2015年12月13日日曜日

第50回 クリスマス音楽会「メサイア」全曲演奏会

2015-12-13 @県立音楽堂


小泉ひろし:指揮

市原愛(ソプラノ) 
上杉清仁(カウンターテナー) 
中嶋克彦(テノール) 
萩原潤(バリトン)
長久真実子(チェンバロ) 
宇内千晴(オルガン)

神奈川県合唱連盟、音楽堂「メサイア」未来プロジェクト(神奈川県立海老名高等学校、湘南高等学校、大和西高等学校)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV56


ここ3年はずっとみなとみらいホールで開催される昭和音大のメサイアを聴いていたが、今年はほかのコンサートと重なってしまい、残念ながら、と言っちゃ失礼だけど、音楽堂のメサイアにした。

というのも、昭和音大のオケも合唱団も大規模かつハイレベルで大いに満足していたから。

音楽堂のメサイアは今年で50年だというのに、僕は今回が初めてだった。もともと、アマチュアの合唱団の集まりである神奈川県合唱連盟が始めたことらしい。この中には高校生も混じっていて、最初は「ハレルヤ・コーラス」と「アーメン」(終曲)だけの参加(を許された?)だったが、徐々に曲数が増えてゆき、昨年は第2部後半の33曲目以降をすべて歌い、今年ついに全曲を歌うことになったそうだ。そういう意味では記念の、そして50回という節目の公演を聴くことが出来たのは良い思い出になるだろう。

ちなみに高校生は、県下の4校から数十人が加わったようだが、正確な人数は分からない。オトナの合唱団を含め、舞台上にはざっと数えて215?人くらいかな。
音楽堂の舞台から溢れそうだった。

4人の声楽ソリストはプロで、ソプラノの市原愛は夏のミューザの「第九」でも登場していたのを覚えている。

オケは神奈川フィルだが、全員で27名?という極めて小規模だ。
周りに大合唱団が覆いかぶさるように並んでいるので余計にこじんまりと見えた。
そのメンバーだが、どうも覚えのない面々だった。
定期演奏会に出てくる人なら少なくとも弦の首席クラスや管打楽器なら見覚えがあるはずなのに。
二軍なのか。それとも特定分野を担当するエキスパートかな。
というのも、プロに向かって恐れ多いが、演奏は上手だと思った。これといって破綻は無かった。
そして、トランペット以外はモダン楽器で、そのトランペットもピリオド楽器ではなくてモダンのピッコロ・トランペットの類だったかもしれない。が、演奏スタイルはピリオド奏法なのだろう。ビブラートは極めて少なかった。そういう方面の演奏に長けている人が集められているのかもしれない。

元々残響の短いホールで、小規模オーケストラ。そしてビブラート極少なので、楽器音はとても乾いた響だが、ヘンデルの時代はまさにこういう音だったのだろうな。


指揮の小泉ひろしという人のことは名前も知らなかったが、この音楽堂メサイアを過去23回振り、今回が24回目だそうだ。
今回は昭和音大から浮気したが、なかなか聴き応えあって、来年は、できれば両方聴きたいものだ。


♪2015-105/♪県立音楽堂-13

2015年12月12日土曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第53回

2015-12-12 @ミューザ川崎シンフォニーホール


マルク・ゴレンシュテイン:指揮
セルゲイ・カスプロフ:ピアノ*
東京交響楽団

ムソルグスキー(R=コルサコフ編):交響詩「禿山の一夜」
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 作品43*
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 作品64
------------------
アンコール
ヴィラ・ロヴォス:赤ちゃんの一族第一組曲「お人形たち」~7 道化人形


客演指揮のマルク・ゴレンシュテインもピアノのセルゲイ・カスプロフも、ついでに東響の第一コンマスのグレブ・ニキティンも全員ロシア人で、演奏された作品も本篇3曲ともロシアのものだ。
いっそ、アンコールもチャイコフスキーの小品でも弾いてくれたら良かったが。

こういうメンバーなので、だからロシア的かどうかは分からないけど、指揮者のマルク・ゴレンシュテインって、数年前までロシア交響楽団の首席指揮者を務めていたくらいだから、かなりの大物なのだろう(大物過ぎて解雇されたとか…。音楽性が問題になった訳じゃないけど。)。

