2014年11月15日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第304回定期演奏会

2014-11-15 @みなとみらいホール


金聖響:指揮
ギョーム・ヴァンサン:ピアノ
*江川説子:フルート(首席フルート奏者)

クセナキス:ピソプラクタ
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37
ブーレーズ:メモリアル*
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
--------------
アンコール
リスト:ハンガリー狂詩曲第6番
ショパン:夜想曲第20番 嬰ハ短調


今日は、脳が空中分解しそうなプログラムだった。
クセナキス(ギリシャ/1922-2001)。聞いたことのある名前だったけど、それ以上の知識はなし。
ブーレーズ(仏/1925-)は有名だけど、やはり、作品となると皆目知らなかった。

前者はパリで活躍したギリシャ人。
現代作曲家であると同時に建築家だという。
ナチスへのレジスタンスで左目を失い、顔半分に大きな傷が残った。終戦後もギリシャ新政府への抵抗運動が原因で死刑判決が出され、パリに亡命してほぼ終生仏国内に住んだという。
電子音楽、テープ音楽を含む超現代音楽を書いていて、今回演奏された「ピソプラクタ」という作品は、管弦楽作品だが、数学理論を応用した「確率音楽」というジャンルの作品らしい。
奏法も楽器を叩いたり、弓の背中でこすったり叩いたり(コル・レーニョ奏法)、グリッサンドがあったりと、ほとんど実験音楽だ。
とても美しいとかいう次元の作品ではなく、どこが面白いのか分からない。いや、こんな音楽もある、ということについては了解できるけど、付いて行けない。

ブーレーズの「メモリアル」も完璧に現代音楽で、「管理された偶然性」という作品の中の「オリジナル」という曲に基いて、不確定だった!部分をブーレーズ自身が決めて書き上げたものだそうな。
訳が分からん。

演奏されたものは、独奏フルートに小編成の管弦が協奏する5分程度の小品。

因みに原曲のタイトルは、アンドレ・ブルトンという人の『狂気の愛』に含まれた詩句「痙攣的な美は覆われた官能、固定された爆発、状況に応じた魔法に違いなく、さもなくば存在しない」からの引用だとプログラムの解説に書いてある。
これって、音楽なのだろうか?
確かに楽器が音を発してはいたけど。

…な訳で、冒頭と中間に<とんでも音楽>を挟んだ一見意味不明の曲目構成だったが、これは指揮者の金聖響が、それぞれの時代における音楽の革新性を代表するような作品を選んだものらしい。
キャッチコピーは「時代に衝撃を与えた異才たちのコラージュ」だ。

確かに、「ダフニスとクロエ」は間違いなく時代を革新したろうし、ベートーベンのピアノコンチェルトも第3番に至って初めてすべてのカデンツァを自分で書いた(ピアニストによる即興を拒んだ)という点で革新的なのだそうだ。

その時代では革新的であっても、クセナキスやブーレーズとの比較においてはベートーベンもラヴェルさえもなんと分かりやすい音楽であることか。異郷の旅に疲れて我が家に戻ったような安堵と癒やしを感ずる。

「ダフニスとクロエ」第2組曲は2週間前に東響で聴いたばかりで、その演奏もとても楽しめたのだけど、この日の神奈川フィルの素晴らしいこと。
明瞭、透明、それでいて厚みもある響で、しっかりとメリハリがあり、これまでに聴いた同曲では最高の出来だった。
これはベートーベンでも同様で、何か、一皮むけたような演奏だったのは、多分、先代の常任指揮者である金聖響が、知り尽くした古巣の神奈川フィルの良さを十分に引き出したのではないか。
楽団員もそれに応えてピタッと指揮者と呼吸を合わせることができたのではないかと思った。



ラヴェルも良かったけど、ベートーベンを弾いたギョーム・ヴァンサンのピアノが一段と素晴らしかった。
指揮者、オーケストラ、ピアニストの呼吸合わせと掛け合いに真摯な緊張感が漲って、聴く者を幸福にしてくれる、そんなありがたいようなひとときだ。
加えて、アンコールが一段と素晴らしい。

