2018年12月16日日曜日

東京工業大学管弦楽団第159回定期演奏会

2018-12-16 @みなとみらいホール


末永隆一:指揮
東京工業大学管弦楽団
村本麻里子:オルガン*

ドボルザーク:序曲「謝肉祭」
シベリウス:交響曲第6番ニ短調 作品104
サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 作品78「オルガン付き」*
---アンコール---
プーランク:組曲「牝鹿」から「フィナーレ」

東京工業大学管弦楽団がサン=サーンスの交響曲第3番、所謂「オルガン付き」をやるというので、昼のミューザ東響に続いてのハシゴ。

大学オケは一般に市民オケより大抵レベルが高い…という経験則から来た期待を裏切らずかなり巧い。
弦も透明感がある。特に第1バイオリン群は昼のプロオケより耳障りがな音が少ない。
さりとて、やはりプロの持つレベルとはちと違う。
なにやら、音の線が細過ぎて全体として湧き上がってくる熱量に不足していた。

また、アマチュアだからやむを得ないか、年に2度の晴れ舞台で、緊張しているのだろう、いずれも表情が硬く、音楽を楽しんでいる風ではない。も少し愛嬌も振り撒いてくれたら良かったけどなあ。ま、これは指揮者の責任でもあるけど。


♪2018-172/♪みなとみらいホール-41

名曲全集第143回 ノットの英雄の生涯

2018-12-16 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット :指揮
東京交響楽団

甲藤さち:フルート(東京交響楽団首席奏者)*

ヴァレーズ:密度21.5 (無伴奏フルートのための)*
ヴァレーズ:アメリカ (1927年改訂版)
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40

昨日のサントリーでの東響定期でも同じ曲を取り上げて、それが絶好のゲネプロになったはずで、その上で今日の名曲全集に臨んだつもりだろう。

ミューザでは収録用のマイクが天井に6本、舞台上には20本近く据えられていたが、メインの「英雄の生涯」の演奏は残念な出来栄えで、ノットも団員も終演後の表情が大曲を演り終えたという晴れやかさがまるでない。

管楽器の少々のミスは許容範囲だが、第一バイオリンが受け持つ高域がキンキンゴロゴロと唸りを上げて悲しい。

弦は16型の対向配置(Vn1とVn2が両翼に向かい合う。)。これは音楽の立体感を狙ったのだろうか。
管打もホルンは8本を始め賑やかなものだ。

しかし、肝心の第1バイオリンが水谷コンマスの奮闘にも関わらず美しくないので、オケ全体が締まらない。

おそらくサントリーでも録音したのだろう。4月のブルックナー9番のCD化は、サントリーとミューザの両方の録音で合成しているから今回ももしCD化するならそういう形をとるのかもしれないが、休止箇所がほとんどないから、ツギハギは難しいな。

2015年、P・ヤルヴィ+N響、2017年、F・ルイージ+読響(いずれも@みなとみらいホール)の熱演に遠く及ばず。

♪2018-171/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23

2018年12月15日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第343回横浜定期演奏会 ---「第九」❷

2018-12-15 @みなとみらいホール


井上道義:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京音楽大学

菅英三子:ソプラノ
福原寿美枝:アルト
錦織健:テノール
青山貴:バリトン

ベートーベン:序曲「コリオラン」作品62
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

腕慣らし?の「コリオラン」が刮目の絶品。弦は変形12型対向配置。この小規模なオケならではの明確でクリアで力強い音楽は先日の独カンマーフィルと並ぶのではないか。

そのあとの休憩後に設けられたプレトークで、井上道義が<黄昏の「第九」>にはしないと言っていたが、正に<日の出の「第九」>だった。

弦は14型。対向配置から通常配置にもどった。コントラバスは7本並んだ。管楽器は雛段二段。その後方に独唱4人と150人前後の大合唱団が四段の雛段で配置。これなら視覚的にもどの楽器がどこに何人ずつ配置されているかが分かって気分良い。やはりプレトークの際に井上が「音楽は眼から聴く」とも言っていたが、これは我が意を得たりだ。

