2016年10月10日月曜日

読響第91回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2016-10-10 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
マルティン・シュタットフェルト:ピアノ*
読売日本交響楽団

ラモー:「カストールとポリュックス」組曲から
    「序曲」・「ガヴォット」・「タンブラン」・「シャコンヌ」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番*
シューベルト:交響曲第8番「グレイト」
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アンコール
ショパン:練習曲 作品25-1「エオリアン・ハープ」*

ラモーの作品は初聴き。初演が1737年。評判が悪かったので54年に改訂したとある。ハイドンが初演を聴いたとしたら5歳位。モーツァルトが生まれたのは改訂版の完成より後だ。ま、そんな時代の音楽なので、サロン音楽みたいに軽やかに耳に入って来るけど、やはり最初の曲って、どうもオケのエンジンは暖機運転みたいだ。

ピアノのマルティン・シュタットフェルトは初めて。04年にゴールドベルク変奏曲でCDデビューしたことからか、「グレン・グールドの再来」と評される、と解説に書いてあったが、まあ、見た目も似ているし、低いピアノ椅子に座って弾く姿勢もそんな感じはした。
本物ならどんな弾き方をするか知らないけど、シュタットフェルトのピアノはごく普通の?モーツァルトに聴こえた。
因みに、グレン・グールドのバッハやベートーベンなどは好きだけど、彼が弾くモーツァルトのピアノソナタ第11番(トルコ行進曲付き)を初めて聴いた時につんのめって、遊んでるのじゃないか、と腹立たしく思ったので、それ以来、グレン・グールドの弾くモーツァルトはCDを買わないことにしている(ほとんど出ていないけど。)。

で、このピアノ協奏曲第15番は、CDは全27曲セットがあるので過去に聴いたことがあったけど、20番台の作品のように、今日はこれを聴いてみたいと思わせるような魅力は感じたことがないので、多分、ナマで聴いたのは初めてだったと思うけど、やはり、印象が希薄なままスルーっと抜けていった。

ラモー、モーツァルト、シューベルトというプラグラムそのものがなんだかピンとこないので、聴く態度が定まらないという感じだ。
超大曲でもないし、超絶技巧曲でもなさそうだし、ピアニストには悪いが、消化試合というか、映画で言えば、その昔のプログラムピクチャーのような気がして、聴く側に緊張感が生まれないのは困ったものだ。

で、一番楽しみにしていたのがシューベルトの第8番だ。
「楽しみ」というより、強い「関心」かな。
というのも、昨日、ズービン・メータ指揮ウィーン・フィルで聴いたばかりだったから(同じ曲を翌日聴くことになるとはなんという巡り合わせだろう。)。
昨日の印象では、世界の一流オケの実力をナマで聴いた結果は日本の一流オケも十分世界に通用するのではないか、と思ったのだが、さて、読響はどうか。

かなり肉薄していたと思う。
どこが違うだろう、とずっと耳を澄ませていたのだけど、管と弦が強奏で重なる場所などで透明感に欠ける。あるいは、弦の高音域での透明感に欠ける。つまりは、ときどき管弦楽にざわつきが混じることがある。それも、いわば、敢えてアラ捜しをしながら聴いているので感ずる程度のものだ。
だから、今日の読響を聴きながら、やはり、うまいものだと感心した。
でも、ウィーン・フィルとの僅かな差(これはN響や都響でもいつも感じていることだけど)。これが容易なことでは埋められないのだろうと思う。
でも、この差を聴き分けたくてチケット代4倍も5倍も支払いたくはないな。

♪2016-138/♪みなとみらいホール-35

2016年10月9日日曜日

ウィーン・フィルコンサート

2016-10-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ズービン・メータ:指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲 K527
ドビュッシー:交響詩「海」-3つの交響的スケッチ
シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D944「グレート」
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アンコール
ドボルザーク:スラブ舞曲作品46-8

ウィーフィルなんてナマで聴くの初めて!
えらく高いチケットだったけど、一度は聴いておきたいと思って特等席を買った。ミューザ川崎シンフォニーホール2CBのセンター最前列。絶好のポジションだ。

1曲めのモーツァルトは、なんだかざわついて聴こえてこれがウィーン・フィル?という感じ。
2曲目になって、オケの規模が特大になり(コンバス8本、チェロ10本)、そのせいか、あるいは音がホールに馴染んでくるということがあるのかもしれないが、弦は厚みを増したがまだまだこんなものじゃないはずという期待感と失望感がないまぜ状態。