オーケストラのアンコールは不要だと思っているけど、ソリストはやってくれた方がいい。意外な選曲で異なる一面を見せてくれたりするのがうれしい。

ヴァンサンはまず、リストで超絶技巧を披露してくれた。いやはや圧倒される音楽だ。
もう、それだけで十分だったが、拍手歓声になんども舞台に呼ばれてワンモアサービスが、ショパンの、それも僕としては大好きな夜想曲20番だった。これはもう痺れました。元々、誰が弾いたって美しい名曲だけど、ヴァンサンの演奏はハートを直撃した。まったく、泣けそうになるんだから困ったものだ。

という次第で、この日の神奈川フィル定期は満点であった。



♪2014-102/♪みなとみらいホール大ホール-39

2014年11月8日土曜日

平成26年演奏とドリルの祭典

2014-11-08 @県民ホール


山梨県警察音楽隊
静岡県警察音楽隊
横浜市消防音楽隊
神奈川県庁合唱団
横浜市立みなと総合高校
吹奏楽部・チアダンス部
神奈川県警察音楽隊
神奈川県庁合唱団

イン・ザ・ストーン(神奈川県警音楽隊)
レッツ・エンジョイ・シズオカ2014(静岡県警音楽隊)
Let'March'n2014(山梨県警音楽隊)
GO!STEPPERS!(横浜市立みなと総合高校チアダンス部)
Brightration2014(横浜市消防音楽隊)
ベイ・サウンズ・ヨコハマ(神奈川県警音楽隊)
------合同演奏------
ホルスト:組曲「惑星」から「木星」
E・モリコーネ:「ニュー・シネマ・パラダイス」
Mr.インクレディブル
JOY!!(みなと総合高校チアダンス部)
LET IT GO(with 神奈川県警カラーガード)
花は咲く(県庁合唱団)


県警音楽隊や横浜市消防音楽隊が毎年県民ホールで定期演奏会をやっているのは承知していたし、他の行事とバッティングせず、応募が当選すればいつも聴きに行っていたが、今日の催しは「演奏とドリルの祭典」という変わったタイトルで、神奈川県警が主体だけれど、近隣の警察音楽隊などが賛助出演するという形だった。
こういうスタイルの演奏会があったとは知らなかった。
少なくともここ数年は開催されているらしい。もっとも、出演団体は同じではないようだ。顔ぶれを見るとどういう基準で編成されているのか分からない。各県警が持ち回りで開催しているのだろうか。

「県のたより」の行事欄に小さく出ているだけだから忙しい人は読み飛ばすだろう。往復はがきで応募して、当選した次第。
約2500人収容の大ホールが目一杯の観客を飲み込んでいた。

横浜は我が国の吹奏楽発祥の地だそうな。まあ、たいていの近代文明は港ヨコハマが受け入れたのだけど。
そして、警察音楽隊というのも神奈川県を以って嚆矢とするらしい。


二部構成の第一部は各音楽隊とそれぞれのカラーガード(各警察)、ポートエンジェルス119(消防)とが組んだドリル演奏*が披露された。みなと総合高校からはチアダンス部が登場した。

*Marching Drill⇒吹奏楽バンドが行う、曲を演奏しながら、様々な図形を作るように行進する演目


ピチピチギャル(でもないかも…)が見せてくれる機敏で華麗なダンスは目の保養。

ただ、ポートエンジェルスだけは趣向が変わっている。
数年前に初めてその演技を見た時、9人?が日頃の厳しい訓練の賜物だろう、あまりに正確な動きをするのに仰天・感動したものだが、今回、機械のような完全同期された動きは、メリハリ効きすぎで優雅さに欠けるというか、コワイなあ…、と他の団体のドリルを見ながら思ったことである(でも、お嬢さん方がここまで自分を鍛え上げている姿には思わず襟を正される。)。

