2017年4月29日土曜日

都響プロムナードコンサートNo.372

2017-04-29 @東京オペラシティコンサートホール


小泉和裕:指揮
東京都交響楽団

キム・ソヌク:ピアノ*

ベートーベン:バレエ音楽《プロメテウスの創造物》序曲 op.43
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調 op.37
メンデルスゾーン:交響曲第3番イ短調 op.56《スコットランド》

定期会員になっている都響Aプロと都響Bプロの4月の演奏曲目が同じプログラムだったので、Bプロをプロムナード・コンサートに振替えた。都響はNETで振替先の座席指定もできるのが大変便利だが、あいにく希望する席は空いていなかったので、いくらなんでも舞台に近すぎると思いながらも、たまにゃいいかと4列目のセンターを押さえた。
ところが後で分かったのだけど、オペラシティコンサートホールは、オーケストラ・コンサートの場合は舞台を拡張するために座席の1列目と2列目は取り外すそうで、3列目が実質最前列なので、4列目というのは前から2列目というかなり辛い場所であった。

10年ほど前までは知人のコーラスの発表会(といっても秋山御大指揮で東響と組んだ本格的なもの)に半年に1回は出かけていたが、今回のような前の方に席を取ることもなかったので、前方2列が無いことなど全然気が付かなかったよ。


で、随分久し振りのオペラシティコンサートホールだった…からという訳でもないが、うっかり遅刻してしまった。遅刻すると途中からは入場できない。キリの良いところまでお待ちください、という訳で、ベートーベンピアノ協奏曲第3番の第1楽章が終わった直後にひっそりと入れてもらったものの当然、自分の席に着座することはできず、ホール最後部で立ち聴きとは情けない。
しかし、このホール、最後列が第31列と番号が振ってあるから実質は29列目ということになる。これはみなとみらいホールと同じ列数だが、オペラシティの方が座席の前後の間隔が広いので、みなとみらいホールの最後列より、おそらく3、4列分舞台から遠いだろう。しかし、それほどオケと離れていても実に良い響きで音圧もしっかりしているのには驚いた。流石のタケミツメモリアルだ。
シューボックスは音響が良いと言われているが、それだけではなく、目に入るもの、手に触れるものはほとんど木でできている。そのことも影響しているのではないだろうか。

休憩を挟んで後半は、正規の席である問題の2列目で聴いた。前の席が空いていたから手を伸ばせば指揮者に届きそう…なんてこともないけど。異常に音源に近すぎる。
以前、NHKホールで、これも舞台拡張のため知らずに最前列に座ったことがあったが、これはひどい音響だった。NHKホールは世間では評判が悪いが僕は色んな場所で聴いてみて格別音響が悪いとは思わない。古いホールは残響が一般的に短く乾いた音がするのは、県立音楽堂や文化会館でも同様だ。さはさりながら、NHKホールの最前列は絶対に良くない。おそらく4、5列目もダメだろうと思う。

さて、オペラシティの2列目はどうか。
これがびっくりするくらい心地よい。都響の腕のせいもあるだろうけど、弦楽器に原音のシャリシャリ感が混ざりすぎのきらいはあるが、実に厚い響だ。それでいて各パートが明瞭に聴こえる。また、オーケストラに包まれている感じの迫力がうれしい。

最後列でもきれいな音だったが、<ほぼ>最前列も、別趣の味わいを楽しめた。
今回はB定期からの振替えのプロムナードコンサートシリーズだったが、本来の会員であるB定期はあと2回、このオペラシティで開催される(本来はサントリーホールだけど改装中で使えないため。)。自分好みの席を確保しているのでこのホールで聴く都響が楽しみだ。

さて、今日のメインであるメンデルスゾーンの交響曲3番「スコットランド」は、作曲順では最後の交響曲でその5年後に逝去した(享年38歳)。
そう思って聴くと夭逝した天才の悲哀や激情が奔流のように溢れてきて大いに感情移入できる。
昨年6月にN響+アシュケナージで聴いた時より没入度高く楽しかった。これは、異常な程の接近鑑賞で音の洪水にまみれたことも原因しているのだろうけど。

♪2017-067/♪東京オペラシティコンサートホール-01

2017年4月27日木曜日

N響午後のクラシック第1回

2017-04-27 @ミューザ川崎シンフォニーホール


広上淳一:指揮
NHK交響楽団
ダニエル・ホープ:バイオリン*

ラーション:田園組曲
ブルッフ:バイオリン協奏曲第1番*
ベートーベン:交響曲第7番
------------------
アンコール
ヨハン・パウル・フォン・ウェストフ:バイオリン・ソナタ第3番ニ短調第3曲「鐘の模倣」*
グリーグ:2つの悲しい旋律から「春」

