2018年1月31日水曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~ピアノと管楽器のための五重奏曲〜

2018-01-31 @みなとみらいホール


川井綾子:ピアノ*
古山真里江:オーボエ
齋藤雄介:クラリネット
鈴木一成:ファゴット
豊田実加:ホルン

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」作品13*
ベートーベン:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 作品16
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アンコール
モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 K452から第3楽章

ベートーベンの「ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調」は初聴きだった。
面白いのは、ベートーベンはこれをモーツァルトが同じ歳の頃に作曲した作品(「ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調」)と同じ編成・調性・構成でなぞるように作ったということだ。
アンコールでモーツァルトの同作品3楽章を聴けたのは良かった。
両者とも27歳頃の作品で若々しく陽性。それに両作品ともよく似た感じだ。最初からこれはベートーベンの作品だ、と分かっていて聴くとところどころそれらしい部分を発見できるけど、ことわり無しに聴いたら、どっちがどっちか分からなかったかも。

♪2018-012/♪みなとみらいホール-05

2018年1月27日土曜日

N響第1878回 定期公演 Aプログラム

2018-01-27 @みなとみらいホール


ピーター・ウンジャン:指揮
NHK交響楽団
弦楽四重奏*:セント・ローレンス弦楽四重奏団
女性合唱**:新国立劇場合唱団

ベートーベン:「エグモント」序曲
ジョン・アダムズ:アブソリュート・ジェスト(2011)*[日本初演]
ホルスト:組曲「惑星」作品32**

管の第一声はショボかったが続く弦のTuttiが厚い「エグモント序曲」。
ジョン・アダムズの日本初演作品はSQを独奏群にした協奏曲風。ベートーベン交響曲の断片を集めて面白い。
白眉は「惑星」。華やかな管弦楽技法に彩られた英国民謡風の美しい旋律と重厚な迫力。ま、この音楽はどこのオケが演ってもそれなりに楽しめるが、特別な意味でこれまでに聴いた中で印象深いのは2013年10月に神奈川フィル@みなとみらいホールでの演奏だ。

第7曲(最終曲)「神秘の神、海王星」では女声合唱(ヴォカリーズ)が入る。そして誠に神秘的に全曲を終えるのだが、その合唱団が舞台両端の上層部(客席のない3RA、3LAに相当するバルコニー)に位置して歌った。それはもう本当に天上界から降りてくる音楽そのものだった。とても感動的だった。

しかるに、今日のN響の演奏では合唱団は舞台裏に配置されて、靄がかかったようなコーラスだった。そもそもホルスとは女声合唱を舞台外に置くように指定しているらしい。これまでもバルコニーや舞台袖などに置かれるのを聴いたが、舞台後ろは初めてで、やはり声の通りが悪い。せめてオルガンステージで配置できなかったろうか。今日の「惑星」のオルガンはコンソールを舞台においての演奏だったのでオルガンスペースは十分空いていた。あるいは、3階席の後ろの方は自由席なので、ここを使う手もあった。
高い場所から降りてくる女性コーラスをクリアな音で聴きたかった。

♪2018-011/♪NHKホール-01

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第336回

2018-01-27 @みなとみらいホール


園田隆一郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
福間洸太朗:ピアノ*

ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」作品9
リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調 S.125
ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」序曲
ロッシーニ:歌劇「アルミーダ」から第2幕バレエ音楽
ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」から第1幕パ・ド・シス
ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」序曲
ヴェルディ:歌劇「アッティラ」から前奏曲
ヴェルディ:歌劇「マクベス」から第3幕バレエ音楽
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アンコール*
リスト:「リゴレット」による演奏会用パラフレーズ

園田隆一郎客演でコンセプトはイタリア&オペラ。
園田隆一郎の指揮で聴くのは記録にある限り、今日で5回目。
オペラが多く、コンサートの場合でもほとんどオペラの前奏曲とか序曲集だ。得意分野らしい。

こじ付け選曲もあったが、いずれも陽性で華々しい音楽ばかり。

4人の作曲家の8曲すべてにピッコロが使われていたがコレがイタリア風味の素か!

ベルディの2曲ではチンバッソが登場。これは珍しい。オペラの狭いピットの中では場所を取らないから重宝されているとも聴く。

♪2018-010/♪みなとみらいホール-04

2018年1月24日水曜日

オペラ「こうもり」

2018-01-24 @新国立劇場


指揮⇒アルフレート・エシュヴェ
演出⇒ハインツ・ツェドニク
美術・衣裳⇒オラフ・ツォンベック
振付⇒マリア・ルイーズ・ヤスカ
照明⇒立田雄士

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京交響楽団

ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン⇒アドリアン・エレート
ロザリンデ⇒エリーザベト・フレヒル
フランク⇒ハンス・ペーター・カンマーラ
オルロフスキー公爵⇒ステファニー・アタナソフ
アルフレード⇒村上公太
ファルケ博士⇒クレメンス・ザンダー
アデーレ⇒ジェニファー・オローリン
ブリント博士⇒大久保光哉
フロッシュ⇒フランツ・スラーダ
イーダ⇒鵜木絵里

