2015年12月6日日曜日

N響第1823回 定期公演 Aプログラム

2015-12-06 @NHKホール


シャルル・デュトワ:指揮
ヘロデ:キム・ベグリー(テノール)
ヘロディアス:ジェーン・ヘンシェル(メゾ・ソプラノ)
サロメ:グン・ブリット・バークミン(ソプラノ)
ヨカナーン:エギルス・シリンス(バス・バリトン)
ナラボート:望月哲也(テノール)
ヘロディアスの小姓/どれい:中島郁子(メゾ・ソプラノ)
5人のユダヤ人 1:大野光彦(テノール)
5人のユダヤ人 2:村上公太(テノール)
5人のユダヤ人 3:与儀 巧(テノール)
5人のユダヤ人 4:加茂下 稔(テノール)
5人のユダヤ人 5:畠山 茂(バス・バリトン)
2人のナザレ人 1:駒田敏章(バリトン)
2人のナザレ人 2:秋谷直之(テノール)
2人の兵士 1:井上雅人(バリトン)
2人の兵士 2:斉木健詞(バス)
カッパドキア人:岡 昭宏(バリトン)

NHK交響楽団

R.シュトラウス:楽劇「サロメ」(演奏会形式)


サロメの話を知ったのは、多分、映画が一番先だったろう。
長じて聖書も読んだし、別の映画でも観ている。サロメが主人公というより聖書物語の一部として登場したような気がする。
あらためて映画のデーターベースで「サロメ」を探すと5本もあったが、ほかにも「サロメ」を含むタイトルがあれこれ出てくる。とにかく、映画や芝居には格好の題材なのだ。

イエスに洗礼を施したヨハネ(=ヨカナーン)はヘロデ王にとっては邪魔な存在であったが、ヨハネが多くの信奉者を集めている以上、また彼自身もヨハネに絶対的な存在の陰を感じていたようで、捕縛したまま処刑には及んでいなかったが、ヘロデの妻によってそそのかされた娘サロメの希望を叶えるため、やむなく首を切り落とした、というショッキングな話のせいか、あるいはそこに何か象徴的な深い意味を汲みとったのか、後世の多くの芸術家がサロメの話を絵画や芝居などに翻案している。

R.シュトラウスは、オスカー・ワイルドが書いた戯曲(1891年)をベースに作り上げた一幕物のオペラを作曲した(1905年完成)。

ワイルドの戯曲が既に聖書の記述を大幅に改変しており、サロメこそこの残酷物語の主人公で、その美貌で誰をも従わせることができるのに唯一関心すら持ってくれないヨカナーンに激しい恋心を抱くと同時に叶えられない苦しさが凶行へと走らせるとんでもない聖書劇で、だからこそ、スランプ状態にあったR.シュトラウスのやる気を刺激したらしい。

オーケストラの規模が100人を超える大編成で、登場する歌手は16人だが、主要な役はヘロデ王、その妻ヘロディアス、その連れ子(ヘロデの兄とヘロディアスの子)であるサロメ、そしてヨハネ(ここではヨカナーンと呼ばれている)だ。

一応4場構成のようだが、序曲もなければ間奏曲もない。アリアもレシタティーヴォもない。
昨年12月にデュトワ+N響でドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」(演奏会形式)を聴いたが、これも、旧来の歌劇形式にとらわれないスタイルだったが、この形はドビュッシーが先行したのだろうか。
「ペレアス~」の完成が1902年というから「サロメ」よりわずかに早い。R.シュトラウスは「ペレアス~」を聴いていたのだろうか?
オペラとしてのスタイルも似ているが、音楽自体も類似点が多いような気がする。

発表当時は超現代音楽だったろうが、今でも僕の耳ではなかなかすんなりとは楽しめない。

物語として不可解な点は捨象しても、不協和音の連続の音楽がしっくり入ってこないのだと思うが、唯一、多少耳に馴染みのある「サロメの踊り」の音楽も演奏会形式では物足りなかった。

後日、MET版「サロメ」のブルーレイディスクを持っているのを思い出して早送りで観たが、こちらはなるほどの迫力。
訳は分からないけど、サロメの狂気が伝わってくる。
「ペレアス~」では演奏会形式に違和感がなく、音楽表現形式として十分成立しているように思ったが「サロメ」に限っては、やはりオペラとして観賞すべき作品だったかも。

https://youtu.be/czi6qt9s_qg


♪2015-121/♪NHKホール-13

2015年11月29日日曜日

プロースト交響楽団 第22回定期演奏会

2015-11-29 @ミューザ川崎シンフォニーホール


栁澤寿男:指揮

梯剛之:ピアノ*
横山桂:チェロ**
プロースト交響楽団

ブラームス/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83*
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」**
-------------
アンコール
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K397*


プロースト交響楽団はアマチュアだ。初めて聞く名前。
首都圏の大学オケのOBが主体らしい。年2回定期演奏会を開いている。近年はミューザやみなとみらいホールを舞台にしているというのにその存在に気が付かなかったなあ。

なぜ、聴きに行ったのか?

