2018年6月30日土曜日

華麗なるコンチェルト・シリーズ第6回 ≪熱狂のチャイコフスキー3大協奏曲!≫

2018-06-30 @みなとみらいホール


永峰大輔:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

上村文乃:チェロ
弓新:バイオリン
上原彩子:ピアノ

〜オール・チャイコフスキー・プログラム〜

ロココの主題による変奏曲イ長調 作品33
バイオリン協奏曲ニ長調 作品35
ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 作品23

今回のコンチェルトはチャイコフスキーの3つの協奏曲を当然異なる独奏者で味わうという企画。
前回はバイオリンの石田兄いがバイオリン協奏曲を2曲演奏した。
同じく「華麗なるコンチェルト〜」と銘を打ってみなとみらいホールで聴いたものでは、今はなき中村紘子のショパンの1番とラフマニノフの2番という演奏会や、小山実稚恵のベートーベンの5番とラフマニノフの2番という組み合わせが記録にある。

一人で2曲弾くか、3人で3曲弾くか。聴く側としては後者にお得感があるけど、まあ、それも誰が何を弾くか次第だな。

今回のチェロとバイオリンの弾き手は名前は知っていたが、ナマでは初聴きだった。

チェロは「ロココの主題による変奏曲」だったが、チャイコフスキーはチェロ協奏曲を書いていないのだから、変わり得るものとしてはこの曲しかあるまい。チェロと管弦楽のための作品はもう1曲「奇想的小品」という作品があるらしいが、Amazonを観ても見つからないしYoutubeにも出ていない。

さて、「ロココ〜」のチェロ独奏が上村文乃(かみむら・あやの)で、上村昇というチェリストがいるけど、ひょっとして彼の娘さんだろうか。とにかく若い。ガタイがでかい。美形。音は柔らかくてとてもきれいだ。丁寧に弾いて、全体として優しい変奏曲の印象だったが、いまいち弾けていない。オーケストラの伴奏で歌いました、という感じかな。悪かないけど面白みには欠ける。

次の弓新(ゆみあらた)のバイオリン独奏はなかなか元気があって良かった。わずかに音を外すところもあったが、勢いがあるので目立たないし、好感を持った。第1楽章の終盤、とても盛り上がるので、第1楽章が終わった時に場内から結構たくさんの拍手や歓呼の声が上がった。え!と思いつつ僕もつられて拍手してしまったが、確信的な拍手も混じっていたように思う。そんな気にさせる熱演だった。

最後が、休憩後の上原彩子のピアノ協奏曲だった。
ここまで来ると、オーケストラの調子も整ってきたか、前半も悪くはなかったけど、より、響に磨きがかかってきた。また、ピアノの音も実にきれいだ。彼女のピアノは迫力がある。男性に負けていない。オケにも負けていない。うまく、両者が絡み合うのはやはり、指揮者の腕だけではないだろう。ピアニストも自分の音楽を創りながらオーケストラと渡り合う、そこがうまくいくと妙味が出る。なかなか聴きごたえのある音楽で、チャイコ3作を締めてくれた。

♪2018-075/♪みなとみらいホール-20

2018年6月29日金曜日

国立劇場第6回文楽既成者研修発表会 文楽若手会

2018-06-29 @国立劇場


●万才
 竹本小住太夫・豊竹咲寿太夫・竹本碩太夫
 鶴澤清公・鶴澤清允・鶴澤燕二郎
 人形:吉田玉彦・桐竹勘次郎

●絵本太功記
  夕顔棚の段…豊竹亘太夫/野澤錦吾
  尼ヶ崎の段…前:豊竹希太夫/鶴澤友之助
        後:豊竹靖太夫/鶴澤寛太郎
 人形:桐竹紋臣・吉田簑紫郎・吉田玉誉・吉田簑太郎
            吉田玉勢・吉田玉翔・吉田和馬

●傾城恋飛脚
  新口村の段…口:竹本碩太夫/鶴澤燕二郎
       …前:豊竹咲寿太夫/鶴澤清丈
       …後:豊竹芳穂太夫/鶴澤清馗
 人形:吉田玉路・吉田玉峻・桐竹紋吉・桐竹紋秀・
    吉田玉征・豊松清之助・吉田玉延・吉田和登・
    吉田蓑悠・吉田文哉・吉田箕之

平たく言うと若手の勉強会なのだろうが、若手も混じっているが、中堅も含まれている。だから興行としても成り立つのだろう。
名前を知らない人も居たが、多くは本興行に出演している人達だ。

