2014年4月20日日曜日

東京交響楽団第619回定期演奏会【ジョナサン・ノット音楽監督就任披露公演】

2014-04-20 @サントリーホール


宮田まゆみ:笙
ジョナサン・ノット指揮:東京交響楽団




武満徹:セレモニアル -秋の歌-
マーラー:交響曲 第9番 ニ長調
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東響については川崎ミューザでの定期会員なのだけど、それが昨日で、日フィルの定期と重なったために1日遅れで同じプログラムによるサントリーホールでの東京定期に振り替えてもらった。

東京交響楽団は、友人が付属合唱団に入っていたこともあり、比較的よく聴いていたし、今年の1月にもみなとみらいホールで聴いている。
オケの上手い下手はなかなか判断しかねる。
それより、コンサートが楽しいということが大切で、技量はプロに及ばないアマオケでも、ワクワクする感動を与えてくれることもある。

しかし、今日の東響は、これまでの印象を変えてしまうような上出来だった。
普通、P席でオケの近くで聴くとどうしてもバランスが悪くなり、音にざらつきが出る(これはこれで楽しいのだけど)。
ところが、今日の東響の音はとてもきれいだ。
管弦打楽器のバランスや混ざり具合もいいし、何より、弦楽合奏の透明にして重厚な響きまで、音そのものを聴いているだけで心地が良い。

なんで?

指揮者兼音楽監督のジョナサン・ノット氏の就任披露を兼ねたコンサートだったが、指揮者によってオケの力が格段に変わるはずがない。

これまでの東響との付き合いは、みなとみらいホールとオペラシティコンサートホールで、記憶・記録にあるかぎり、サントリーホールでは初めて。

では、ホールの作りの違い?

たしかに、サントリーホールは音響の良さでは随一という評判だが、ミューザ川崎シンフォニーホールもみなとみらいホールも県立音楽堂もいずれも音響の良され知られているホールだから、素人が聴き分けられるほどの有意差はないと思う。

幸福な腑に落ちなさ。



第1曲は武満徹の「セレモニアル -秋の歌-」。初めて聴いた。
1992年の初演だそうな。
てことは、昨日の菅野祐悟「箏と尺八と管弦楽のための協奏曲~Revive~」より22年も昔の音楽だけど、その斬新なこと。

フューチャーされた「笙」は雅楽の楽器で、音色は弱々しく小さい。
にも関わらず、ナマのママで拡声されなかった(昨日の箏と尺八にはマイクが付き、拡声されていた。)。
それで、オケとの音量のバランスが難しい。
正直にいえば、聴いていて楽しいという音楽ではなかった。
実験音楽のような新しさに付いて行けない。
まあ、変わった経験をさせてもらったというところか。

休憩なしに、マーラーの第9番。

ブルックナーも苦手だが、マーラーも同様。
彼の交響曲も長い!
未完に終わった第10番を除く1曲当たりの平均は1時間22分(手持ちのCDで)というから、ブルックナーよりなお長い。
今日の第9番も1時間25分前後だ。

しかし、先月の金聖響と神奈川フィルでやはりマーラーの第6番を聴いたが、これは全く無理なく楽しめたし、前回のN響のブルックナー第5番も心に沁みる音楽体験だったので、あまり苦手意識で構えずに聴いたほうがいいなとは思っていた。


すると、果たして、冒頭にもたつきは感じたものの、最初に書いたように東響の響の良さ、アンサンブルの良さが手伝ったと思うが、まったく無理なく、この人間の感性や耐性を無視したかのような無謀な長大音楽が抵抗感無く入ってくるので、我ながら驚いた。

「別れ」とか「死」をイメージした作品のようだ。

始まりは何処からか不分明なママ始まり、終わりも消えゆくように終わる。

長大な音楽が静かに静かに終止して、しばらく(金聖響ほど長くはなかったが)は、指揮者が指揮棒を降ろさないので、オケも観客も時間が止まったかのような完全静寂。

暫時あって、ジョナサン・ノットが音楽の大往生を確認したかのように指揮棒を置いて、ようやくその場にいた全員が我に返る。

音楽監督就任披露公演の御祝儀気分もあって、会場は割れんばかりの拍手喝采。

彼も、N響でブルックナーを指揮したマレク・ヤノフスキと同様、この長大曲を完全暗譜で指揮した。

マーラー、おそるべし。

6月にも2番と6番を聴くことになっているが、楽しみではある。



♪2014-33/♪サントリーホール-01