N響定期Bはサントリーが使えないので、4〜6月はNHKホールとミューザで代わりの演奏会。近くて便利で嬉しい。
バイオリンのダニエル・ホープは以前に今日と同じ広上の指揮でブリテンの協奏曲を聴いた。今日もアグレッシヴだったな。

が、ベートーベンの7番ではもやもやとしてしまった。
管楽器は聴き取れる範囲でノーミスか。
弦も繊細かつ重厚な響で文句なし。
だけど、気持ちが入ってゆかない。当方の体調不調も原因しているだろうけど、上質な職人芸の風で面白味なし。

♪2017-066/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-06

2017年4月26日水曜日

みなとみらいアフタヌーンコンサート 2017前期 ≪アニヴァーサリー・チェロ 長谷川陽子≫ デビュー30周年記念チェロ・リサイタル

2017-04-26 @みなとみらいホール


長谷川陽子:チェロ
仲道祐子:ピアノ

ポッパー:ハンガリー狂詩曲 作品68
E・エルガー:愛の挨拶
J.S.バッハ:G線上のアリア
ベートーベン:モーツァルト「魔笛」から
 ”娘か女か”の主題による12の変奏曲
メンデルスゾーン:歌の翼に
ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番から
 プレリュード
ドボルザーク:わが母の教えたまえし歌
ドビュッシー:月の光
リチャード・ロジャース(加藤昌則編):
 サウンド・オブ・ミュージック・メドレー
サン=サーンス:白鳥
ピアソラ:リベルタンゴ
-------------
アンコール
ポッパー:ガヴォット
ゴルターマン:ラ・フォイ

ピアノに仲道祐子を迎えて長谷川陽子30周年記念リサイタル。高校3年生でデビューしたそうだから、現在47歳のはず。でもそうは見えないな。
プログラムは、ソナタなどの大曲はなく、すべてがアンコールピースみたいな馴染みの曲ばかりだったが、それだけに聴いている方はリラックスの極地。温泉に浸かっているような心地良さ。

音楽も良かったが、曲間に長谷川陽子の解説や仲道祐子との回顧談なども親しみを感じさせて好感。

加えて、「音楽は眼で聴く」が持論だが、別の意味でも堪能。
休憩を挟んでドレスのお色直しもあり満員の場内にどよめきが。
これは眼福なり。

♪2017-065/♪みなとみらいホール-18

2017年4月23日日曜日

読響第95回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2017-04-23 @みなとみらいホール


サッシャ・ゲッツェル:指揮
読売日本交響楽団
ユリアンナ・アヴデーエワ:ピアノ*

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 作品16*
ドボルザーク:交響曲第7番ニ短調 作品70
---------------
アンコール
チャイコフスキー:瞑想曲(18の小品 作品72から)*

序曲「魔弾の射手」は出鼻のホルンが崩れて的を外したようだ。しかし、グリーグのピアノ協奏曲は引き締まった。
アヴデーエワのピアノが歯切れよく、オケとの絡みもスリリングで協奏曲の醍醐味を味わう。さすがに前々回のショパンコンクール覇者(女性優勝者はアルゲリッチ依頼45年ぶりだそうな。)の貫禄あり。

グリーグPf協奏曲は超有名曲の割にはナマで聴く機会が少ないが、今日の演奏で初めて「名曲」の所以を素直に納得できた気がする。
初顔合わせのS・ゲッツェルと読響もこの曲辺りから段々噛み合ってきたようだ。

最後のドボルザーク交響曲7番も8番「イギリス」、9番「新世界から」ほどには演奏されず残念だ。しかし、これらに負けず劣らずの名曲だと思う。
番号順で濃厚になるボヘミヤ色がここではまだ薄い分、独墺風の絶対音楽の雰囲気があってブラームスの延長を感じさせる堂々の作風。出鼻を挫いたホルンもここにきて絶好調。分厚い弦の響も相まって読響は今季良いスタートを切った。


♪2017-064/♪みなとみらいホール-17

2017年4月22日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第326回横浜定期演奏会

2017-04-22 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮[首席指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団
真鍋恵子:フルート

ブラームス:悲劇的序曲
ニールセン:フルート協奏曲
ブラームス:交響曲第2番ニ長調 作品73
-------------
アンコール
ブラームス:ハンガリー舞曲第4番嬰ヘ短調

