2015年11月29日日曜日

プロースト交響楽団 第22回定期演奏会

2015-11-29 @ミューザ川崎シンフォニーホール


栁澤寿男:指揮

梯剛之:ピアノ*
横山桂:チェロ**
プロースト交響楽団

ブラームス/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83*
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」**
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アンコール
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K397*


プロースト交響楽団はアマチュアだ。初めて聞く名前。
首都圏の大学オケのOBが主体らしい。年2回定期演奏会を開いている。近年はミューザやみなとみらいホールを舞台にしているというのにその存在に気が付かなかったなあ。

なぜ、聴きに行ったのか?

横響(横浜交響楽団)以外のアマオケを久しく聴いていないので、<アマオケ>のレベルを確かめたかった。
アマチュアであるにせよマーラーの「巨人」はやはりナマで聴くべき音楽だ。これが聴けるのは良い機会だ。
ミューザでアマオケがどう響くのだろう?
そもそも「巨人」を演奏するにふさわしい実力があるのか?

そんな興味やお手並み拝見といった<上から目線>で出かけたが…(指揮者とソリストは言うまでもなくプロである。)。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は一昨日神奈川フィルで聴いたばかり。
最初にホルン、後を追ってピアノの超低域からのアルペジオが2回繰り返されて木管、弦と厚みを増してゆく。この冒頭で破綻するプロオケもあるが(ホルンがヘマをする)、ここは上手に乗り切って快調な出だし。
その後も管楽器にやや惜しまれる部分はあったけど実にうまい。
とりわけ弦の綺麗なこと。

どうして?

アマチュアとも思えないほどきれいな音色だ。この日の1回だけを聴く限り横響(も前回は素晴らしかったが)よりまとまりがいい。良い響だ。

マーラーも同様だった。
弦楽器は少々失敗してもソロでもない限りかき消されてしまうから目立たない。
管楽器はどうしても失敗が目立ってしまうのが気の毒でもあるが、全体としてとても優秀だと思った(音大のオケにはかなわないけど。ま、当然だろう。)。

このアンサンブルの美しさは、ひょっとしてミューザという極上のホールも手伝っているに違いない。

横響はもっぱら音楽堂(年8回の定期のうち「第九」だけ県民ホール)だ。音楽堂は残響でごまかしの聴かないホールだけに実力がそのまま出てしまう。
横響がミューザで演奏するのを是非とも聴いてみたい。一皮むけたように上手に聴こえるのではないだろうか。

ブラームスは、テンポが全体として遅めに感じたが、終わってみるとほぼ50分で標準的な長さだった。


梯剛之(かけはし・たけし)氏の演奏をナマで聴くのは初めて。
生後1ヶ月で失明したそうだが、全盲なのかどうか分からない。ニュース記事では「全盲の~」と書いてあるのもあるからそうなのかもしれない。
辻井くんの場合と同様に指揮者が見えないのだから、どうやって音楽の流れを掴むのだろうと思うけど、全神経が目になり耳になっているのだろう。

ただ、ブラームスの第4楽章の入りはピアノとビオラが同時なので、一体どうやって合わせたんだろうと思った。指揮者の動きが伝わってくるのだろうか。

ピアノの音が実に気持ち良い。
辻井くんの時にも感じたのだけど、ピアノの音の抜けがいい。
辻井くんの時は1階5列目?という場所であったが、今回は3階(第4層)なので距離がある分マイルドに伝わるけれど、やはりカーンという感じのスッキリした音だ。

みなとみらいホールは大ホールでも小ホールでもピアノの音は席によって音の大きさは異なっても種類は同じように聴こえる。
迫力はあるが抜けの良い音ではない。低音の重音などは音の塊として攻撃的に響いてくるが、ミューザの音はピアノのすぐそばで聴いているような原音を残した感じの澄んだ音だ。
ポタージュスープとコンソメスープの違いかな。

と、前に思ったことを今回再確認したのだけど、違うだろうか。

マーラーも上出来だった。部分的にはプロのような響だし、ピッチも揃って濁りは少ない。
これは前述のようにミューザの音響の良さに助けられている部分もあるだろうが、それを言えばプロだって同じということだ。

今回、ミューザの音響設計ポリシーのようなものをちょっと感じた。
還暦を迎えた県立音楽堂の音響との違いは根本的な思想の違いによると思う(良し悪しではなく時代の好みを反映しているのだろう)が、みなとみらいホールとの違いは思想の違いによるのか、偶々そうなっただけなのか、興味深い。


♪2015-120/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24

2015年11月28日土曜日

読売日本交響楽団第181回東京芸術劇場マチネーシリーズ

2015-11-28 @東京芸術劇場大ホール


オスモ・ヴァンスカ:指揮

エリナ・ヴァハラ:バイオリン*
読売日本交響楽団

シベリウス:「カレリア」組曲 作品11
シベリウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品47*
シベリウス:交響曲第1番ホ短調 作品39
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第2番からサラバンド*


5年ぶりの芸術劇場だった。
横浜から池袋は遠いというイメージがあったが、東横線と副都心線が乗り入れするようになったので非常に楽ちんになった。

時間帯にもよるだろうけど、日曜日の19時着という条件で普段良く行く都内のコンサートホールを調べてみたらドア・トゥ・ドアで、サントリー・ホールが55分と一番時間がかかり(これは溜池山王からの歩く時間が長いからだ。)、芸術劇場は1分違いでその次。NHKホール、がまた1分違い。文化会館がそのまた1分違いと、つまりは団子状態で有意差はないということが分かった。

