2015年9月16日水曜日

横浜交響楽団第665回定期演奏会

2015-09-16 @県立音楽堂


田中健:指揮
横浜交響楽団

マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
(1863~1945)
マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
(1860~1911)

この回から指揮者が交代制になったそうで、田中健氏がタクトを振った。えらく若く見えたけど、プログラムの紹介欄には77年生まれと書いてある。いろんなアマオケで指揮やコーチをしている人らしい。
その指揮ぶりは堂々としているし、身のこなしもベテランの風情があった。

一つ難点を言えば、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を振り終えた際の終止感(僕の造語。指揮者として、この音楽は終わりました、という感覚)を観客に伝えるタイミングが明確ではなかった。
生のコンサートは演奏者と観客の共同作業のようなものだけど、後者の出番は黙って聴くというほかは終曲を待って拍手をする・歓声を上げることしかない。この作業に円滑に入れることで気持ちを託した拍手に熱意がこもるし、カタルシスが具体化する。
でも、演奏が悪かった訳でもなく、曲の終わりがはっきりしなかったのでもなく、音楽は終わったけど、指揮者の意識の中ではまだ続いているかもしれない…そこが明確ではなかったので観客としては、溜め込まれた緊張を拍手によって一気に解放することができなかった。

フライイング気味の拍手がパラパラと起こったが、全体として拍手の盛り上がりを欠くことになりバツの悪い雰囲気が漂ったうちに休憩になった。


メインイベントのマーラーは多分アマチュアがやるには相当難しいのかな。
帰宅後スコアを見たら、馴染みのあるチェロのパートだけだけど、♯が4つとか♭が5つとかいう部分があって、個人的にはもうそれだけでお手上げだけど、そういうややこしい楽譜をちゃんとそれなりに音にしていたんだなあ、と感心をした。

問題はいくらもあった。やはり、ピッチが「不揃いの楽器たち」だ。
これはいつものことで、アマチュアの限界かも。
大活躍が期待されるトランペットも気の毒なところが随所に見られた。
でも、マーラーが恋人にプロポーズ代わりに贈ったという第4楽章のアダージェットは十分にロマンチックで美しかった。

いろいろあったけど、この大曲に挑戦する横響のパワーは素晴らしい。

♪2015-86/♪県立音楽堂-09

2015年9月13日日曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第52回

2015-09-13 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
藤村実穂子:メゾ・ソプラノ
東響コーラス:女声合唱
東京少年少女合唱隊:児童合唱
東京交響楽団

マーラー:交響曲 第3番 ニ短調


第3番は、マーラーのいずれも長ったらしい交響曲全10曲の中でもとりわけ長大で、近年までギネスブックに最長時間交響曲として記録されていたという。

プログラムでは演奏予定時間100分とある(結果的には105分だったと思う。)。

そんな訳で、CDでは数回聴くともなしに聴いてはいるのだけど、真剣に聴いたことがなかった。オケの定期でもなかなか取り上げられない。何しろ、「長い」だけではなく、オケの編成が異常に大きく、さらに独唱、女声合唱団と児童合唱団が加わるのだから、容易には取り上げることができないだろう。一回演奏する毎に赤字が出るのではないだろうか。

とにかく、CDでさえ(だから?)、真剣に聴いたことがない長大曲を今回初めてナマで聴くことになったが、休憩なしに演奏するというのだから、聴き手も一種の修行である。
事前に十分な予習と体調管理をして臨まねばとてもこの曲を鑑賞することはできない。

それが、体調不十分だった。
昨日の早朝の地震以来リズムが狂ってしまった。
こりゃあ、爆睡必至だなあ、と危惧しながら出かけた。

しかし、始まってみると、最初の10分位かな。しんどかったのは。
後は、ノリノリで、不思議なものだ。マラソンランナーのランナーズ・ハイのようなものか。

長くとも、それなりに(楽しめるとまではゆかないが)聴いておれるのは、マーラーの他の曲でも同じだけど、多彩な楽器を投入し、多彩な演奏技法を繰り広げ、刺激的でダイナミズムに富んだリズムとメロディが次々に押し寄せるからだろう。