本格的に人形浄瑠璃・文楽を鑑賞し始めたのが2016年の12月だからまだ経験は1年半に過ぎない。でも既に20公演を鑑賞しているので、最近は少し観る目、聴く耳が出来てきたような気もしている。生意気にもそんな気持ちで鑑賞していると、「あ、ここはもう少し張り上げて」とか「長く伸ばして」語った方がいいのではないかとか、三味線の音の外れが気になったり、人形の姿勢も気になったりもしてくるが、それが正しいのかどうかは分からない。
やはり、名人・上手の公演を度重ねていかないと、真髄には近づけないのだろう。

「絵本太功記」は初めての作品だった。「太功記」というからには「太閤記」の改作だろうと漠然と思っていたが、それはそのとおりで、信長を討った光秀の母・妻・子や秀吉などが登場して、主従の裏切りに葛藤するドラマとなっている。ちょっと不思議に思ったのは、原作が「絵本太閤記」であるが、本作は「絵本太功記」と表現が変わっているのは「太閤」に遠慮したためだろうか。

全13段(6月1日から13日まで各日1段という構成に発端と大詰が付いて実質15段!)のうち、今回は「夕顔棚の段」と「尼崎の段」が演じられたが、では、これらはオリジナル全13段のうち、何段目に相当するのか、が気になって調べてみた。というのも「尼崎の段」がかなり有名でここを「太十」(たいじゅう⇒太功記の10段目の意味)と呼ばれることは、かつて読んだことがあり知っていた。すると、その前の「夕顔棚の段」は9段目か、と言うとどうもそうでもないらしい。「尼崎の段」は6月10日の出来事なので10段目に置かれているが、「夕顔棚の段」も同日の出来事なのだ。
すると、両方共10段目なのか。
なら、どうして別の名前なのか。

どうやら、これは一つの段を「口」・「中」(前・奥という言い方もありその違いは分からない。)・「切」と分けた場合に、「切」以外の部分を総称して「端場」(はば)というが「夕顔棚の段」は本来は一つの独立した「段」ではなく、「太十」(⇒「尼崎の段」)の「端場」に当たるもので、今回の仕切りでは「尼崎の段」の「口」に相当するのではないか。それが、いつの間にか、「夕顔棚の段」という呼称が定着したのではないだろうか。

…と、本筋とは関係がないけど、どうも気になったので、調べてみた。いずれ、国立文楽劇場に問い合わせてみようと思う。

「傾城恋飛脚」は基になった「冥途の飛脚」も含めるとこれで4回目だ。
梅川・忠兵衛の悲しい末路だが、あいにく、共感するには至らなかった。芸の問題というより、この「段」だけでは、なかなか気持ちが盛り上がるまでに至らないからだと…思うのだが。

♪2018-074/♪国立劇場-10

2018年6月23日土曜日

読響第105回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-06-23 @みなとみらいホール


コルネリウス・マイスター:(首席客演)指揮
読売日本交響楽団

長原幸太:バイオリン*

スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
ブルッフ:スコットランド幻想曲 作品46*
ドボルザーク:交響曲第8番ト長調 作品88

冒頭の「売られた花嫁」の弦楽合奏が見事に美しくて驚いた。はじめ良ければすべて良し…と思いきや。

「スコットランド幻想曲」では独奏バイオリンの長原幸太(読響コンマス。今日のコンマスは小森谷巧)が弾き始めの数分で弦がプツッと音をたてて切れ、「張り替えてきます」と客席に向かって断って袖に入った。舞台も客席も苦笑い。これまでも、クラリネットの独奏者が楽器の不具合で途中で取り替えたことを2回経験している。コンマスの弦が切れて楽器の受け渡しをしたのもみている。万全の準備をするのだろうけど、こういうこともあるんだな。

結局は、最初から演奏し直しとなった。
再開後も長原くんは楽器を気にしながら、何度も調弦の微調整を繰り返していた。そんな次第でこの曲ではなかなか集中できなかった。
この作品には別名があるそうで、「スコットランド民謡の旋律を自由に用いた、管弦楽とハープを伴うバイオリンのための幻想曲」と言うそうだ。そういえば、ハープも独奏バイオリンのそば、舞台中央近くに配置されていたが、奏者の顔が隠れていたこともあり、ハープの活躍はまるで耳に入ってこなかった。