山梨県警音楽隊は小編成ながら映画音楽メドレーで、1曲だけ分からなかったけど他は全部観ている、知っている映画の音楽で楽しかった。

静岡県警はケイサツともおもえぬコミカルな演出があって、これも楽しませてくれた。

とはいえ、地元贔屓ではないが、やはり、神奈川県警と横浜市消防音楽隊は一頭地抜きん出ていたように思う。


第二部は合同演奏で124名が舞台に並んだ。
こんな大規模な吹奏楽を聴くのは初めてのことだ。
大迫力で演奏も実に巧い。ソロをとる隊員などまるでプロだ。いや、専務隊なら音楽のプロと言っていい。きっと暇な時にクラブなどでアルバイトしているんじゃないかと思ったよ(根拠ありません。あまりに巧いので)。

最後はなぜか県庁合唱団も登場して「花は咲く」を歌ったが、しみじみ良い曲だなと思った。
来年も「県のたより」を見逃さないようにして応募しなくちゃ。


♪2014-101/♪県民ホール-02

2014年11月6日木曜日

11月歌舞伎公演「通し狂言 伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」

2014-11-06 @国立劇場大劇場


通し狂言「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)

序 幕 花水橋の場   
二幕目 足利家竹の間の場
三幕目 足利家   奥殿の場
     同    床下の場
大 詰 問註所   対決の場
    詰所      刃傷の場


坂 田 藤十郎…乳人政岡(御殿)
中 村 翫 雀…八汐<仁木弾正の妹>
中 村 扇 雀…乳人政岡(竹の間)
中 村 橋之助…仁木弾正
片 岡 孝太郎…沖の井<田村右京の妻>
中 村 松 江…絹川谷蔵<相撲取り。仁木派に襲われる頼兼を助ける>
中 村 亀 鶴…松島<渡辺主水妻>
坂 東 新 悟…侍女澄の江
中 村 国 生…渡辺民部
中 村 虎之介…山中鹿之介
市 村 橘太郎…鳶の嘉藤太
片 岡 松之助…
片 岡 亀 蔵…大江鬼貫
片 岡 市 蔵…山名宗全
坂 東 秀 調…小槙<大場道益妻>
坂 東 彌十郎…荒獅子男之助、渡辺外記左衛門
中 村 東 蔵…栄御前<梶原平三景時の妻>
中 村 梅 玉…足利左金吾(上杉)頼兼<放蕩殿様>、細川勝元        

ほか



「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」は、所謂伊達騒動を題材にしたもので、その元の話はあまりにも有名だ。子供の頃、多分東映?の映画を観た記憶がある。その後も、何度か、映画だったかテレビでの舞台録画だったかはっきりしないが観ている。
山本周五郎の「樅ノ木は残った」(大好き!)も伊達騒動を題材にしているが「伽羅先代萩」とは原田甲斐の立場が真逆だ。

今回は、歌舞伎としては初めての演目でもあり、幕間に筋書き読んでにわか勉強しなくともいいように、そこそこの予習は済ませて臨んだ。

伊達騒動ものの歌舞伎はどれが初出か、定説がないようだ。
誰かが書いたものを後の戯作者があれこれ書き替えている。
歌舞伎の中で書替えが多いベスト3は多い順に「曽我」、「忠臣蔵」とこの「伊達騒動」らしい。
その書替えの一つに「四谷怪談」に発展する物語もあるというからえらい飛躍だ。

現在の「伽羅先代萩」の形に整理されたのは1882年(明治15年)に市村座で「着三升伊達裲襠(きてみますだてのうちかけ)」で、九代目市川團十郎が足利頼兼、政岡、仁木弾正の三役を演じたのが始まりらしい。
この作品とて、先行する奈河亀輔作:歌舞伎「伽羅先代萩」(1776年)や桜田治助作:歌舞伎「伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)」を元に書かれた松貫四ら作:人形浄瑠璃「伽羅先代萩」を再度歌舞伎にまとめあげたものだそうだ(国立劇場プログラム解説抜粋)。