因みに、オケが大編成だと書いたが、管・打楽器の編成は一応楽譜に書いてある(とはいっても、本番では補強しているように思う。)が、弦楽器については単に弦5部としか書いてない。
弦楽パートをどういう規模にするかは、指揮者の判断なのだろう。今回はコントラバスが9本並んだ。9本も並んだのを確認したのは初めてだ(千人の交響曲の時はどうだったのか記憶も記録もない。)。他のパートも推して知るべし。実に分厚い弦楽が時にはパート内でさらに2パートに分かれたりして重厚かつ繊細な響きを聴かせてくれた。

この重厚で華麗なサウンドがなければ、この長大曲を聴くのは苦行に等しいが、そこはうまく工夫して飽きさせない仕掛けが織り込んである。オーケストラの狂奔ぶりはもちろん聴き手の感性を大いにかき回すのである。

長きが故に尊からず。これは音楽表現を借りたアクロバチック・イリュージョンにすぎないのではないか、という不信感が根底にあるのだけど、抵抗したい気持ちも長くは続かなくなるのも現実だ。

音楽ってなんだろう、ていう疑問は永遠のものかもしれないが、マーラーを聴くとき特に強く感じてしまう。




演奏について。
メゾ・ソプラノの藤村実穂子の声が、天上の高いミューザの空間によく響き渡ってきれいだった。
女声合唱はP席に配置されていたが、児童合唱は客席第3層上手の一角から降り注いできたのも効果的な演出だった。
ミューザではホール客席内に合唱やバンダ(オケの別働隊)を配置するためのスペースが用意されているからこそこういう演出ができるのだが。
指揮のジョナサン・ノットの音楽的特徴は分からない。それほど聴いていないから。しかし、誠実そうな印象にいつも好感する。
今日の長大曲を完全暗譜で振ったというのはすごいなあと大いに感心した。そういえば以前にジョナサン・ノットが東響の音楽監督就任記念コンサートでマーラー(第9番)を振った時も暗譜だったなあ。

そして、東京交響楽団はいつもの様にうまい。
僕の独善では、N響、読響、都響と並んで在京オケ四天王だと思うよ。



この日の終演後のカーテンコールの凄まじさと言ったら、これまでのミューザ経験では最高の興奮ぶりだった。上に触れた一昨年のジョナサン・ノットの音楽監督就任記念コンサートでも大きな拍手と歓声に包まれていたが、今回はもっと一桁dbが大きかったように思う。

マーラーの音楽に対する僕の屈折した思いとは別に、大曲を演奏し終えた指揮者やオケや声楽の諸君たちと2千人近い観客が幸福な気持ちを一つにできる瞬間だ。

♪2015-85/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-18

2015年9月12日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホールシリーズ 第5回

2015-09-12 @県民ホール


小泉和裕(特別客演指揮者)
清水和音:ピアノ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ベートーべン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73 「皇帝」
ブラームス:交響曲第4番ホ短調 作品98


今日のプログラムはも、王道の中の王道。
ベートーベンとブラームスという、作曲家も王道だが、各自の作品がそれぞれのジャンルでの各自の最高峰ではないか(ま、人によって好みの違いがあるかもしれないけど。)。

こういう作品が並んだコンサートは実に安心できる。
幸福な時間だ。
でも、幸福すぎて前半は船を漕いでしまった。

なにしろ、今朝の6時前の激震(正確には震度4だけど…突き上げるような揺れだった。)ですっかり目を覚ましてしまってそれから寝られず、激しい睡眠不足状態だった。

どのオケのコンサートでも、第一声は不安だ。
ちゃんとピッチのあったきれいな音が協和して響くだろうか。
でも、この問題は、曲によってはそう心配しなくともよい場合がある。一般化してどう表現したら良いか思いつかないけど、例えば、ホルンを筆頭に木管の弱音で始まらない場合、とりわけ、低弦中心のTutti(言語矛盾があるかも)で音楽が始まる場合は不安要素が少ない。
最近、体感した例では、ベートーベンの「エグモント」序曲のようなタイプだ。そして、今日の同じくベートーベンの「皇帝」も安心できるタイプだ。