最後のドボルザーク交響曲8番こそ期待の作品だったが、これはすごく上出来で、「〜幻想曲」の不満を補って余りあった。
弦楽合奏、特に中低域弦の素晴らしさが光った。終楽章のチェロのテーマなどゾクゾクしたよ。


今日はホールの鳴りが特に良かった気がする。
仮説だが、外気の湿度が高い日ほどホールは良く響くような気がしている。逆さまのようだけど、エアコンがしっかり稼働して、ホール内の湿度がいつも以上に低くなるのではないか…なんてあてにならないけど。
ともかく、もともとよく響くホールが、今日は一層良く響いた。そこで名曲の名演奏を聴く。これぞナマオケ鑑賞の喜び!

ところで、「〜幻想曲」でVn独奏の長原君は弦が切れて張替えのために袖に入った。それで五嶋みどりの「タングルウッドの奇跡」を思い出した。彼はなぜ、コンマスの楽器を借り受けなかったのだろう?

タングルウッドの奇跡

♪2018-073/♪みなとみらいホール-19

2018年6月17日日曜日

日生劇場会場55周年記念公演 NISSAY OPERA 2018 モーツァルトシリーズ『魔笛』

2018-06-17 @日生劇場


指揮:沼尻竜典
演出:佐藤美晴


管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:C.ヴィレッジ・シンガーズ

ザラストロ:伊藤貴之
タミーノ:山本康寛
パミーナ:砂川涼子
夜の女王:角田祐子
パパゲーノ:青山貴
パパゲーナ:今野沙知恵
モノスタトス:小堀勇介
 ほか

モーツァルト作曲 オペラ『魔笛』全2幕
(ドイツ語歌唱・日本語台詞・日本語字幕付)

予定上演時間:約3時間
第Ⅰ幕 70分
 --休憩20分--
第Ⅱ幕 90分

日生オペラは制約(料金が安いから制作費なども多くは取れない。また、詳しいことは知らないけど舞台機構も大型のせりや回り舞台は無いのではないか。)の大きい中で舞台や衣装等も工夫が凝らされているのにいつも感心する。

今日の魔笛も、主要な舞台装置は中央に一つきり。それがくるくる回転して、照明を受けて、いろんなシーンを形作る。
役者の衣装もあまり豪華とは言えない。パパゲーナの靴などもっといいのを履かせてあげたいと思ったよ。

それでも、いつも概ね楽しめる舞台を作り上げるのは大したものだ。

今日も楽しんだが、なんと言っても一番良かったのはパミーナ役の砂川涼子。役のせいもあるけど「祭りの準備」の頃の竹下景子そっくりでカワユイ!もちろん歌も素晴らしい。
今回、砂川涼子のほかには伊藤貴之(ザラストロ)、青山貴(パパゲーノ)くらいしか覚えのある歌手は見当たらなかったが、若干の不満はあったものの、みんな上手にこなしていたと思う。

ところで、オペラ一番人気とも言われる「魔笛」だが、ストーリーは難しいというか、ザラストロや夜の女王の本質は何か、まあ、よく分からない。専門家がいろんな解釈を提供しているが、今回の演出でもよく分からなかった。

この作品(だけではなく、物語として首を傾げるものは少なくない。)は、もう、おもちゃ箱をひっくり返したような、次々登場する耳慣れた、それゆえ心地良い音楽の砲列を楽しむのが一番かな、と思っているけど、どうか。

新国立劇場では来シーズンの幕開けが「魔笛」だ。これを楽しみにしている。

♪2018-072/♪日生劇場-01

2018年6月16日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第340回

2018-06-16 @みなとみらいホール


高関健:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

アルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフ:ピアノ*

シチェドリン:ベートーベンのハイリゲンシュタットの遺書−管弦楽のための交響的断章−(日本初演)
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37
ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 Op.55「英雄」
----------------
アンコール
ラフマニノフ:楽興の時 作品16 第6番ハ長調

ベートーベン・プログラムと言っていいかな。
作品だけでなくその作曲家の名前さえ初聞きのロディオン・シチェドリンの「ベートーベンのハイリゲンシュタットの遺書−管弦楽のための交響的断章−」から始まって、ベートーベン本人!作のピアノ協奏曲第3番と交響曲第3番のカップリングだった。