いよいよメインのシューベルト。
ここではオケの規模はやや小さくなった。
そして驚いたことにフルート、オーボエ、ファゴット、クラリネットの各2本ずつの木管8人が、なんと指揮者の回りに半円形に並んだ。
通常は、木管楽器は弦楽器(多くの場合チェロかビオラ)の後ろに並ぶものだが、オケの最前列に出てきたのは初めて見る形だった。これまでにもウィーン・フィルの演奏を放送・ビデオで何度も何度も見ているけどこういう楽器配置は記憶に無い。
ただ、考えてみると、木管楽器は通常幾重もの弦楽器奏者や譜面台の影に隠れて演奏するのが常だから、彼らを最前列に引き出すのは音量のバランスさえ失わなければ合理的だ(特にオーボエやクラリネットは朝顔が床に向いているから音が遠くまで届きにくい。それでマーラーは時に楽器を水平に持って吹くように指示している)。

ただ、コンマスがフルートの首席の後ろになってしまうので他のメンバーとのアイ・コンタクトが取りにくいだろうけど。

また、僕の席からは良い塩梅に聴こえたけど、ステージそばの聴衆には木管八重奏団+管弦楽に聴こえたかもしれない。

それはともかく、マーラーの交響曲のように管楽器が大活躍する作品はなかったので優れた腕前に感嘆する場面はなかったが、図らずもの木管八重奏団はみんな達者だった。
問題は弦のアンサンブルだ。
最初の軽い失望は徐々に癒やされて、やはりシューべルトのような根っからウィーンの作品ともなると自家薬籠中のものか、繊細さを残しつつ重厚な響だった。

アンコールがドボルザークと、なんだかまとまりのない品揃えだったが、観客の拍手は長く続き、楽団員が舞台から全員引き上げた後も鳴り止まない拍手に応えて、メータ御大は一人で舞台に出て四方八方の観客に愛想を振りまいた。

さて、さて、さて。
これが世界の最高レベルとなると、我が日本楽壇は大いに安心してよいのではないかと思った。

演奏される曲にもよるし、どこ(ホール・席)で聴くかも問題だけど、これまでに聴いた海外オケの中で、一番感動を与えてくれたのは昨年NHKホールで聴いたhr交響楽団だ(ゲヴァントハウス管弦楽団は「マタイ受難曲」だったので、ちょいと比較が難しい。)。
海外オケの中で、というより、国内オケも含めて一番オーケストラの精緻なアンサンブルをhr交響楽団に聴いたように思う。

今年、11月にはドイツ・カンマーフィルとサンフランシスコ交響楽団を聴くことになっているので、いずれも楽しみにしているが、世界の3本指に入ると言われているウィーン・フィルがこの程度であるなら、N響も都響も読響も東響も日フィルも結構肉薄しているのではないかと思ったよ。
そういえば、早速明日の読響定期は、今日のウィーン・フィルと同じくシューベルトの交響曲第8番がメインだ。
どんな演奏を聴かせてくれるのだろう。

♪2016-138/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24

2016年10月8日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第321回横浜定期演奏会

2016-10-08 @みなとみらいホール


小林研一郎:指揮[桂冠名誉指揮者]
三浦文彰:バイオリン
日本フィルハーモニー交響楽団

ベートーベン:バイオリン協奏曲
ベートーベン:交響曲第6番《田園》

今日は指揮が炎のコバケンこと小林研一郎御大だ。
素人がどうこう言うのも口はばったいが、おそらく、優れた才能の持ち主なのだろうけど、旺盛なサービス精神が目障り・耳障りとなる例が少なくない。
極端なrit.にa tempo、超高速プレスト、劇的なクレッシェンドやppとffの異様に大きな落差などはまあ面白いとも言えるし、一度きりのナマ演奏故の遊びもあるのだろうが、これが観客に受けたりするものだから、いまさら止める訳にもゆかないということだろうか。本気になれば、きちんとした本流の音楽を聴かせる力があるのに、残念な気持ちで会場を後にすることが多かった。

