2019-10-15 @サントリーホール
ユーリ・テミルカーノフ:指揮
読売日本交響楽団
エマニュエル・チェクナヴォリアン:バイオリン*
シベリウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品47*
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 作品64
--------------
成田為三:浜辺の歌*
昨日みなとみらいホールで聴いた読響の同じプログラムを今日はサントリーで聴いた。
演奏は昨日と変わりのない熱演だったが、まずもって席が悪くて全然入魂できなかった。
今日は来月の横浜定期が他のコンサートとバッティングして聴きにゆけないのでこの演奏会に振り替えた。どうせなら違うプログラムの会にしたかったが、どの日もダブっていて、昨日・今日の同一プログラムになってしまった。
それはいいとしても、振替えなので席は選べず、同じS席ランクではあるが、随分久しぶりのバルコニー席だった。これはやむを得ない。チケット捨てるよりマシだ。
1Fでいえば4列目くらいなので音源には近いがオケは視野の右半分だ。
音の方は左耳にももちろん入ってくるが8割方右耳に入ってくる。しかも、オーケストラを横から聴いている。
それを脳内で正面から聴く音楽に想像変換するのはやはりかなりのストレスだ。
二つ目。
サントリーは聴感上良席エリアが狭い。
当然今日の席では良い響きは期待できず、案の定、チャイコ終楽章などバイオリン高音域がキンキンゴロゴロと唸っていた。
みなとみらいでは大抵いつも良い演奏を聴かせてくれる読響も実力はこんな程度か、とガッカリ。ま、席が悪いんだ。正面から聴いていたら、遜色なかったろうに。
どの席で聴くか、これは極めて重要。
♪2019-157/♪サントリーホール-06
2019年10月15日火曜日
読売日本交響楽団第626回名曲シリーズ
投稿者
みつばち先生
ラベル:
★サントリーホール,
★読売日響,
E.チェクナヴォリアン,
シベリウス,
チャイコフスキー,
ユーリ・テミルカーノフ,
成田為三
2019年10月14日月曜日
読売日本交響楽団第115回みなとみらいホリデー名曲シリーズ
2019-10-14 @みなとみらいホール
ユーリ・テミルカーノフ:指揮
読売日本交響楽団
エマニュエル・チェクナヴォリアン:バイオリン*
シベリウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品47*
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 作品64
--------------
成田為三:浜辺の歌*
コンサートマスター(厳密にはミストレス)は日下紗矢子とうれしい配役。痩身・長身で長い腕が繰り出すボウイングが美しい。
E・チェクナヴァリアン(初聴き)の独奏でシベリウスのバイオリン協奏曲。これが実に良かった。なんとも明瞭・明晰な撥音で、気持ちがいい演奏だ。
情緒的にならず本格の味わい。
テルミカーノフ読響もぴったり寄り添って好感。
後半チャイコ5も堂々たる仕上がりに大満足。
♪2019-156/♪みなとみらいホール-44
ユーリ・テミルカーノフ:指揮
読売日本交響楽団
エマニュエル・チェクナヴォリアン:バイオリン*
シベリウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品47*
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 作品64
--------------
成田為三:浜辺の歌*
コンサートマスター(厳密にはミストレス)は日下紗矢子とうれしい配役。痩身・長身で長い腕が繰り出すボウイングが美しい。
E・チェクナヴァリアン(初聴き)の独奏でシベリウスのバイオリン協奏曲。これが実に良かった。なんとも明瞭・明晰な撥音で、気持ちがいい演奏だ。
情緒的にならず本格の味わい。
テルミカーノフ読響もぴったり寄り添って好感。
後半チャイコ5も堂々たる仕上がりに大満足。
投稿者
みつばち先生
ラベル:
★みなとみらいホール,
★読売日響,
E.チェクナヴォリアン,
シベリウス,
チャイコフスキー,
ユーリ・テミルカーノフ,
成田為三
2019年10月13日日曜日
名曲全集第150回 ジョナサン・ノットの「未完成」
2019-10-13 @ミューザ川崎シンフォニーホール
ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
ヴァーヴァラ:ピアノ*
アイヴズ:答えのない質問
シューベルト:交響曲第7番「未完成」
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番*
-------------
ブラームス:6つの小品 作品118から第2曲「間奏曲」*
台風19号の余波で開催が危ぶまれたが、10分遅れでもやったのは良かった。いつもよりお客の入りが悪かったのはやむを得まい。
当初は、アイヴズ作品にシューベルト「未完成」を続けて演奏するという木に竹継ぐような…ノットの悪癖に嫌気がさしていた。真面目にやれ!