ブラームス「悲劇的序曲」。冒頭の重厚な和音が<管弦楽>アンサンブルの美しさをまず以てアピールした。ホンに響きの良いホールだ。

ニールセン(1865〜1931年)はほとんど聴く機会がない。記憶が怪しいから記録を調べるとほぼ3年前に東響で狂詩曲風序曲「フェロー諸島への幻想の旅」というのを聴いており、20世紀の作家にしては古典風で分かり易いなんて感想を書いていた。今回のフルート協奏曲(1926年)も初めて聴いたが、一応調性も保っていて現代曲にしてはさほどの抵抗はなかった。むしろ物足りないくらいだ。フルートはJ.S.バッハやドップラーなどの古典の名曲を奏でるにふさわしい柔らかな音色はもちろんのこと、荒々しい暴力的な音も出せる楽器なのにのこの曲ではきれいなままで終始した。

ニールセンは19世紀末から20世紀前半に活躍したことになるが、ブラームス(1833〜1897年)と比べると生没年ともにほぼ1世代若いだけだ。30年など短いものだ。その間に文化の骨格、美意識などが目に見える形で変化したとも思えない。すると、ニールセンの音楽に特別な意識を持つのは、誤解の元かもしれないな。

肝心のブラームス交響曲2番は最初から管楽器がもたついて「悲劇的」。せっかくの首席指揮者インキネンを迎えてのブラームスだったが、少なくともこの曲についてはリハーサル不足ではなかったか。管弦音量均衡にも疑問出、全体としてチグハグな印象を拭えなかった。

♪2017-063/♪みなとみらいホール-16

2017年4月20日木曜日

オペラ:モーツァルト「フィガロの結婚」

2017-04-20 @新国立劇場


オペラ:モーツァルト「フィガロの結婚」全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉

指揮:コンスタンティン・トリンクス
演出:アンドレアス・ホモキ
美術:フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳:メヒトヒルト・ザイペル
照明:フランク・エヴァン

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:三澤洋史


アルマヴィーヴァ伯爵:ピエトロ・スパニョーリ
伯爵夫人:アガ・ミコライ
フィガロ:アダム・パルカ
スザンナ:中村恵理
ケルビーノ:ヤナ・クルコヴァ
マルチェッリーナ:竹本節子
バルトロ:久保田真澄
バジリオ:小山陽二郎
ドン・クルツィオ:糸賀修平
アントーニオ:晴雅彦
バルバリーナ:吉原圭子
二人の娘:岩本麻里、小林昌代

今日が初日だが、新国立劇場では2003年にアンドレアス・ホモキの演出で初演。その後、同じバージョンで2、3年おきに再演され、今回が5回目…とプログラムに書いてある。演出が同じなので舞台装置、衣裳なども同じなのだろう。因みに、指揮のトリンクスという人は2003年の初演でも指揮をしているから。

僕は新国立劇場の「フィガロ」は初めてだ。

舞台は周囲を壁・天井に囲まれた大きな部屋。全4幕は基本的にこの形をスザンナの部屋、伯爵夫人の部屋、庭などに見立てる。
この部屋の床・壁・天井はほぼ白一色。
衣裳も白と黒というモノトーンで統一された簡素なデザインだ。

大きな部屋は、劇の進行に伴い回りの壁が引き離される。どうやら、権力の枠組みからの解放を表しているらしいが、一方で床が傾いてゆくのはどういう意味なのかよく分からない。段々安定に向かうならともかく、段々不安定になってゆく。

元々、「フィガロ」は登場人物が多く、筋自体が色恋を巡る騙し合いで分かりにくい上に、今回の演出では白黒で始まった衣裳が終幕では暗い舞台に全員が白の寝間着なので、登場人物の判別が難しかった。

歌手は力演だが伯爵等は愛嬌不足。喜劇性も不足したのは残念だ。どうも舞台美術に懲りすぎてあの陽気なフィガロはどこへ行ったという印象。

もっとも、音楽はもちろんとてもいい。
昨日の「オテロ」と比べるとピットに入ったオケの規模もだいぶ小さいし、「オテロ」のようなダイナミックな音楽ではないが、こちらはもう相当聴き馴染んだものばかりなので気楽に楽しむことができた。

♪2017-062/♪新国立劇場-4

2017年4月19日水曜日

オペラ:ヴェルディ「オテロ」

2017-04-19 @新国立劇場



オペラ:ジュゼッペ・ヴェルディ「オテロ」全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉

指揮:パオロ・カリニャーニ
演出:マリオ・マルトーネ
美術:マルゲリータ・パッリ
衣裳:ウルスラ・パーツァック
照明:川口雅弘
再演演出:菊池裕美子
舞台監督:大澤裕

オテロ⇒カルロ・ヴェントレ
デズデーモナ⇒セレーナ・ファルノッキア
イアーゴ⇒ウラディーミル・ストヤノフ
ロドヴィーコ⇒妻屋秀和
カッシオ⇒与儀巧
エミーリア⇒清水華澄
ロデリーゴ⇒村上敏明
モンターノ⇒伊藤貴之
伝令⇒タン・ジュンボ