ところがどっこい。
今日は、ベートーベンだ。
さすがこれでは遊べないはず。

いやあ、2曲とも本格的ドイツ音楽の真髄を聴かせてくれたと思う。
コバケン節は全然垣間見せもしなかった。
丁寧な音作り、音楽作りという気がした。

ベートーベンを演奏するにしてが弦楽器セクションが多すぎるのではないか(コンバスは2曲とも7本)とも思うが、現代風のベートーベンとはこういうものなのだろう。
厚みのあるサウンドが心地よし。

♪2016-136/♪みなとみらいホール-34

2016年10月6日木曜日

N響90周年&サントリーホール30周年特別公演|マーラー《交響曲第3番》

2016-10-06 @サントリーホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
ミシェル・デ・ヤング:アルト
女声合唱:東京音楽大学
児童合唱:NHK東京児童合唱団
NHK交響楽団

マーラー:交響曲第3番ニ短調

マーラーにはなかなか素直になれないのだけど、特大オケに合唱団付きの大規模編成が繰り出す強力サウンドに圧倒される。

ほぼ1年前の9月に東響(ミューザ川崎シンフォニーホール)で聴いたのが第3番のナマの初聴きだった。その時もすごいと思ったが、初めての超大作にどちらかといえば気持ちが引きずられっぱなしという感があったが、今回はいろいろ細かいことに気がつくゆとりがあった。この間の1年で、CDやビデオ録画でこの第3番を何度聴いたことだろう(N響デュトワ指揮1824定期もいいが、パリ・オペラ座のバレエ全曲盤も非常に珍しく、また面白い。)。ようやくきちんと聴ける態勢が準備できていたのかも。

マーラーの交響曲の楽器編成に通じている訳ではないけど、何番を聴いても管・打楽器が大活躍するように思うが、少なくともこの第3番に限っては、これはもうブラスバンドに弦楽器がちょこちょこ協力しているという感じだ。
弦楽器はほとんど主旋律を与えられていないように思う。管楽器の演奏する主題を和音で支えたり、対旋律を弾く程度だ。
せいぜいチェロが活躍の場をそれも少々与えられているが(この時にコンバスも同一旋律を弾いていたかどうか、席からは確認できなかった。)、ほかにはビオラも少々。
バイオリンはコンマスに短いソロ(第4楽章声楽アルトのソロにかぶる)があるほか、ほとんど縁の下の力持ちだ。それも第2バイオリンの方が出番が多いのではないか。

これまで幾度となくマーラーの交響曲をナマで(演奏を見ながら!)聴いていたが、こんなにも弦楽器が粗略にされていたとは大発見だ。

N響ブラスバンド演奏会に弦楽部も賛助出演しました、の感じだ。

ま、それはともかく。
冒頭のホルン8本で演奏されるテーマ(その後も何度も繰り返される。)のテンポが良かった。この出だしはとても大切だが、これまでに聴き慣れている演奏よりも心持ち早かった(手持ちのインバル、マゼール、デュトワ、サイモン・ヒューウェット指揮パリ・オペラ座管版のいずれよりもパーヴォのテンポは僅かに早いように思える。パーヴォの指揮は他のマーラーでもベートーベンでもやや早めのテンポが音楽を一層引き締めているのではないかと思っている。)。

この主題にはドイツの学生歌(元は民謡かその類かも)が用いられているようだ。ブラームスの交響曲第1番の終楽章に既に登場するメロディとそっくりのようでいて微妙に音を外して盗作呼ばわりを避けているように思えてならないのだけど、偶々、柴田南雄「グスタフ・マーラー」を読み返したら、「ブラームスを聴き過ぎの向きには、このマーラーの旋律はブラームスのデフォルメないしはパロディに聞こえることであろう。」とほとんどバカにしたような書き方がしてあり、続いてこの主題の精密な分析が続くので、やはり素人の思いつきなど浅はかなものだとその時は思ったが、実は釈然としないでいる。

長い。
けど、これだけ勇ましい音楽、かと思うと、懐かしさを感ずるような素朴な音楽が頃良い塩梅で連続するのでちっとも飽きない。
長くて心配なのは自分の体調が維持できるかということだ。
そのうち、生演奏は諦めなくてはならなくなる時が来るだろうな。

声楽アルトの独唱が第4楽章になって初めて登場し、児童合唱(女声合唱も)が入るのが第5楽章だ(全6楽章構成)。つまり合唱団諸君は冒頭から着席し、1時間20分前後待たされてようやく出番が来て4分前後立ち上がって歌い、その後は30分前後の長大な終楽章が続くが出番はない。