「禿山の一夜」はディズニーの「ファンタジア」が初めてだったかもしれないが、実によく耳にする音楽だ。しかし、ナマのオーケストラで聴くのは初めて(と思う。)。

冒頭の弦の中低域がなかなかきれいだ。
最近、どのオケを聴いても弦のなり具合が気になって、少し神経質になっている。これでは音楽になかなか入って行けない。
でも、今日の東響は、これはホールのせいもあるだろうけど、まず、問題のない出だしだった。

続く「パガニーニの主題による狂詩曲」もセルゲイ・カスプロフにとっては自家薬籠中の物と言った感じで弾きまくっていたなあ。

これまでにもナマでもCDなどでも何度か聴いているのに、今回は重大な発見をした。変奏曲は通常、冒頭に主題が演奏され、続いて第一変奏、第二変奏~と続くが、この曲は最初にほんの10秒程度の短い序奏があり、次いで短い第1変奏があり、第3曲目に主題が登場する。意表を突くやり方だけど、これは、主題が作曲者自身のオリジナルではなく、既に有名になっていたパガニーニのメロディーを借用したからこういうことが可能なのだろう。

このテーマは非常に有名だけど、第18変奏も、全24変奏の中では飛び抜けて有名だ。この曲がどうしてパガニーニ-のテーマの変奏なのか分からない。コード進行が同じなのだろうか。とても原曲とは似つかないロマンチックなメロディーで、まあ、この辺がラフマニノフの本領とも言えるけど。

チャイコの5番は、今年はやたら聴くことが多く、これで6回目だった。もちろん、これで今年は打ち止めだけど、出来が良かったかというとそうでもないな。
いつも、そしてこの日もラフマニノフまでは気にならなかった弦の響にやや濁りを感じてしまった。

hr交響楽団のみごとな響を聴いたことで、僕の耳のハードルを上げてしまったのは不幸なことでもあったなあ。


♪2015-124/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-25

2015年12月11日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第670回東京定期演奏会

2015-12-11  @サントリーホール


尾高忠明:指揮
伊藤寛隆[首席奏者]:クラリネット
柳生和大:テューバ
日本フィルハーモニー交響楽団

フィンジ:クラリネットと弦楽のための協奏曲 作品31
ヴォーン・ウィリアムズ:バス・テューバと管弦楽のための協奏曲 ヘ短調
シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944 《ザ・グレート》

シューベルトの前の2曲はいずれも初めて聴く、というより、こういう音楽の存在すら知らなかった。フィンジという作曲家についてはその存在さえ知らなかった。
珍しい作品の組み合わせだった。



ジェラルド・フィンジ(1901-1956)は現代イギリスの作曲家だそうな。Wikiによれば「作曲家・園芸家」と書いてある。「演芸家」の間違いではない。

ヴォーン・ウォリアムス(1872-1958)の方が一世代前に生まれたが、彼の方が長命だったのでフィンジの2年後まで生きた。

詳しいことは知らない(調べたら分かるけど面倒だ。)が、2人は、同じ英国でほぼ同時代を生きたと言っていいのだろう。

作風については、なんとも分からない。フィンジについては今日はじめてこの1作を聴いただけだ。

かなり、切ない曲調だ。
調性がありそうな気もするけど表記はない。長短でいえば短調だな。ちょっと劇的な出だしの後、哀愁たっぷりにクラリネットの甘い音色でこれでもか、と胸をかきむしられるようだ。
第2楽章はやるせない。
第3楽章も結構ユウウツだ。ま、最後の最後に少し明かりが見えたという感じ。
でも、最近の僕の精神状態にはぴったりだったかも。

ヴォーン・ウィリアムズは好き。イギリス民謡組曲なんかヒジョーに好きだ。英国の土着の香りがする。もっとも、「英国」という国柄を論ずるのはこれまたヒジョーに難しいので深入りしないでおこう。
この民謡組曲に関してだけ言えば、「英国=イギリス」といっても実は「イングランド」のことであって、UKを指す訳ではない。

ついでに、「ヴォーン・ウィリアムズ」という名前。
つい最近まで、「ヴォーン」が名で「ウィリアムズ」が姓だと思っていたが、そうではなくで「ヴォーン・ウィリアムズ」ぜんぶが姓で、名は「レイフ」というそうだ。