まずは最初の作品には色んな面で驚いた。
シチェドリンは1932年生まれのロシア人。現役の作曲家だ。まあ、知らなくても当然か。本作の作曲年は分からないが、世界初演が2008年。因みに今日が日本初演だ。
現代の作品なので、とんでもない無調音楽かと思ったが、調性が拡大されている程度で、聴きやすかった。なかなか面白い作品だったが、Youtubeで探しても出てこない。

ベートーベンが1802年に書いたハイリゲンシュタットの遺書(決意表明?)を経て生き返ったように交響曲第3番以後傑作を生み出すのが1804年からの10年間で、ロマン・ロランはこの時期を「傑作の森」と名付けたそうだ。
シチェドリンの音楽は当然この経緯を踏まえて作曲されており、難聴という苦悩に訣別して傑作の森への過程が音楽になっている訳だ。ゆえに交響曲第3番の冒頭のテーマを示して終曲を迎える。

演奏もなかなかまとまりが良かった。

次のピアノ協奏曲第3番(完成は1803年)はまだ25歳というロシアのイケメンニコラーエフの独奏だった。この人も初めて。
この第3番までは、冒頭はまだ古典派風にオケの前奏で始まる。そのオケの音の良さにびっくりした。第1曲めは初めて聴く現代音楽なので、弦楽アンサンブルを味わうゆとりがなかったが、聴き慣れたベートーベンでは、はっきりと<管弦楽>の響の良さが分かった。これについては「英雄」のところで書こう。
取り敢えず、オケは別としてニコラーエフのピアノにもびっくりした。いつも同じホールの同じ席で同じスタインウェイを聴いているのだけど、今日の音はいつもと違った。実に美しい。まさか、タッチの差でかくも音が変化するとは思えない。

聴手の体調、外気温湿度とホール内の空調、お客の入り、ピアノの調律・整音などが微妙に絡み合って、時に素晴らしい音を聴くことができるのだろう。
強打音がカーンと抜けるような心地良さを久しぶりに聴いた。

最後の「英雄」がオケの素晴らしさを一番良く物語っていた。
管弦のアンサンブルの良さは、ピアノの音質に影響する色んな要素が同じように働いたのかもしれないが、それだけではなかろう。よく弾き込んだ音楽であるという理由も加えて良いかもしれないが、やはり、指揮者高関健が入念なリハをやって磨き上げたのだろう。

特に第2楽章など嫌味にならない限度で微妙に揺れるテンポも指揮者とオケが同じ呼吸をしていたからこそピタリと決まっていたのだと思う。

どこのオケでもそうだが、時々すごい実力を見せてくれることがある。この日の神奈川フィルはもうN響もびっくりの分厚くて透明感のあるアンサンブルだった。

♪2018-071/♪みなとみらいホール-18

2018年6月12日火曜日

国立演芸場6月中席

2018-06-12@国立演芸場


講談   神田松之丞⇒谷風の情け相撲
落語   春風亭小柳⇒悋気の独楽
音曲       松乃家扇鶴
落語         春風亭柳太郎⇒おかえり
講談         神田松鯉⇒雁風呂由来
       ―  仲入り  ―
ウクレレ漫談      ぴろき
落語         桂右團治⇒天狗裁き
ものまね   江戸家まねき猫
落語         春雨や雷蔵⇒紺屋高尾

今席は講談が2本入った。いずれも時間が短いので乗り切れず。
中入り後が面白かった。

ウクレレ漫談のぴろきは癖があって全然好みじゃないけど、今日はなかなか良くできた小話がポンポンと続いておかしかったな。

一番感心したのは江戸家まねき猫だ。2年ほど前に聞いたことがあったが、その場では忘れていて、帰宅後記録を見てああそうだったか、といった具合。初回は印象に残らなかったらしい。
その昔NHKTVで放映された人気番組「お笑い三人組」で三遊亭小金馬(⇒現四代目金馬)、一龍斎貞鳳と組んでいた動物ものまねの三代目江戸家猫八の娘だそうだ。やはり父と同じく動物のものまねだけをするが、口座に座布団を敷いて演ずるので、落語家と同じスタイルだ。
芸そのものより、その堂に入った話しぶりが、芸人の血統を感じさせた。

♪2018-070/♪国立演芸場-09

2018年6月11日月曜日

東京都交響楽団 第858回 定期演奏会Aシリーズ

2018-06-11 @東京文化会館


オレグ・カエターニ:指揮
東京都交響楽団

宮田大:チェロ*

シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D200
矢代秋雄:チェロ協奏曲(1960)*
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 op.67《運命》
-----------------
アンコール
瀧廉太郎:荒城の月*

