2015年1月11日日曜日

N響第1799回 定期公演 Aプログラム

2015-01-11 @NHKホール


ジャナンドレア・ノセダ:指揮
アレクサンダー・ガヴリリュク:ピアノ
NHK交響楽団

フォーレ:組曲「ペレアスとメリザンド」作品80
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
ベートーベン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」
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アンコール(Pf)
ショパン:夜想曲変ニ長調 作品27-2

比較的小編成の曲ばかりだった(「運命」ではビオラ10、チェロ8、コンバス6。プロコフィエフはコンバスが5、その他は1プルトずつ少ない。)にも関わらず、なんて豊かで鮮やかな音響だろう。オケもピアノもビンビン響いてくる。
毎回同じ席で聴いており、これまでにも音量で不満はなかったが、どういうわけか、今日はとりわけよく響いてきたのには驚いた。

NHKホールはクラシックコンサート専用に作られたホールではないために、世間の評判では音響が悪いということになっているが、僕はそう感じたことがない。
来シーズンはN響の繊細な音色をさらに明瞭に聴き取りたくS席に変えようかと思っているけど、今日の様子じゃその必要もないかと思った。うっかり席替えして前の方に行ったところで、よく響いてくるかどうかは座ってみないと分からない。むしろ今の安くて音に満足できる席を死守すべきか…。

ガヴリリュク
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は生で聴くのが始めてだったが、とてもきらびやかで面白い。ほとんど調性を感じないけど、これでもハ長調と銘打ってある。楽譜は見たことがないけど、いったいどういう感性がああいった決して歌えないような旋律を生み出し、音楽を行き詰ること無く展開させることができるのだろうか、と不思議に思う。

ソリストのアレクサンダー・ガヴリリュクはちょうど30歳。ホロヴィッツコンクールで1位、2000年には浜松国際コンクールで優勝。この時の審査委員長中村紘子から「20世紀後半最高の16歳」と絶賛されたそうだが(変な褒め方だけど)、まあすごい腕前だったのだろうことは、今日の音楽を聴いても分かる。この曲、相当な超絶技巧を要するらしい。

プロコフィエフが終わり、度々のカーテンコールの後でアンコールで弾いたのが、プロコフィエフとはまったく別世界に思える、ショパンの夜想曲第8番。これもしみじみとして良かったね。

指揮のジャナンドレア・ノセダという人は、その名前も知らなかったが、オペラが得意なイタリア人だそうな。
国籍が音楽性に格別影響するとも思わないけど、彼のベートーベン「運命」には大いに驚いた。

7月に鈴木秀美指揮神奈川フィルで聴いた「運命」も素晴らしかったけど、その上?を行く徹底ぶり。
つまり、テンポが早い(第1楽章の早さはこれまで聴いたことがない。)。それだけではなく、例の運命の動機の後半の2分音符のフェルマータがないに等しい!
おそらくベートーベンが指示した2分音符=108というテンポに忠実なのだろう。そして、フェルマータも、従来の演奏は確かに長過ぎるようでもある。動機の展開は畳み掛けるようにハイテンポで進行するのが、実に面白い。

帰宅後いろんな指揮者の「運命」の冒頭を聴き比べてみたが、あのハイテンポのトスカニーニでさえ、しっかりフェルマータは延ばしている。
フルトベングラーなどコバケンも薄味に聴こえるくらい大げさでクサイ。
ブルーノ・ワルターのフェルマータはさらに2分音符を付け加えたかのごとく長く引っ張っている。
カラヤンはオーソドックスで、小澤征爾はアップテンポだけど、フェルマータは普通に延ばしている。
アバドは好ましいけどノセダを聴いてしまったのでもう古く感じてしまう。
ブーレーズは、朝比奈隆もびっくりのつんのめってしまうくらいの超スローテンポだ。

我々は、長く、標題「運命」が紡ぎやすいストーリーに囚われて?荘重に演出された出だしを普通として聴いてきたが、上述の鈴木秀美の指揮による「運命」も今回のノセダの「運命」も、<疾走する「運命」>であり、<爽快な「運命」>だ。

プログラムの解説によると、そういう演奏を予期した書き方になっていて、この<新解釈>は今、流行っているやに思える。良いとも悪いとも正しいとも間違っているとも書いていない(ま、当然でしょう)けど、「今なおわたしたちはどこか『運命』に呪縛されているように思われる。」と書いてあった。

重々しい人間の運命を描くような従来型の解釈もそれはそれでもうひとつの音楽の定型になっているし、悪くはないけど、最近になって聴くようになった疾走する「運命」こそベートーベンの素顔に近いのではないかと思ったりするのだけど。

ま、ノセダ+N響の新しい「運命」は、忘れられない演奏として記憶に残るだろう。


♪2015-3/♪NHKホール-01