョ⇒水野秀樹

アレクサンダー・ツェムリンスキー:
「フィレンツェの悲劇」全1幕<ドイツ語上演/字幕付>

ジャコモ・プッチーニ:
「ジャンニ・スキッキ」/全1幕<イタリア語上演/字幕付>

予定上演時間:約2時間25分
フィレンツェの悲劇60分
 --休憩25分--
ジャンニ・スキッキ60分

いずれも上演時間が1時間程度の短いオペラの2本立てだ。ダブル・ビルdouble billというそうだ。
大野和士新音楽監督の意向で今後1年おきにダブル・ビル公演を行うとか。

そういえば、プッチーニの<三部作>も本来は3本立て公演を意図されたもので、この中に「ジャンニ・スキッキ」も含まれている(残りは「外套」、「修道女アンジェリカ」)。これはトリプル・ビルということか。
二期会が昨年この本来形で公演をしたらしいが、1日で3作は歌手たちも大変だが、お客も疲れる。

今回の新国立劇場の公演は、2本に絞り、性格(悲劇と喜劇)も出演者数(3人と15人)も異なるが、いずれもフィレンツェを舞台にしたほぼ同年代(1916年と1918年)の作品ということで、その好対照を楽しむことができるよう意図されている。

「フィレンツェの悲劇」は初めて観た。
ツェムリンスキーの音楽はナマではこれまでに2作品(交響詩《人魚姫》、抒情交響曲〜ラビンドラナート・タゴールの詩による7つの歌)を聴いているが、いずれもあまり面白くはなかった。この2作とも大野和士指揮都響で聴いているのは偶然ではなかろう。
という次第で、あまり期待をかけていなかった「フィレンツェの悲劇」だが、これがなかなか面白い。音楽はプッチーニと同時代とは思えないモダンな感じで必ずしも馴染めないが、物語が面白い。家に帰った男は、妻が浮気相手を連れ込んでいるのを知り、決闘によって彼を殺し、次はお前だ、と妻の首を絞めるが…。ラストの思いがけない展開が面白い。間男にとっては「悲劇」であったが夫婦にとっては「悲劇」とはいえないから、このタイトルの意味するところはよく分からないが。

「ジャンニ・スキッキ」はもうお馴染み。例の「私のお父さん」という大ヒットアリアがある。15人も登場して雑駁な印象を受ける物語だ。好みのソプラノ、砂川涼子がラウレッタを演じ「私のお父さん」を歌った。これはとても良かった。
が、プッチーニの中ではさほど重要な作品とも思えない。
彼が<三部作>の1本として作曲したように、映画で言えばプログラム・ピクチャー程度のものではないか。
ま、気軽に楽しめる作品ではあるが。

♪2019-049/♪新国立劇場-04

2019年4月16日火曜日

東京フィル第125回東京オペラシティ定期シリーズ

2019-04-16@東京オペラシティコンサートホール


アンドレア・バッティストーニ:指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
小山実稚恵:ピアノ*

番外:フランス国家
W.ウォルトン:戴冠式行進曲『王冠』
モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K537『戴冠式』*
チャイコフスキー:交響曲第4番へ短調 作品36
----------------
アンコール
E.エルガー:行進曲「威風堂々」第1番

東京フィルはわざわざチケットを買って聴きにゆく機会は少なかったが、オペラではピットに入っているオケのおそらく半分以上は東フィルではないかと思うので、演奏はそこそこ聴いていたものの、定期会員になったのは今季からが初めて。
都内で3定期公演しているようだが、中で一番音響の良いオペラシティ コンサートホール(タケミツメモリアル)の会員になった。

今日はそのオープニング。3定期の中でも一番最初だったので東フィルとしても今季のオープニング・コンサートだった。

冒頭、バッティストーニが(僕のヒアリング能力では)聴き取れない英語で、パリがどうとか言って始めた演奏が、フランス国歌だった。なぜ、予定外のフランス国歌を演奏したのか、分からなかったが、終演後東フィル職員に尋ねたら、この日ニュースとして飛び込んできたノートルダム大聖堂が火事で尖塔を失うなどの不幸な出来事に想いを寄せてのことだったそうだ。ほとんど練習もできなかったろうし、楽譜を用意するのも容易ではなかったろうけど。