序曲無し。
いきなり激しく劇的な大音響の音楽と共に幕が上がるとベネチアの港町。
実際の水を使った運河を含めこの大掛かりな舞台装置は全4幕ほぼ不変。代わりに照明が気分を変える。
大編成の東フィルが迫力の演奏だ。歌手も負けず声量豊か。

今回は2階最前列のど真ん中という最良席。
醜悪が無垢を打ち砕く救いの無い物語に圧倒されるも至福の2時間45分。

♪2017-061/♪新国立劇場-3

2017年4月17日月曜日

東京都交響楽団 第828回 定期演奏会Aシリーズ

2017-04-17 @東京文化会館


アラン・ギルバート:指揮
東京都交響楽団
リーラ・ジョセフォウィッツ:バイオリン*

ラヴェル:バレエ音楽《マ・メール・ロワ》
ジョン・アダムズ:シェヘラザード.2〜バイオリンと管弦楽のための劇的交響曲(2014)(日本初演)*

メインは現代作家J・アダムズの「シェヘラザード.2〜バイオリンと管弦楽のための劇的交響曲」の日本初演。ザワザワした無窮動やミニマル風のオケをバックに独奏Vnが激しく忙しい。
これといった旋律も無く50分は長すぎ。

だが、アンサンブルは上出来。

今季から席を1階前方1/3ほどの舞台近くに変えたが正解だった。
高い音圧の中にも各パートはしっかり聴こえる。都響の巧さがゾクゾクと伝わる。

♪2017-060/♪東京文化会館-08

2017年4月16日日曜日

N響第1858回 定期公演 Aプログラム

2017-04-16 @NHKホール


ファビオ・ルイージ:指揮
NHK交響楽団
ニコライ・ズナイダー:バイオリン*

アイネム:カプリッチョ 作品2(1943)
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲ホ短調 作品64
マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」
------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第2番第3楽章アンダンテ*

F・ルイージがマーラーの1番をN響で振るとどうなるか…。
冒頭は弦が聴こえないくらいの最弱音に微かな木管が乗って好調の滑り出し。が、第2楽章の出だしのリズムに違和感を感じた。
その後も、好意的にはこれがウィーン調かもと思わせる自在なテンポ。しかし聴き慣れない音楽の流れが気になってなかなか入り込めない。

第3楽章冒頭のコントラバスのメロディは、これまで聴いたものは全て独奏だったが、今回はコンバス8本の斉奏だった。これは使用している楽譜の版の違いらしい。1本でも8本でもかまわないけど、ここでも外連味たっぷりの歌わせ方がひっかかる。

つまり、終わってみると、これまでに数え切れないほど聴いたこの曲の僕なりの<常識>を打ち砕くかのような俗っぽさに大いに失望した次第だ。

ルイージの指揮は初めての経験だったが、この人の指揮ぶりはMETのライブビューイングでたくさん聴いているので、なんとなく親しみを感じていたのだけど、思いがけない初体験となった。

また、アンサンブルにも不満あり。
オケはルイージの自在な呼吸と同期するまでには至っていなかったような気がしてならない。
部分的にはこれまで聴こえてこなかった旋律を聴いた気もするが、派手派手しい終楽章、特に終結部の盛上りも気分が乗りきれなかった。

しかし、後からよく考えると、この俗っぽさはむしろマーラーの持ち味かと思えば合点もゆく。これが本来の「巨人」で、僕が過去に何度も聴いてきた「巨人」は少し気取った演奏だったのかもしれない(先月のコバケン+日フィル、今月8日の川瀬賢太郎+神奈川フィルは不満が残ったが、パーヴォのN響お披露目の「巨人」やアンドレス・オロスコ・エストラーダ+hr響などは正統派?の解釈による見事な演奏だった。)。

いずれNHKクラシック音楽館で放送されるだろうからその時は予断を排してルイージ流の「巨人」を確かめたい。

2017-059/♪NHKホール-03

2017年4月15日土曜日

東京・春・音楽祭 《24の前奏曲》シリーズ vol.6 ラフマニノフ〜ボリス・ギルトブルグ

2017-04-15 @東京文化会館


ボリス・ギルトブルグ:ピアノ

ラフマニノフ:24の前奏曲
 前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2《鐘》
 10の前奏曲 作品23
 13の前奏曲 作品32 
---------------
アンコール
スクリャービン:練習曲 作品2-1
ラフマニノフ:音の絵 作品39 No.6
シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集からNo.14