芸術劇場に対しては<遠い>という先入観を改めなくてはいけない。

全く知らなかったが5年も行かなかった間に改修工事が行われていた。

評判の悪かった1階ロビーから5階に直行する長いエレベーターはL字型になって踊り場が儲けられていた。

オーディトリアムの中も改修されているそうだが、2階席を増やし、舞台を座席側に拡幅したらしい。

その他諸々の改修が2012年9月に終わってまだ3年ちょっとしか経っていないので、どこもとてもきれいだ。

JR池袋駅からもとても近いけど、地下鉄ではC8出口を出ればもう建物が見えているという便利さ。







生誕150年(12月8日生まれだ)ということで、シベリウスは例年になく演奏=聴く機会が多い。
この日はオール・シベリウスプログラムだ。

指揮者のオスモ・ヴァンスカはフィンランド人。
独奏バイオリンのエリナ・ヴァハラはアメリカ生まれのフィンランド育ち(フィンランド人らしい)ということだから、彼らによるかなり濃密なシベリウスが演奏されるのかなとも思ったが、そのところはよく分からなかった。
まあ、生粋を揃えられたので揃えてみたという程度のことではないのかな。日本人指揮者であってもさほど演奏に変わりがあるとも思えないけど。

読響にがっかりすることはこれまで一度もなかった。
今回もがっかりはしなかった。
けど、どうもみなとみらいホールやサントリーホールで聴く読響サウンドとは違って聴こえてしようがなかった。本当に読響だろうか?と言えば大げさだけど、薄いベールが掛かったような、遠くで鳴っているような(現に3階の中腹席なので遠いといえば遠いけど、音の性質が変わるはずもない。)感じで、ずっと違和感を払拭できなかった。
バイオリンのソロもちゃんときれいに聴こえるのだけど、管楽器を含め、音にきらめきのようなものが感じられなかった。


これはホールの音響効果のせいだろうか。
もう少し近距離で聴けば違ったとは思うが。

我が家からはサントリー・ホールより1分近い!ということで、これからも機会があれば芸術劇場で聴いてみよう。


♪2015-119/♪東京芸術劇場大ホール-1

2015年11月27日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第314回 コルンゴルト、ウィーンからの新たな風

2015-11-27 @みなとみらいホール



サッシャ・ゲッツェル:指揮

ゲルハルト・オピッツ:ピアノ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番Op.83
コルンゴルト:シンフォニエッタOp.5
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アンコール(管弦楽)
ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ「雷鳴と稲妻」 作品324

今回のテーマは「ウィーンからの風」だそうな。
首席客演指揮者のサッシャ・ゲッツェルはウィーン生まれ。
ピアノのゲルハルト・オピッツはドイツ・ピアノ界の正統派だそうで、まあ、音楽の素地はウィーンの親戚みたいなものか。
ブラームスは言うまでもなくドイツの3Bの一翼を担うドイツ人だが、ベートーベン同様ウィーンで活躍した。
コルンゴルトは今で言うチェコ生まれで、やはりウィーンでも活躍したらしいが、この人についてはむしろ活躍の場はハリウッドだったかも。

何やら、ウィーンで統一するには少し無理のある組合せで、モーツァルトやシューベルト、ヨハン・シュトラウスなどを組んだらまさしくウィーンの風が吹いたろうに。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は強固な城郭然とした堂々の大曲だ。聴き応えがある。しかし、今日も神奈川フィルはホルンを始め金管に不安要素を抱えたままこの大海に乗り出した。

ところどころ小座礁しながら港には着いたが、出来はイマイチ。
ピアノは良かった。

ゲルハルト・オピッツは、体型から一層指が太短く見えるのだけど、その指はほとんど鍵盤に向かって突き立てることがなく、まるで鍵盤の上を雑巾がけでもしているような動きだ。
力みがまるでなく感情を込めるといった様子もなく、淡々と職人芸を聴かせるといったふうだ。

この曲は、カデンツァがなく、華麗なテクニックを見せることもないが、ラフマニノフの第3番と並んでピアノ協奏曲の最難曲とされているそうだ。
それだけに雑巾がけスタイルでこともなげに弾きこなすゲルハルト・オピッツが余計に頼もしく思えてくる。
オケが、特に管に安心感があれば堂々のコンチェルトだったのに惜しかった。

コルンゴルトはモーツァルトの再来と言われるほど早熟の天才だったそうだ。
「シンフォニエッタ」は作品番号からも若作りという検討はつくが、なんと15歳の少年時代の作だ。管弦楽作品としては2曲めだという。

「シンフォニエッタ」は「小さな交響曲」というくらいの意味だが、全4楽章で40分を超える大作だ。オケの規模もマーラーほどではないにしても大きい。

少年が、仕事で作曲した訳ではない。勉強か遊びで作ってみたというところだろう。そんな作品をありがたがって聴いてられるか、というような反発心も感じたよ。若いなあ。

ま、初めての作品だ。とりあえず聴いてみる。
冒頭のメロディが歌いやすい調子で始まるものの一捻りしてある。15歳がこんなメロディを思いつくのか、と少し驚く。
次から次へと楽想が繋がって出てきて休む間もない。
拒否感を覚えるような超現代風ではなく、後期ロマン派だと言われたらそうか、と思うような、新しさと古さが同居して居心地の悪いような印象であったが、これは初めて聴いたのだからそんなものかもしれない。

どこがウィーンの風か分からないままだったな…と思っていたら、アンコールでヨハン・シュトラウスⅡ「雷鳴と稲妻」でようやくウィーンぽく治まった。


♪2015-118/♪みなとみらいホール-36

2015年11月26日木曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.72 児玉桃&ゴーティエ・カプソン ~フランスの風薫るデュオリサイタル~

2015-11-26 @みなとみらいホール


児玉桃:ピアノ
ゴーティエ・カプソン:チェロ

ドビュッシー:チェロ・ソナタ ニ短調
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番 ホ短調 Op.38
サン=サーンス:「動物の謝肉祭」より"白鳥" 