要するに、時間をかけて本来出自の異なる話を寄せ集め、無理に(と言っては言い過ぎかもしれないけど)筋を通そうとしたものだ。

「着三升伊達裲襠」の「きてみます」は1人で3つの裲襠を「着てみます」の言葉遊びではないかと思う(解説は言及していない)が、当否は別として、少なくとも九代目團十郎が1人で3役を演じたということは、重要な役の3人が舞台上絡む場面がまったくないということを表している。

国立劇場2F
ここからも分かるように、幕ごとに物語はほぼ独立・完結している。かくして、全体の物語は継ぎ接ぎであって、構成感は残念ながら大いに欠ける。

「除幕花水橋の場」で登場する頼兼(梅玉)と力士絹川(松江)はそれっきり出る幕はない(梅玉は細川勝元という重要な役で最後を飾る。)。

「竹の間」と「奥殿」の重要な役である政岡(扇雀と藤十郎)や八汐(翫雀)、沖の井(孝太郎)、栄御前(東蔵)もその後は登場しない。

「床下」で荒事を見せる男之助(彌十郎)もこの場だけ(彌十郎は大詰で渡辺外記左衛門:がいきざえもんとして大活躍)。

国立劇場が「伽羅先代萩」を上演するのはこれで3回めだが通し狂言としては初めて、だそうな。
通しで見ると、やはり、この物語としての収まりの悪さが如実になってしまう。
例えば、最後に悪党を退治し、めでたいめでたいの場面に、政岡が駆けつけるといった芝居が付加されたら、もう少し話としてまとまりが良いだろう。

…と、思うのだけど、これらを分かった上で役者の芸を楽しむのが歌舞伎の正しい鑑賞態度だろう。
本作にかぎらず、これまでに観た通し狂言でも各幕各場のつながりの怪しい演目はいくつか経験しているし、一幕一場の上演形態が成り立っているのも、歌舞伎が物語というより役者の芸を中心に味わう演劇ジャンルだということを表していると思う。



「花水橋」でのめっぽう強い絹川や「床下」での男之助は、品の良い所作の中に勇ましい立ち回りを見せる。
「床下」は典型的な江戸荒事の場として完成されているそうだ。ここをよく味わねばならぬということだ。

「床下」で初めて登場し(花道のすっぽんから)、妖術で男之助を翻弄する仁木弾正(にっきだんじょう:橋之助)はセリフが無かったと思う。所作だけで怪しげな「悪」を見せるのだが、果たしてどうだったろう。どうも、橋之助に好感を持っているので、そんな悪党には見えないのが困ったものだ。
花道を引き上げてゆく際に宙に浮いているように見せるのがこの役の「芸」だそうだが、確かに、ゆったりした足取りではあった。

この仁木の本格的な場面は大詰めの「対決の場」と「刃傷の場」だ。対するは外記左衛門(彌十郎)と細川勝元(梅玉)。
この大詰めでは勝元が颯爽としてかっこいい役柄なので、勝元が主役ではないかとさえ思える。
仁木弾正、外記左衛門共々、丁々発止のやりとりと立ち回りや傷を負いながらの舞など大詰めらしい盛り上がりがある。

「床下」から終幕まで、男性しか出てこないのは、「竹の間」、「奥殿」が子役と間者以外は女性(女形)ばかりなのと好対象になっている。


歌舞伎の演技の系統に「荒事」、「和事」があるとは承知していたけど、もう一つ「実事(じつごと)」があると、今回勉強した。
この分類に従えば、
「花水橋・床下」は「荒事」。
「対決・刃傷」は「実事」
ということになるのだろう。
そこで「竹の間・奥殿」が「和事」ならば、この芝居は芸のデパートみたいだが、そうではなさそうだ。辞書によると「和事」は「濡れ事を中心として展開される柔弱な男性の行動を表すもの。」とある。