出だしはとてもきれいな響でホッとした。
続くピアノのアルペジオもきれいだし、とても気分の良い出だしだったが、2楽章の途中から、意識が朦朧としてしまったのは、演奏している人たちに大変申し訳無い。


「皇帝」の聴き所は全曲だろうけど、個人的に細かいところをあげるなら2楽章の終わりから終楽章へのつなぎの部分もゾクゾクするところだ。
終楽章のテーマをスローテンポで小出しにしながら盛り上げてゆき、ついに頂点に達した時に(attaccaで)第3楽章が華やかに始まる。
これは「運命」の第3楽章から第4楽章へのつなぎと同じ趣向だ。
「皇帝」は「運命」のほぼ1年後に完成しているらしいから、もう一度異なる分野でも同じ趣向を試みたのだろう。

ま、そんな訳で、個人的には、第2楽章の終わりから第3楽章への緊張感の持続と盛り上がりを興味を持ちつつ味わいたいところなので、第1楽章でうたた寝しても第2楽章では覚醒していなければならなかったが、震度4の余震がこんなところに及ぶとは思わず、気づいたら終楽章が始まっていた。残念無念。

でも、堂々とした「皇帝」ぶりで良かった…なんて、ちょっと白々しい?


休憩挟んで後半はばっちり刮目してブラームスを楽しんだ。
この曲は、初っ端からもうハラハラと泣ける感じだ。
それでいてその気になって泣いていると置いてゆかれてしまう。
この辺がチャイコフスキーなんかとは違うんだなあ。
情緒的ではあるけど、情緒に流されない。その抑制された感情表現がブラームスの真骨頂ではないか。

「ブラームスはお好き」?とサガンは問うた。
もちろん「大好きだよ!」と答えよう。



♪2015-84/♪県民ホール-02

2015年9月6日日曜日

女神(ミューズ)たちの”愛のうた”

2015-09-06 @ミューザ川崎シンフォニーホール


千住真理子:バイオリンVn
長谷川陽子:チェロVc
仲山郁代:ピアノPf

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番より プレリュード(Vc)
ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ(Vc+Pf)

ショパン:幻想即興曲(Pf)
ショパン:夜想曲 第20番「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」(Pf) 
ショパン:練習曲 第12番「革命」(Pf)

マスネ:タイスの瞑想曲(Vn+Pf)
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン・パルティータ 第3番よりプレリュード(Vn)
イザイ:無伴奏バイオリン・ソナタ 第2番より「幻影」(Vn)

チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」(トリオ)
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アンコール
E.エルガー:愛の挨拶(トリオ)


このシリーズ、いつからやっているのかしらないけど、少なくとも2013年にはみなとみらいホールで聴いた。
その時のメインプログラムはメンデルスゾーンの第1番のピアノトリオだった。
今日は、チャイコフスキーのピアノトリオだった。
いずれも甘く切なく、ロマンチックだ。

お嬢さん方にはピッタリの選曲かも知れない。

僕がピアノ・トリオという形式の音楽に開眼したのは、ほかでもない、このチャイコのトリオを聴いてからだ。
冒頭のチェロから始まりバイオリンに受け継がれる主旋律に惹きこまれない人はいないだろう。

変則2楽章形式だが、前半は特に変わったところはないけど、後半の、特にコーダからは第1楽章の切ないメロディーがだんだんと大げさになって繰り返され、やがて、テンポを落とし、葬送行進曲にでしめやかに終わる。
そういう意味では暗~い音楽だ。
演奏に50分も要する長大曲だがセンチメンタルな情感のせいか長さを感じさせない。

あくまで個人的見解だけど、ピアノトリオには傑作が多い。
この楽器編成が作曲家に刺激的だったのだろう。
古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーベン)もたくさん傑作を作っているしシューマン、もブラームスも、メンデルスゾーンもドボルザークも数曲ずつ作曲している。
ショパンとチャイコフスキーが1曲しか作っていないのはなぜだろう。