今回は珍しくも児童合唱団員にとって不幸な出来事があった。
合唱団はサントリーホールP席に陣取った。児童合唱団は最前列と第2列に、女声合唱団は第3列から第5列までにそれぞれ着席して出番を待っていた。
ところがいよいよ第5楽章が始まる直前に全員が起立した…と思ったがセンター付近の女の子が一人席にうずくまっている。合唱が始まっても立たない。いや、どうも立てそうもない。体調が悪いようだ。
P席最前列センターの女の子が一人立てないでうずくまっているのはその周囲の数人を除けば合唱団にもオーケストラ団員にも分からなかったろうが、指揮者と観客にははっきりと見える。

おお可哀想そうに、と思うが、誰も救出に行けないのだ。
腹痛か、立ちくらみか分からないけど、立てない。歌えない。
これまで随分と練習をしてきて、ようやく晴れの舞台で、今日はゲネプロもこなしたはずだが、急変だったのだろう。いよいよの本番で、長い時間待たされた出番で立てない。歌えない。
その彼女の心中如何許かと思うととても可愛そうで見てられないけど目がすぐそこに行ってしまう。
あの状態ではそのままにするしかなかったろう。
とても傷ついたことだろう。このハプニングを引きずってトラウマにならなければよいがと祈るばかりだ。本当に気の毒なことだった。
マーラーも罪な音楽を書いたものだ。

ま、しかし、演奏は見事なものだった。
管楽器のミスが全く無かった訳ではない(弦楽器のミスは誰も気づかない。)。最終楽章の中盤にやや緊張が弛緩したように思ったが、そういう音楽なのかもしれない。しかし、ラストの2組のティンパニーによる強打の連続を聴きながら、ようやく終わるのか、というホッとした気持ちとまだ終わらないでくれという未練がせめぎ合った。

パーヴォの棒がとまって暫時無音。それをすぐ打ち破るブラボーの発声を合図に館内は割れんばかりの拍手・喝采に包まれた。

長いカーテンコールだった。
その間に、舞台後方脇で目立たないように待機していた案内嬢2名が腰をかがめて少女救出に向かった。
自分の足で階段を登っていったから大事には至らなかったようだ。

2016-135/♪サントリーホール-08

国立劇場開場50周年記念 平成28年度(第71回)文化庁芸術祭協賛 10月上席

2016-10-06 @国立演芸場


落語 春風亭金かん⇒道灌
落語 春風亭昇羊⇒寿限無
漫談 新山真理⇒(かっぽれ)
落語 三遊亭遊馬⇒試し酒
売り声 宮田章司
落語 三遊亭金遊⇒真田小僧
―仲入り―
コント コント青年団
落語 三遊亭春馬⇒茶の湯
奇術 松旭斎小天華
落語 三遊亭圓輔⇒火焔太鼓






自分の体調も影響してかほとんどの演者・演目で気分が乗れなかった。こんなことは初めてだな。

中で笑わせてくれたのは「コント青年団」。年齢は「中年団」というべきだが。
お客いじりと言うか、観客の年齢層はいうまでもなく日中に寄席を観に来ているのだからほとんどリタイヤ組だが、そういうことをネタにするのはあまり感心しない。
これが漫才にはありがちだが、彼らのお客への<接遇態度>は良かった。無駄なやり取りがなく、スピーディで、一つのドラマに仕上がっているのがいい。「コント」の所以だろう。

肝心の落語はもう全滅かと危惧していたが、やはりトリの三遊亭圓輔師匠がうまい。枯れた芸というのか、特段、お客の気を惹こうとか笑わせようとかしている風でもないのだけどそこはかとなくおかしさが伝わってきて良い塩梅だった。

「売り声」という芸があることは知っていたが、ナマで接したのは初めてだったが、何しろ、金魚屋も青竹売も薬売りも、今では本物がいないので、「芸」が肉薄しているのかどうなのかよく分からない。口上は売り物によって異なるが、何を売っても同じように聴こえたのはこちらの経験不足か。


2016-134/♪国立演芸場-12

2016年10月5日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」第一日〜ワルキューレ〜

2016-10-05 @新国立劇場


指揮:飯守泰次郎

演出:ゲッツ・フリードリヒ
東京フィルハーモニー交響楽団

ジークムント⇒ステファン・グールド
フンディング⇒アルベルト・ペーゼンドルファー
ヴォータン⇒グリア・グリムスレイ
ジークリンデ⇒ジョゼフィーネ・ウェーバー
ブリュンヒルデ⇒イレーネ・テオリン
フリッカ⇒エレナ・ツィトコーワ

ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第1日~ワルキューレ~

「ニーベルングの指環」全4部作の<前夜祭>に当たる「ラインの黄金」が同じ新国立劇場、同じスタッフで公演されたのが昨年の10月だったから、ちょうど1年を経て第2部とも言うべき「ワルキューレ」が始まった。正しくは「~指環」の<第1日目>で、いよいよ本格的なドラマが始まる。待っている1年が長かったよ。
歌手は「~黄金」とは異なっているが、今回も主要な役は全員海外からの招聘だ。この世界のことはよく知らないけど、いずれも国際的に活躍している一流歌手だそうだ。それは素人の耳にももう一聴瞭然だ。
広くて天井の高い劇場空間に声が朗々と響き渡るのが、ナマとは思えない音圧を伴っている。
飯守泰次郎御大の率いる東京フィルハーモニー交響楽団の圧倒的なサウンドもピットの中に入っているとも思えない迫力だ。
ワクワクさせる音楽の素晴らしさは言うまでもないが、「~黄金」ではややもの足りなかった舞台装置が今回はとてもいい。
広い舞台と高さを活かした仕掛けがシンプルな中に深遠なドラマを表現していた。また、照明もよく考えられていて見事だった。
終幕のブリュンヒルデを深い眠りに落としその回りを炎が取り囲むとともに天界から降りてくる緑のレーザー光線が彼女の悲劇性を高めている。

「~黄金」は神々や巨人や小人族の間の権力争いで、ここでは愛を犠牲にすることで権力を得ようとする男たちの物語だが、「ワルキューレ」では権力よりも愛に生きようとする男女、それも神々の長ヴォータンが人間女性との不倫によって産ませた兄(ジークムンデ)と妹(ジークリンデ)の近親相姦の愛の物語だ。
ヴォータンは正妻(婚姻の女神フリッカ)以外の女神たちとも不倫をして9人のワルキューレたち(死んだ雄者を運ぶ女性たち)を産ませる。中でも知恵の神エルダとの間に生まれたワルキューレ姉妹たちの長姉ブリュンヒルデをヴォータンは一番信頼し、愛していた(これも近親相姦ぽい)。
ヴォータンはジークムンデを自分の大いなる野望の実現のために利用するつもりだったが、正妻フリッカの糾弾にあってやむを得ず殺さざるをえないことになる。ブリュンヒルデはヴォータンの命を受けてジークムンデを撃つ算段で出かけたが、ジークムンデとジークリンデの純粋な愛に心打たれ、父ヴォータンを裏切ろうとした。このことによって彼女はヴォータンによって神性を奪われ、岩山で眠りにつかされるのだが、ジークリンデはジークムンデの子種を体内に宿していた。やがて、生み落とされた子供こそ「~指環」の第2日「ジークフリート」のタイトルロールとなってブリュンヒルデと結ばれるという壮大な話が続くのだが、その公演は来年6月まで待たなければならない。

この神話のような物語は、愛と権力の対立という構造を持ち、実は、今を生きる我々の心の中に、愛や生きるということの意味を問いかけるものでもある。
開幕から終演まで正味5時間20分(休憩が第1幕の後に40分、第2幕のあとに35分あった。)という長丁場だったが、(休憩を除いて)片時も途切れないワーグナー印濃厚な劇的な音楽に全身・全霊を包み込まれ、圧倒されっぱなしだった。

♪2016-133/♪新国立劇場-2


2016年10月3日月曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第一部 四幕九場

2016-10-03 @国立劇場



平成28年度(第71回)文化庁芸術祭主催
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)第一部四幕九場
国立劇場美術係=美術

大序   鶴ヶ岡社頭兜改めの場
二段目  桃井館力弥使者の場
      同 松切りの場
三段目   足利館門前の場
            同 松の間刃傷の場
            同 裏門の場
四段目   扇ヶ谷塩冶館花献上の場
            同 判官切腹の場
            同 表門城明渡しの場