さて、この歌舞伎全幕中最高にして最大の見せ場は、「奥殿」に違いない。
伊達家の幼い跡継ぎ鶴千代に代わって毒入りのお菓子を食べて虫の息の千松を、仁木の妹八汐は悪事発覚を恐れて刺し殺す。
鶴千代の乳人(めのと)政岡はその千松の実母である。
目の前で我が子がなぶり殺しにされるのを顔色変えず耐え鶴千代を守る。
あれこれあって、人が去り、千松の亡骸と自分だけになった屋敷の奥殿で政岡がはじめて千松にとりすがり「でかしゃった」と褒めながらも悲痛な思いを露わにする。この場面は浄瑠璃が入リ、いやが上にも情感を高ぶらせてくれる。
この場の竹本(浄瑠璃)の芸は「クドキ」というそうだ。

こんなことが本当にあるだろうか、という話だけど、この話がなければ「伽羅先代萩」は今日まで残らなかった。
幼い子の忠義、非情な悲しみをひた隠しにしながらお家の安泰を守る健気さ、どっと溢れる母の思い。

今回で12回めという当たり役の藤十郎が「初めて勤めるという気持ちで臨む」迫真の芸は、初めて観る者にもその無念、苦しさが伝わり胸を打つ。


正直に言えば、彼の人が達した芸の境地など本当に分かるはずもなく、ただ、芝居として観ていただけなのだろうから、申し訳ない気もするが、学習途上ということで勘弁してもらおう。

国立劇場の「プログラム」や歌舞伎座の「筋書き」には、出演者の舞台に臨む思いが短文で記されているが、これを読むと、役者の芸に対する真摯さが伝わってくる。
その思いを汲み取りたい、味わいたいと思うが、ついつい見逃してしまったり、理解できなかったりすることがしばしばだ。

藤十郎の政岡(奥殿)は別として、翫雀の八汐、扇雀の政岡(竹の間)、東蔵の栄御前、橋之助の仁木、松江の絹川など主要な役の多くが初役だそうだ。そのせいでもないだろうけど、全篇の隅々まで緊張感が漂う舞台だった。


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「伽羅先代萩」のタイトルについて。
「伽羅」は伊達騒動の主、伊達宗綱が好んだ香木の銘木として知られているところから「めいぼく」と読ませる。

「先代」は伊達家のあった「仙台」にかけているのかも知れないが、違う説もあリ。
伊達家の重臣泉小次郎定倉(片倉景綱のことかも?いずれにせよ、本作にはこれに当たる人が登場しない…はず)が先君遺愛の萩を「先代萩」と名づけて自宅に植える話に因る、という説明を読んだ。
まあ、歌舞伎の演目はいろんな言葉遊びや言い換えなどが含まれているので「仙台萩」の意味もあったのかもしれない。

♪2014-100/♪国立劇場-06

2014年11月1日土曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第102回

2014-11-01  @ミューザ川崎シンフォニーホール


高関健:指揮
マーティン・ヘルムヘン:ピアノ
東京交響楽団

モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K503
ラヴェル:優雅で感傷的なワルツ(管弦楽版) Op61b
ラヴェル:ラ・ヴァルス(管弦楽版) Op72
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」 第2組曲 Op57b


モーツァルトとラヴェルの組合せって何かしっくりこないのだけど、プログラムには何にも説明はなかった。
両者の作曲時期はおよそ130年もの隔たりがある。

後日、読んだものには、ラヴェルがモーツァルトから多くの影響を受けたと語っている…そうだが、モーツァルトより後世の作曲家で彼から影響を受けなかった人はまずいないだろうから、結局良く分からない。

モーツァルトの作品はもちろん好きだけど、この際、「ボレロ」とか「ピアノ協奏曲」とかでラヴェル尽くしの方が嬉しかったな。

とはいえ、モーツァルトのピアノ協奏曲は、どういう訳かコンサートではここ数年で思い出すのは23番が多く、ほかには最近26番「戴冠式」を聴いたくらいだったので、久しぶりの25番ももちろん楽しめた。