ドビュッシーというと牧神の午後~とか交響詩「海」といった管弦楽作品や「映像」、「版画」、「ベルガマスク組曲」などのピアノ曲を思い出すが、室内楽はピンと来ない。
でもチェロソナタやバイオリンソナタを作曲していることは、たまにCDを聴くから知っていたけど、しっかりと聴いたこともないので、初耳のようなものだった。

ぼんやり聴いていたら、気が付いたら終わっていた。
何しろ、3楽章と言いながら2-3楽章はつながっている(アタッカ)ので実質2楽章のようなもので全部で10分強の長さだ。

チェロのいろんな奏法が用いられており、演奏難度は高いようだ。
しかし、これといって盛り上がりもないままに終曲する。

このドビュッシー唯一のチェロソナタの完成が1915年で、16年~17年(死の前年)にかけて作曲された同じく唯一のバイオリンソナタも同じような曲調で、既に病状が思わしくなかったようだから、全体として重苦しく、晴れやかな感じはFinaleに至ってもない。
既に癌を患っており、この曲の完成後2年ほどで亡くなるが、そういう事情も背負っていたのかもしれない。
チェロの高度なテクニックを聴かせるのが主眼の作品ではないか。

ドビュッシーに比べるとブラームスのチェロ・ソナタはずいぶん分かりやすい。まあ、自分がこの曲に馴染んでいるからでもあるけど。暗くて重いけどロマンティックな香りも残した冒頭のメロディーがきれいだ。
全3楽章とも短調(ホーイーホ)だ。せめて第2楽章の三部形式のいずれかのパートを長調にすれば変化が出て他のマイナー部分の哀愁が一層引き立ったろうに。と考えるのは素人の思いつきなのだろうな。
第3楽章はピアノの旋律をチェロが追いかけて始まる(フーガ)。両者のからみ合いが面白い。


チェロのゴーティエ・カプソン。1981年生まれのフランス人。アントニオ・バンデラスを若くしたような男前だ。
コンクール入賞歴多数。世界中の一流オケと共演をしている。
相当な腕前なのだろうが、印象に遺ったことが二つ。
一つはエンドピンの長いこと!
1mくらい伸ばしていたのではないか。
もう一つは、楽器の音が素晴らしくよく通る。良く鳴るのだ。
みなとみらいホールの大ホールでチェロの独奏を聴くのは数知れずだが、こんなに明瞭できれいな音を聴くのは初めてだ。

もっといろんなタイプの音楽を聴きたかったな。

使用楽器は1701年製のマッテオ・ゴフリラーだそうな。
チェロに限らず弦楽器の銘器といえばストラディヴァリウスやアマティ(のチェロがあるか知らないけど)が有名だが、このゴフリラーを愛用する名人も多いようだ。
カザルス、フルニエ、シュタルケル、ヨーヨー・マ、マリア・クレーゲルそれに長谷川陽子など。

もちろん、個体差もあるだろうけど、今日のゴティエ・カプソンの音が素晴らしかったのは、腕もあるだろうが、やはりゴフリラーの素晴らしさに由来しているのだろう。


♪2015-116/♪みなとみらいホール-34

第69回全日本学生音楽コンクール全国大会in横浜 ピアノ部門高校の部

2015-11-26 @みなとみらいホール


地方予選を勝ち抜いてきた高校生13人

ピアノ部門高校の部入賞者

第1位 尼子裕貴(あまこ・ゆうき)
第2位 平間今日志郎(ひらま・きょうしろう)
第3位 大野志門(おおの・しもん)
第3位 波田紗也歌(はだ・さやか)
横浜市民賞 平間今日志郎(さなだ・たいせい)


全日本学生コンクールの全国大会がみなとみらいホールで開催されるようになったのが2007年の第61回大会からで、その時から、コンクールの顕彰1~3位とは別に、聴衆賞である「横浜市民賞が」各部門毎に1人、贈られることになった。
それを選定するのが、横浜市民賞選定員だ。各部門は20名程度。多数の部門を兼ねることも可能だ。

選定員になるには何の資格も不要(横浜市在住が条件だったかも。)で、なりたいものが手を上げて応募し、年齢層や性別、地域などのバランスはとっているのかもしれないが、詳しいことは分からない。その上で、多数の場合は多分抽選だろう。
まあ、音楽好きで暇のあるものでないと勤まらないが、僕は今年で4年連続して応募し、選定員になっているのだから、大した競争率ではないらしい。

以前は複数の部門を担当したが、今年はピアノ部門高校の部だけになった。他の予定と重なって参加できなかった。特にフルート部門は過去3年間ずっと聴いてきていたので是非とも参加したかったが残念だった。

ピアノとバイオリン部門は、小学校~中学校~高校の部に分かれており、フルートは中学校~高校、声楽は高校~大学に分かれている。
全国大会であるから地方予選を勝ち抜いてきた子どもたちばかりだけど、同じ部門に毎年参加する(参加できる実力を持っているということだが)子供もいて、選定員として連続参加していると、顔なじみもできて、心の中では応援したくなる。

ま、そういう事情で選ぶ訳ではないのであって、「演奏に感動したこと。もう一度聴きたいと思ったこと」というのが基準だと説明されているが、これはとても曖昧で、実際は選ぶとなると非常に難しい。
しかし、全員の演奏を聴き終えて(今回は13人)、各自1票を投ずるのだが、主観的な基準ではあっても投票結果を見ると、必ずしも自分の選択した子供が選ばれなかったとしても、なるほど彼も良かったなというところに落ち着くのが面白い。

今回は、いやいつもだけど、真剣に聴いた。
大げさに言えば、自分の音楽性が試されているようなものだった。

高校生ともなると、技術的には完璧に聴こえる。
ピアノ部門だけに限っても、中村紘子、野島稔、小山実稚恵、仲道祐子、横山幸雄などを輩出しているのだから、音楽表現においてもレベルの高さは素人好事家である選定員を遥かに上回っているはずで、ここで、感動の素を手繰り当てるのは、やはり自分の精神力を集中して彼らの音楽を聴き取らなくてはいけない。
これは容易なことではない。