指揮のガエターニは多分初めて。都響とは2009年以降4回目だと書いてあるが、縁がなかったんだな。

妙なプログラムだ。
シューベルト3番に何故か矢代秋雄のチェロ協奏曲。メインがベートーベンの「運命」ってどうにもまとまらない。

シューベルトの3番というのも実は生では初聴きだ。手持ちのCDは時々聴くことがあるが、好んで聴く訳ではない。4-5-7-8はスコアを持っているので、割と気合を入れて聴くことがあるが、どうも3番以前はもういいや、という気分だな。

演奏は、悪くなかったな。

2曲めに矢代秋雄のチェロ協奏曲。これも初聴き。
無調音楽なのか、調整拡大音楽なのか分からないけど、現代音楽で、こういうのは好きになれない。意表を突くことと芸術は別の次元ではないかという気がして入り込めない。しかし、宮田大のチェロは素晴らしかった。
冒頭、長いチェロ独奏によるカデンツァから始まり、チェロ演奏上のあらゆるテクニックを使い倒したという感じの八面六臂の大活躍で、音楽に親しみは感じなくとも彼の演奏技術や、いつもの美しい音色に聴き惚れた。実によろしい。

さて、1曲めはコンバスが4本。シューベルトの初期の作品だしそんなものだろう。
矢代秋雄が弦の構成まで指示したかどうか知らないけど、こちらは中規模でコンバスが6本だった。
こんなふうに拡大してゆくと最後のベートーベンの「運命」はコンバス8本になるのか…まさかね。
と思っていたら、そのとおり。Vn1が8プルート。以下7、6、5、4プルトという編成で、つまり第1バイオリンが16、第2バイオリンが14、ビオラが12、チェロが10、コンバスが8本だ。
僕の席からバイオリンは第1と第2が重なるし、チェロも数えにくいのだけど、終演後都響関係者に確認したから間違いはない。
つまり弦楽器だけで60人いた勘定になる。

さて、こんな大規模編成でベートーベンを演奏するのが正しいかどうかは専門家の判断に任せよう。

もし、ピタッと息が合えば、大規模合奏で聴くのは楽しいと思う。
でも、今日の都響に限れば、管弦のバランスがイマイチ。ホルンは爆音を立てていたが、木管は埋もれ勝ちだった。な訳で、今日の大層な「運命」は良しとしない。もっと小粒で引き締まった、演奏を聴いてみたい。

♪2018-069/♪東京文化会館-04

明治150年記念 平成30年6月歌舞伎鑑賞教室「連獅子」

2018-06-11 @国立劇場


解説 歌舞伎のみかた
坂東巳之助

河竹黙阿弥=作
連獅子 長唄囃子連中

狂言師右近後に親獅子の精⇒ 中村又五郎
狂言師左近後に仔獅子の精⇒ 中村歌昇
浄土の僧遍念⇒ 中村隼人
法華の僧蓮念⇒ 中村福之助

今月の鑑賞教室は珍しく舞踊劇「連獅子」。又五郎・歌昇実の親子が獅子の親子を舞った。口跡の良い又五郎の台詞が聴けないのは寂しいなと思っていたけど、今回は舞踊劇=所作事の中でも舞台、衣装も派手で、踊りもアクロバティックなものだけに普段は苦手に思っているジャンルだけどあらたな面白さを発見できたように思う。

大きく3つの部分に分かれるが、最初は2人の狂言師が親子の獅子の「子落とし」の伝説を語らい(舞踊のみで発声はしない。)、自らが獅子の親子に化身してその物語を演ずる。

中間部に文字通りの「狂言」が多少歌舞伎化されて登場するが、僧侶が2人。ともに道不案内な旅の途中で知り合って、心強く思っていたが、話をしてみると互いに宗門が異なる。1人は浄土宗で念仏を唱える。もう1人は日蓮宗で題目を唱える。そこで、互いが自分の宗門こそ正しい道だお譲らず宗論が始まるが、互いに念仏と題目を耳うるさく唱え合うばかりで実におかしい。
今は昔のことだけど、能狂言に夢中になっていた時期があってずいぶん能楽堂に通った。それで、今日は本当にずいぶんの久しぶりで「狂言」を楽しめたのも収穫の一つ。隼人と福之助が演じた。まだ芸に不足は感ずるけど、こうやって、芸域を広げて歌舞伎役者としてうまくなってゆくのだろう。