コンサート前半は各自のソロとピアノとのデュエットにピアノソロだ。
バッハ「無伴奏チェロのための組曲第3番」からのプレリュードにせよ、同じく「無伴奏バイオリンのためのパルティータ第3番」プレリュードにせよ、聴くには物足りない。曲目を減らしても全曲聴きたかった。ただ、無伴奏バイオリンの2曲めがイザイの無伴奏ソナタ第2番から幻影というのは、良い選曲だった。

難曲、「偉大な芸術家の思い出に」では、特にピアノがときどき音を外していたが、勢いがあったのでさほど気にもならなかった。

今日のミューザ川崎シンフォニーホールでの席は、第2層のセンターの中のセンターという場所を選んだ。P席以外はどこも同額でランク無しだったので、普段聴いたことがないなるべく後方を選んでみたのだけど、音の響きはとても良かった。
以前、みなとみらいで聴いた際に千住真理子のストラディヴァリウスの音がやけに硬いという印象を受けたが、今日は、とても良い感じだった。

音楽とは関係ないけど美形3人の中では、千住真理子に親しみを感ずる。その真理子さんもデビュー40年だそうで、チャイコを弾くときにはメガネをしていたなあ。
いつまでもミューズでいてくれたらいいのだけど、そうもゆかんのだろうな。


♪2015-83/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-17

2015年9月3日木曜日

松竹創業120周年 秀山祭九月大歌舞伎 昼の部

2015-09-03 @歌舞伎座


一 双蝶々曲輪日記
(ふたつちょうちょうくるわにっき)
 新清水浮無瀬(しんきよみずうかむせ)の場

二 新歌舞伎十八番の内
   紅葉狩(もみじがり)

  紀有常生誕一二〇〇年
三 競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
序幕 奈良街道茶店の場
   同  玉水渕の場
大詰 春日野小由住居の場
   同  奥座敷の場

一 双蝶々曲輪日記
南与兵衛⇒梅玉
藤屋吾妻⇒芝雀
平岡郷左衛門⇒松江
太鼓持佐渡七⇒宗之助
堤藤内⇒隼人
井筒屋お松⇒歌女之丞
手代権九郎⇒松之助
三原有右衛門⇒錦吾
山崎屋与五郎⇒錦之助
藤屋都⇒魁春

二 新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)
更科姫実は戸隠山の鬼女⇒染五郎
局田毎⇒高麗蔵
侍女野菊⇒米吉
山神⇒金太郎
腰元岩橋⇒吉之助
従者左源太⇒廣太郎
従者右源太⇒亀寿
平維茂⇒松緑

  紀有常生誕一二〇〇年
三 競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)
紀有常⇒吉右衛門
絹売豆四郎/在原業平⇒染五郎
娘信夫/井筒姫⇒菊之助
絹売お崎⇒米吉
同 お谷⇒児太郎
旅人倅⇒春太郎<初お目見得井上公春(桂三長男)>
およね⇒歌女之丞
川島典膳⇒橘三郎
茶亭五作⇒桂三
銅羅の鐃八⇒又五郎
母小由⇒東蔵


「双蝶々曲輪日記」は昨年の10月の国立劇場で「通し狂言」としてみているので、予習もせずに臨んだ。

今回の「新清水浮無瀬の場」(原作浄瑠璃から三段目の「小指の身代わり」の趣向も取り入れられている、と<筋書き>に書いてある。)は、通しでは除幕に当たる部分で、物語をすっかり忘れているのには我ながら呆れた。もっとも小指を噛み切られる話は忘れているというよりそもそもそんな芝居あったっけ?という疑問が頻りだ。

ただ、南与兵衛(なんよへい・梅玉)が新清水の舞台から商売道具の傘を落下傘のようにして飛び降りる宙吊り芸は思い出した。

見どころはそこだけかな。
<ふたつちょうちょう>と言っても相撲取りは登場しない。
やはり「引窓」を含む場面構成で観たいな。


「紅葉狩」は竹本、長唄、常磐津の掛け合いによる舞踊劇。
能の「紅葉狩」を題材にしているようだが、打って変わって舞台は歌舞伎らしい派手な紅葉尽くしだ。
平維茂(たいらのこれもち。松緑。ヒゲがない方が良かったぞ)が紅葉狩りに来た戸隠山中で更科姫(その正体は戸隠山の鬼女。染五郎)とその共の一行と会い、酒を酌み交わしながら彼女たちの舞を見るうちに睡魔に襲われる。
ここで更科姫が2枚の扇を使って踊るところがひとつの見所らしい。