今年は、技術ではなく、子どもたちがどのように自分の音楽を構成しようとしているのか、について考えるようにした。

それでも難しく、13人のリストに自分なりの点数をつけてゆくのだけど、書いては消し、次の演奏を聴くと遡って点を付け直したりで、容易なことではなかった。

しかし、幸いなことに最終的には迷いもなく一人に絞ることができた。もちろん、その子に投票したが、選定員の全体の投票結果とは異なった。でも、その多数決の結果にも同意できるものではあった。
みんな、よく聴いているなと思った。

さて、選定員の仕事が終わるとほぼ半日の缶詰状態から開放され帰ってもいいのだけど、やはり、本審査の結果が気になる。
発表されるまで少しの間だけど、出演者やその保護者たちと一緒にロビーで待った。

待ったかいがあった。
専門家審査員の選んだ結果、1位になったのは、僕が選んだ子だった。ああ、間違っていなかったな、と思い、嬉しかった。


子どもたちの演奏を聴きながら、今日は、音楽の聴き方や表現についてじっくり考えさせられた。良い勉強になった。


♪2015-117/♪みなとみらいホール-36

2015年11月23日月曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第112回

2015-11-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮

エマニュエル・アックス:ピアノ*
東京交響楽団

リゲティ:ポエム・サンフォニック ~100台のメトロノームのための

J.S.バッハ/ストコフスキー編:甘き死よ来たれ BWV478

R.シュトラウス:ブルレスケ ニ短調 ~ピアノと管弦楽のための*

ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番 イ長調 作品141
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アンコール
ブラームス:間奏曲イ長調 作品118-2*

リゲティの曲をコンサートで聴くのはこれで3回目かな。
2006年に没した現代の作曲家だ。
実験的な作品が多い…かどうか知らないが聴くのはそういう作品ばかり。

調性のない音楽はどうしても好きになれない。
なのに、今日の作品は楽音すらない。雑音の集合だ。

100台のメトロノームのテンポを舞台に並べ、すべてのテンポを異にして稼働する。この作業は開場前に行われるので、観客はガシャガシャとでたらめな変動するリズム音が鳴っている中を入場することになる。
機械式のメトロノームだからネジが切れやがて1台、また1台と止まってゆく。
開演時刻に近づくと、暗がりの中、楽団員が音を立てないようにそっと楽器を持って舞台に登場し、最後は指揮者も登場するが、まだ何台かのメトロノームがバラバラのリズムを刻んでいる。
最後の1台が息絶えた時、舞台が明るくなってバッハが始まった。

珍しい経験をしたが、アホらしさは払拭できない。
こんなものは音楽ではない。現代アートなるものはたいていそうだが、意表を突くだけにすぎない。


バッハの「甘き死よ来たれ」はシェメッリ賛美歌集の中の1曲で、ストコフスキーが管弦楽に編曲したものだ。
編曲のせいか、あまりバッハらしさは感じなかったが、同賛美歌集(全954篇)の中で確実にJ.S.バッハが作曲したと認められている3曲の中に含まれているというのだから、間違いはないのだろう。耳に優しいきれいな曲だ。リゲティのつまらないメトロノームの雑音を聴いた後だから余計に心に染みる。ま、そういう効果を狙った選曲だったのかもしれない。

「ブルレスケ」は単一楽章のピアノ協奏曲だが、ティンパニーも大いに活躍するのでピアノとティンパニーのための協奏曲と名付けても良かったかも。
チャイコのピアノ協奏曲が難しすぎて弾けないと拒否したピアニストに代わって初演を引き受けたハンス・フォン・ビューローが、R・シュトラウスからこの曲の演奏を頼まれた際には手に余るといって断ったそうだから相当な難曲らしい。
かなり喧しい音楽ではある。バッハと好対照。

ショスタコの最後の交響曲は、CDは持っていないし、ナマはもちろん放送を含め聴いたことがなかった。
第1楽章はなぜか、ウィリアム・テル(ショスタコはこの曲が子供の頃好きだった、と解説にあった。)の有名な旋律をほとんどそのままに取り入れていている。まあ、調子の良い音楽だ。
第4楽章にはワーグナー、グリンカ、ハイドンの旋律が取り込まれ、自身の作品の引用も多いそうだが、冒頭部分のワーグナーしか聴き取れなかった。
この作品は、ほとんど、ショスタコの終活作品のようである。

今日の東響は金管セクションが少し濁っていたように思う。いつもはきれいなアンサンブルを聴かせてくれるのだけど、僕の精神状態がおかしかったのかもしれない。


♪2015-115/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23

2015年11月16日月曜日

NHK音楽祭2015 極上のオーケストラサウンド -真価を発揮する指揮者たち- hr交響楽団演奏会

2015-11-16 @NHKホール



アンドレス・オロスコ・エストラーダ:指揮

五嶋龍:バイオリン*
hr交響楽団(旧称フランクフルト放送交響楽団)

ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲
チャイコフスキー:バイオリン協奏曲 ニ長調 作品35*
マーラー:交響曲 第1番 ニ長調「巨人」
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アンコール
イザイ:無伴奏バイオリンソナタ第2番から第1楽章*
ブラームス:ハンガリー舞曲第6番 ニ長調(管弦楽版)


チケット購入に逡巡したために、ちょっと不安な席(1階Rブロック前から5列目内側)しか買えなかったので、音は期待できないな、と覚悟して出かけたが、もう第一声から頼もしい響が聴こえてきて安心した。