さて、ラヴェルだけど、今日の演奏曲は「ボレロ」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」、「スペイン狂詩曲」などと並んでラヴェルの定番みたいなラインナップだった。

ラヴェルは管弦楽技法の天才と言われている。
ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」は多くの人が種々の楽器編成に編曲しているけど、ダントツに有名なのはラヴェルの管弦楽編曲版だ。
事程左様にオーケストラを自在に操って色彩感のある音楽を繰り広げてくれる。
今日の「優雅~なワルツ」も元は自身のピアノ曲を管弦楽に編曲したものだ(ラ・ヴァルスは逆パターン)。

モーツァルトの後に、ラヴェルの大規模な管弦楽作品を聴くと、やはり、別世界が広がる。


「ピアノ協奏曲」や「バイオリン・ソナタ」などは「ボレロ」などを作った同じ人の作品とは思えないような現代感覚に溢れた作品だけど、是非とも生演奏で聴いてみたいと思った。


東響には、兼ねてから弦・管の響に安定感を感じている。
ミューザという極上のホールのせいもあるのかもしれないが、管弦楽の透明と重厚を、近代管弦楽技法を駆使したラヴェルで楽しんだ。

♪2014-92/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-12

2014年10月29日水曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.61 神奈川フィル名手による室内楽③

2014-10-29 @みなとみらいホール


古山真里江:オーボエ(神奈川フィル首席)
鈴木一成:ファゴット(神奈川フィル首席)
久下未来:ピアノ

J.W.カリヴォダ:オーボエとピアノのためのサロンの小品 作品228
サン=サーンス:ファゴットとピアノのためのソナタ 作品168
F・プーランク:オーボエ、ファゴットとピアノのための三重奏曲 FP43
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アンコール
ベートーベン:3つの二重奏曲第1番 ハ長調 WoO.27 から第1楽章


オーボエ、ファゴットが主役のミニ・リサイタル。
もちろん、ピアノも入っている。

こういう楽器の組み合わせは初めてだった。
3曲とアンコールの断章を聴いたが、どの作品も初めて。

オーボエもファゴットも神奈川フィルのそれぞれのパートの首席なので、演奏面では何の不安もなかったが、ピアノとのアンサンブルが難しいように思ったのは、僕の体調が良くなかったせいかもしれないが。

まずは、オーボエとピアノによる小品。
カリヴォダ(チェコ/1801-1866)なんて作曲家の名前も初めてだったが、年代的にはメンデルスゾーン、ショパン、シューマンなどと同じロマン派に属するようだ。
メランコリックな曲調で始まり、旋律の豊かな民謡風な作品だ。
ところどころ、オーボエの聴かせどころが配されていてる。オーボエ吹きの世界では有名な曲らしい。


次がファゴットとピアノのソナタ。
ファゴットの名曲だそうだ。サン=サーンス(フランス/1835-1921)はこの時代の作曲家にしては長生きで86歳で歿したが、その亡くなる年に書いたもので、作品番号は最後の一つ前だ。

ピアノのアルペジオに乗ってロマンチックなメロディーが始まる。
とにかく、まったく老境を感じさせない、若々しい曲だったのは驚きだ。特に第2楽章はテンポも早くファゴットの技術も相当難度が高いのではないかと思った。

最後に3人揃ってプーランク(フランス/1899-1963)のピアノトリオ。
年代的にはサン=サーンスの作品とさほど変わらないが、こちらは新しい感覚を感じさせる。冒頭からしてドビューシートなんかをイメージさせる。フランスぽい。第2楽章はうって変わって牧歌的。
第3楽章は忙しい。
全曲を通じて気分が変わりやすいのが、良いのか悪いのか。


アンコールにベートーベンの二重奏曲から一楽章を演奏してくれたが、これがオーボエとファゴットの二重奏だ。
もともとはクラリネットとファゴットのための作品らしい。
およそベートーベンの声楽以外の作品で演奏会で取り上げられるような作品なら知らない曲はないだろうと高を括っていたが、あるんだなあ。
ピアノが入らないので、2本の木管楽器がよく調和して響も明瞭で、実はこの曲が一番楽しめた。
ところが、この曲は、贋作の疑いがかかっているそうだ。
しかし、いかにもベートーベンらしい音楽なのだけど、それだけにかえって怪しいということかも。