J.シュトラウスⅡ:全3幕〈ドイツ語上演/字幕付〉

昨秋、日生劇場で観た二期会の「こうもり」も楽しめたけど、あれやこれや演出や舞台美術の面で不満が残った。ナマの舞台としてはその時が初めてだったので、まあ、こんなものなのかもなあ…と飲み込んでおいたのだけど、今日は、なんたって新国立での公演だ。少なくとも二期会公演を上回ることを期待して臨んだが、いやはやその違いは大きかった。

歌唱力の違いはよく分からないが、舞台のセットや衣裳、美術全般がだいぶ違う。よくできている。

なにより違いを感じたのは演出の巧さだ。オペラはやっぱり演出の比重が高い。とりわけ、「こうもり」のような作品はセリフ劇の要素が強く、ストレート・プレイとしての喜劇に近いので、演ずる役者たちも歌が巧いだけでは務まらない。また、第3幕で重要な役割を果たす看守のフロッシュには歌が無い。この為に同役は歌手ではなく喜劇役者が演ずることが多い(本公演でもこの役は俳優が、二期会の公演ではイッセー尾形が、それぞれ演じた。)そうだ。

「喜歌劇」とか「オペレッタ」とも呼ばれる分野の作品がいずれも「こうもり」のような性格なのかどうかは知らないけど、少なくとも「こうもり」は<芝居>の要素が強い。それだけに演出の巧拙がオペラとしても出来栄えを左右するのだろう。

その芝居もコントのような部分が多く、第3幕は爆笑モノだった。この辺の芝居は二期会のものとはぜんぜん異なる。手持ちのウィーン歌劇場のビデオとも異なる。まさにどんな芝居にするかは演出次第なのだ。

喜劇としてもとても楽しめるが、やはり音楽がいい。
ロザリンデの元愛人アルフレードはテノール歌手という役どころなので、劇中「星は光ぬ」を歌ったりするのも面白い。
第1幕の中ほどのロザリンデ、アイゼンシュタイン、アデーレの三重唱は悲しげで美しいメロディーだ。3人共今夜のパーティに行くことは隠して心にもない嘆きを歌うが、段々と本音が出てきて陽気な音楽に変わってゆくところも傑作だ。

ともかく、オペラでこんなに笑ったことは初めて。
この演出、この歌手・役者でもう一度観たいものだ。

♪2018-009/♪新国立劇場-01

2018年1月21日日曜日

読響第100回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-01-21 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団
イザベル・ファウスト:バイオリン*

ブラームス:バイオリン協奏曲ニ長調 作品77*
J.S.バッハ(マーラー編):管弦楽組曲から第2〜4曲
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
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クルターク:「サインズ、ゲームとメッセージ」から*

今日の読響横浜定期は100回目だ。だからといって、特別なことはなくプログラムでも特段触れていなかった。

無視されてしまった節目のコンサートだけど、プログラムが良かった。3作品ともドイツの3Bによるものだ。これが嬉しい。
また、ブラームスのバイオリン協奏曲のソリストはイザベル・ファウスト。
彼女の演奏はこれまでに都響とのメンコン、ジャン=ギアン・ケラス、アレクサンドル・メルニコフとのピアノ・トリオ演奏会を聴いていずれも好感を持っていたので、楽しみだった。

さて、ブラームスのコンチェルトはファウストのストラディヴァリウス”スリーピング・ビューティ”が良く鳴って細部の最弱音までしっかり聴こえた。まあ、席がかなり前の方だから当然とも言えるが、オーケストラ全体の調子は疑問だった。
オケの不調は3曲とも同じだった。てことは、僕の耳のせいではなかろう。アンサンブルの微妙なズレを感じてしまった。

曲作りとしてはカンブルランの彫琢が行き届いている感じがしたのだけど、その一方で弦と弦、あるいは弦と木管の間に不揃いな部分があったように思う。もっと後ろで聴けば感じなかったのかもしれないが、そうは言ってもこの席はもう何年も固定しているのだし、これまでにそういう不満は感じたことがなかったので、気になる。来季も同じ席で更新済みだし。

という不満が残ったドイツの3B大会だが、出来はともかく音楽は実に素晴らしい。今日のプログラムだと、一番はブラームスだ。実に美しい音楽だ。どの楽章もいいが、とりわけ第3楽章のハンガリー舞曲風のハイテンポの旋律は楽しい。ファウストもここではニコニコ笑いながら楽しんで弾いているのが聴いている者の気分を一層高めてくれた。
ところで、第1楽章のカデンツァは、普段よく聴くのはヨアヒムの作だそうな。ファウストはブゾーニの作ったものを好んで弾いているようで今日もそれだった。カデンツァの冒頭にティンパニーを伴うので区別が付くようだ。このバージョンは初聴きだったような気がする。

