東京都交響楽団
小林愛実:ピアノ*
2022-02-25 @サントリーホール
大井浩明:ピアノ*
エルガー:序曲『南国にて』作品50
クセナキス:ピアノ協奏曲第3番『ケクロプス』*(1986、日本初演)〈クセナキス生誕100年〉
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番へ短調 作品10
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J.シュトラウスⅡ:「南国のバラ」
ショスタコーヴィチ交響曲第1番をこれまで聴いていなかったのかと小吃驚。
エルガー「南国にて」の冒頭の第1バイオリンの金切り声を除けばすべて楽しめた。サントリーにしては響きが良かった。
クセナキスは他作品を聴いた経験もあり、前日のミュージック・カレッジでの講義で楽譜(図形?記号?暗号)︎も見ていたのでなんでも来い気分で臨んだ。
東フィル2月定期3会場のうち、ピアノの屋根を取り払ったのはサントリーだけだったらしい。
オケの不快音が大きくてピアノの音は埋もれがちになった(屋根を外したのは、2F席には好都合だったろう。舞台左右と後ろを取り囲む席があるのはサントリーだけだから、その辺の席にも届くように外したのだろう。1階正面には不都合だけど。)。
独奏部分のみ綺麗に響いた。
弦打楽器は奏法を駆使していろんな音を出せるが、それに乗るピアノは昔ながらの平均率。聴いていてこのチグハグ感がもやもやして解消できなかった。
その後に聴いたショスタコ1番は、クセナキス効果で耳に穏やかなもので、特に3楽章や4楽章の遅いテンポの(やはり歌いにくいものの)旋律が19歳の作とも思えない大人びた情感で、クライマックスは既にタコ印が押されていると感じた。
2月に入ってショスタコ3本目。明日も都響で交響曲第10番を聴く。
🇺🇦💢🇷🇺気持ちは複雑。
2022-02-17 @サントリーホール
ショスタコーヴィチ:バイオリン協奏曲第1番イ短調 作品77*
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 作品47
----アンコール--------------------
ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト:シューベルトの『魔王』による大奇想曲」作品26*
前半は服部百音が独奏のバイオリン協奏曲第1番。
この曲はなぜか、取り上げるオケ、バイオリニストが多く、いろんな人で何度も聴いているが、その割になかなか馴染めない。
第1楽章がいつも眠くなる。
2楽章以降は面白くなるが。
超絶技巧かどうか知らないが超絶体力は必要みたい。
熱演だった。きょうは普段より後ろの席だったが、十分に聴こえていた。ま、オケの音量も小さいからね。
後半の5番交響曲だが、僕の耳にはどうもテンポが遅く、個々の要素がかちっと組み合わさっていないように思えた。
もちろん、大体が賑やかで緊張感に包まれた音楽なので、終盤に近づくにつれてアドレナリン分泌が高まる筈なのだけど、どうもテンポのもどかしさを最後まで払拭できずじまいだった。
オケがMaskだらけだったのが大いなる落胆を招いた。
これまで、東フィルと読響はNoMaskを通してきたのに、今日はどうして?
Maskをするオケでも弦のTopはNoMaskが普通だったが、今日は遠藤女史を含め首席も末席もMaskが多かった。
なぜ彼らはMaskをするのか?訳が分からない。
健康管理を徹底し、検査を徹底し、換気を徹底し、楽屋や袖でも密を避けて、長話を避ければ、舞台でしゃべる訳ではないのだから、Maskが必要なはずがない。
だからこそ、読響と東フィル(実は僕が定期会員になっているオケでもう一つ横浜バロック室内合奏団)は、これまでNoMaskを通してきたのだと思っていた。
そうじゃないのか。
これまではMaskするのを忘れていただけなのか?
でなければ、今日の読響の弦パートは多分、皆んな感染しているのだ。そして舞台はウィルスだらけなのだ。恐ろしや。
♪2022-017/♪サントリーホール-01
2022-02-09 @新国立劇場
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団
【アディーナ】砂川涼子
【ネモリーノ】中井亮一
【ベルコーレ】大西宇宙
【ドゥルカマーラ】久保田真澄
【ジャンネッタ】九嶋香奈枝
ガエターノ・ドニゼッティ「愛の妙薬」
全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
予定上演時間:約2時間30分
第Ⅰ幕 70分
休憩 25分
第Ⅱ幕 55分
指揮のデスピノーサ&東響も「オランダ人」に引き続きの登板だ。
キャストはコロナの為に(元から出演予定の九嶋以外の)主要4役が全員日本人に代わった。
でも、それで大成功…は言い過ぎとしても、とても良かった。
何がいいかって、砂川涼子が素晴らしい。
あのふくよかで明かるく美しい声は、努力だけでは獲得できない天分だと思う。
ネモリーノ役の中井亮一にとっては歌手人生最高の大役だったと思うが、期待に応えた。
1番の聴かせどころ「人知れぬ涙」もヨシ!
もうちょっとツヤがあれば憂いも出てなお良かったが。
不満を挙げれば。
演出も美術も前回2018年公演と同じだが、前回は気づかなかったが点が今回は気になった。5年間の成長?
「文字」に拘る演出は美術面でも表れているが、「トリスタンとイゾルデ」はこの物語の契機に過ぎないのに全編にわたって「トリ・イゾ」由来の作り物がさも意味ありげに登場するのは紛らわしい。
薬売りの娘が登場するがセリフはない、歌もない。にもかかわらずなぜMaskをしているのか?
「オランダ人」の時もパントマイムの役者だけがMaskをしていた。
他にも兵士達が1幕ではMaskを。同じ連中が2幕ではNoMask。
いったいどういう整理基準なのか?
ともかく、Maskはやめてくれえ!
♪2022-016/♪新国立劇場-03