横響(横浜交響楽団)以外のアマオケを久しく聴いていないので、<アマオケ>のレベルを確かめたかった。
アマチュアであるにせよマーラーの「巨人」はやはりナマで聴くべき音楽だ。これが聴けるのは良い機会だ。
ミューザでアマオケがどう響くのだろう?
そもそも「巨人」を演奏するにふさわしい実力があるのか?

そんな興味やお手並み拝見といった<上から目線>で出かけたが…(指揮者とソリストは言うまでもなくプロである。)。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は一昨日神奈川フィルで聴いたばかり。
最初にホルン、後を追ってピアノの超低域からのアルペジオが2回繰り返されて木管、弦と厚みを増してゆく。この冒頭で破綻するプロオケもあるが(ホルンがヘマをする)、ここは上手に乗り切って快調な出だし。
その後も管楽器にやや惜しまれる部分はあったけど実にうまい。
とりわけ弦の綺麗なこと。

どうして?

アマチュアとも思えないほどきれいな音色だ。この日の1回だけを聴く限り横響(も前回は素晴らしかったが)よりまとまりがいい。良い響だ。

マーラーも同様だった。
弦楽器は少々失敗してもソロでもない限りかき消されてしまうから目立たない。
管楽器はどうしても失敗が目立ってしまうのが気の毒でもあるが、全体としてとても優秀だと思った(音大のオケにはかなわないけど。ま、当然だろう。)。

このアンサンブルの美しさは、ひょっとしてミューザという極上のホールも手伝っているに違いない。

横響はもっぱら音楽堂(年8回の定期のうち「第九」だけ県民ホール)だ。音楽堂は残響でごまかしの聴かないホールだけに実力がそのまま出てしまう。
横響がミューザで演奏するのを是非とも聴いてみたい。一皮むけたように上手に聴こえるのではないだろうか。

ブラームスは、テンポが全体として遅めに感じたが、終わってみるとほぼ50分で標準的な長さだった。


梯剛之(かけはし・たけし)氏の演奏をナマで聴くのは初めて。
生後1ヶ月で失明したそうだが、全盲なのかどうか分からない。ニュース記事では「全盲の~」と書いてあるのもあるからそうなのかもしれない。
辻井くんの場合と同様に指揮者が見えないのだから、どうやって音楽の流れを掴むのだろうと思うけど、全神経が目になり耳になっているのだろう。

ただ、ブラームスの第4楽章の入りはピアノとビオラが同時なので、一体どうやって合わせたんだろうと思った。指揮者の動きが伝わってくるのだろうか。

ピアノの音が実に気持ち良い。
辻井くんの時にも感じたのだけど、ピアノの音の抜けがいい。
辻井くんの時は1階5列目?という場所であったが、今回は3階(第4層)なので距離がある分マイルドに伝わるけれど、やはりカーンという感じのスッキリした音だ。

みなとみらいホールは大ホールでも小ホールでもピアノの音は席によって音の大きさは異なっても種類は同じように聴こえる。
迫力はあるが抜けの良い音ではない。低音の重音などは音の塊として攻撃的に響いてくるが、ミューザの音はピアノのすぐそばで聴いているような原音を残した感じの澄んだ音だ。
ポタージュスープとコンソメスープの違いかな。

と、前に思ったことを今回再確認したのだけど、違うだろうか。

マーラーも上出来だった。部分的にはプロのような響だし、ピッチも揃って濁りは少ない。
これは前述のようにミューザの音響の良さに助けられている部分もあるだろうが、それを言えばプロだって同じということだ。

今回、ミューザの音響設計ポリシーのようなものをちょっと感じた。
還暦を迎えた県立音楽堂の音響との違いは根本的な思想の違いによると思う(良し悪しではなく時代の好みを反映しているのだろう)が、みなとみらいホールとの違いは思想の違いによるのか、偶々そうなっただけなのか、興味深い。