ボリス・ギルトブルグってピアニストのことは名前さえも知らなかったが、プログラムの経歴を読めばあちこちの国際コンクールで受賞歴がある。新しいところでは2013年にエリザベート王妃国際音楽コンクールで1位、ということはまだ売り出し中ということだろう。

珍しくピアノはFAZIOLIだった。
長身から繰り出される打撃音の華やかな事。
弱音では背中を45度畳んで鍵盤を這うようなしなやかさ。

24の前奏曲は、作品としては3つ合わせて24曲だ。
作品3-2は5曲で構成される幻想的小曲集(作品3)の第2曲である前奏曲「鐘」で、作品番号からも分かるように音楽院卒業後間もなく作曲したものだ。
前奏曲集として演奏される場合は多分、今回のように最初に(1番として)演奏されるのだと思う。
「鐘」という表題がついていることや最初に演奏される?こともあってか、24曲中一番有名で、一番聴き馴染んでいる。と言うより、聴いてこれがラフマニノフの前奏曲だと僕が判別できるのはこの「鐘」だけだ。作品23と32の全23曲を完全に通して聴いたのは今回が初めてだった。

やはり、馴染んでいる「鐘」が一番聴き応えがあった。技術的には大して難しくはないようだが、冒頭の暗くて重い打撃音がとても刺激的で、これはFAZIOLIの音質や音量の力強さも手伝っているのだろう。
ピアノは打楽器でもあるなと得心した次第。

余談だが、FAZIOLIは最も高価なピアノらしい。その中で最高級ピアノはF308という機種で日本には1台だけ導入されているそうだ。どこのホールか?
それがなんと人口1万人足らずの福井県美浜町にある生涯学習センター「なびあすホール」という500席弱のホールだというからびっくり。原発交付金などでふんだんにお金をかけることができたのだろう。

♪2017-58/♪東京文化会館-07

2017年4月14日金曜日

東京・春・音楽祭 ブラームスの室内楽 IV 〜竹澤恭子、川本嘉子、ヴァハン・マルディロシアン

2017-04-14 @東京文化会館


バイオリン:竹澤恭子
ビオラ:川本嘉子
ピアノ:ヴァハン・マルディロシアン

ブラームス:
 バイオリン・ソナタ第2番 イ長調 作品100(ビオラ版)
 バイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 作品108
 主題と変奏 二短調 作品18b(ピアノ版)
 ホルン三重奏曲 変ホ長調 作品40(ビオラ版)
---------------
アンコール
グノー&J.S.バッハ:アヴェ・マリア

竹澤恭子Vn、川本嘉子Vla、V・マルディロシアンPfによる全曲ブラームスの変則デュオ&トリオ。

バイオリン・ソナタ第2番は川本編曲によるビオラでの演奏。
同3番は原曲どおり。
主題と変奏は弦楽6重奏1番第2楽章のピアノ版だが、これはブラームス自身の編曲らしい。
ホルン三重奏はホルンの代わりにビオラでという組合せ(ブラームスはこの組合せを認めているそうだ。)。

バイオリン・ソナタをビオラで聴くのは、バイオリンと異なって力強く、これはこれで面白い。しかし、移調はしていないはずだから(すれば、ピアノも移調しなければならないし、そうなるともう別の音楽になってしまう…と思う。)バイオリンの楽譜をビオラで演奏するのは相当難しいのかもしれない。

続くソナタ3番を原曲どおりバイオリンで聴くとやはり、この繊細さが落ち着く。

全曲ブラームスの抑圧された情緒のせめぎあいが寄せては返す。古典の枠内で沸騰する浪漫が魅力。

♪2017-57/♪東京文化会館-06

平成29年度4月中席

2017-04-14 @国立演芸場

落語 三遊亭金の助⇒初天神
落語 瀧川鯉丸⇒かぼちゃ
落語 三遊亭遊雀⇒悋気の独楽
落語 瀧川鯉昇⇒ちりとてちん
漫才 Wモアモア
落語 桂米助⇒落語禁止法
              ~仲入り~ 
落語 桂竹丸⇒西郷隆盛
俗曲 桧山うめ吉
落語 桂歌丸⇒中村仲蔵

歌丸師匠で満席!
瀧川鯉昇は相変わらずうまい。
(物知り自慢の設定が多いが今日は)口の悪い男に腐った豆腐の唐辛子まぶしを台湾みやげの珍品と称して食わせる話。
顔の派手さ大きさを活かして傑作。