その「狂言」を挟んで第3部に当たるのが、白毛の親獅子の精と赤毛の仔獅子の精だ。
松羽目を背景に真っ赤なひな壇の上下に三味線・太鼓・笛などの長唄連中が20名ほど。その音楽に乗せて長い毛を振り乱し舞い遊ぶ。実の親子が演じていると思うと、舞によって演じられる親子の情愛がしみじみと伝わるとともに、徐々に激しくなる音楽と乱舞にしばし陶酔の感があった。

恒例、歌舞伎解説の巳之助も慣れたもので、今回は演目に合わせて歌舞伎の「舞」を中心に説明してくれたが、大いに可笑しくて為になった。

♪2018-068/♪国立劇場-09

2018年6月9日土曜日

N響第1888回 定期公演 Aプログラム

2018-06-09 @NHKホール


ウラディーミル・アシュケナージ:指揮
NHK交響楽団

ジャン・エフラム・バヴゼ:ピアノ*

イベール:祝典序曲
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲*
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー:交響詩「海」
-------------
ドビュッシー:前奏曲第2集から第12曲「花火」*

1月ぶりのN響だが、その間にオーケストラコンサートを5つ聴いた。出来不出来はいろいろだが、総じて満足度はイマイチだった。そのうち、こんな程度でもよしとするか、みたいな気になってきて自分の満足度ものさしも怪しくなってくる。

しかし、今日のN響を聴いて、ものさしは高いレベルでリセットされた。やはり、管弦楽というのは、このくらいの音を、響を出してくれなくちゃと思う。

イベールの「祝典序曲」は初聴き。日本政府が皇紀2600年を祝して委嘱した作品だそうで、当然、初演は日本でその年、つまり西暦では1940年に行われた。和風な感じは…中間部がちょっとそんなサービスしているのかな、とも思えるけど、そう思って聴くからであって、日本国の祝の音楽だと知らなければかなり壮大な音楽だった。

第1曲以外はすべて(アンコールのピアノ曲も含めて)ドビュッシーばかり。
ピアノと管弦楽のための幻想曲は聴いた気がするのだけど、記録にはないのでナマでは初聴きだったのだろうか。3楽章形式なので、変形ピアノ協奏曲のようなものだ。
ここで、ジャン・エフラム・バヴゼのピアノがなかなか効果的だった。という言い方も変だが、とても光っていた。
かれは珍しくYAHAMAを選んでいた。YAMAHAは重く石のような音がするので、あまりきらびやかには聴こえないのだけど、彼の力強い奏法ではぴったりなのかもしれない。
特にアンコールで弾いた「花火」が凄かった。本当にドビュッシーがあのとおりの楽譜を書いたのだろうか、と疑問に思うくらい、超絶技巧で、かつ、力強かった。あれほど叩いても壊れないのがYAMAHAの魅力かもしれない。

休憩を挟んで牧神の午後〜がなんとも精緻極まりない。オケの編成は中規模。バイオリンは数えられないが、コンバスは4本しか立っていなかった。それでも豊かな響だ。
この響の美しさを思う時、都響はやたら、編成が大きすぎる。ほとんどの曲でほぼ16型と思しき大編成で、可視的に数えられるコンバスは大抵8本並んでいるが、それで弦楽アンサンブルが厚いかというと必ずしもそうでもなく、むしろ暑苦しいとさえ思わせる時がある。やはり、あの何でも大編成は考えものだと、N響の編成を見て感じたよ。

そして、交響詩「海」も管と弦が見事に呼応して美しい。
まず持って、管楽器にヒヤヒヤする心配がないのがよろしい。
そして弦楽器はシャリシャリもキンキンもしない。管弦楽アンサンブルとはこれだという見本を聴かせてくれる。

もちろん、今日のマエストロ、アシュケナージの薫陶が十分行き渡っていたのだと思う。

こういう高水準のものさしを聴いてしまうと、他のオケがまるでアマチュアのようにさえ思えてくるのが悲しい。

新しい角度から聴き直さなくてはなるまい。

♪2018-067/♪NHKホール-06

新国立劇場開場20周年記念公演 「夢の裂け目」

2018-06-09 @新国立劇場


作:井上ひさし
演出:栗山民也
音楽:クルト・ヴァイル/宇野誠一郎
音楽監督:久米大作
美術:石井強司
照明:服部基
音響:黒野尚
衣裳:前田文子
ヘアメイク:佐藤裕子
振付:井手茂太
演出助手:北則昭
舞台監督:加藤 高