♪2014-98/♪みなとみらいホール小ホール-38

2014年10月25日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第664回東京定期演奏会

2014-10-25 @サントリーホール


アレクサンドル・ラザレフ[首席指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調 作品48
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番 作品43


昨日も神奈川フィルでエルガーの「弦楽セレナーデ」を聴いたが、今日はあらゆる「弦楽セレナーデ」*の中で、最も有名なチャイコフスキーのものだ。

当然、弦楽器のみ。
それも昨日の神奈川フィルよりやや編成が大きく60人前後いたのではないか。

何しろ、第1楽章冒頭のメロディがあまりに有名だ。
主調はハ長調だが出だしの和音はCではなくAmで非常に甘美で切ない。しかも全楽器の強奏だ。もうそこで気持ちを鷲掴みされてしまう。


第2楽章も耳タコの流れるようなワルツ。
第3楽章が悲愴を思わせるようなエレジー。
第4楽章はロシア民謡を取り入れた緩やかな序奏がアップテンポでリズミカルな形に姿を変えいついには第1楽章冒頭のメロディーに回帰してクライマックスを迎える。

やっぱり、弦楽セレナーデの王様だろうな。

指揮のラザレフはロシア人だからという単純な理由だけではないだろうけど、日フィルの首席指揮者として、「ラザレフが刻むロシアの魂」シリーズと銘打ってロシア人作曲家の作品を定期では多く取り上げている。いわばチャイコフやショスタコは自家薬籠中のものなのだろう。


メインのショスタコの4番は壮大な曲だった。
全部で15曲ある交響曲の中では、先日聴いたばかりの第7番が一番演奏時間が長いようだ(約75分)が、その次のグループに属しておよそ60分。
オーケストラ規模は15曲中最大の130人を要するそうで、これは「千人の交響曲」と同規模だ。

ショスタコは1936年に(交響曲<全15曲>でいえば第3番を作った後)、オペラ作品などでいわゆる「プラウダ批判」を受けた。
そのために、既に完成していたこの第4番交響曲を封印した。
そして共産党受けする第5番で汚名返上・名誉挽回に成功する。

が、しかし、すぐには封印を解かなかったのは、内容の斬新さが再度批判を呼ぶ可能性を恐れたのか、作品に対する自分自身の不満があったのか、その両方なのか、ともかく、実際に初演されるのは四半世紀後の1961年のそれも年末ギリギリになってからだった。

音楽家人生を翻弄されたショスタコを象徴した作品と言える。
放送でも聴いたことがなかったしCDも持っていないので、まるきり初めて聴いた長大音楽だったけど、大オーケストラのハイ・ダイナミックレンジと、ところどころ調性が不明になるいかにもショスタコらしい節回しが断片的に混じっていて、案外、存外楽しめた。

全3楽章で、どの楽章も最弱音で終わる。

最終楽章など、チェレスタが数回弱々しく響き、ついには残響さえも消えてホール全体が完全静寂になっても、なお、指揮者ラザレフのタクトは宙に浮いたまま。
恐竜の完全に息絶えたのを確認するかのように20秒から30秒ちかく時間が止まっていたのではないだろうか。
確かに、現実世界に立ち戻るにはそれくらいの時間を指揮者も必要だったろうし、聴衆にも必要だった。


*参考までにNeverまとめでは、弦楽セレナーデを37曲リストアップしている。

♪2014-97/♪サントリーホール-06

2014年10月24日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第303回定期演奏会

2014-10-24 @みなとみらいホール


湯浅卓雄:指揮
石田泰尚:バイオリン【ソロ・コンサートマスター】
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