中トリ米助の新作?は話が小さくすぼんだ。
うめ吉姐さんは声量不足芸不足。

歌丸師匠の演目は歌舞伎役者の人情噺「中村仲蔵」。
弁当幕と揶揄されていた忠臣蔵五段目に今も続く新工夫を持込んだ仲蔵の芸の苦労話。志ん朝のが好きだが、これ以上枯れようもなくなった歌丸師匠の訥々とした味わいも捨て難い。鼻に酸素チューブを入れたままで高座に上がった姿がますます痛々しいが、声はよく通り滑舌も(前回ほどではなかったが)問題ない。
長生きして欲しいね。

2017-056/♪国立演芸場-07

2017年4月10日月曜日

四月大歌舞伎@歌舞伎座

2017-04-10 @歌舞伎座


近松門左衛門 作
一、傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
土佐将監閑居の場
浮世又平後に土佐又平光起⇒吉右衛門
女房おとく⇒菊之助
狩野雅楽之助⇒又五郎
土佐修理之助⇒錦之助
土佐将監⇒歌六
将監北の方⇒東蔵

二、桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
帯屋
帯屋長右衛門⇒藤十郎
信濃屋娘お半/丁稚長吉⇒壱太郎
義母おとせ⇒吉弥
隠居繁斎⇒寿治郎
弟儀兵衛⇒染五郎
長右衛門女房お絹⇒扇雀

三代猿之助四十八撰の内
三、奴道成寺(やっこどうじょうじ)
白拍子花子実は狂言師左近⇒猿之助
所化⇒尾上右近
同⇒種之助
同⇒米吉
同⇒隼人
同⇒男寅
同⇒龍生(初舞台)

「桂川連理柵」を楽しみにしていたが、結果的には「傾城反魂香」の出来が良くて大いに楽しめた。
絵師又平を演ずる吉右衛門が飄々としておかしい。さりとて軽いのでもなく自然体というのだろうか。演技に筋が通っている様は素人目にも明らかだ。名人というのはこういうのを言うのかと思った。
吃音の又平に代わり女房のおとく(菊之助)が口達者という設定だ。前半は初役のためか、もう少しくだけた明るさがほしいと思ったが、膨大な長台詞を滑舌良くこなして、こちらも巧いものだと感心した。
歌舞伎らしい華やかさは無縁。物語としての面白みにも欠けるが、久しぶりに「芸」を味わう逸品だった。

「桂川連理柵」*は、物語が興味深い。実話に基づくそうだ。あらすじ以下の如し。
帯屋の養子として店を継いだ長右衛門(藤十郎)は、義理の母(吉弥)と義理の弟儀兵衛(染五郎)の悪辣な罠に嵌められる。お金や宝剣の不始末はともかくとして、長右衛門は言い訳できない失敗をした。隣の商家の娘お半(壱太郎)と旅先で情を通じたことがお半から「長さま」に宛てた手紙を盗んだ義理の母子によって追求されることになる。これを賢い女房お絹(扇雀)の機転で「長さま」というのはお半の店の丁稚長吉(壱太郎二役)だと言い、儀兵衛らによって呼び出され詰問される長吉もお絹の目配せや自分の見栄もあって「長さま」はおいらのことだ言い張ることでなんとか切り抜けることはできた。
養父繁斎(寿治郎)もお絹も良くできた人物で、当面の問題は解決できやれやれというところ。
しかし、その夜、お半は密かに寝込んでいた長右衛門を訪ね、死ぬつもりの置き手紙を残して桂川に向かう。それを知った長右衛門も心を決めて後を追う。

芝居としての興味は、85歳の藤十郎が26歳の孫・壱太郎と恋仲を演ずるのが果たしてどんなものか、というところだった。
実話では長右衛門38歳、お半14歳(数え歳!)で、芝居の設定も親子ほど歳が離れているということのようだが、そういう説明があったかどうだか記憶も怪しいが、ともかく、藤十郎と壱太郎が親子どころか祖父と孫という年齢の差が見たとおりなので、非常識なほどの歳の差の男女関係であることには違いない。
そういう男女の機微を藤十郎はお手のものとしても壱太郎にそのお相手が勤まるのだろうかという疑問があった。
ところが、壱太郎は、まずは丁稚の洟垂れ小僧・長吉として登場し、儀兵衛役の染五郎との掛け合いの面白さで、まことに嵌り役だと思わせてくれる。そして愈々終盤に至ってお半として登場すると、洟垂れの悪ガキとのあまりの落差に、これまたピタリと嵌まる。藤十郎との絡みも不自然さはなく、あれれこんなに巧い役者だったのかと認識を新たにした。むしろ、藤十郎の声量が弱々しくて聞き辛かったのが残念だ。

思いのほかと言えば、意地悪い儀兵衛を演じた染五郎のおかしいこと、いや、巧いことにもびっくりだ。上方訛も自然に操っていやはや人気だけでなく実力もあるんだと改めて感じ入ったり。