バス・テューバと管弦楽のための協奏曲は、第1楽章はまるで日本の祭り囃子のような曲調だ。
第3楽章がせわしないが、奏者の腕の見せ所だ。聴いていてもあの大きな楽器をコロコロと鳴らすのは容易では無いだろうと思う。
しかし、まさにテューバ奏者のために作られたような作品で、感傷音楽としては如何なものか。もともとソロ楽器には絶対向いていないものなあ。

なんで、「バス・テューバ」か。
いわゆるテューバ(チューバとも)には少なくとも一番低い音の出る「コントラ・テューバ」。次の音域の「バス・テューバ」。一番高い音域の「テナー・テューバ」というのがあるそうだ。
「テナー・テューバ」なんて名前は自己否定みたいだが、吹奏楽でいう「ユーフォニアム」のことらしい。オーケストラでは「ワーグナー・テューバ」を指して「テナー・テューバ」という場合もあるそうだ。


シューベルトの第8番。
8番といえば、昔は「未完成」交響曲を指した。そして現在の第8番「ザ・グレート」はかつては7番だったり、9番だったりした。国際シューベルト協会が1978年に作品番号を改訂し、それ以降は8番(未完成は7番)で落ち着いているが、手持ちのスコアを見ると9番と書いてある。

その昔、アマオケ時代に演奏した曲で、今も、ボウイングを書き込んだパート譜も残しているが、楽譜の中に当時の演奏会のチラシが挟みこんであり、1989年7月と記されているので26年も前の事だったんだ。
まあ、そんな思い出もあって、特に好きな曲だ。
どの楽章もいいけど、やはり第2楽章か。シューマンは「天国的な長さ」と評したそうだが、終わってほしくない至福の時、というような気持ちでそう評したのだろう。

全篇に漂う雰囲気は、たぶん、…ウィーンの香りって、こういうのではないかと思う。


日フィルは、みなとみらいホールやサントリーホールのように残響の長いホールではこれまで弦に不満を感じたことはなかったのだけど、前回県民ホールでの演奏で、こう言っちゃ失礼だが、ボロを出したように思った。で、今回は特に弦の響きを気にしながら聴いたのだけど、やはり、以前のような聴き方はできない。
これまでは聴き過ごしていたのだろうが、この頃では、弦の高音部の濁りや中低域でもざわざわして透明感に欠ける部分が少なからずだ。たまたま今回もそうだったのか。僕の体調の問題かもしれないが。

せっかく久しぶりに「ザ・グレート」をもっと澄んだ弦のアンサンブルで聴きたかったな。

♪2015-123/♪サントリーホール-07

2015年12月8日火曜日

12月歌舞伎公演「東海道四谷怪談」

2015-12-08 @国立劇場


松本幸四郎⇒民谷伊右衛門/石堂右馬之丞
中村錦之助⇒小汐田又之丞
市川染五郎⇒お岩/小仏小平/佐藤与茂七/大星由良之助/鶴屋南北
市川高麗蔵⇒赤垣伝蔵
中村松江⇒矢間十太郎
坂東新悟⇒お岩妹お袖/千崎弥五郎
大谷廣太郎⇒秋山長兵衛/大鷲文吾
中村米吉⇒喜兵衛孫娘お梅/大星力弥
中村隼人⇒奥田庄三郎/竹森喜多八
澤村宗之助⇒関口官蔵/織部安兵衛
松本錦吾⇒四谷左門
大谷桂三⇒薬売り藤八/金子屋庄七
片岡亀蔵⇒按摩宅悦/高家家来小林平内
市村萬次郎⇒伊右衛門母お熊
坂東彌十郎⇒直助権兵衛/仏孫兵衛
大谷友右衛門⇒伊藤喜兵衛/原郷右衛門
      ほか