弦の透明度高く、気持ちの良いアンサンブルだ。
指揮者のコントロールが細部まで届いている感じ。
テンポは中庸。所々に溜めを利かせるような井上節があったが、やり過ぎ感は無い。演奏時間は計測ミスしたが、楽章間休止を除いた正味で70分弱か。

演奏における井上流の独自色は、終楽章の6/8マーチから、ピッコロ、トライアングル、シンバル、大太鼓の4人を舞台下手に登場させてたことだ。奇を衒っているとも言えるが、おかげでピッコロ・パートの終盤の活躍も良く分かった。

第2楽章の後に声楽陣が入場したので、ここの長い休止がやや緊張を損ねたのが惜しかったが、第3楽章から第4楽章の入りは間髪入れず。そうでなくちゃいけない。ここで、ぼんやり休んでいたのでは、ベートーベンが第2楽章と第3楽章の形式を反対に配置した意味が失われると思う。

オケは文句のない出来栄え。
東京音大の大合唱団もピッチが綺麗に揃い、透明感と大人数ならではの迫力の合唱を聴かせた。

大いなる満足で85点。これを超えるのはどこ?

♪2018-170/♪みなとみらいホール-40

2018年12月14日金曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団「第九」特別演奏会2018 ---「第九」❶

2018-12-14 @サントリーホール


アントニ・ヴィット:指揮
栗山文昭:合唱指揮

新日本フィルハーモニー交響楽団
栗友会合唱団:合唱

室住素子:オルガン*
---------------------
盛田麻央:ソプラノ
中島郁子:アルト
大槻孝志:テノール
萩原潤:バリトン

J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調*
ピエトロ・アレッサンドロ・ヨン:ユモレスク*
---------------------
ベートーベン:交響曲第9番短調「合唱付き」作品125

アントニ・ヴィットという指揮者は初めて。せっかくの新日フィルなら上岡敏之で聴きたかった。何年か前に読響で「第九」を振った演奏はスリリングでテンション高く、もう一度聴いてみたい演奏の一つだ。
ヴィットの指揮ぶりに関していえば、テンポは中庸だった。特段速くもなく、遅くもない。プログラム記載の予定時間は75分と書いてあったのでかなりゆっくり振るのかと思っていたが、そうではなく、実際にも各楽章の演奏時間を積み上げたら66分弱だった。楽章間のポーズはほとんどないに等しかったからそれを含めたところで66分±10秒くらいか。

また、演奏の色付けにもテンポの変化にもこれといったクセはなく、嫌味もなく、個性がにじみ出やすい第4楽章低弦のレシタティーヴォもごく素直でひっかかりのない音楽で、要するに外連味を抑えた真っ当な指揮ぶりだった。こういう点は大いに好感を持った。
それでいて、第3楽章から第4楽章への繋ぎはほんの一呼吸の間を置くや否やの突撃で、この辺りも心憎い。

変わった点といえば、オーケストラや合唱の配置だ。

合唱団は舞台の後方、オケの後ろに並んだ。オルガン前のP席を潰した訳ではない。これはよくあること、というより、舞台後方席(P席)のないホールではそうならざるを得ないし、P席があってもこれを潰さずに客席として使い、合唱団は舞台に並ぶ場合も珍しくない。
しかし、合唱団が、声部毎の縦横集団で並ぶのではなく、横に並んだ。つまり最前列は多分ソプラノが横一線に並び、その次の列はアルトが一列に、その後ろはテノール、最後列がバリトンなのだろう。栗友会では常にこういう形なのかもしれないが、僕には初めて見る形だった。なかには、男女・声部混在で並ぶ例も見たことがあるからそれに比べると分かりやすいが、果たして、声楽的にどういう効果があるのだろう。声部毎にまとまった集団配置の方が立体感が出るのではないかと思うが、よく分からない。

ともかく、舞台後方に合唱団が並び、合唱団は4段になるようなひな壇が用意されていた。
その前方にオケが並ぶが、普段はひな壇の上に並ぶ管楽器・打楽器が今日の新日フィルでは弦と同じ平場に置かれた。
これがよく分からない。管打を高く配置した方が客席に対する音の抜けがいいはず。また、そうすることも(合唱団を一層高く配置することで)不可能ではなかったはずなのに。