♪2015-120/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24

2015年11月28日土曜日

読売日本交響楽団第181回東京芸術劇場マチネーシリーズ

2015-11-28 @東京芸術劇場大ホール


オスモ・ヴァンスカ:指揮

エリナ・ヴァハラ:バイオリン*
読売日本交響楽団

シベリウス:「カレリア」組曲 作品11
シベリウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品47*
シベリウス:交響曲第1番ホ短調 作品39
-----------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第2番からサラバンド*


5年ぶりの芸術劇場だった。
横浜から池袋は遠いというイメージがあったが、東横線と副都心線が乗り入れするようになったので非常に楽ちんになった。

時間帯にもよるだろうけど、日曜日の19時着という条件で普段良く行く都内のコンサートホールを調べてみたらドア・トゥ・ドアで、サントリー・ホールが55分と一番時間がかかり(これは溜池山王からの歩く時間が長いからだ。)、芸術劇場は1分違いでその次。NHKホール、がまた1分違い。文化会館がそのまた1分違いと、つまりは団子状態で有意差はないということが分かった。

芸術劇場に対しては<遠い>という先入観を改めなくてはいけない。

全く知らなかったが5年も行かなかった間に改修工事が行われていた。

評判の悪かった1階ロビーから5階に直行する長いエレベーターはL字型になって踊り場が儲けられていた。

オーディトリアムの中も改修されているそうだが、2階席を増やし、舞台を座席側に拡幅したらしい。

その他諸々の改修が2012年9月に終わってまだ3年ちょっとしか経っていないので、どこもとてもきれいだ。

JR池袋駅からもとても近いけど、地下鉄ではC8出口を出ればもう建物が見えているという便利さ。







生誕150年(12月8日生まれだ)ということで、シベリウスは例年になく演奏=聴く機会が多い。
この日はオール・シベリウスプログラムだ。

指揮者のオスモ・ヴァンスカはフィンランド人。
独奏バイオリンのエリナ・ヴァハラはアメリカ生まれのフィンランド育ち(フィンランド人らしい)ということだから、彼らによるかなり濃密なシベリウスが演奏されるのかなとも思ったが、そのところはよく分からなかった。
まあ、生粋を揃えられたので揃えてみたという程度のことではないのかな。日本人指揮者であってもさほど演奏に変わりがあるとも思えないけど。

読響にがっかりすることはこれまで一度もなかった。
今回もがっかりはしなかった。
けど、どうもみなとみらいホールやサントリーホールで聴く読響サウンドとは違って聴こえてしようがなかった。本当に読響だろうか?と言えば大げさだけど、薄いベールが掛かったような、遠くで鳴っているような(現に3階の中腹席なので遠いといえば遠いけど、音の性質が変わるはずもない。)感じで、ずっと違和感を払拭できなかった。
バイオリンのソロもちゃんときれいに聴こえるのだけど、管楽器を含め、音にきらめきのようなものが感じられなかった。


これはホールの音響効果のせいだろうか。
もう少し近距離で聴けば違ったとは思うが。

我が家からはサントリー・ホールより1分近い!ということで、これからも機会があれば芸術劇場で聴いてみよう。


♪2015-119/♪東京芸術劇場大ホール-1

2015年11月27日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第314回 コルンゴルト、ウィーンからの新たな風

2015-11-27 @みなとみらいホール



サッシャ・ゲッツェル:指揮

ゲルハルト・オピッツ:ピアノ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番Op.83
コルンゴルト:シンフォニエッタOp.5
------------
アンコール(管弦楽)
ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ「雷鳴と稲妻」 作品324

今回のテーマは「ウィーンからの風」だそうな。
首席客演指揮者のサッシャ・ゲッツェルはウィーン生まれ。
ピアノのゲルハルト・オピッツはドイツ・ピアノ界の正統派だそうで、まあ、音楽の素地はウィーンの親戚みたいなものか。
ブラームスは言うまでもなくドイツの3Bの一翼を担うドイツ人だが、ベートーベン同様ウィーンで活躍した。
コルンゴルトは今で言うチェコ生まれで、やはりウィーンでも活躍したらしいが、この人についてはむしろ活躍の場はハリウッドだったかも。

何やら、ウィーンで統一するには少し無理のある組合せで、モーツァルトやシューベルト、ヨハン・シュトラウスなどを組んだらまさしくウィーンの風が吹いたろうに。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は強固な城郭然とした堂々の大曲だ。聴き応えがある。しかし、今日も神奈川フィルはホルンを始め金管に不安要素を抱えたままこの大海に乗り出した。