四世鶴屋南北=作
通し狂言「東海道四谷怪談」とうかいどうよつやかいだん 三幕十場
          国立劇場美術係=美術


序幕   浅草観世音額堂の場
     浅草田圃地蔵前の場
     同     裏田圃の場

二幕目 雑司ヶ谷四谷町民谷伊右衛門浪宅の場
    伊藤喜兵衛宅の場
    元の伊右衛門浪宅の場 

大詰  砂村隠亡堀の場
    小汐田又之丞隠れ家の場
    蛇山庵室の場
    仇討の場


予備知識として、四谷怪談の物語の背景に忠臣蔵が同時に描かれているということは知っていたが、これはどうやら奇抜なアイデアではないらしい。
歌舞伎初演時から四谷怪談と忠臣蔵が、形は別の演目として独立しているものの、物語は同時進行的に描かれていたようだし、民谷伊右衛門が浅野家の浪士であるという設定は「四谷怪談」が単独上演されるようになって追加されたものではなく当初からのものらしい。

これまで「四谷怪談」は映画などでしばしば観ているが、伊右衛門が浅野家浪士だったとは気が付かなかったというか、果たしてそのように描かれていたのだろうか。

ま、ともかく、作者鶴屋南北は「四谷怪談」を「仮名手本忠臣蔵」の外伝として描いたそうだ。

そもそも歌舞伎で「四谷怪談」を観るのが初めてなので(国立劇場としても44年ぶりの上演らしい。)、「四谷怪談」と「忠臣蔵」を抱き合わせにするとはなんて斬新なアイデアだと思っていたが、その萌芽は初演時からあった訳だ。

人気の出し物を2本併せてた物語が組み立てられているせいか、全三幕十一場の場面を必要とするほどに話が複雑で、ついて行くのに苦労した。
普段は、役者の役どころや演目の筋をさらっておいてから出かけるのだけど、今回は忙しくて時間のゆとりがなかったことに加え、どうせ、両方とも話は分かっている、と甘く見ていたのが大間違いで、大筋はともかく、それを彩る、いや絡みつくというか、いろいろと細かい話が盛り沢山。それに最初に出た何気ないエピソードや小物が後の場になってつながってくるという筋立て上の仕掛けもあって、これは相当目配り・気配りしながら観ないと全体を楽しむことはできない。

塩冶家(⇒浅野家)の家臣小汐田又之丞(錦之助)が冒頭、高家(⇒吉良家)の家臣らにさんざ打擲されて歩けなくなるというエピソードなど、忘れてしまうような話だが、大詰め第二場で、民谷家家宝の薬ソウキセイ(桑寄生)が意味を明らかにし、これを持ってきた小仏小平(染五郎)とともに討ち入りにつながってくるのだからぼんやりしてられない。
いや、ぼんやりしていた部分はほかにあったのだけど思い出せないだけだ。



中盤は伊右衛門(幸四郎)とお岩(染五郎)の話が中心になるが、上述の小汐田又之丞隠れ家の場が踏み台になって舞台は一挙に討ち入りに変化する。

既に真っ白な雪が積もったところに惜しげも無く雪が舞い降りてそこでの戦闘シーンはきれいだ。途中、あれは誰と誰の戦いだったか、2人の上にドカ雪が落ちてきてもう互いに顔も見えない中での斬り合いが意表を突いて面白かった。

幸四郎の伊右衛門はコワイ。
だからとても良い。

染五郎は別としてほかにも良い味を感じた役者が何人かいた。
坂東彌十郎(直助権兵衛/仏孫兵衛)が存在感があった。
米吉(お梅/大星力弥)はお梅で存在感希薄。力弥では颯爽たる立ち回りが絵になっていた。
錦之助(小汐田又之丞)は冒頭の情けない場面と随分間があって「小汐田又之丞隠れ家の場」でタイトルロール?として登場するが、ここではさすがにかっこ良く、次の場面への期待を持たせるきっぱりとした芝居だ。


さて、染五郎。

お岩、小仏小平、佐藤与茂七、大星由良之助のほかに、冒頭、鶴屋南北としてすっぽんから登場して(幽霊なので)本公演の趣旨を述べ、又之丞打擲の芝居が終わると再度せり上がってきて、未来の役者、市川染五郎なるものが熱心に上演許可を求めてきたので許可した、ゆっくりご覧あれ…といったような口上を述べてセリ下がる。館内は笑いに包まれる。
そんな訳で計5役を勤めるのだ。
その中には、お岩と小平のような早変わりもある。
お岩の顔貌の早変わり?もある。
燃える提灯からの飛び出しって、昔からそういう仕掛けがあったのだろうか。
宙乗りもあってもう大奮闘だ。