こういう国際センスのによる対応は、極東で平和に暮らしている日本人にはなかなか発想できない感覚ではないかと思った。

そもそも、今回「戴冠式」関連の2曲が取り上げられたのも、平成から令和への代替わりへの祝意の現れだそうだ。今回の代替わりは、これに対応するには事前に準備可能だったが、他のオケでは4月ないし5月の定期で格別祝意を込めたプログラムは準備していない。
こういうところも感性の違いかな。

ウォルトンの作品は、以前に交響曲第1番を聴いたが、戴冠式行進曲『王冠』は初めて…のはずだけど、なんか耳馴染みがあったのは、吹奏楽版を聴いたことがあるのかもしれない。
勇ましくて親しみやすい祝典ムードに溢れた音楽だった。

次の「戴冠式」はどうかな。小山実稚恵のコンディションはベストではなかったように思ったが。果たして、彼女はこの曲を今回初めて演奏したのだそうだ。

チャイコの4番は、勇壮でかつ物悲しい管楽器のファンファーレがたまらなくいい。東フィルの演奏は、実に素晴らしい出だしだったが、トランペットが入るところで、少し乱れたのが残念。
とはいえ、全曲を通じて度々繰り返されるトランペットの咆哮が気分を高揚させてくれる。弦楽器がピチカートに終始する風変わりな第3楽章が消えるように終わって、アタッカのようにほんの一呼吸で始まる終楽章はハナから劇的だ。特に終盤は全曲冒頭のファンファーレが嵐のように畳み掛けて実に爽快だ。

席は必ずしも希望の席ではない。好みよりだいぶ前方だ。それだけに、こういう音楽では強烈な音圧に塗れて、音楽鑑賞というより音楽体験だ。幸せな体験ではあるが。
もっとも、どんな音楽にも、この席が合うとも思えないのがこの先の不安材料だ。

♪2019-048/♪東京オペラシティコンサートホール-01

2019年4月13日土曜日

N響第1909回 定期公演 Aプログラム

2019-04-13 @NHKホール


ヤクブ・フルシャ:指揮
NHK交響楽団
ヴェロニク・ジャンス:ソプラノ*

R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」
ベルリオーズ:叙情的情景「クレオパトラの死」*
ヤナーチェク:シンフォニエッタ

寄席が終わった後、半蔵門からNHKホールまで歩いて行っても開演までには時間がありすぎるし、NHKホール周辺には休む場所もないので半蔵門近辺で時間を潰し、明治神宮前でも軽食を摂って開演時間を待った。18時半近くになって、そろそろいい頃合いと店を出てNHKホールに向かったが、ホール前はガラガラだ。え!早すぎたか、と一瞬思ったが、チケットを捥ぎってもらって異変に気がついた。というより、異変は僕の頭の中だった。なんてことだ。コンサートはもう始まっていたのだ。

そう、A定期の初日は18時に始まるというのに、この日、僕はどういう訳か、19時開演だとばかり思い込んでいた。
どうしてそうなったのかは分からないけど、近頃は、こういう、思い込みによる堂々とした失敗が増えてきたよ。知らず知らずに脳も衰えてきているのだ。

そんな訳で、楽しみにしていた「ツァラトゥストラはこう語った」はもう始まっていた。本日1番の大作(少なくとも長尺)がなぜか、第1曲めに置かれていたので、聴き逃してしまった。まだ始まってそれほど時間は経過していなかったけど、オーディトリアムには入れてもらえないので、ロビーのモニターのそばでステージの様子を見るともなく、聴くともなく、終曲を待った。
仲間が10人程度はいたなあ。

終わるや否や中に入れてもらって席に着いた。
前半2曲めは全くの初聴きだった。
22分も要する長大な歌曲とも言える。
フランス語の対訳がプログラムに出ていたが、薄暗い会場で読み辛くページをめくる音もきになるから、すぐ諦めたが、そのうち眠くなってきた。
楽しめるような準備ができていないし、多分、今後聴くこともないだろう。