弦は14型(第1バイオリン14人。この場合の弦5部の標準は総計50人になるが、今日の新日フィルはまさしくこの人数だった。)。「第九」といえば、16型が多いように思うが、14型だってちっともおかしくない。むしろ、すっきりしていいと思う。そして舞台に並びきれない数ではない。この50人を平場に置いて管打楽器を2〜3段のひな壇に置き、さらに合唱をその上に2〜3段積むことはできなかったのだろうか。

これまでサントリーで何度もいろんなオケの「第九」を聴いてきたが、合唱団やオケのこの配置の点で疑問に思ったことは一度もなかったが、これまで聴いたきたのは一体どういう配置だったのだろう。少なくとも昨年のN響「第九」では合唱団はP席に配置されていたから、オケもゆとりを持ってひな壇付きだったはずだ。

さて、えらくこだわるようだが、弦と管打共に平場に置かれたために、一階席からは弦に隠れて管・打楽器が見えない。見えないということは音の通りもよくないということだ。
事実、管楽器は弦楽器に埋もれてしまっていた。特にホルンなど、もやもやとしてメリハリがつかない。

このオケの実力なのか、こういう配置のせいなのか、ホールの欠陥なのか、それらの複合なのか、全体に音の響きに透明感が乏しく、キンキン鳴るかと思えば、ぼんやりともやがかかったような響きに終始した。

さて、合唱団はオケの前に入場した。
独唱は第2楽章の後に入場する例が多いが、今回はそこでは入場しなかった。ということは、第3楽章の後に入場のためのポーズを置かなくてはいけないことになる…てことは、第3楽章から終楽章へ間髪入れず雪崩れ込む、という快感が得られないではないか、と思っていたが、どっこい、先述したように第3楽章の最後はほとんどアタッカのように終楽章に入ったのだ。
では独唱者たちは合唱団に紛れて隠れていた?な訳はない。

なんと、終楽章が始まって約7分後、バリトンのソロが始まろうとしていたその時に声楽独唱者4人が下手袖から静かに入場した。下手には4人分のひな壇が設けてあり、そこにバリトン以外の3人が着座するや否や(バリトンは着座する間も無く)例の「おお友よ〜」を歌い出したのにはびっくりした。
こういう声楽ソロの入り方は初めての経験だが、無駄がなくていい。音楽の緊張感を損なわないでとても良かった。

しかし、演奏全体をみれば、何やらザワつきが消えず透明感乏しく60点といったところか。

今年は12月中に8回も「第九」を聴くので、点数評価をすることにした。
まずは、60点から始まったが、これを基準として、さて、100点満点は出るだろうか?


♪2018-169/♪サントリーホール-14

2018年12月12日水曜日

新国立劇場オペラ「ファルスタッフ」

2018-12-12 @新国立劇場


指揮:カルロ・リッツィ
演出:ジョナサン・ミラー
美術・衣裳:イザベラ・バイウォーター
照明:ペーター・ペッチニック
再演演出:澤田康子
舞台監督:髙橋尚史

合唱指揮⇒三澤洋史
合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団

ファルスタッフ⇒ロベルト・デ・カンディア
フォード⇒マッティア・オリヴィエーリ
フェントン⇒村上公太
医師カイウス⇒青地英幸
バルドルフォ⇒糸賀修平
ピストーラ⇒妻屋秀和
フォード夫人アリーチェ⇒エヴァ・メイ
ナンネッタ⇒幸田浩子
クイックリー夫人⇒エンケレイダ・シュコーザ
ページ夫人メグ⇒鳥木弥生

ヴェルディ:「ファルスタッフ」全3幕
〈イタリア語上演/字幕付〉

予定上演時間:約2時間35分
第Ⅰ幕、第Ⅱ幕80分
 --休憩25分--
第Ⅲ幕50分

喜劇≒悲劇という見方があるが、「ファルスタッフ」こそ喜劇と見るには腑に落ちない。「ファルスタッフ」も喜劇風オペラに有り勝ちな、終盤の力技による大団円で「人生は全て冗談」と笑い飛ばして終わるが、真面目に物語を考えた場合、むしろ悲劇ではないか。