最後に本懐を遂げた由良之助で終わるので、カタルシスがある。

まあ、とにかく、筋の仕掛け、舞台の仕掛けも複雑で盛り沢山だが、2、3度観なければ全貌を堪能するには至らないように思った。

もう一度、おさらいをしにゆくかな。


♪2015-122/♪国立劇場-06

2015年12月6日日曜日

N響第1823回 定期公演 Aプログラム

2015-12-06 @NHKホール


シャルル・デュトワ:指揮
ヘロデ:キム・ベグリー(テノール)
ヘロディアス:ジェーン・ヘンシェル(メゾ・ソプラノ)
サロメ:グン・ブリット・バークミン(ソプラノ)
ヨカナーン:エギルス・シリンス(バス・バリトン)
ナラボート:望月哲也(テノール)
ヘロディアスの小姓/どれい:中島郁子(メゾ・ソプラノ)
5人のユダヤ人 1:大野光彦(テノール)
5人のユダヤ人 2:村上公太(テノール)
5人のユダヤ人 3:与儀 巧(テノール)
5人のユダヤ人 4:加茂下 稔(テノール)
5人のユダヤ人 5:畠山 茂(バス・バリトン)
2人のナザレ人 1:駒田敏章(バリトン)
2人のナザレ人 2:秋谷直之(テノール)
2人の兵士 1:井上雅人(バリトン)
2人の兵士 2:斉木健詞(バス)
カッパドキア人:岡 昭宏(バリトン)

NHK交響楽団

R.シュトラウス:楽劇「サロメ」(演奏会形式)


サロメの話を知ったのは、多分、映画が一番先だったろう。
長じて聖書も読んだし、別の映画でも観ている。サロメが主人公というより聖書物語の一部として登場したような気がする。
あらためて映画のデーターベースで「サロメ」を探すと5本もあったが、ほかにも「サロメ」を含むタイトルがあれこれ出てくる。とにかく、映画や芝居には格好の題材なのだ。

イエスに洗礼を施したヨハネ(=ヨカナーン)はヘロデ王にとっては邪魔な存在であったが、ヨハネが多くの信奉者を集めている以上、また彼自身もヨハネに絶対的な存在の陰を感じていたようで、捕縛したまま処刑には及んでいなかったが、ヘロデの妻によってそそのかされた娘サロメの希望を叶えるため、やむなく首を切り落とした、というショッキングな話のせいか、あるいはそこに何か象徴的な深い意味を汲みとったのか、後世の多くの芸術家がサロメの話を絵画や芝居などに翻案している。

R.シュトラウスは、オスカー・ワイルドが書いた戯曲(1891年)をベースに作り上げた一幕物のオペラを作曲した(1905年完成)。

ワイルドの戯曲が既に聖書の記述を大幅に改変しており、サロメこそこの残酷物語の主人公で、その美貌で誰をも従わせることができるのに唯一関心すら持ってくれないヨカナーンに激しい恋心を抱くと同時に叶えられない苦しさが凶行へと走らせるとんでもない聖書劇で、だからこそ、スランプ状態にあったR.シュトラウスのやる気を刺激したらしい。

オーケストラの規模が100人を超える大編成で、登場する歌手は16人だが、主要な役はヘロデ王、その妻ヘロディアス、その連れ子(ヘロデの兄とヘロディアスの子)であるサロメ、そしてヨハネ(ここではヨカナーンと呼ばれている)だ。

一応4場構成のようだが、序曲もなければ間奏曲もない。アリアもレシタティーヴォもない。
昨年12月にデュトワ+N響でドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」(演奏会形式)を聴いたが、これも、旧来の歌劇形式にとらわれないスタイルだったが、この形はドビュッシーが先行したのだろうか。
「ペレアス~」の完成が1902年というから「サロメ」よりわずかに早い。R.シュトラウスは「ペレアス~」を聴いていたのだろうか?
オペラとしてのスタイルも似ているが、音楽自体も類似点が多いような気がする。