最後はヤナーチェクの「シンフォニエッタ」で、これは多少の聴き覚えがあった。冒頭の金管13本とティンパニーによるファンファーレが特異な旋律で一度聴いたら忘れられないが、その余はほぼ忘れてしまっていた。いや、今も思い出せない。
金管13本がステージの後ろの方に起立して並んでいたのは覚えているが、バンダでもう一組13本の金管群が登場したはずだけど(解説のオケ編成に書いてある。)、それがどこで演奏したのか、思い出せない。そのうちNHK-TVのクラシック音楽館で放映されるはずなので、そこで確かめられるが、自分の記憶力のいい加減さに悲しくなる一夜ではあった。

♪2019-047/♪NHKホール-02

国立劇場開場四十周年記念 国立演芸場04月中席 桂歌丸追善公演

2019-04-13@国立演芸場


落語   桂鷹治⇒ちりとてちん
落語         桂枝太郎⇒チュウ臣蔵
落語         桂歌蔵⇒熊の皮
ものまね   江戸家まねき猫
落語         桂歌春⇒加賀の千代
        ―仲入り―
座談        歌丸師匠を偲んで
落語        桂歌助⇒宮戸川〜奴さん姐さん〜
漫才        コントD51
落語        桂米助⇒ラーメン屋

桂歌丸は、噺家としては昨年の4月19日の国立演芸場中席が最後の高座で、僕は初日の11日に聴いた。もうかなり声量・滑舌は衰えていたので、8日後に訃報を聞いても、やっぱりダメだったか、という感じだった。

それから1年後の4月中席というので、一門や親しい噺家が順番に出演して「歌丸追善」公演となったが、待合に写真が飾られたり短時間の座談会が開かれたほかは普段と寄席と変わることもなかった。

噺家は死んでも笑い話のタネにされるが、話す方も一種の照れがあるのだろうな。


今回は、相当遅れて行ったので前半3人は聴いていない。
まねき猫は相変わらずうまい。声帯模写の実力というより、全体の客あしらいが天性の巧さを持っているように思う。

歌春は独自だ。ちっとも上手くならないようにも思えるが、その独自を磨けば彼ならではの地歩を占めるのかもしれない。

そのあとの出し物はいずれもつまらなかった。
米助なんぞあれでトリが務まるのかと大いに疑問だ。


♪2019-046/♪国立演芸場-07

2019年4月9日火曜日

国立文楽劇場開場35周年記念4月文楽公演 通し狂言「仮名手本忠臣蔵」第Ⅰ部

2019-04-09 @国立文楽劇場


国立文楽劇場開場35周年記念4月文楽公演
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」(かなでほんちゅうしんぐら)
第Ⅰ部大序から四段目まで 4時間18分(正味3時間43分)

 大序
  鶴が岡兜改めの段
   碩太夫・亘太夫・小住太夫・咲寿太夫/
   清允・燕二郎・錦吾・清公
  恋歌の段
   津国太夫・南都太夫・文字栄太夫/
   團吾

 二段目
  桃井館力弥使者の段
   芳穂太夫/清丈
  本蔵松切の段
   三輪太夫/清友 

 
三段目
  下馬先進物の段
   小住太夫/寛太郎
  腰元おかる文使いの段
   希太夫/清馗
  殿中刃傷の段
   呂勢太夫/清治
  裏門の段
   睦太夫/勝平

  
四段目
   花籠の段
    文字久太夫改め豊竹藤太夫/團七
   塩谷判官切腹の段
    切:咲太夫/燕三
   城明渡しの段
    碩太夫/清允
◎人形
 勘十郎・和生・玉輝・文司・玉佳・簑助・玉男ほか

国立文楽劇場では「仮名手本忠臣蔵」を今年、春夏秋3季に分けて全段通し上演する。
2年半前の国立劇場での全段通しは2部構成1日公演だったが、今回は時間をかける分、国立文楽劇場としては初演となるの場面(桃井館力弥使者の段)の上演など、全段通しにふさわしく細部も忠実に公演するのは、本場大阪の矜持を感じて嬉しい。