♪2018-008/♪みなとみらいホール-03

2018年1月19日金曜日

1月中席

2018-01-19@国立演芸場


落語 笑福亭希光⇒時うどん
漫談 新山真理
落語 三笑亭夢花⇒まんじゅうこわい
コント コントD51
講談 一龍斎貞水⇒安兵衛婿入り
   ~仲入り~
奇術 花島皆子
落語 桂米多朗⇒ちりとてちん
売り声 宮田章司
落語 三笑亭夢太朗⇒井戸の茶碗 

今年の初笑いだ。前座は飛ばして2ツ目から入った。
笑福亭希光(きこう)は鶴光の弟子で師匠と同じく、元は関西の芸人だ。そのせいで、東京落語じゃ「時そば」として有名な演目が「時うどん」になった。蕎麦とうどんではちょっと感じが違うんだけどな。そばみたいに啜れないからどうしてもズルズルっという擬音があまり旨そうではない。まあ、芸も学習途上というところで、まずまずの出来だったが、引っ込む際に時間超過だったのか、客席後方の時計を見て舌打ちして下がったのはいかん。観客は誰も気が付いていないのだ。いくら自分の話が終わっても、舞台の上で余計なことをしては観客の目には大いに不愉快。まったく修行が足らぬ。

新山真理の漫談は初聴きだったが、これもまずまず。

三笑亭夢花の「まんじゅうこわい」はかなりアレンジが効きすぎだ。特徴的な語り口なので、大成すれば面白い芸になるかもしれないが、今のところは聞き辛さが上回っている。

D51の漫才は話のレベルが低くその上くどいというか、臭いというか、洗練させておらず、加えてお客をいじりすぎるのは良くない。微笑ましい交流はいいが、乗れない観客も大勢いるのだ。そこの見極めはしながらやって入るのだろうけど。ま、タイプじゃないね。D51に特有のことではなく、下手な芸人ほどほかにも、お客をネタにするのが、こんな安易な方法で笑いを取ろうとしたって無駄だよ。スマートにやらないと不快感だけが残る。

講談師初の人間国宝一龍斎貞水の話は流石に惹きつけるのだけど、前フリが長くて愈々本筋に入ったところで時間不足という講談にありがちな(計画的確信犯?)展開に終わってしまい、欲求不満になってしまう。

桂米多朗のちりとてちん、宮田章司の売り声はまずまず。
トリの夢太郎の井戸の茶碗は好きな噺で、出来もとても良かった。心温まる良い話でシメたのはとても良かったね。

♪2018-007/♪国立演芸場-01

2018年1月18日木曜日

東京都交響楽団 第847回 定期演奏会Aシリーズ

2018-01-18 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団
ヤン・ミヒールス:ピアノ*/**
原田節 :オンドマルトノ**

ミュライユ:告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に(1992)(ピアノ・ソロ)*
メシアン:トゥーランガリラ交響曲**


トゥーランガリラ交響曲。全10楽章75分。メディアで断片を聴いた事はあるが生は初めて。
オケは大編成で多彩な打楽器群。コンバスが10本も並ぶとは壮観だ(アマチュアの合同オケ演奏会ぐらいでしか見たことのない光景だ。)。ピアノが重要な役割をはたすので、協奏曲のように舞台の中央全面に据えられ、もう1台のソロ楽器ともいうべき「オンドマルトノ」がピアノと対峙する形で並んだ。こういう楽器があることは承知していたが、ナマで経験するのは初めて。演奏装置自体は、学校の教室のオルガンを少し大きくした程度だが、音を発するスピーカーに当たるものが大小様々周りに並んでいた。
電子オルガンのようなものかな。鍵盤もあるが、1本弦を操作して自由なポルタメントを演奏することができる。この点がオルガンとは決定的に異なる。

さて、初聴きの音楽は、誇大妄想狂の自己満足音楽かと諦観混じりで聴いていたけど結構面白い。
この日のプラグラムの解説から一部を抜粋すると、「すぐれた音楽理論家でもあったメシアンは〜主要な2つのリズム上の実験的技法と、循環する4つの主題を挙げてみずから解題している」そうで、その実験的手法とは「ペルシナージュ・リトミック」と「逆行不能のリズム」であり、循環する「4つの主題はメシアン自身によってそれぞれ「彫像の主題」、「花の主題」、「愛の主題」、「和音の主題」と名付けられている。」そうだ。

ま、はっきり言って作者自身の能書きなんぞ(研究者にとっては重要だろうが、素人好事家である聴き手にとっては)どうでもいい。大切なのはどう感ずるかだ。「能書き」を実感することはまったくできなかったが、全10楽章が無調のものや、調性拡大のものや、明らかな調性を感ずるものなど、音楽の性格自体が広範に及んでいて退屈せずに聴くことができた。大ぼら吹きの自己満足ではないか、という思いは払拭できないけど、壮大な軽音楽とも言える。映画音楽のバックに流れていても何の違和感も感じないだろう。

♪2018-006/♪東京文化会館-01