発表当時は超現代音楽だったろうが、今でも僕の耳ではなかなかすんなりとは楽しめない。

物語として不可解な点は捨象しても、不協和音の連続の音楽がしっくり入ってこないのだと思うが、唯一、多少耳に馴染みのある「サロメの踊り」の音楽も演奏会形式では物足りなかった。

後日、MET版「サロメ」のブルーレイディスクを持っているのを思い出して早送りで観たが、こちらはなるほどの迫力。
訳は分からないけど、サロメの狂気が伝わってくる。
「ペレアス~」では演奏会形式に違和感がなく、音楽表現形式として十分成立しているように思ったが「サロメ」に限っては、やはりオペラとして観賞すべき作品だったかも。

https://youtu.be/czi6qt9s_qg


♪2015-121/♪NHKホール-13

2015年11月29日日曜日

プロースト交響楽団 第22回定期演奏会

2015-11-29 @ミューザ川崎シンフォニーホール


栁澤寿男:指揮

梯剛之:ピアノ*
横山桂:チェロ**
プロースト交響楽団

ブラームス/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83*
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」**
-------------
アンコール
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K397*


プロースト交響楽団はアマチュアだ。初めて聞く名前。
首都圏の大学オケのOBが主体らしい。年2回定期演奏会を開いている。近年はミューザやみなとみらいホールを舞台にしているというのにその存在に気が付かなかったなあ。

なぜ、聴きに行ったのか?

横響(横浜交響楽団)以外のアマオケを久しく聴いていないので、<アマオケ>のレベルを確かめたかった。
アマチュアであるにせよマーラーの「巨人」はやはりナマで聴くべき音楽だ。これが聴けるのは良い機会だ。
ミューザでアマオケがどう響くのだろう?
そもそも「巨人」を演奏するにふさわしい実力があるのか?

そんな興味やお手並み拝見といった<上から目線>で出かけたが…(指揮者とソリストは言うまでもなくプロである。)。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は一昨日神奈川フィルで聴いたばかり。
最初にホルン、後を追ってピアノの超低域からのアルペジオが2回繰り返されて木管、弦と厚みを増してゆく。この冒頭で破綻するプロオケもあるが(ホルンがヘマをする)、ここは上手に乗り切って快調な出だし。
その後も管楽器にやや惜しまれる部分はあったけど実にうまい。
とりわけ弦の綺麗なこと。

どうして?

アマチュアとも思えないほどきれいな音色だ。この日の1回だけを聴く限り横響(も前回は素晴らしかったが)よりまとまりがいい。良い響だ。

マーラーも同様だった。
弦楽器は少々失敗してもソロでもない限りかき消されてしまうから目立たない。
管楽器はどうしても失敗が目立ってしまうのが気の毒でもあるが、全体としてとても優秀だと思った(音大のオケにはかなわないけど。ま、当然だろう。)。

このアンサンブルの美しさは、ひょっとしてミューザという極上のホールも手伝っているに違いない。

横響はもっぱら音楽堂(年8回の定期のうち「第九」だけ県民ホール)だ。音楽堂は残響でごまかしの聴かないホールだけに実力がそのまま出てしまう。
横響がミューザで演奏するのを是非とも聴いてみたい。一皮むけたように上手に聴こえるのではないだろうか。

ブラームスは、テンポが全体として遅めに感じたが、終わってみるとほぼ50分で標準的な長さだった。


梯剛之(かけはし・たけし)氏の演奏をナマで聴くのは初めて。
生後1ヶ月で失明したそうだが、全盲なのかどうか分からない。ニュース記事では「全盲の~」と書いてあるのもあるからそうなのかもしれない。
辻井くんの場合と同様に指揮者が見えないのだから、どうやって音楽の流れを掴むのだろうと思うけど、全神経が目になり耳になっているのだろう。

ただ、ブラームスの第4楽章の入りはピアノとビオラが同時なので、一体どうやって合わせたんだろうと思った。指揮者の動きが伝わってくるのだろうか。

ピアノの音が実に気持ち良い。
辻井くんの時にも感じたのだけど、ピアノの音の抜けがいい。
辻井くんの時は1階5列目?という場所であったが、今回は3階(第4層)なので距離がある分マイルドに伝わるけれど、やはりカーンという感じのスッキリした音だ。