更科姫一行が姿を消した合間に山神(金太郎)が現れて、維茂に更科姫の本性を告げる。
後半、美しかった更科姫が世にも恐ろしい鬼女とに変貌して維茂を襲うところがものすごい。これはなかなかコワイ。

維茂は愛刀小烏丸で対抗し、鬼女はその威徳に抗せずして松の大木に逃げるように飛び移って両者が睨み合う大見得で幕。

賑やかな浄瑠璃に乗って、派手な舞台と衣装、そして舞踊が華やかでよろしい。



「競伊勢物語」がメインディッシュだったのだろうが、この話も人間関係も複雑で分かりにくくなかなか楽しめなかったが、大詰めのそれも終盤に至っての劇的展開に完全覚醒し唖然とした。

紀有常(吉右衛門)が、実の娘・信夫(しのぶ。菊之助)と彼女の許婚である豆四郎(実は磯上俊清⇒在原業平の家臣。染五郎)の生命を犠牲にして主君業平(染五郎の二役)とその恋人井筒姫(有常の幼女。菊之助の二役)を救う話で、そのような経緯になったのは、あれやこれやあるけど、つまりは、信夫は井筒姫に、豆四郎は業平にそっくりだったったために身代わりにされたということだ。
その死に方もかなり残酷だ。

事情を知らされない信夫の養母小由(東蔵)は信夫と衝立を挟んで向い合い、別れの琴を弾いてほしいと頼み、自らもそれに合わせて砧を打つ(ここでは菊之助が本当に琴を弾いているのには驚いた。なんでもやれるんだ。)。
その琴と砧の音を聴きながら、豆四郎は切腹をし、有常に首を討たれ、ついで、信夫も有経の手にかかって惨殺される。
お家大事のためにやむをえなかったとはいえ、なんという悲惨極まりない筋立てに仕上げたものか。

これは少々気色が悪い話だ。
江戸の庶民はここまでもえげつない話を望んだのだろうか。

昼の部では吉右衛門、東蔵、菊之助の出番はこの演目だけだったが、染五郎も加わって、実に緊迫の芝居を見せてくれたものの、後味の悪い話ではあった。



♪2015-82/♪歌舞伎座-05

2015年8月29日土曜日

小山実稚恵の世界 デビュー30周年記念ピアノ・リサイタル

2015-08-29 @みなとみらいホール


小山実稚恵:ピアノ

●シューベルト:
 即興曲 変ト長調 op.90-3
 ヘ短調 op.142-1
 変イ長調 op.90-4
 変ホ長調 op.90-2
●J.S.バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ
●リスト:愛の夢 第3番
 「エステ荘の噴水」(巡礼の年第3年より第4曲)
●ショパン:ノクターン 変ホ長調 op.9-2
 ポロネーズ第6番「英雄」 変イ長調 
 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズop.53
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アンコール
●グラナドス:「スペイン風舞曲」より第5番「アンダルーサ」
●アルベニス:入江のざわめき/パヴァーヌ・カプリッオ



小山実稚恵は現在活躍中の日本人ピアニストの中では、個人的には一番親しみやすい、好感度ナンバーワンのピアニストだ。

生演奏ではオーケストラとの共演で協奏曲を聴くことが多く、ピアノ単独のリサイタルは初めてだった。

2千人以上入るみなとみらいホールの大ホールでのリサイタルは、会場が大きすぎるのではないか、と危惧していたが、はりこんだS席の場所もベストで、最初のシューベルトの即興曲のピアニシモ?が揺らめくように始まった途端、気持ちは吸い込まれてしまった。こういう経験はめったにない。

彼女の指先(センターよりやや左で白鍵が見える席を選んだ。)がまるで音符に生命を吹き込んでいるように思えた。
即興曲では作品90の4曲のうち1番だけが演奏されず、代わりというわけではないだろうけど作品142の1番が演奏された。個人的には90-1が特に好きなのでこれを聴きたかったけどなあ。