E.エルガー:弦楽セレナーデ ホ短調Op.20
コルンゴルト:バイオリン協奏曲ニ長調Op.35
エルガー:交響曲第3番ハ短調Op.88(アンソニー・ペイン補筆完成版)


コルンゴルト(オーストリア⇒アメリカ。1897-1957)という作曲家の存在は今年3月の読響の定期でバイオリン協奏曲ニ長調が取り上げられるまでは知らなかったが、オーケストラでは既に人気者のようで、その後も日フィルで聴き、今日が3度目だった。

それまでのほぼ半世紀にわたる我がクラシック音楽愛聴史はなんだったのか、と言われそうだが、日本でコルンゴルトの作品が初演されたのが1989年で(このバイオリン協奏曲)、評価が確立したのは没後50周年(2007年)だというから、聴く機会がなかったのも無理はないかもしれない。

映画音楽を多く手がけた人で、この作品も自作の映画音楽を散りばめているらしいが、そもそもオリジナルを知らないのでよく分からないけど、現代の作品にしてはとても親しみやすい。

神奈川フィルの名物男、石田泰尚がソロを弾くとあってか、普段の定期よりお客の入りがよい。それもおばさまたちが多い。
僕の指定席の近隣はいつも一つ空いていたが、今日は御婦人が埋めておられた。今回だけのチケットを入手されたのだろう。

石田氏はもちろんとても上手なのだけど、力の入ったオーバージェスチャーも一層ファンを沸かせる。



エルガー(英国。1857-1934)の2作品はいずれも初めて聴くものだ。
弦楽セレナーデは文字どおり弦楽器のみで演奏されるが、かなり大きな編成だったので、透明感を持ちながら厚い響が魅力的だった。

音楽はコルンゴルトより40歳も年上、というより40年も前の人だけど、それだけに明確な調性と歌える旋律を持っている点でコルンゴルトより一層親しみやすい。
第1楽章(全3楽章構成)を聴いた時、すぐに加古隆の音楽を思い出した。たとえはあべこべだけどそういう親しみやすさだ。

さて、問題は交響曲第3番。未完成である。
エルガー自身は第1楽章の冒頭部分しか総譜化していないそうだ。ただ、ジグソウパズルのピースのような状態の断片スケッチが遺された。
アンソニー・ペインという人は作曲家であり、研究者でもあったので、BBCの依頼を受け補筆完成させた、というのだけど、補筆部分の方がずっと大きい(長い)ので、エルガーの交響曲第3番というより、エルガーの着想によるペインの交響曲と言った方が正しいのじゃないかという気もする。


因みに、Amazonで調べたらCDは1種類しか出ていないようだが、ジャケットのタイトルが興味深い発見だった。
EDWARD ELGAR / The Sketche for Symphony No.3 / 
Elaborated by ANTHONY PAYNE とある。
「ペインによって綿密に練り上げられたエルガーの交響曲第3番のためのスケッチ集」みたいな意味かな。
補筆完成という訳語よりは誕生の経緯に沿ったものだろう。

この補筆完成版の完成は1997年というから、つい最近のことだ。
どこまでがエルガーの音楽なのか、どこまで真筆に肉薄しているのか、分からないけど、まあ、総じてエルガーの作品がそうであるように、難解さとは無縁だが、特に美しい旋律がちりばめられているとか、聴き覚えのある英国民謡が取り入れられているという訳でもなく、ある程度馴染まないと楽しむまでには至らないのではないか。
ただ、管・打楽器がたくさん配置された大規模なオーケストレーションで、近代的な管弦楽技法が駆使されているから退屈するような作品ではない。
コルンゴルド同様に、今後も多くのオーケストラが取り上げるようになるのかもしれない。


第2楽章と第4楽章の終わり方に興味を持ったが、再確認するすべがない(Youtubeでも見当たらない。楽譜も見当たらない。)ので、機会があれば考えてみよう。
休符で終わるというのは、本当の終曲っていつなんだろう?ということなのだけど。ま、どうでもいいようなことなんだ。

♪2014-96/♪みなとみらいホール大ホール-37