しかし、初聴きのアイヴズ「答えのない質問」が予期に反してとても真面目な作品で興味深い。徹底的な弱奏を基調とする中に木管が思いがけない答えを用意する。静に始まり静に終わり…間をおかず「未完成」が始まるとそれはシューベルトとアイヴズの世界の混交状態。聴き慣れた旋律が今日は愛おしい。
不思議な感覚のまま入り込んだ第2楽章など、まさに先ほどのアイヴズが再現されているかのようだ。こんな印象的な「未完成」は初めて聴いた。ノットの外連味が今回に限っては功を奏して静寂で接続された両作品がともに味わい深いものとなった。
ヴァーヴァラ(初聴)の独奏でブラームス:ピアノ協奏曲第1番。協奏曲なのに弦の編成は14型から16型に拡大。
ピアノがえらく力強い。
オケも分厚い。
その分、前半2曲のような精緻な透明感は損なわれた。
協奏曲だし14型のままでも良かったのではないかと思うもののそれではあの迫力は出せなかったかもしれない。
厚切りフィレステーキを食べたような満腹感。
加えてアンコールのブラームス間奏曲118-2が心憎い選曲と名演。
♪2019-155/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-21
ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
ヴァーヴァラ:ピアノ*
アイヴズ:答えのない質問
シューベルト:交響曲第7番「未完成」
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番*
-------------
ブラームス:6つの小品 作品118から第2曲「間奏曲」*
台風19号の余波で開催が危ぶまれたが、10分遅れでもやったのは良かった。いつもよりお客の入りが悪かったのはやむを得まい。
当初は、アイヴズ作品にシューベルト「未完成」を続けて演奏するという木に竹継ぐような…ノットの悪癖に嫌気がさしていた。真面目にやれ!
しかし、初聴きのアイヴズ「答えのない質問」が予期に反してとても真面目な作品で興味深い。徹底的な弱奏を基調とする中に木管が思いがけない答えを用意する。静に始まり静に終わり…間をおかず「未完成」が始まるとそれはシューベルトとアイヴズの世界の混交状態。聴き慣れた旋律が今日は愛おしい。
不思議な感覚のまま入り込んだ第2楽章など、まさに先ほどのアイヴズが再現されているかのようだ。こんな印象的な「未完成」は初めて聴いた。ノットの外連味が今回に限っては功を奏して静寂で接続された両作品がともに味わい深いものとなった。
ヴァーヴァラ(初聴)の独奏でブラームス:ピアノ協奏曲第1番。協奏曲なのに弦の編成は14型から16型に拡大。
ピアノがえらく力強い。
オケも分厚い。
その分、前半2曲のような精緻な透明感は損なわれた。
協奏曲だし14型のままでも良かったのではないかと思うもののそれではあの迫力は出せなかったかもしれない。
厚切りフィレステーキを食べたような満腹感。
加えてアンコールのブラームス間奏曲118-2が心憎い選曲と名演。
♪2019-155/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-21
2019年10月11日金曜日
新日本フィル:#26ルビー<アフタヌーン コンサート・シリーズ>
2019-10-11 @すみだトリフォニーホール
上岡敏之:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
シューベルト:交響曲第2番変ロ長調 D125
シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D200
バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz. 116
今季の新日本フィルはシューベルト交響曲を全曲やるみたいで、9月4番、今回2・3番、来月1番、2月5番、7月8番。これに他の定期を合わせて全曲完成だ。
先月の4番も聴く機会が少ないく、圧倒的に5番以降が多い。
昔のことは記憶もいい加減だが、今日の2・3番は初聴きだったかも。
弦編成は10型という珍しい小規模。
2曲ともシューベルト17〜8歳頃の作品で、その頃ハイドンもモツも亡くなっており、ベートーベンを聴いていたはずだが、作風はハイドンに少し情緒をまぶしサロン音楽のような軽めの仕上がりだ。
これらの対比でバルトークが一層面白かった。
弦楽器の編成が14型(第1バイオリンが14人)に拡がって音の厚みが違う。
管弦楽のための協奏曲というだけあって、特に管楽器の出番が多い。技術的にも演奏が難しいようだ。
そこを、このオケのメンバーは難なくこなして面白い。
弦と管との混ざり合う響きも良い具合で、いつも上岡マジックに乗せられたようで、感心してしまう。
オマケにこのホール、響きが良いのが難点かも!