ところどころ小座礁しながら港には着いたが、出来はイマイチ。
ピアノは良かった。

ゲルハルト・オピッツは、体型から一層指が太短く見えるのだけど、その指はほとんど鍵盤に向かって突き立てることがなく、まるで鍵盤の上を雑巾がけでもしているような動きだ。
力みがまるでなく感情を込めるといった様子もなく、淡々と職人芸を聴かせるといったふうだ。

この曲は、カデンツァがなく、華麗なテクニックを見せることもないが、ラフマニノフの第3番と並んでピアノ協奏曲の最難曲とされているそうだ。
それだけに雑巾がけスタイルでこともなげに弾きこなすゲルハルト・オピッツが余計に頼もしく思えてくる。
オケが、特に管に安心感があれば堂々のコンチェルトだったのに惜しかった。

コルンゴルトはモーツァルトの再来と言われるほど早熟の天才だったそうだ。
「シンフォニエッタ」は作品番号からも若作りという検討はつくが、なんと15歳の少年時代の作だ。管弦楽作品としては2曲めだという。

「シンフォニエッタ」は「小さな交響曲」というくらいの意味だが、全4楽章で40分を超える大作だ。オケの規模もマーラーほどではないにしても大きい。

少年が、仕事で作曲した訳ではない。勉強か遊びで作ってみたというところだろう。そんな作品をありがたがって聴いてられるか、というような反発心も感じたよ。若いなあ。

ま、初めての作品だ。とりあえず聴いてみる。
冒頭のメロディが歌いやすい調子で始まるものの一捻りしてある。15歳がこんなメロディを思いつくのか、と少し驚く。
次から次へと楽想が繋がって出てきて休む間もない。
拒否感を覚えるような超現代風ではなく、後期ロマン派だと言われたらそうか、と思うような、新しさと古さが同居して居心地の悪いような印象であったが、これは初めて聴いたのだからそんなものかもしれない。

どこがウィーンの風か分からないままだったな…と思っていたら、アンコールでヨハン・シュトラウスⅡ「雷鳴と稲妻」でようやくウィーンぽく治まった。


♪2015-118/♪みなとみらいホール-36

2015年11月26日木曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.72 児玉桃&ゴーティエ・カプソン ~フランスの風薫るデュオリサイタル~

2015-11-26 @みなとみらいホール


児玉桃:ピアノ
ゴーティエ・カプソン:チェロ

ドビュッシー:チェロ・ソナタ ニ短調
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番 ホ短調 Op.38
サン=サーンス:「動物の謝肉祭」より"白鳥" 


ドビュッシーというと牧神の午後~とか交響詩「海」といった管弦楽作品や「映像」、「版画」、「ベルガマスク組曲」などのピアノ曲を思い出すが、室内楽はピンと来ない。
でもチェロソナタやバイオリンソナタを作曲していることは、たまにCDを聴くから知っていたけど、しっかりと聴いたこともないので、初耳のようなものだった。

ぼんやり聴いていたら、気が付いたら終わっていた。
何しろ、3楽章と言いながら2-3楽章はつながっている(アタッカ)ので実質2楽章のようなもので全部で10分強の長さだ。

チェロのいろんな奏法が用いられており、演奏難度は高いようだ。
しかし、これといって盛り上がりもないままに終曲する。

このドビュッシー唯一のチェロソナタの完成が1915年で、16年~17年(死の前年)にかけて作曲された同じく唯一のバイオリンソナタも同じような曲調で、既に病状が思わしくなかったようだから、全体として重苦しく、晴れやかな感じはFinaleに至ってもない。
既に癌を患っており、この曲の完成後2年ほどで亡くなるが、そういう事情も背負っていたのかもしれない。
チェロの高度なテクニックを聴かせるのが主眼の作品ではないか。

ドビュッシーに比べるとブラームスのチェロ・ソナタはずいぶん分かりやすい。まあ、自分がこの曲に馴染んでいるからでもあるけど。暗くて重いけどロマンティックな香りも残した冒頭のメロディーがきれいだ。
全3楽章とも短調(ホーイーホ)だ。せめて第2楽章の三部形式のいずれかのパートを長調にすれば変化が出て他のマイナー部分の哀愁が一層引き立ったろうに。と考えるのは素人の思いつきなのだろうな。
第3楽章はピアノの旋律をチェロが追いかけて始まる(フーガ)。両者のからみ合いが面白い。