帰宅後、手持ちのCDで桂枝雀の「胴乱の幸助」を聴く。ああ、この話だったのかと大いに得心した。

「奴道成寺」は、舞台に登場する役者の数は多いが、実質的には猿之助の一人舞台。常磐津、長唄を伴奏にした舞踊劇だ。華やかなものだったが、この面白さを味わうには僕の素養が大いに不足している。

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*オリジナルである人形浄瑠璃(文楽)では全5段構成だが、完全通して演じられるのかどうか不知。歌舞伎では現在ではその最後の「帯屋」の段しか演じられなくなったようだ。なので、宝剣政宗を盗んだ犯人やお半から長右衛門宛の手紙をどうして儀兵衛が入手したのかなどは説明されないし、お半が一夜の契りであったにも関わらず妊娠していることも、なぜ旅先で長右衛門と深い仲になったのかも、長右衛門がお半の後を追って桂川に行く因縁話も説明されない。
全段の話は実に面白く良くできているように思うが「帯屋」だけではその面白さが伝わらないのは実に残念だ。

♪2017-055/♪歌舞伎座-02

2017年4月8日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第328回

2017-04-08 @みなとみらいホール


川瀬賢太郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

サロネン:フォーリン・ボディース
マーラー:交響曲第1番「巨人」

第1曲のサロネンと言うのは正しくはエサ=ペッカ・サロネンで、本来は指揮者として活躍している。同郷のフィンランド出身でユッカ・ペッカ・サラステという指揮者もいて時々ごっちゃになる
サロネンの方は作曲もするそうで、今日の「フォーリン・ボディース」がサロネンの作品だ。
何しろ同時代の人の作品であるから当然に超現代音楽だ。ミニマル系といえるのではないか。同じリズムが繰り返されるが単調さを補うために時々奇妙奇天烈な音が紛れ込んだりして聴き手を飽きさせないが、感動にも程遠い。
それでも、アンサンブルは綺麗にまとまって、常任指揮者4年目に入る川瀬賢太郎もだいぶオケの団員の心に深く分け入ったか、ガバナビリティが向上してきたやに見える。

しかし、マーラーの交響曲第1番はお粗末だった。
川瀬賢太郎のせいではあるまい。少しは指揮者にも責任があるが。冒頭の弦の最弱音は非常に美しかった。そこにまずはフルートが入ってくるがこの音が大きすぎる。さらに加わる木管のタイミングがずれている。愈々ホルンが入るとここも危なっかしい。
アキレスほど立派じゃないけど、神奈川フィルのアキレスの腱はホルンだ。せっかくの熱演も下手なホルンがぶち壊すことが少なくない。

特に終楽章は、これだけで20分を超えるので緻密な構成力で緊張を維持してほしいが、金管のミスが耳についたこともあって、気持ちが集中できない。オケそのものが、いや、指揮者自身が緊張の糸を切らさなかったろうか。

「巨人」は先月、日フィルで聴いたばかり。今月のN響定期も「巨人」だ。頻繁に聴く曲だけに、ちょっとやそっとでは満足できないようになっているのかもしれないけど。

♪2017-054/♪みなとみらいホール-15

2017年4月7日金曜日

小ホール・オペラシリーズ 気軽にオペラ!「ラ・ボエーム」(全4幕・イタリア語上演日本語字幕付き)

2017-04-07 @みなとみらいホール


プッチーニ作曲オペラ「ラ・ボエーム」(全4幕・イタリア語上演日本語字幕付き)

指揮:田島亘祥
演出:今井伸昭
ピアノ:朴令鈴

ミミ:新垣有希子(ソプラノ)
ロドルフォ:大川信之(テノール)
ムゼッタ:鈴木玲奈(ソプラノ)
マルチェロ:門間信樹(バリトン)
ショナール: 泉良平(バリトン)
コッリーネ:田中大揮(バス)
ベノア・アルチンドロ:志村文彦(バス)

今年はたまたまだけど、「ラ・ボエーム」を2回観ることになった。6月の日生劇場公演は劇場も好きだし、ミミ役が砂川涼子だというのも楽しみ(N響カルメンでミカエラを好演した。)。