バッハのシャコンヌはいろんな楽器にアレンジされているが、どんなアレンジを聴いても、やはり、原曲(無伴奏バイオリン)には敵わないと思っていたが、このピアノ編曲はよく出来ているというのか、全然違和感がないばかりか、これもオリジナルかのような錯覚に陥った。

エステ荘の噴水も過去いろんな人の演奏を聴いているけど、今回、初めて冒頭の水のきらめきを実感できた。リストの才能を深く感じたよ。

ショパンの2曲も言うことなし。


また、アンコールが良かった。
独墺、東欧と続いて、アンコールはスペイン音楽だ。
それぞれのピアノ音楽の粋を垣間見せてくれた。

小山実稚恵という人は表現力の確かな人だと思う。
時々音が外れることもあるが、大した問題では無いね。
ますますファンになった。


♪2015-81/♪みなとみらいホール-23

2015年8月26日水曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.70 読響メンバーによる室内楽

2015-08-26 @みなとみらいホール


瀧村依里:バイオリン
渡邉千春:ビオラ
唐沢安岐奈:チェロ
瀬泰幸:コントラバス
倉田優:フルート*
浦丈彦:オーボエ*
柴欽也:クラリネット*
武井俊樹:ファゴット*
山岸博:ホルン*

J.S.バッハ:コラール「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」*
L.シュポア:九重奏曲 ヘ長調 作品31
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J.シュトラウスⅠ(野本洋介編):ラデツキー行進曲


バッハのコラールで1番有名なのは「主よ、人の望みの喜びよ」だろう。ついで有名なのが「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」だろう。

今日は、これを珍しい木管五重奏で聴いた。
ホルンは金管楽器だけど、慣習的に木管五重奏と言われている。

曲名の意味は、聖書からテキストを採ったものなのでなんとなく分かったつもりでいたけど、解説を読んで想像とはだいぶ違うことが分かっておかしかった。

マタイ伝第25章10人の花嫁の譬えから引用されているそうだ。
10人の花嫁が花婿の到着を待っていたが、うち思慮深い5人は油を用意していた。花婿の到着が遅れてみんな寝込んでしまった。
夜中になって「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」たので花婿の到着を知って10人は対面の準備をしたが、油を用意していなかった5人は慌てて買いに出たが、戻ってきた時には門が閉められていた。だから、いつもちゃんと用意をしていなさいという教えなのだけど、こんなに即物的で具体的な意味があるとは知らなかった。

さて、メインはシュポアの九重奏曲(ノネット)だ。木管五重奏に弦四部が加わる。ここで弦は、弦楽四重奏で一般的な編成ではなく、第2バイオリンの代わりにコントラバスが入る。まあ、木管五重奏と一緒なので、チェロだけでは低音部が弱いからだろう。
室内楽としては最大限度の編成であり、オーケストラとしては最小限度の編成だ。いずれにせよ、こういう編成は演奏する方としては楽しくてしようがないだろうな。みんなSOLOなんだもの。


ところでルイ・シュポアって誰?
生年はベートーベンとシューベルトの間。ドイツ人でウィーンで活躍。手持ちの「クラシック作曲家大全」では古典派の一番最後に取り上げられている。当時最も名高い音楽家の1人だったそうだ。
どうでもいいような話だが、バイオリンの顎当てを発明し、最初に指揮棒を使った人でもあるそうだ。
多作だけど今日ではほとんど演奏されない。そういう人って、音楽家だけでなくいくらでもいるんだね。才能はあっても運が悪く歴史に埋もれてしまう人。いや、そういう人の方が圧倒的に多いんだが。

で、その音楽だけど、やはり、その時代のドイツ音楽…というよりウィーン風なのかな。屈託のない明るさだ。ヘ長調だが、途中で短調に変わる部分があるかと思ったが、気が付かなかったなあ。徹頭徹尾長調に終始した気がする。
そんな訳で、いかにもサロン音楽という感じ。楽しいけど軽い、かな。


♪2015-80/♪みなとみらいホール-22