「オイリアンテ」ではまだ腕鳴らしみたいなものか、音の響きも最初はモヤッとしていたけど、は徐々に輪郭線が決まり輝きを増していった。これでもう気持ちは掴まれて前向きの姿勢で音楽を楽しむことができるようになる。

hr交響楽団という名前に覚えはなかったが旧称フランクフルト放送交響楽団といえば、若い頃はFM放送でよく聴いたオーケストラだ。2005年にhessischen・rundfunk(ヘッセン州・ラジオ)のイニシャルに改称したという。

旧称時代から、世界のトップレベルとまではいかないとしてもドイツの名門オケであったことは間違いないだろう。
指揮者インバルが残したCDマーラー交響曲全集は名盤の誉れが高い。
脱線するが、Amazon MusicではPrime会員用には無料で多くの音楽をストリーミング再生できる仕組みを作っているが、このインバル+フランクフルト交響楽団のマーラー交響曲全集も無料で聴くことができる。


チャイコフスキーで登場した五嶋龍は最近「題名のない音楽会」の司会に就任したが、まだ若いのだから余計なことをせずに演奏に専念すればいいのにと思うが、才能が有り余っているのかもしれない。
巧いとか上手とかの判断は付けかねるが、もちろん、大変な技量を持っているように見える(プロはたいていそう見えるし、聴こえる)し、<演奏>を<見せる>芸も達者だ。ここぞという場面での歌舞伎役者が見得を切るようなオーバーアクションも、彼くらいのカリスマ性があれば嫌味も通り越えてゆく。

<以下の写真は後日クラシック音楽館で放映されたもの>

五嶋龍の渾身の熱演も良かったが、やはり、オケが素晴らしい。ナマでも何度となく聴いている曲が、今回は、僕の中で新しく甦った気がした。ソロとオケとの終盤の激しいやり取りなどを聴きながら、チャイコフスキーが実に精緻なオーケストレーションを構築しているの感じた。

チャイコフスキーが終わった時点で、もう大満足で、この先にまだマーラーの「巨人」が待っているなんて、なんという幸福なことかと思った。


そして、大きな期待に存分に応えた演奏だった。
弦の響の透明さと粒立ちの良さは、やはり、普段聴いているオケとは残念ながら次元が違うような気がした。
そして管楽器もなんてうまいのだ。
ホルンなど7本も繰り出して作る和音のきっちりと噛み合った鮮やかさも、これはめったに聴けるものではないと思った。


どの楽章も心地よい。
どのパートも心憎い巧さだが、例えば、第3楽章のコントラバスのソロもこんなにピタッと音程が正確で全く崩れないのはすごいな。

ラストの1分強。
盛り上がった中で、ホルンは全員が立ち上がって(マーラーの指示らしいが)、ファンファーレ?を強奏する。
僕の席からも立っているのが分かったが、この視覚効果も手伝ってか、気分はいやが上にも高揚し、絶頂を迎え、狂奔のうちに終曲した。もっと続いて欲しいようでもあり、これ以上続くと身が持たんかなという風でもあった。


磨き抜かれた管弦楽の響と技を以って、マーラーをこうも格調高く、情熱的に演奏されては、長年保ってきたマーラーへの距離感が一挙に埋められてしまった思いだ。

やはり、オーケストラ曲としての面白味を満載したマーラーの交響曲は、素直に楽しむに限るか。
でも、今後もいろんなオケで巨人のみならずいろんな作品を聴くだろうけど、今回を超えるものが当分期待できないのがさびしくもある。

hr交響楽団首席指揮者のエストラーダの前任が今季からN響の首席指揮者に就任したパーヴォ・ヤルヴィで、エストラーダが首席指揮者を務めていたウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の後任が「題名のない音楽会」で司会をしていた佐渡裕であり、同番組の佐渡裕の後を継いだのが五嶋龍という関係が今日のNHKホールに凝縮していたのが偶然とはいえ面白かった。

♪2015-114/♪NHKホール-12

2015年11月15日日曜日

N響第1820回 定期公演 Aプログラム

2015-11-15 @NHKホール


ディエゴ・マティウス:指揮

ケイト・ロイヤル:ソプラノ
NHK交響楽団

マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調-アダージェット
マーラー:リュッケルトによる5つの歌
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64

指揮のディエゴ・マティウスはまだ31歳だ。
彼の3歳上のグスターボ・ドゥダメルと同じくベネズエラの出身で、同じくエル・システマという国家的音楽教育システムの出身だそうだ。
3年近く前にN響を振ったことがあるらしいが、定期演奏会ではなかったようで、今回がN響定期のデビューになった。

終演とともに客席に上がった大きな歓声と拍手は、終わったばかりの演奏に対するものもあるがそれ以上に観客のN響へようこそという歓迎の気持ちの現れだったように思う。

マーラーのアダージェットを単独で聴いたのは初めてだ。弦楽5部のほかハープが1台という編成だが、ここではあまり弦の美しさを感じなかった。
最近、僕はとても弦の音にこだわりすぎているなと反省しているが、やはり、気になってしまう。
昨日の日フィルが50点なら今日のN響は70点か。

マーラーの2曲めは、タイトルは聴いたことがあるけど、手持ちのCDにもコンサートビデオの中にも見当たらないので、多分初めて聴いた。
ソプラノのケイト・ロイヤル嬢が大柄な美形でもちろん声も美しく、まだ若手だが、サイモン・ラトルが重用しているそうだ。

マーラーの歌曲というので、締りのない歌曲性に乏しく長ったらしいものか、と覚悟していたけど、5曲で20分弱。シューベルトやシューマンの音楽のような分かり易さはないけど、悪くはなかった。手元の訳詞を読みながら、こういう内容にこんなメロディをつけるのか、と違和感が拭えなかったのは事実だけど、これも聴き慣れると面白くなるのかもしれない。

アダージェットはマーラーの交響曲<第5番>の第4楽章だ。
リュッケルトの詩による歌は<5曲>で完結している。
それで、と言う訳でもないだろうけど、メインプログラムはチャイコの<5番>だった。


