2015-09-12 @県民ホール
小泉和裕(特別客演指揮者)
清水和音:ピアノ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
ベートーべン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73 「皇帝」
ブラームス:交響曲第4番ホ短調 作品98
今日のプログラムはも、王道の中の王道。
ベートーベンとブラームスという、作曲家も王道だが、各自の作品がそれぞれのジャンルでの各自の最高峰ではないか(ま、人によって好みの違いがあるかもしれないけど。)。
こういう作品が並んだコンサートは実に安心できる。
幸福な時間だ。
でも、幸福すぎて前半は船を漕いでしまった。
なにしろ、今朝の6時前の激震(正確には震度4だけど…突き上げるような揺れだった。)ですっかり目を覚ましてしまってそれから寝られず、激しい睡眠不足状態だった。
どのオケのコンサートでも、第一声は不安だ。
ちゃんとピッチのあったきれいな音が協和して響くだろうか。
でも、この問題は、曲によってはそう心配しなくともよい場合がある。一般化してどう表現したら良いか思いつかないけど、例えば、ホルンを筆頭に木管の弱音で始まらない場合、とりわけ、低弦中心のTutti(言語矛盾があるかも)で音楽が始まる場合は不安要素が少ない。
最近、体感した例では、ベートーベンの「エグモント」序曲のようなタイプだ。そして、今日の同じくベートーベンの「皇帝」も安心できるタイプだ。
出だしはとてもきれいな響でホッとした。
続くピアノのアルペジオもきれいだし、とても気分の良い出だしだったが、2楽章の途中から、意識が朦朧としてしまったのは、演奏している人たちに大変申し訳無い。
「皇帝」の聴き所は全曲だろうけど、個人的に細かいところをあげるなら2楽章の終わりから終楽章へのつなぎの部分もゾクゾクするところだ。
終楽章のテーマをスローテンポで小出しにしながら盛り上げてゆき、ついに頂点に達した時に(attaccaで)第3楽章が華やかに始まる。
これは「運命」の第3楽章から第4楽章へのつなぎと同じ趣向だ。
「皇帝」は「運命」のほぼ1年後に完成しているらしいから、もう一度異なる分野でも同じ趣向を試みたのだろう。
ま、そんな訳で、個人的には、第2楽章の終わりから第3楽章への緊張感の持続と盛り上がりを興味を持ちつつ味わいたいところなので、第1楽章でうたた寝しても第2楽章では覚醒していなければならなかったが、震度4の余震がこんなところに及ぶとは思わず、気づいたら終楽章が始まっていた。残念無念。
でも、堂々とした「皇帝」ぶりで良かった…なんて、ちょっと白々しい?
休憩挟んで後半はばっちり刮目してブラームスを楽しんだ。
この曲は、初っ端からもうハラハラと泣ける感じだ。
それでいてその気になって泣いていると置いてゆかれてしまう。
この辺がチャイコフスキーなんかとは違うんだなあ。
情緒的ではあるけど、情緒に流されない。その抑制された感情表現がブラームスの真骨頂ではないか。
「ブラームスはお好き」?とサガンは問うた。
もちろん「大好きだよ!」と答えよう。
♪2015-84/♪県民ホール-02