(主な配役)
【大序】
塩冶判官⇒中村梅玉
顔世御前⇒片岡秀太郎
足利直義⇒中村松江
桃井若狭之助⇒中村錦之助
高師直⇒市川左團次

【二段目】
桃井若狭之助⇒中村錦之助
本蔵妻戸無瀬⇒市村萬次郎
大星力弥⇒中村隼人
本蔵娘小浪⇒中村米吉
加古川本蔵⇒市川團蔵

【三段目】
塩冶判官⇒中村梅玉
早野勘平⇒中村扇雀
桃井若狭之助⇒中村錦之助
鷺坂伴内⇒市村橘太郎
腰元おかる⇒市川高麗蔵
加古川本蔵⇒市川團蔵
高師直⇒市川左團次

【四段目】
大星由良之助⇒松本幸四郎
石堂右馬之丞⇒市川左團次
薬師寺次郎左衛門⇒坂東彦三郎
大鷲文吾⇒坂東秀調
赤垣源蔵⇒大谷桂三
織部安兵衛⇒澤村宗之助
千崎弥五郎⇒市村竹松
大星力弥⇒中村隼人
佐藤与茂七⇒市川男寅
矢間重太郎⇒嵐橘三郎
斧九太夫⇒松本錦吾
竹森喜多八⇒澤村由次郎
原郷右衛門⇒大谷友右衛門
顔世御前⇒片岡秀太郎
塩冶判官⇒中村梅玉
ほか


今年は国立劇場会場50周年ということで記念の大型企画が各分野で並んだが、中でも、「仮名手本忠臣蔵」の3ヶ月連続公演による全段完全通し上演というのが画期的らしい。

全段通し上演と称した公演は度々行われているようだが、国立劇場が昭和61年に開場20周年記念で今回と同じく10月~12月の3回に分けて上演したものは本物の「完全通し上演」だそうだが、他の「全段通し」は実際にはいくつかの場面が省略されているらしい。

50周年記念の今回も、上演可能な場面はすべて網羅するという「完全通し上演」だと言うから、今回を逃したら次の機会に生きている保障はないかも…と思って、「あぜくら会」会員向けの3公演セット券を迷わず買った。歌舞伎鑑賞はたいてい3階席だが、今回は特別席と1等A席しかセット販売されないので1等Aを選んだ。

人形浄瑠璃からの移行作品の全段完全通しなので、一段目は「大序」と呼ばれるそうだが、この「大序」の前には定式幕の前に文楽人形が出てきて配役を紹介する。これを「口上人形」という。滑稽な表情とセリフがおかしく、かしこまった作品かと思っていたが楽しく出鼻をくじかれた。

口上が終わって幕が開くと鶴岡八幡宮の場面だが、ここでも役者たちは目を伏せうなだれたまま微動だにしない。そしてどこからか役者の名前を告げる声がしてそれに応じて一人ずつ精気を得たように「人形」から「人間」に生まれ変わる。

こういう演出はいずれも、原典の人形浄瑠璃に敬意を表するものだそうだ。

物語は、映画やテレビドラマなどでよく知っている「忠臣蔵」とはかなり異なるので驚きの連続。
しかし、省かれた場面がないので物語の連続性は分かりやすい。
なるほど、これが本物の「仮名手本忠臣蔵」なのか。

人形浄瑠璃として1748年に初演され、同年末には早くも歌舞伎に移行されて以来、270年近い歴史の中で、上演すれば必ずそれなりのヒットが見込まれたそうで、もはや日本人のDNAに刷り込まれているのかもしれない。

塩冶判官を演ずる梅玉はいつもながら渋い。
4段目になってようやく登場する由良之助の幸四郎は、やや、芝居が大仰ではないかと思うけど如何にもの幸四郎節で、やはり舞台の求心力は大きい。
左団次が演ずる加古川本蔵という登場人物のことは知らなかった。これまで映画やTVドラマなどではこの人に相当する人物は出てこなかったように思う。そもそも本蔵が仕える桃井若狭之介(錦之助)という殿様の存在も知らなかったが、どうやら、本蔵の存在が全段の物語の中で大きな役割を占めることになりそうだ。

「大序」も伝統に則った珍しい演出だったが、4段目切腹の場も古来「通さん場」と呼ばれ、お客の出入りを禁じたそうで、国立劇場でも踏襲された。

こんなところにも、格調を感じさせる大芝居だ。
この壮大な物語があと2回も続くというのはとてもワクワクする。


♪2016-132/♪国立劇場-05