♪2019-154/♪すみだトリフォニーホール-03
上岡敏之:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
シューベルト:交響曲第2番変ロ長調 D125
シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D200
バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz. 116
今季の新日本フィルはシューベルト交響曲を全曲やるみたいで、9月4番、今回2・3番、来月1番、2月5番、7月8番。これに他の定期を合わせて全曲完成だ。
先月の4番も聴く機会が少ないく、圧倒的に5番以降が多い。
昔のことは記憶もいい加減だが、今日の2・3番は初聴きだったかも。
弦編成は10型という珍しい小規模。
2曲ともシューベルト17〜8歳頃の作品で、その頃ハイドンもモツも亡くなっており、ベートーベンを聴いていたはずだが、作風はハイドンに少し情緒をまぶしサロン音楽のような軽めの仕上がりだ。
これらの対比でバルトークが一層面白かった。
弦楽器の編成が14型(第1バイオリンが14人)に拡がって音の厚みが違う。
管弦楽のための協奏曲というだけあって、特に管楽器の出番が多い。技術的にも演奏が難しいようだ。
そこを、このオケのメンバーは難なくこなして面白い。
弦と管との混ざり合う響きも良い具合で、いつも上岡マジックに乗せられたようで、感心してしまう。
オマケにこのホール、響きが良いのが難点かも!
投稿者
みつばち先生
ラベル:
★すみだトリフォニー,
★新日本フィル,
シューベルト,
バルトーク,
上岡敏之
2019年10月7日月曜日
東京都交響楽団 第888回 定期演奏会Aシリーズ
2019-10-07 @東京文化会館
マルク・ミンコフスキ:指揮
東京都交響楽団
シューマン:交響曲第4番ニ短調 op.120(1841年初稿版)
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 op.74《悲愴》
シューマンは程よく纏まって好感。
チャイコフスキーは緩急強弱のメリハリ付けて暴力的な位の怒濤の悲愴でガサついて煩いがともかく醜女の深情けに押し倒された感じ。
ホルンのミュート?朝顔が割れているのかと思ったよ。
ところで第3楽章が終わると拍手したくなる。
今夏、仙台フィルの第3楽章単独演奏を聴いて以来そういう衝動に駆られる(その日の演奏会では、アンコールに「悲愴」の第3楽章だけを演奏したので、その楽章の終わり=曲の終わりということで、その日集まった観客はおそらく初めて第3楽章の終わりに拍手をする経験をした。これが案外快感であった。)。
第3楽章以外の残る3楽章はいずれも元気なく終わるのでどうも拍手に馴染みにくいが第3楽章の勇壮な終わり方はここでこそ、大向こうを聞きたい・聞かせたいという唯一のポイントだから。
♪2019-153/♪東京文化会館-08
マルク・ミンコフスキ:指揮
東京都交響楽団
シューマン:交響曲第4番ニ短調 op.120(1841年初稿版)
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 op.74《悲愴》
シューマンは程よく纏まって好感。
チャイコフスキーは緩急強弱のメリハリ付けて暴力的な位の怒濤の悲愴でガサついて煩いがともかく醜女の深情けに押し倒された感じ。
ホルンのミュート?朝顔が割れているのかと思ったよ。
ところで第3楽章が終わると拍手したくなる。
今夏、仙台フィルの第3楽章単独演奏を聴いて以来そういう衝動に駆られる(その日の演奏会では、アンコールに「悲愴」の第3楽章だけを演奏したので、その楽章の終わり=曲の終わりということで、その日集まった観客はおそらく初めて第3楽章の終わりに拍手をする経験をした。これが案外快感であった。)。
第3楽章以外の残る3楽章はいずれも元気なく終わるのでどうも拍手に馴染みにくいが第3楽章の勇壮な終わり方はここでこそ、大向こうを聞きたい・聞かせたいという唯一のポイントだから。
♪2019-153/♪東京文化会館-08
投稿者
みつばち先生
ラベル:
★東京都交響楽団,
★東京文化会館,
シューマン,
チャイコフスキー,
マルク・ミンコフスキ
10月歌舞伎公演「通し狂言 天竺徳兵衛韓噺」
