2015年9月20日日曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第312回

2015-09-20 @みなとみらいホール


児玉宏:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K543
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」-ノヴァーク第2稿1878/80(ウィーン国際ブルックナー協会版による)

ブルックナーにどうしてモーツァルトが組み合わされているのか、分からなかったが、プログラムの解説に、間接的に触れてあったのが、ふたりともウィーンの音楽家であることと、2曲とも調性が変ホ長調であるという共通性だが、そんな理由でこの2曲を組み合わせるとも思えないので、結局、妙な取り合わせ感、は拭えなかった。

変ホ長調の件は、主和音(E♭・G・B♭)の第3音Gが弦楽器のうち最も数の多いバイオリン最低音(の開放弦)に当たるので迫力ある演奏ができる、というようなことが書いてあったが、これもよく分からない。それが特別な意味を持つなら世の中の管弦楽は変ホ長調がもっと重宝されているはずだ。
開放弦の迫力?と弦楽器同士の共鳴を期待するなら、バイオリンからコントラバスまでに共通する開放弦の音(G・D・A)を主音にする調性で作曲した方が一層効果的だと思うけど。

まあ、ナントカ調の曲だと言っても実際の音楽では全楽章が第1楽章冒頭の調性で統一されている例はないのではないか。それに一つの楽章の中でもコロコロ転調するので、作曲家は弦楽合奏上の音響効果を考えるというより、各調性の持つ性格を音楽に反映させたり、特定の管楽器を聴かせたい場合にその楽器の性能がよく発揮される調性を選ぶということはあるかもしれない。

開演を待つ間、プログラムを読みながらそんなことを考えていたが、そのおかげでモーツァルトの39番とブルックナーの4番が変ホ長調であることは十分に頭に入ったので暫くは忘れないだろう。だからといって、あまり意味が無いけど。


肝心の音楽。
指揮の児玉宏という人は、初めて聞く名前だった。ドイツの歌劇場で26年のキャリアを積んだ、主にオペラを指揮している人らしい。

指揮者によって音楽が変わるというのは、時々経験するけど、オーソドックスな解釈をする人たちの音楽性の違いは、残念ながら聴き分ける程の感性も知識もないので、この人の演奏もごくフツーのモーツァルトであり、ブルックナーであったように思う。もちろんそれで十分なので、素人にも分かるような新!解釈はむしろ望まないのだけど。

モーツァルトの演奏については、小規模な編成で、その分各パートの輪郭がはっきりして、モーツァルトらしさが出ていたように思う。そして今回この曲を久しぶりに聴いて、改めて<ウィーン>を感じたのが僕にとっては有意義だった。
ベートーベン(ウィーンが作曲拠点だったが)やシューマン、ブラームスなどに共通するドイツっぽさ(の中身はうまく説明できない)とは違って華麗さ、軽やかさが身上なのかなと思ったが、これからは聴き耳!立ててその違いを聴き分けられるように構えてみようと思う。

ブルックナーの4番。
ブルックナーの交響曲の中でダントツに有名だろうな。
「ロマンティック」という作曲家自身が付けた標題と冒頭のホルンのメロディーが特徴的なので覚えやすい。

それにしても長い。
プログラム記載の予定時間は75分!
この曲だけではなく、ブルックナーの交響曲はどれも比較的短めの楽想が次々と現れては消えそれらが繰り返される(ように思う)ので長くなるのだろうが、とりわけ終楽章はあまりに長いので、ブルックナー自身方向性を見失ったのではないかとさえ思うが、ま、これは全貌が掴みきれていない素人の迷いごとか。


演奏は、実に残念だったと言わざるを得ない。
何しろ、冒頭の、肝心要のホルンソロがずっこけては気分が乗れない。
その後もホルンは重要なメロディーを担って何度も登場するのだけど、ソロの成功率の低さは問題だ。
アマオケじゃないのだし、本人も辛いだろうから次席か三席かに回せばいいのにと思うよ。

それを別にすれば、弦楽パートも管・打パートも力が入っていた。
第2楽章は弦楽主体の心地よいメロディーがきれいだった(短いフレーズの繰り返しに疑問は持っているのだけど当然これは演奏上の問題ではない。)。
また、長さには閉口するけど第4楽章の低弦主体にメロディが力強く歌うところなんか、ゾクゾク感あり。

終曲は各パートが盛り上げてくれるのだけどカタルシスに至れないのも解釈や演奏のせいではない。
指揮者は暗譜でこの長大曲を引っ張っていた。
その熱意に共感できて終曲の物足りなさも聴き手としては胸中で補うことで満足できた。
それだけにホルン問題は善処してほしい。


♪2015-91/♪みなとみらいホール-26