2015年9月18日金曜日

辻井伸行 with 井上道義&オーケストラ・アンサンブル金沢 《悲しみのモーツァルト》

2015-09-18 @ミューザ川崎シンフォニーホール

井上道義:指揮
辻井伸行:ピアノ*
オーケストラ・アンサンブル金沢

モーツァルト: 
交響曲第25番 ト短調 K.183
ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466*
交響曲第40番 ト短調 K.550
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アンコール
モーツァルト:トルコ行進曲(辻井編?)*
リスト:コンソレーション第3番*
モーツァルト:2つの行進曲ニ長調から第1番
武満徹:「3つの映画音楽」からワルツ<映画「他人の顔」>


5月の「熱狂の日」でオーケストラ・アンサンブル金沢の音の良さに魅せられて、機会があったら是非再度聴きたいと思っていた。
加えて人気の辻井伸行のピアノで、おまけにモーツァルトのマイナー曲ばかりという、ある意味ポピュリズムに訴えた品揃えのコンサートだともいえるが、僕も大いに心動かされたクチだ。

曲目はいずれもお気に入りばかり。
僕のiTunesライブラリには、モーツァルトのフォルダーの中に「ピアノ協奏曲短調」というプレイリストと「交響曲短調」というプレイリストが作ってある。いずれも2曲ずつしかない(それほどモーツァルトの短調作品は少ない。ピアノ協奏曲は27曲中、交響曲は41曲中、各2曲)。
時々、モーツァルトの疾走する悲しさ、とやらに浸りたい時があるのだ。
そのプレイリスト4曲中の3曲が演奏されるとあっては期待せずにはおれない。

ところが、オーケストラの第1声にちょいと不安を感じた。
いつもの聴き慣れたオーケストラの音ではないぞ。

なぜか?
一つには、編成が極めて小さい。バイオリン1、2とビオラはいずれも3プルト(6人)ずつ。チェロは4人、コンバスは2人。これに管楽器がオーボエ、ファゴット、ホルン各2人、曲によってフルート1人、トランペット2人が加わる。
こんなコンパクトな編成だから、各パートは明瞭に響く。
しかし、なんといっても弦楽器の数が少ないので楽器の共鳴効果(交響!)が期待できなく、硬めの音になってしまう。

では、5月に聴いたバッハの演奏はどうだったのか?
あの時の音はもっとやわらかな響だったように思う。

席は1階上手最前列センター寄りだった。
最前列でオケを聴くなんてできたら避けたいのだけど、ミューザの1階の座席配置は舞台に向かって3ブロックが扇型に並んでいるので、左右ブロックは最前列の最も内側でも指揮者への距離はセンターブロックの5列目に相当するので、まあ、室内オーケストラを聴くには前過ぎるとは思わなかったのだが、ひょっとして、この距離のせいもあったかもしれない。
つまり、楽器の共鳴効果の問題だけではなく、ホールの残響効果もこの席では十分ではなかったのだろう。
5月の国際フォーラムではオケまでの距離が十分あったのがサウンドをまろやかにしたのかもしれない。


一方で、ピアノの音も随分乾いた音なのだけど、これが実にクリアで粒立って小気味よく響いた。こういう音ならずっと聴いていたいような生理的にも快感がある。
この日、開演直前までピアノの調律が行われていた。
まあ、そんなに珍しいことではないけど、調律というより辻井くんの好みに整音していたのかもしれないな。

ともかく、どのホールでは、どういう編成の場合、どの辺で聴くか、難しいことだ。

音響は別とすれば、やはり鍛えぬかれたアンサンブル、という感じだ。少数だから、音楽の決めどころがピタッと合う。これは気持ちが良い。

いずれの作品も耳に馴染みすぎているせいか、あまり「疾走する悲しみ」は感じなかったけど、それが良かったかもしれない。浪花節みたいなモーツァルトはらしくないもの。


さて、辻井くん。
何にも見えないはずなのに、ピアノの前に座ったら手さぐりする様子もなく、正確に弾きだすのにはまったく驚く。
彼には心の中で何が見えているのだろう。

演奏が終わると、三方、四方に深々と何度も頭を下げる様子には、ちょいと胸を打たれた。

が、果たして、本当にうまいのだろうか。
弾き方がちょっと乱暴な感じもしたけど、どうなのかなあ。
国際コンクールにも優勝し(名誉賞だったという話も聞くが)、海外一流オケとの共演もこなしているのだから、相当の腕前なんだろうけど。

音楽に限らないけど、また辻井くんだけに限らないけど、作品というコンテンツが世に出た途端、それはストーリーを帯びることになる。
彼の場合は、全盲のピアニストで、若くて、可愛らしい表情なので、一層強力なストーリーが生まれる。
ストーリーは聴き手一人ひとりの中で妄想のごとく肥大化する。

佐村河内事件が突きつけた問題は、このコンテンツにまとわりつくストーリーがコンテンツ本体の評価を歪めるということを証明した。
辻井くんの場合も聴衆の妄想が彼の音楽性(の評価)を狂わせないように要注意だ。

館内の歓声は絶叫の嵐だ。
隣席のご婦人は僕の耳元でブラボー!の嬌声を張り上げ、しまいには立ち上がって(辻井くんには見えないのだけど)叫んでいた。
トリの40番が終わった時はえらくおとなしくしていたけど。

ある意味、異常な熱気だった。
音楽とは別の世界の熱気だ。

♪2015-88/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-19