チェロのゴーティエ・カプソン。1981年生まれのフランス人。アントニオ・バンデラスを若くしたような男前だ。
コンクール入賞歴多数。世界中の一流オケと共演をしている。
相当な腕前なのだろうが、印象に遺ったことが二つ。
一つはエンドピンの長いこと!
1mくらい伸ばしていたのではないか。
もう一つは、楽器の音が素晴らしくよく通る。良く鳴るのだ。
みなとみらいホールの大ホールでチェロの独奏を聴くのは数知れずだが、こんなに明瞭できれいな音を聴くのは初めてだ。

もっといろんなタイプの音楽を聴きたかったな。

使用楽器は1701年製のマッテオ・ゴフリラーだそうな。
チェロに限らず弦楽器の銘器といえばストラディヴァリウスやアマティ(のチェロがあるか知らないけど)が有名だが、このゴフリラーを愛用する名人も多いようだ。
カザルス、フルニエ、シュタルケル、ヨーヨー・マ、マリア・クレーゲルそれに長谷川陽子など。

もちろん、個体差もあるだろうけど、今日のゴティエ・カプソンの音が素晴らしかったのは、腕もあるだろうが、やはりゴフリラーの素晴らしさに由来しているのだろう。


♪2015-116/♪みなとみらいホール-34

第69回全日本学生音楽コンクール全国大会in横浜 ピアノ部門高校の部

2015-11-26 @みなとみらいホール


地方予選を勝ち抜いてきた高校生13人

ピアノ部門高校の部入賞者

第1位 尼子裕貴(あまこ・ゆうき)
第2位 平間今日志郎(ひらま・きょうしろう)
第3位 大野志門(おおの・しもん)
第3位 波田紗也歌(はだ・さやか)
横浜市民賞 平間今日志郎(さなだ・たいせい)


全日本学生コンクールの全国大会がみなとみらいホールで開催されるようになったのが2007年の第61回大会からで、その時から、コンクールの顕彰1~3位とは別に、聴衆賞である「横浜市民賞が」各部門毎に1人、贈られることになった。
それを選定するのが、横浜市民賞選定員だ。各部門は20名程度。多数の部門を兼ねることも可能だ。

選定員になるには何の資格も不要(横浜市在住が条件だったかも。)で、なりたいものが手を上げて応募し、年齢層や性別、地域などのバランスはとっているのかもしれないが、詳しいことは分からない。その上で、多数の場合は多分抽選だろう。
まあ、音楽好きで暇のあるものでないと勤まらないが、僕は今年で4年連続して応募し、選定員になっているのだから、大した競争率ではないらしい。

以前は複数の部門を担当したが、今年はピアノ部門高校の部だけになった。他の予定と重なって参加できなかった。特にフルート部門は過去3年間ずっと聴いてきていたので是非とも参加したかったが残念だった。

ピアノとバイオリン部門は、小学校~中学校~高校の部に分かれており、フルートは中学校~高校、声楽は高校~大学に分かれている。
全国大会であるから地方予選を勝ち抜いてきた子どもたちばかりだけど、同じ部門に毎年参加する(参加できる実力を持っているということだが)子供もいて、選定員として連続参加していると、顔なじみもできて、心の中では応援したくなる。

ま、そういう事情で選ぶ訳ではないのであって、「演奏に感動したこと。もう一度聴きたいと思ったこと」というのが基準だと説明されているが、これはとても曖昧で、実際は選ぶとなると非常に難しい。
しかし、全員の演奏を聴き終えて(今回は13人)、各自1票を投ずるのだが、主観的な基準ではあっても投票結果を見ると、必ずしも自分の選択した子供が選ばれなかったとしても、なるほど彼も良かったなというところに落ち着くのが面白い。

今回は、いやいつもだけど、真剣に聴いた。
大げさに言えば、自分の音楽性が試されているようなものだった。

高校生ともなると、技術的には完璧に聴こえる。
ピアノ部門だけに限っても、中村紘子、野島稔、小山実稚恵、仲道祐子、横山幸雄などを輩出しているのだから、音楽表現においてもレベルの高さは素人好事家である選定員を遥かに上回っているはずで、ここで、感動の素を手繰り当てるのは、やはり自分の精神力を集中して彼らの音楽を聴き取らなくてはいけない。
これは容易なことではない。