みなとみらいホールは大ホールでも小ホールでもピアノの音は席によって音の大きさは異なっても種類は同じように聴こえる。
迫力はあるが抜けの良い音ではない。低音の重音などは音の塊として攻撃的に響いてくるが、ミューザの音はピアノのすぐそばで聴いているような原音を残した感じの澄んだ音だ。
ポタージュスープとコンソメスープの違いかな。

と、前に思ったことを今回再確認したのだけど、違うだろうか。

マーラーも上出来だった。部分的にはプロのような響だし、ピッチも揃って濁りは少ない。
これは前述のようにミューザの音響の良さに助けられている部分もあるだろうが、それを言えばプロだって同じということだ。

今回、ミューザの音響設計ポリシーのようなものをちょっと感じた。
還暦を迎えた県立音楽堂の音響との違いは根本的な思想の違いによると思う(良し悪しではなく時代の好みを反映しているのだろう)が、みなとみらいホールとの違いは思想の違いによるのか、偶々そうなっただけなのか、興味深い。


♪2015-120/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24

2015年11月28日土曜日

読売日本交響楽団第181回東京芸術劇場マチネーシリーズ

2015-11-28 @東京芸術劇場大ホール


オスモ・ヴァンスカ:指揮

エリナ・ヴァハラ:バイオリン*
読売日本交響楽団

シベリウス:「カレリア」組曲 作品11
シベリウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品47*
シベリウス:交響曲第1番ホ短調 作品39
-----------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第2番からサラバンド*


5年ぶりの芸術劇場だった。
横浜から池袋は遠いというイメージがあったが、東横線と副都心線が乗り入れするようになったので非常に楽ちんになった。

時間帯にもよるだろうけど、日曜日の19時着という条件で普段良く行く都内のコンサートホールを調べてみたらドア・トゥ・ドアで、サントリー・ホールが55分と一番時間がかかり(これは溜池山王からの歩く時間が長いからだ。)、芸術劇場は1分違いでその次。NHKホール、がまた1分違い。文化会館がそのまた1分違いと、つまりは団子状態で有意差はないということが分かった。

芸術劇場に対しては<遠い>という先入観を改めなくてはいけない。

全く知らなかったが5年も行かなかった間に改修工事が行われていた。

評判の悪かった1階ロビーから5階に直行する長いエレベーターはL字型になって踊り場が儲けられていた。

オーディトリアムの中も改修されているそうだが、2階席を増やし、舞台を座席側に拡幅したらしい。

その他諸々の改修が2012年9月に終わってまだ3年ちょっとしか経っていないので、どこもとてもきれいだ。

JR池袋駅からもとても近いけど、地下鉄ではC8出口を出ればもう建物が見えているという便利さ。







生誕150年(12月8日生まれだ)ということで、シベリウスは例年になく演奏=聴く機会が多い。
この日はオール・シベリウスプログラムだ。

指揮者のオスモ・ヴァンスカはフィンランド人。
独奏バイオリンのエリナ・ヴァハラはアメリカ生まれのフィンランド育ち(フィンランド人らしい)ということだから、彼らによるかなり濃密なシベリウスが演奏されるのかなとも思ったが、そのところはよく分からなかった。
まあ、生粋を揃えられたので揃えてみたという程度のことではないのかな。日本人指揮者であってもさほど演奏に変わりがあるとも思えないけど。

読響にがっかりすることはこれまで一度もなかった。
今回もがっかりはしなかった。
けど、どうもみなとみらいホールやサントリーホールで聴く読響サウンドとは違って聴こえてしようがなかった。本当に読響だろうか?と言えば大げさだけど、薄いベールが掛かったような、遠くで鳴っているような(現に3階の中腹席なので遠いといえば遠いけど、音の性質が変わるはずもない。)感じで、ずっと違和感を払拭できなかった。
バイオリンのソロもちゃんときれいに聴こえるのだけど、管楽器を含め、音にきらめきのようなものが感じられなかった。


これはホールの音響効果のせいだろうか。
もう少し近距離で聴けば違ったとは思うが。

我が家からはサントリー・ホールより1分近い!ということで、これからも機会があれば芸術劇場で聴いてみよう。


♪2015-119/♪東京芸術劇場大ホール-1