Ⅰ部は全11段中大序から四段目・城明け渡しまで。
やはりこの最後の段は特別に厳粛だ。人の死がかくも丁寧・荘重に描かれる芝居は他に例がないのではないか?
主人の無念の切腹を受け、明け渡した城を後にする由良助は万感を胸に秘め、その想いは延々三味線だけで表されるが、最後に太夫が一声大きく「『はつた』と睨んで」と城を振り返る由良助の思いを叫んで幕となる。

心憎い幕切れである。

全体として、この話は、口にできぬ人の思いを阿吽の呼吸や腹で探り、受け止め、あるいは命に変えて伝えんとする、激しい情の交錯が見所だ。そのように受け止める時に、時代を超えて今にも通づる人の情けの美しさが胸を打つのだろう。

この後の段も楽しみだが果たして大阪まで遠征できるか。

余談:たこ焼き屋の隣の劇場はとてもナショナル・シアターとも思えぬ気取りの無さ。この味わいが嬉しいや。


♪2019-045/♪国立文楽劇場-1

2019年4月7日日曜日

東京・春・音楽祭-2019-歌劇「さまよえるオランダ人」

2019-04-07 @東京文化会館


ダーヴィト・アフカム:指揮
管弦楽:NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ

ブリン・ターフェル:オランダ人(バス・バリトン)
イェンス=エリック・オースボー:ダーラント(バス)
リカルダ・メルベート:ゼンタ(ソプラノ)
ペーター・ザイフェルト:エリック(テノール)
アウラ・ツワロフスカ:マリー(メゾ・ソプラノ)
コスミン・イフリム:舵手(テノール)
ほか

ワーグナー:オペラ「さまよえるオランダ人」
演奏会形式
全3幕〈ドイツ語上演/字幕・映像付き〉  

予定上演時間:約2時間45分
第Ⅰ幕50分
 --休憩30分--
第Ⅱ幕・第Ⅲ幕85分

帰宅後も頭の中はオランダ人の動機が鳴り止まない。

ブリン・ターフェル(オランダ人)やピーター・ザイフェルト(エリック)もワーグナー物の映像でよく観ているが生では聴いたことがなかった。
舞台に接したのはリカルダ・メルベート(ゼンタ)だけで、彼女は新国立劇場で「ジークフリート」(ブリュンヒルデ)、「ばらの騎士」(元帥夫人)、「フィデリオ」(レオノーレ)を観ている。いわばおなじみ様で好感度の高いソプラノだ。彼女の歌をまたもや聴けるのが、「オランダ人」の一番の楽しみだった。

が、幕が上がってみると、やはりみんな世界一流のワーグナー歌手である。彼女だけでなくターフェル、ザイフェルト、そして急遽の代役で登場したオースボーも全員素晴らしいので、当たり前とはいえ、期待以上で驚いた。

加えて席にも恵まれた。なにしろ、5列目のセンターだ。
新国立劇場では最前列で聴いたこともあるが、今回は、演奏会形式なのでピットがない分舞台が近い。10mと離れていなかっただろう。歌手の微かな息音まで明瞭に聴き取れる一方、人間トランペットか人間トロンボーンかと思うくらいの特大声量は耳を劈(つんざ)くようでもある。

N響も合唱も期待以上の出来だ。
オケの演奏は一桁列では聴きたくないなあと、この点に関しては選んだ席に不安があったが杞憂だった。奥行きを持たせた舞台のせいもあったかもしれないが、さすがのN響は弦もきれいな響きを聴かせた。

クライマックスの終幕が、音楽的にもとりわけ迫力があった。オケ、合唱、声楽独唱陣がいやが上にも不安や焦燥を掻き立て、ついには救済の安息へ。いやはやこんなに凄い舞台になるとは予想外。

これまで映像ディスクでの鑑賞はしていたが、イマイチ入魂できずにいた「オランダ人」。
筋はともかく若いワーグナーの分かりやすい音楽がとても親しめたのも収穫なり。

♪2019-44/♪東京文化会館-04