ディエゴ・マティウスが以前N響を指揮した時にチャイコの4番を演奏したそうだが、今度はその次という意図もあったのかもしれないけど、彼にとって、チャイコフスキーは得意のレパートリーであり、とりわけ第5番は「勝負曲」だと解説にあった。

それくらい、意気込んで第5番を聴かせてくれるとは嬉しい。

その出来は…。

第1曲目のアダージェットで弦の音にやや不満を持っていたけど、その後はだんだん良くなる法華の太鼓で、勝負曲においてはいつものきれいな響を聴かせてくれた。

心地よく第3楽章が終わると、そこでほとんど一呼吸置いただけで(観客に咳払いするゆとりも与えず)終楽章に入った。
もう、怒涛のフィナーレだ。

昨日のインキネン(の日フィル)が下手だったとは全然思っていないけど(いや、少しは思っているか…)、オケの響はざわざわして残念感たっぷりだっただけに、今日のN響の繊細で重厚な弦のサウンドに管楽器もバリバリと響いてくる高揚感は、同じ曲だとは思えないほどの幸福な時間を共有できた。


♪2015-113/♪NHKホール-11

2015年11月14日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第312回横浜定期演奏会

2015-11-14 @県民ホール


ピエタリ・インキネン[首席客演指揮者]:指揮

ピエタリ・インキネン:バイオリン*
扇谷泰朋[ソロ・コンサートマスター]:バイオリン*

シベリウス:歴史的情景第2番
J.S.バッハ:2挺のバイオリンのための協奏曲*
チャイコフスキー:交響曲第5番
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アンコール
シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ

日フィル横浜定期の会場はみなとみらいホールなのだけど、どういう訳か今回だけ県民ホールだった。特に大規模な合唱団が加わるという事情もなかったし、会場変更の説明はとくに行われなかったが、みなとみらいホールのコンサートカレンダーを見ると今日と明日の2日間、「全日本高等学校吹奏楽大会 in 横浜」というコンクールが開かれているので、これにダブって会場変更になったのだろう。

その結果、というべきかどうかは断言できないけど、日フィルの「実力」に対する疑問が湧いてきたコンサートになった。

映画は冒頭の10分が勝負だ。10分程度は面白くなくとも我慢できる。それを超えても興味を惹かれなければその後はネガティヴな思いが支配的になってしまう。その間にキュッと気持ちを掴まれるとその後の進展がはかばかしくなくともなんとか好意的に観続けることができる。

しかし、コンサートは違う。
最初の第一声(音?)が大切で、ここでキュッと気持ちを掴んでくれないともうその先は残念感で一杯になる。

今日の日フィルの第一声はそんな非力な響から始まった。そして、これは僕の気持ちがもうそういう不信感で満ちているためもあったろうけど、最後まで気分が乗れなかった。

弦の響がざわついている。スッキリとした透明感がない。
高音部になると干渉縞のような濁りが交じる。
となると、弱音における繊細さも強奏部分の重厚感も不足する。

いつも、みなとみらいホールではまろやかな艶のある音なのだけど、一体どうしたものか。

聴いた席は、会場が変わったため似たような場所に振り替えられたけど、みなとみらいホールよりもむしろ音響的には好条件(のはず)の場所だった。

外は雨でホールの中も少しは湿気があったのだろうか?
いや、温湿度の管理はやっているはずだけどなあ。

ま、弦楽器の共鳴効果が十分働いていなかったのはピッチの甘さが原因なのか(まさか!)、会場内が湿っていたせいなのかよく分からないが、元々みなとみらいホールに比べて残響時間が短いので、音響のまろやかさには欠ける。
ごまかしが効かないとも言える。
でも、ホールの残響の長短は聴く人の好きずきで、音楽によっては原音のガリガリ感が好ましい場合もある。

そんな次第で、みなとみらいホールでは気が付かなかった弦セクションの不安定感を感じてしまったのは良かったのか悪かったのか。これからも日フィルを聴き続けるつもりだけど、いよいよもって第一声を気にすることになるか…。

シベリウスに「歴史的情景」という作品があるとは知らなかった。それも第2番というからには2曲ある訳だ。少なくとも今日の第2番は<楽章>とは明記されていないが、3つの小品で構成されていた。
あまり引き込まれなかったのは、音楽というより音に引っかかりが生じたせいもある。

指揮のインキネンはフィンランドの出身だから、得意にしているようで、帰宅後どんな音楽だったか反芻したいと思ってAmazonをチェックしたら彼の指揮によるCDを見つけたが、各曲45秒ずつの試聴では全然思い出せなかった。

J.S.バッハの2つのバイオリンのための協奏曲(弦5部とハープシコード)ではインキネン自身がソロ・コンマスの扇屋とともにソロバイオリンを受け持ち、弾き振りというのか半端ではない腕前を聴かせてくれた。

チャイコの5番では、やや野性味が欠けた。特に終楽章。
実は、明日も、N響で同じ曲を聴く。違いを聴き分けるのも楽しみだ。

♪2015-112/♪県民ホール-03

2015年11月12日木曜日

ダニール・ハリトーノフ ピアノリサイタル

2015-11-12 @みなとみらいホール


ダニエル・ハリトーノフ:ピアノ

ベートーベン:ピアノソナタ第23番「熱情」
リスト:愛の夢第3番 
     「ラ・カンパネラ」 
     超絶技巧練習曲第10番
     ハンガリー狂詩曲第2番
ショパン:バラード第1番
       ノクターン第2番
      幻想即興曲
      前奏曲第15番「雨だれ」
      練習曲op.25より第11番「木枯らし」
      練習曲op.25より第1番「エオリアンハープ」 
      英雄ポロネーズ
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チャイコフスキー:「くるみ割り人形」からグラン・パ・ド・ドゥ
岡野貞一:ふるさと
…いずれも編曲者不明