今日のみなとみらいホール恒例の「気軽にオペラ!」シリーズも「ラ・ボエーム」で、日生劇場版の予習としてもこういうタイミングで上演されるのは嬉しい。

METなどの録画ディスクを何種類か持っているが、今回改めて早送りしながら観直した。というのも演出によって、ミミの性格がだいぶ変わる。

MET版<ミミ役アンジェラ・ゲオルギウ>では、初めてロドルフォの部屋を訪ねた際に、ミミが部屋の鍵を失くしたのは故意ではなさそうだが、ろうそくは自分で吹き消している。
映画版<アンナ・ネトレプコ>と藤原歌劇団<砂川涼子>公演では、鍵は脱力状態で落としてしまった。ろうそくも風で自然に消えたらしい。
つまり、お針子ミミの娼婦性を隠そうとしないのがMET版で、その他は隠してある。
この違いは物語全体を考える時に無視できない要素だと思うが、では、「気軽にオペラ!」ではどう演出し演じられたかというポイントをすっかり外してしまった。

♪2017-53/♪みなとみらいホール-14

2017年4月6日木曜日

劇団四季ミュージカル オペラ座の怪人

2017-04-06 @神奈川芸術劇場


ガストン・ルルー原作
アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲
「オペラ座の怪人」

オペラ座の怪人: 佐野正幸      
クリスティーヌ・ダーエ: 山本紗衣      
ラウル・シャニュイ子爵: 神永東吾      
カルロッタ・ジュディチェルリ:河村彩      
メグ・ジリー: 小川美緒      
マダム・ジリー: 早水小夜子      
ムッシュー・アンドレ: 増田守人      
ムッシュー・フィルマン: 平良交一      
ウバルド・ピアンジ: 永井崇多宏      
ジョセフ・ブケー: 橋元聖地
劇団四季04/03発表の「週間キャスト」による。


耳タコの美しいメロディー、工夫を凝らした豪華な舞台、明瞭な音声、効果的な照明…と四季らしく完成度が高い。
劇伴音楽は録音(昔の日生劇場、最近のジーザス等)だと思っていたが、なんとピットに生オケが入っていてこれは嬉しかったね。みんな上手。

帰宅後にロンドン版25周年記念公演のビデオを早送りでザーッと復習がてら観たが、なんと、四季版は舞台も衣装も演出もほぼロンドン版の完全コピーではないか。
上演権を買うということは演出・美術なども同じであることが求められるのだろうか。ジーザスの場合は和風版もあったが。
ま、だからといってつまらないという訳ではない。下手な「新演出」でオリジナルの良さを台無しにすることはあるからなあ。

♪2017-52/♪神奈川芸術劇場-02

2017年4月4日火曜日

東京・春・音楽祭 『ニーベルングの指環』第3日 ≪神々の黄昏≫ (演奏会形式/字幕・映像付)

2017-04-04 @東京文化会館


ワーグナー:舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第3日《神々の黄昏》
(全3幕/ドイツ語上演)

マレク・ヤノフスキ:指揮
NHK交響楽団
ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
映像:田尾下哲

ジークフリート:アーノルド・ベズイエン
グンター:マルクス・アイヒェ
ハーゲン:アイン・アンガー
アルベリヒ:トマス・コニエチュニー
ブリュンヒルデ:クリスティアーネ・リボール
グートルーネ:レジーネ・ハングラー
ヴァルトラウテ:エリーザベト・クールマン
第1のノルン:金子美香
第2のノルン: 秋本悠希
第3のノルン:藤谷佳奈枝
ヴォークリンデ:小川里美
ヴェルグンデ:秋本悠希
フロースヒルデ:金子美香

「指環」全4作の完結編だ。今日のは≪演奏会形式≫(といっても超大型スクリーンに背景映像が投影されるので、単なる演奏会を超えてオペラ<楽劇>らしさはそれなりに表現される。)。

新国立劇場での≪本物≫シリーズは今年6月に「ジークフリート」、10月に「神々の黄昏」で完結する。いずれもチケットは購入済みなので今日の演奏会形式は恰好の予習を兼ねた。

しかし、今回の大役というべきジークフリートを演ずる歌手(ロバート・ディーン・スミス)が急な体調不良で急遽アーノルド・ベズイエンなる歌手に交代したそうだ。そもそもどちらの歌手も知らない人なので、知らされなければ急の代打とは思わなかったろう。素人の目にも耳には4月にも見事な歌唱だったと思う。

さて、好きとはいえ休憩込みで5時間20分という超長尺は老体に堪えるが、終盤に本篇随一の聴かせどころ「ジークフリート葬送行進曲」ではやはりの絶頂感。そしてテーマの普遍性を再確認した。

歌手たちも、N響も文句の言いようがない素晴らしさだったし、大勢の演奏陣を長時間束ねて緊張度の高い音楽を構成したヤノフスキの功績も大なるものがあるのだろうが、何より、ワーグナーはよくぞ「指環」を遺してくれたと感謝の念が沸々と湧いてきたよ。

♪2017-51/♪東京文化会館-05