今年は、技術ではなく、子どもたちがどのように自分の音楽を構成しようとしているのか、について考えるようにした。

それでも難しく、13人のリストに自分なりの点数をつけてゆくのだけど、書いては消し、次の演奏を聴くと遡って点を付け直したりで、容易なことではなかった。

しかし、幸いなことに最終的には迷いもなく一人に絞ることができた。もちろん、その子に投票したが、選定員の全体の投票結果とは異なった。でも、その多数決の結果にも同意できるものではあった。
みんな、よく聴いているなと思った。

さて、選定員の仕事が終わるとほぼ半日の缶詰状態から開放され帰ってもいいのだけど、やはり、本審査の結果が気になる。
発表されるまで少しの間だけど、出演者やその保護者たちと一緒にロビーで待った。

待ったかいがあった。
専門家審査員の選んだ結果、1位になったのは、僕が選んだ子だった。ああ、間違っていなかったな、と思い、嬉しかった。


子どもたちの演奏を聴きながら、今日は、音楽の聴き方や表現についてじっくり考えさせられた。良い勉強になった。


♪2015-117/♪みなとみらいホール-36

2015年11月23日月曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第112回

2015-11-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮

エマニュエル・アックス:ピアノ*
東京交響楽団

リゲティ:ポエム・サンフォニック ~100台のメトロノームのための

J.S.バッハ/ストコフスキー編:甘き死よ来たれ BWV478

R.シュトラウス:ブルレスケ ニ短調 ~ピアノと管弦楽のための*

ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番 イ長調 作品141
-------------
アンコール
ブラームス:間奏曲イ長調 作品118-2*

リゲティの曲をコンサートで聴くのはこれで3回目かな。
2006年に没した現代の作曲家だ。
実験的な作品が多い…かどうか知らないが聴くのはそういう作品ばかり。

調性のない音楽はどうしても好きになれない。
なのに、今日の作品は楽音すらない。雑音の集合だ。

100台のメトロノームのテンポを舞台に並べ、すべてのテンポを異にして稼働する。この作業は開場前に行われるので、観客はガシャガシャとでたらめな変動するリズム音が鳴っている中を入場することになる。
機械式のメトロノームだからネジが切れやがて1台、また1台と止まってゆく。
開演時刻に近づくと、暗がりの中、楽団員が音を立てないようにそっと楽器を持って舞台に登場し、最後は指揮者も登場するが、まだ何台かのメトロノームがバラバラのリズムを刻んでいる。
最後の1台が息絶えた時、舞台が明るくなってバッハが始まった。

珍しい経験をしたが、アホらしさは払拭できない。
こんなものは音楽ではない。現代アートなるものはたいていそうだが、意表を突くだけにすぎない。


バッハの「甘き死よ来たれ」はシェメッリ賛美歌集の中の1曲で、ストコフスキーが管弦楽に編曲したものだ。
編曲のせいか、あまりバッハらしさは感じなかったが、同賛美歌集(全954篇)の中で確実にJ.S.バッハが作曲したと認められている3曲の中に含まれているというのだから、間違いはないのだろう。耳に優しいきれいな曲だ。リゲティのつまらないメトロノームの雑音を聴いた後だから余計に心に染みる。ま、そういう効果を狙った選曲だったのかもしれない。

「ブルレスケ」は単一楽章のピアノ協奏曲だが、ティンパニーも大いに活躍するのでピアノとティンパニーのための協奏曲と名付けても良かったかも。
チャイコのピアノ協奏曲が難しすぎて弾けないと拒否したピアニストに代わって初演を引き受けたハンス・フォン・ビューローが、R・シュトラウスからこの曲の演奏を頼まれた際には手に余るといって断ったそうだから相当な難曲らしい。
かなり喧しい音楽ではある。バッハと好対照。

ショスタコの最後の交響曲は、CDは持っていないし、ナマはもちろん放送を含め聴いたことがなかった。
第1楽章はなぜか、ウィリアム・テル(ショスタコはこの曲が子供の頃好きだった、と解説にあった。)の有名な旋律をほとんどそのままに取り入れていている。まあ、調子の良い音楽だ。
第4楽章にはワーグナー、グリンカ、ハイドンの旋律が取り込まれ、自身の作品の引用も多いそうだが、冒頭部分のワーグナーしか聴き取れなかった。
この作品は、ほとんど、ショスタコの終活作品のようである。

今日の東響は金管セクションが少し濁っていたように思う。いつもはきれいなアンサンブルを聴かせてくれるのだけど、僕の精神状態がおかしかったのかもしれない。


♪2015-115/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23