無印はデュオ


みなとみらいホールから随時送られてくるコンサートの案内の中にこの名前も知らない若者のピアノリサイタルのチラシが入っていて、今年のチャイコフスキー国際コンクールに3位入賞したロシアの超新星!弱冠16歳!などと書いてあった。

後述するように「弱冠」に「若干」問題はあるが、チャイコフスキー・コンクールの入賞ホヤホヤの実力如何という興味、それに多彩なプログラムのボリュームのお得感から聴きに行くことにした。

会場で配布されたプラグラムによるとその後誕生日を迎えて17歳になったようだ(1998年ロシア・サハリン生まれ)。

こういうクラスの演奏のできばえについてはよく分からない。とにかく、ものすごいテクニックだということは分かる。
アンコール入れて全14曲(2~3分の小品から30分近い大曲まで含んでいるので曲数は意味ないけど…)、正味2時間超の演奏の中で、ミスタッチかも?と思えたのは2回くらいかな。
とにかく、コンピュータミュージックのように正確なメカニック、それでいて自在な表情をつけるテクニックには大いに感心した。


17歳になったばかり?の若さで、技術だけではなく、当然のことだけど、自分の表現スタイルを確立しつつあるのだなと思った。

チャイコフスキー・コンクールなど、多くの音楽家のコンクールは、いわば新人の登竜門であり、プロデビューのきっかけ、あるいは箔付けではあるけど、プロの演奏家として大成できるかどうかは分からない。多くの優れた才能がいつの間にか埋もれてしまっているのだろう。

ダニエル・ハリトーノフの日本初デビュー(厳密には7日から既に地方公演が始まっていたが。)を聴いた、ということが後年ちょっと自慢できるような大物になってくれるといいのだけど。

余談:
チラシに書いてあった「弱冠16歳」という表現は本来は正しくないそうだ。
大辞林によれば、
「弱冠⇒ 〔「礼記曲礼上」による。20歳を「弱」といって元服して冠をかぶったことから〕男子20歳のこと。」
だそうだ。
しかし「弱冠」は本来の意味を超えて広く「若い」の意味で使われていることが多く、ウィズダム英和辞典には「彼女は弱冠25歳で推定70億ドルの資産を持っている」という用例さえある。これでは二重の意味でおかしいのだけど。


♪2015-110/♪みなとみらいホール-33

2015年11月6日金曜日

11月歌舞伎公演「通し狂言 神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」

2015-11-06 @国立劇場


平成27年度(第70回)文化庁芸術祭協賛
福内鬼外=作
通し狂言 神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)
  四幕       
  国立劇場美術係=美術
        
 序  幕  東海道焼餅坂の場
 二幕目  由良兵庫之助新邸の場
 三幕目  生麦村道念庵室の場
 大  詰  頓兵衛住家の場

 中村吉右衛門⇒由良兵庫之助信忠
 中村歌六⇒江田判官景連/渡守頓兵衛
 中村又五郎⇒南瀬六郎宗澄
 中村歌昇
 中村種之助
 中村米吉
 嵐橘三郎
 大谷桂三
 中村錦之助⇒竹澤監物秀時/新田義興の霊
 中村芝雀⇒新田の御台所筑波御前/頓兵衛娘お舟
 中村東蔵⇒兵庫之助妻湊
         ほか


こういう演目が歌舞伎にあるとは全く知らなかったが、作者は福内鬼外(ふくうちきがい)というふざけたようなペンネームを名乗った本邦のダ・ヴィンチとも言えるか?平賀源内だそうだ。

まことに才能溢れているというか、器用というか、驚くほど多方面に業績を残しているとは聞いていたが、人形浄瑠璃の作家でもあったとは驚き。

他にも8作が伝わっているというが、実際に今も上演されるのは「神霊矢口渡」だけらしい。

本作も最初は人形浄瑠璃で、そのほぼ四半世紀後に歌舞伎に移された。今回の国立劇場の通し狂言版では(解説に両者の異同については触れてなかったが)、多分、人形浄瑠璃の構成をほとんどそのままに再構成したのではないか。

歌舞伎での初演時は今回の幕でいえば二幕目(由良兵庫之助新邸の場)が中心で、大詰め(頓兵衛住家の場)は上演されなかったが、今日ではもっぱら頓兵衛住家の場が上演されるのみで、今回の二幕目の上演はなんと100年ぶりだというし、序幕は109年ぶり、三幕目は119年ぶりだという。

さすがに国立劇場ではある。
内容はともかく、温故知新も大切な仕事だ。


当然に初めて鑑賞する演目だ。
主役である?由良兵庫之助(吉右衛門)が登場するのは二幕目だけで、その後は名前すら出てこない。この幕で完全に自己完結している。

三幕目は閑話休題といったところで、大詰めの「頓兵衛住家の場」で一挙にドラマチックな展開と終幕になる。
ここでは主役は極悪非道の頓兵衛(歌六)とその娘お舟(芝雀)だ。由良之助の影も形もない。

この二幕目と四幕目を同時に演じ、観るというのは役者にもお客にもかなりエネルギーが必要だ。それでどちらかを中心に据え片方は除け者にされた。どちらがいいか、は演じた役者の持ち味にもよるだろうし、時代によって物語の好みが変わっていったとも言えるのではないか。

とはいえ、新田家の再興という筋を底辺に、一応、全幕話は繋がっているので、観ていて混乱もないし、それぞれの場がそれぞれに面白い。


初代吉右衛門以来100年ぶりに当代吉右衛門が演じた由良之助は悲愴な計画を胸に秘め、忠臣を殺し、我が子の首を刎ね、妻(東蔵)に詰られながらの高笑いがやがて慟哭に変わる芝居の迫力は胸に迫るものがあった。

