2015年9月13日日曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第52回

2015-09-13 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
藤村実穂子:メゾ・ソプラノ
東響コーラス:女声合唱
東京少年少女合唱隊:児童合唱
東京交響楽団

マーラー:交響曲 第3番 ニ短調


第3番は、マーラーのいずれも長ったらしい交響曲全10曲の中でもとりわけ長大で、近年までギネスブックに最長時間交響曲として記録されていたという。

プログラムでは演奏予定時間100分とある(結果的には105分だったと思う。)。

そんな訳で、CDでは数回聴くともなしに聴いてはいるのだけど、真剣に聴いたことがなかった。オケの定期でもなかなか取り上げられない。何しろ、「長い」だけではなく、オケの編成が異常に大きく、さらに独唱、女声合唱団と児童合唱団が加わるのだから、容易には取り上げることができないだろう。一回演奏する毎に赤字が出るのではないだろうか。

とにかく、CDでさえ(だから?)、真剣に聴いたことがない長大曲を今回初めてナマで聴くことになったが、休憩なしに演奏するというのだから、聴き手も一種の修行である。
事前に十分な予習と体調管理をして臨まねばとてもこの曲を鑑賞することはできない。

それが、体調不十分だった。
昨日の早朝の地震以来リズムが狂ってしまった。
こりゃあ、爆睡必至だなあ、と危惧しながら出かけた。

しかし、始まってみると、最初の10分位かな。しんどかったのは。
後は、ノリノリで、不思議なものだ。マラソンランナーのランナーズ・ハイのようなものか。

長くとも、それなりに(楽しめるとまではゆかないが)聴いておれるのは、マーラーの他の曲でも同じだけど、多彩な楽器を投入し、多彩な演奏技法を繰り広げ、刺激的でダイナミズムに富んだリズムとメロディが次々に押し寄せるからだろう。


因みに、オケが大編成だと書いたが、管・打楽器の編成は一応楽譜に書いてある(とはいっても、本番では補強しているように思う。)が、弦楽器については単に弦5部としか書いてない。
弦楽パートをどういう規模にするかは、指揮者の判断なのだろう。今回はコントラバスが9本並んだ。9本も並んだのを確認したのは初めてだ(千人の交響曲の時はどうだったのか記憶も記録もない。)。他のパートも推して知るべし。実に分厚い弦楽が時にはパート内でさらに2パートに分かれたりして重厚かつ繊細な響きを聴かせてくれた。

この重厚で華麗なサウンドがなければ、この長大曲を聴くのは苦行に等しいが、そこはうまく工夫して飽きさせない仕掛けが織り込んである。オーケストラの狂奔ぶりはもちろん聴き手の感性を大いにかき回すのである。

長きが故に尊からず。これは音楽表現を借りたアクロバチック・イリュージョンにすぎないのではないか、という不信感が根底にあるのだけど、抵抗したい気持ちも長くは続かなくなるのも現実だ。

音楽ってなんだろう、ていう疑問は永遠のものかもしれないが、マーラーを聴くとき特に強く感じてしまう。




演奏について。
メゾ・ソプラノの藤村実穂子の声が、天上の高いミューザの空間によく響き渡ってきれいだった。
女声合唱はP席に配置されていたが、児童合唱は客席第3層上手の一角から降り注いできたのも効果的な演出だった。
ミューザではホール客席内に合唱やバンダ(オケの別働隊)を配置するためのスペースが用意されているからこそこういう演出ができるのだが。
指揮のジョナサン・ノットの音楽的特徴は分からない。それほど聴いていないから。しかし、誠実そうな印象にいつも好感する。
今日の長大曲を完全暗譜で振ったというのはすごいなあと大いに感心した。そういえば以前にジョナサン・ノットが東響の音楽監督就任記念コンサートでマーラー(第9番)を振った時も暗譜だったなあ。

そして、東京交響楽団はいつもの様にうまい。
僕の独善では、N響、読響、都響と並んで在京オケ四天王だと思うよ。



この日の終演後のカーテンコールの凄まじさと言ったら、これまでのミューザ経験では最高の興奮ぶりだった。上に触れた一昨年のジョナサン・ノットの音楽監督就任記念コンサートでも大きな拍手と歓声に包まれていたが、今回はもっと一桁dbが大きかったように思う。

マーラーの音楽に対する僕の屈折した思いとは別に、大曲を演奏し終えた指揮者やオケや声楽の諸君たちと2千人近い観客が幸福な気持ちを一つにできる瞬間だ。

♪2015-85/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-18