ファルスタッフにも十分な非があるとはいえ、テームズ川に放り込まれ、とことんバカにされるのはあんまりではないか。
それをお人好しにも仲直りして笑って済ませるのは情けない。もう一人、なんの罪もないのに槍玉に会う男もいるが、彼の名誉など、物語は全く考慮しない。

原作はシェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」だそうだ。これを読んでいないので、なんとも言えないが、シェークスピアがこんな手抜きの物語を書いたとは思えないから、オペラの台本にするときに換骨奪胎したのではないだろうか。

79歳になった大オペラ作家ヴェルディには、最後の力を振り絞るに当たって何か感ずるところがあったのだろうな。

音楽的には、拍子違いの九重唱、最後は十人+合唱によるフーガも登場させて音楽的にやり尽くした感のあるヴェルディ最後の歌劇は、口ずさめるような名調子のアリアもなく、同年生まれで既に世を去さっていたワーグナーのオペラのように、セリフのような歌を連続させて、次代の歌劇の魁となった事は音楽を聴きながら成る程と思った。

ナンネッタを演じた幸田浩子が、大柄な他の歌手たちの中にあって、ひときわ小さくて可愛らしかった。身体は小さいながらもよく通るソプラノは埋没することなく光っていた。

♪2018-168/♪新国立劇場-13

2018年12月10日月曜日

東京都交響楽団 第868回 定期演奏会Bシリーズ

2018-12-10 @サントリーホール


アラン・ギルバート:指揮
東京都交響楽団

メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》op.26
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 op.38《春》
ストラヴィンスキー:バレエ音楽《春の祭典》

アラン・ギルバートという指揮者はこれで3回目(今月もう1回聴く。)だが、ほとんど癖を感じたことがない。とても正統的な指揮者ではないかと思っている。オケと息が合っているかといえば、それもあまり感じないが、バラバラな感じは全然しない。

そんな次第で、「春」をテーマに選曲された3曲のうち、前半の2曲は、可もなく不可もなく、程よい出来上がりといったところ。

休憩を挟んでメインの「春の祭典」は弦は16型に拡張して特大規模。管打も多様なものが投入される。

演奏家は大勢なのに、あんな人間の生理に反するシンコペーションが連続する超複雑なリズムをよく合わせられるものだと感心する。

喧しいくらいの音楽で、迫力はあるのだが、弦の旋律線が弱く、本来はもっと聴き取りやすい美しいところもあるはずなのに、爆音に掻き消されたみたいだった。
都響の演奏は、数に物言わせた力技が多い。それが残念。

♪2018-167/♪サントリーホール-13

2018年12月9日日曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年12月公演「鎌倉三代記」ほか

2018-12-09 @国立劇場


鎌倉三代記(かまくらさんだいき)
     局使者の段⇒希太夫/清馗
     米洗いの段⇒靖太夫/錦糸
     三浦之助母別れの段⇒文字久太夫/藤蔵
     高綱物語の段⇒織太夫/清介
  人形▶和生・簑一郎・紋臣・紋秀・紋吉・勘彌・玉志・玉助・文哉

伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)
     八百屋内の段⇒津駒太夫/宗助
     火の見櫓の段⇒芳穂太夫・南都太夫・亘太夫・碩太夫/
            勝平・清公・錦吾・燕二郎
  人形▶玉勢・簑紫郎・一輔・勘市・亀次・玉翔・勘助・玉路

「鎌倉三代記」と「伊達娘恋緋鹿子」2本立て。

前者は、これまで歌舞伎で数回観ているが、歌舞伎ではもっぱら「絹川村閑居の場」のみが上演される。

今回の文楽公演では「絹川村〜」という名の「段」はないのだが、「三浦之助母別れの段」と「高綱物語の段」がそれに相当するのではないか、と観たがどうだか、確かなことは分からない。
いずれにせよ、この二段が話の中核だ。
だが、話の内容が結構複雑なことと、愛や忠義の為の究極の選択に素直な感情移入が難しい。

後者はまったくの初見。
所謂「八百屋お七」の物語だが、その「火の見櫓の段」こそ見もの。白黒世界に雪が舞い赤い振袖長襦袢。お七が梯を登るところが刮目の一工夫。火炙り覚悟の半鐘打ちの壮烈で美しいこと。


♪2018-166/♪国立劇場-18