もう一組の主役、歌六と芝雀の親子の悲劇も実に興味深い物語だ。両人とも入魂の芝居だったと思うが、特に芝雀が、恋してしまった父の敵方でもある若武者を無事に逃そうとして瀕死の身体で太鼓を打とうとして(打てば追手仲間に対する<若武者を捕まえた>という合図になり、深追いを食い止められるから。)、なかなか打てない緊迫感には手に汗握ってしまった。

悲劇だけではなく、喜劇的要素も随所に織り込まれ、笑いもあり、どの幕も楽しめる盛り沢山な芝居だった。

200年余の伝統に注文付けてもしかたがないけど、由良之助が大詰めにも顔を出すような脚色をすればまとまりが良かったのにと思うが、歌舞伎の筋立てって、筋が通らないのが多いものな。


♪2015-109/♪国立劇場-05

2015年11月2日月曜日

東京都交響楽団第797回 定期演奏会Bシリーズ

2015-11-02 @サントリーホール


大野和士:指揮

ワディム・レーピン:バイオリン
イルゼ・エーレンス:ソプラノ*
スザンヌ・エルマーク:ソプラノ*

ラヴェル:スペイン狂詩曲
プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第2番 ト短調 op.63
[都響創立50周年記念委嘱作品・世界初演]
細川俊夫:嵐のあとに - 2人のソプラノとオーケストラのための(2015)*
ドビュッシー:交響詩《海》-3つの交響的スケッチ


プロコフィエフはオーケストラの定期演奏会ではしばしば取り上げられるので、代表曲はたいてい聴いているし、今日のバイオリン協奏曲第2番は昨年のN響定期でコパチンスカヤというちょっと風変わりで印象に残ったバイオリンで聴いているが、その時も、音楽自体はあまり楽しめなかった。どうも、調性拡大音楽というのが肌に合わない。
この第2番(第1番も似たような調子だけど)は、ト短調という調性があり、冒頭のメロディは耳に馴染んでいるのだけどとても暗く、別のところで登場する旋律も全部が押し込められた雰囲気で、賑やかなのに鬱屈したイメージのまま終曲して、僕にはカタルシスが得られない。
バイオリニストにとっては弾きがいのある作品かもしれない。
いつか好きになるだろうか…。

「嵐のあとに」は、まさに現代の、現在の作曲家による作品で、今日が世界初演だ。
7月にも神奈川フィルで同氏の「冥想」という管弦楽曲を聴いたがこれは日本初演ということだった(たぶん、同時に世界初演だったのだろう。)。

「瞑想」も、東日本大震災を受けて、人々の祈りを主題にしたものであったと思うが、「嵐のあとに」も同様で、今こうして書きながら気がついたが、「嵐」は3.11を指すのだろう。

非常に精密に作られた音楽というのか、持続する音の集合体といった方がピッタリするが、ちょうど、前回の都響の定期でリゲティやシェーンベルクの合唱曲を聴いたばかりで超不協和音に対する抵抗力が付いてきたか、不思議にすんなりと聴くことができた。

前半はオーケストラのみで短いフレーズが繰り返されながら段々と重層化して爆発し、後半ソプラノによるヘッセの詩「嵐のあとの花」に付けた歌が続く。
2人のソプラノが音程の取りにくい歌?をきちんと発声し、オーケストラもとても精密な音楽を奏でて、20分近い長さを感じさせなかった。


いよいよメインプログラムはドビュッシーの「海」だ。
ここでは都響が持てる力を思い切り発揮したのではないか。
多彩で大規模な管弦楽が海の三態を精妙な音楽で聴かせる。
オケの実力がホンに試される作品だと思うが、これを安心して聴いておられるのは幸福なことだ。


♪2015-109/♪サントリーホール-06

2015年11月1日日曜日

マリア・ジョアン・ピリス&アントニオ・メネセス デュオ・リサイタル

2015-11-01 @みなとみらいホール


マリア・ジョアン・ピレシュ(ピアノ)*
アントニオ・メネセス(チェロ)**

ベートーベン:ピアノとチェロのためのソナタ 第2番ト短調 作品5-2
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008**
ベートーベン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調 作品111*
ベートーベン:ピアノとチェロのためのソナタ第3番イ長調 作品69 
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J.S.バッハ:パストラーレ ヘ長調BWV590

無印はデュオ


マリア・ジョアン・ピレシュは若い頃から名前は知っていたが、彼女の弾くCDは1枚も持っていないし、さあ、放送で聴いたくらいだろうか。

なんとなく、遠くであこがれているといった感情をピレシュには抱いていたので、生のコンサートはとても楽しみだった。

チェロのアントニオ・メネセスという人は全く知らなかった。
ピリスとは時々コンビを組んでいるようで、デュオのCDもリリースされている。経歴を見ても華々しいもので、世界的にも一級のチェリストなのだろう。

ピレシュのピアノには何の違和感もなかったし、ベートーベン最後のピアノ・ソナタは大好きな曲だけにとても心地が良いというか、安心感をもって楽しむことができた。

が、メネセスのチェロは特異だった。

ケレン味というものが一切ない。
無伴奏など、テンポもゆっくりめで、ダイナミックレンジは狭い。
実に綺麗な音で、上品な音楽なのだけど、物足らない。
一度足りとも、低弦がガリッと脂を飛ばすような場面が無かったのが寂しい。

本番の10日ほど前になってみなとみらいホールからはがきが届いた。予定されていたベートーベンのチェロ・ソナタ4番、5番を2番と3番に変更させていただくという通知。
やはり3番が一番聴き馴染んでいるし、この変更はむしろラッキーだった。メネセスが体調を壊して十分なリハーサルができなかったからと書いてあったが、このクラスの演奏家がそんなことで曲目を変更するとはにわかに信じ難かったけど。


♪2015-108/♪みなとみらいホール-32