2019-10-07 @国立劇場
天竺徳兵衛/座頭徳市/斯波左衛門⇒中村芝翫
梅津掃部⇒中村又五郎
梅津奥方葛城⇒市川高麗蔵
山名時五郎/奴鹿蔵⇒中村歌昇
下部磯平⇒大谷廣太郎
銀杏の前⇒中村米吉
佐々木桂之介⇒中村橋之助
侍女袖垣⇒中村梅花
石割源吾/笹野才造⇒中村松江
吉岡宗観/細川政元⇒坂東彌十郎
宗観妻夕浪⇒中村東蔵
ほか
四世鶴屋南北=作
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言「天竺徳兵衛韓噺」(てんじくとくべえいこくばなし)
三幕六場
国立劇場美術係=美術
序幕 北野天満宮鳥居前の場
同 別当所広間の場
二幕目 吉岡宗観邸の場
同 裏手水門の場
大詰 梅津掃部館の場
同 奥座敷庭先の場
国立劇場での通し狂言としては20年ぶりだそうだが、17年前に猿之助の「天竺徳兵衛新噺」(明治座)を観ていたので、変だなと思ったが、よく読めば「韓噺〜いこくばなし」と「新噺〜いまようばなし」との違いがある。
今回のは「いまよう」ではないのだから、古くからある噺で本家なのだろう。
大蝦蟇が出てきたり妖術を使ったりと外連味たっぷりの娯楽作とはいえ、猿之助と芝翫ではだいぶキャラが違う。
たまたま両方の舞台に異なる役で出ている米吉も二つの演目は噺が違うとプログラムに書いているが、その違いはもはや思い出せず、猿之助版の方が遥かに面白かったことは思い出しながら芝翫版を観たのでイマイチ気合が入らなかった。
♪2019-152/♪国立劇場-13
天竺徳兵衛/座頭徳市/斯波左衛門⇒中村芝翫
梅津掃部⇒中村又五郎
梅津奥方葛城⇒市川高麗蔵
山名時五郎/奴鹿蔵⇒中村歌昇
下部磯平⇒大谷廣太郎
銀杏の前⇒中村米吉
佐々木桂之介⇒中村橋之助
侍女袖垣⇒中村梅花
石割源吾/笹野才造⇒中村松江
吉岡宗観/細川政元⇒坂東彌十郎
宗観妻夕浪⇒中村東蔵
ほか
四世鶴屋南北=作
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言「天竺徳兵衛韓噺」(てんじくとくべえいこくばなし)
三幕六場
国立劇場美術係=美術
序幕 北野天満宮鳥居前の場
同 別当所広間の場
二幕目 吉岡宗観邸の場
同 裏手水門の場
大詰 梅津掃部館の場
同 奥座敷庭先の場
国立劇場での通し狂言としては20年ぶりだそうだが、17年前に猿之助の「天竺徳兵衛新噺」(明治座)を観ていたので、変だなと思ったが、よく読めば「韓噺〜いこくばなし」と「新噺〜いまようばなし」との違いがある。
今回のは「いまよう」ではないのだから、古くからある噺で本家なのだろう。
大蝦蟇が出てきたり妖術を使ったりと外連味たっぷりの娯楽作とはいえ、猿之助と芝翫ではだいぶキャラが違う。
たまたま両方の舞台に異なる役で出ている米吉も二つの演目は噺が違うとプログラムに書いているが、その違いはもはや思い出せず、猿之助版の方が遥かに面白かったことは思い出しながら芝翫版を観たのでイマイチ気合が入らなかった。
2019年10月6日日曜日
東京二期会オペラ「蝶々夫人」
2019-10-06 @東京文化会館
指揮:アンドレア・バッティストーニ
演出:宮本亜門
装置:ボリス・クドルチカ
衣裳:髙田賢三
照明:マルク・ハインツ
映像:バルテック・マシス
合唱指揮:河原哲也
演出助手:澤田康子/島田彌六
舞台監督:村田健輔
公演監督:大島幾雄
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団
蝶々夫人⇒大村博美
スズキ⇒花房英里子
ケート⇒田崎美香
ピンカートン⇒小原啓楼
シャープレス⇒久保和範
ゴロー⇒高田正人
ヤマドリ⇒大川博
ボンゾ⇒三戸大久
神官⇒白岩洵
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」
全3幕〈イタリア語上演/字幕付〉
予定上演時間:約2時間45分
第Ⅰ幕 55分
--休憩25分--
第Ⅱ幕、第Ⅲ幕 85分
宮本亜門新演出の二期会公演。
大村博美への期待と新演出の不安は外れなかった。
今年4回目の「蝶々夫人」でいずれも其々に楽しんだが、大村・蝶々こそ今年の「蝶々」のシメにふさわしかった。
一方で、宮本亜門の新演出*は観客の気を散らせた。
終始、物語の傍観者であるが、物語に絡みようのない無言の青年の存在はドラマ没入の邪魔でしかなかった。
また、えらく簡素な舞台で、作り物はスカスカの小屋ひとつ。
場面切り替えはカーテンに映像投射のみ。
その結果、声の反射板になるべき装置がないので、歌唱は迫力に欠けた。これでは客席後方や上層階には十分届かなかったのではないか。
僕は1階前方中央という好位置だったが、それでも物足りなかった。そんな悪条件の下でもひとり大村博美の群を抜く声量がハンデを跳ね返していたのは凄い。
また、彼女の演技力にも唸った。2幕の最後、オケがゆったりと伴奏する中、夫ピンカートンの帰国3年後に、蝶々さんの想いが叶ってピンカートン一行(気の毒なことにアメリカの本妻を随行して。)が家を訪ねてくる前夜。
セリフも歌もなく、万感の思いを胸に、ひたすら夜明けを待つ場面。大村の目は真っ赤に充血し、大粒の涙が頬を伝う。もう、なり切っている!確かに18歳の蝶々さんがそこに居た。それを見て心揺さぶられない者はいないだろう。
人種差別、女性蔑視などの問題を含んだ「蝶々夫人」だが、初演後115年を経た今なお観客の胸を打つのは美しい音楽のせいだけではなく、蝶々さんの純粋な生き方(ある意味、サムライの凛々しさがある。)は古今東西を問わず普遍的な美しさがあるからだろう。
*蝶々さんとピンカートンの間にできた子供は蝶々さんの死後ピンカートンに引き取られ、アメリカで育つ…までは原作どおり。新演出は、アメリカに帰国後30年の現在、ピンカートンは死を迎え、今32歳となった青年(蝶々さんの遺児)が残された父の手紙によって初めて両親のラブストーリーを知る、という内容に膨らませてあり、冒頭にこの事情を示す寸劇が演じられ、本編から終幕までずっと青年は舞台のどこかから両親の出会いから蝶々さんの自決までの3年間の出来事を覗き見ているという仕掛け。
♪2019-151/♪東京文化会館-07
指揮:アンドレア・バッティストーニ
演出:宮本亜門
装置:ボリス・クドルチカ
衣裳:髙田賢三
照明:マルク・ハインツ
映像:バルテック・マシス
合唱指揮:河原哲也
演出助手:澤田康子/島田彌六
舞台監督:村田健輔
公演監督:大島幾雄
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団
蝶々夫人⇒大村博美
スズキ⇒花房英里子
ケート⇒田崎美香
ピンカートン⇒小原啓楼
シャープレス⇒久保和範
ゴロー⇒高田正人
ヤマドリ⇒大川博
ボンゾ⇒三戸大久
神官⇒白岩洵
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」
全3幕〈イタリア語上演/字幕付〉
予定上演時間:約2時間45分
第Ⅰ幕 55分
--休憩25分--
第Ⅱ幕、第Ⅲ幕 85分
宮本亜門新演出の二期会公演。
大村博美への期待と新演出の不安は外れなかった。
今年4回目の「蝶々夫人」でいずれも其々に楽しんだが、大村・蝶々こそ今年の「蝶々」のシメにふさわしかった。
一方で、宮本亜門の新演出*は観客の気を散らせた。
終始、物語の傍観者であるが、物語に絡みようのない無言の青年の存在はドラマ没入の邪魔でしかなかった。
また、えらく簡素な舞台で、作り物はスカスカの小屋ひとつ。
場面切り替えはカーテンに映像投射のみ。
その結果、声の反射板になるべき装置がないので、歌唱は迫力に欠けた。これでは客席後方や上層階には十分届かなかったのではないか。
僕は1階前方中央という好位置だったが、それでも物足りなかった。そんな悪条件の下でもひとり大村博美の群を抜く声量がハンデを跳ね返していたのは凄い。
また、彼女の演技力にも唸った。2幕の最後、オケがゆったりと伴奏する中、夫ピンカートンの帰国3年後に、蝶々さんの想いが叶ってピンカートン一行(気の毒なことにアメリカの本妻を随行して。)が家を訪ねてくる前夜。
セリフも歌もなく、万感の思いを胸に、ひたすら夜明けを待つ場面。大村の目は真っ赤に充血し、大粒の涙が頬を伝う。もう、なり切っている!確かに18歳の蝶々さんがそこに居た。それを見て心揺さぶられない者はいないだろう。
人種差別、女性蔑視などの問題を含んだ「蝶々夫人」だが、初演後115年を経た今なお観客の胸を打つのは美しい音楽のせいだけではなく、蝶々さんの純粋な生き方(ある意味、サムライの凛々しさがある。)は古今東西を問わず普遍的な美しさがあるからだろう。
♪2019-151/♪東京文化会館-07





