段田安則⇒天声こと田中留吉
唯月ふうか⇒田中道子
保坂知寿⇒川口ミドリ
木場勝己⇒清風先生こと加藤末太郎
高田聖子⇒紺野妙子
吉沢梨絵⇒田中君子
上山竜治⇒成田耕吉
玉置玲央⇒関谷三郎
佐藤誓⇒川本孝

井上ひさし:「夢の裂け目」全2幕
ー井上ひさし流 重喜劇 東京裁判、戦争の真実を問うー

予定上演時間:3時間
第1幕90分
 --休憩15分--
第2幕75分

これを観たのが9日。そして今日は20日。忙しかったり怠けたりで感想を書くのが遅れるということはママあるが、この作品に関しては、あまり難しくて書けない、というのが率直な感想だ。
このブログはほとんど自分の記録として書いているものだから、時として、こういう感想で終わってしまうことがあるが、それでもよかろう。無理にわかった風なことを書いてみても後で読み返す自分のためにならない。

要するに、僕は軽く考えていた。
それまでに井上ひさし作の小説、戯曲、そのドラマ化・映画化されたものは、そこそこ読んだり観たりしていたので、単なる喜劇作家ではなく、その思想傾向は左翼がかっていることも承知していたが、本作も、例えば「父と暮せば」のような反戦思想(思想というのもおかしいが。)をベースに親子の情を描く、といった感じの物語だろうと思いこんでいたが、そういう想像を遥かに超えた深刻な物語だった。

東京裁判三部作の、これが第一部に当たるのだそうだ。
東京裁判に関与することになった、紙芝居屋とその家族たちを描いている。たしかにおかしくて笑える部分もあるが、要するに、これは天皇の戦争責任を巡る物語だ。
あの天皇が責任を免れた以上、一体ほかの誰に責任があるというのか…とまあ、核心部分はそういう話だ。

こういう話は既に70年前に整理された話で、今更、さあ、君はどう考えるのだ、と突き出されても、余計なお世話だ…というのが僕の本音だ。確かに「東京裁判」は問題だらけだと思うが、もうそこに切り込んでみても仕方がないのではないか。裁判結果を受け入れ、講和条約に署名し、国際社会に復帰したことを今更なかったことにはできまい。

こういう安直な姿勢が将来の次世代のためにも良くないのかもしれん。井上ひさしの問題提起は意味がないこととも思えないが、僕は大いに混乱した。
「重喜劇」なんてジャンルが正式に存在する訳でもなかろうが、つまりは「軽喜劇」へのアンチテーゼなのだ。
でも、僕は軽〜いのでいいや。


♪2018-066/♪新国立劇場-07

2018年6月8日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第338回横浜定期演奏会

2018-06-08 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

川久保賜紀:バイオリン*

【オール・メンデルスゾーン・プログラム】
演奏会用序曲「フィンガルの洞窟」ロ短調 作品26
バイオリン協奏曲ホ短調 作品64*
劇音楽「真夏の夜の夢」作品61から
 序曲/スケルツォ/間奏曲/夜想曲/結婚行進曲
---------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第2番ニ短調 BWV1004から第3曲サラバンド*
メンデルスゾーン:「無言歌集」作品30から「ヴェネツィアの舟歌」管弦楽版

オール・メンデルスゾーン・プログラム。
これでバイオリンのアンコールがメンデルスゾーンであれば完璧だったが、でも、彼はバイオリンの無伴奏は作っていないはずだから、やむを得ないね。


フィンガルの洞窟は管と弦がうまく噛み合っていない感じだったな。
弦について言えば、だんだん良く鳴る法華の太鼓で、後半うんと良くなった。メンコン(メンデルスゾーン・バイオリン・コンチェルト)では、独奏の陰で、弦楽合奏があまり出しゃばらないのだけど、良い感じだった。尤も肝心の独奏は全然楽しめなかったが。

真夏の夜の夢での弦楽アンサンブルは実に耳に心地良い。少しシャリシャリ感もあったが、広域のキンキン音よりずっといい。管は何箇所か残念なミスがあった。

最近の日フィルの弦はかなり高水準で満足できるのが楽しみだ。

さて、問題はメンコンだ。
Vnは川久保賜紀。出だしの音楽が違う。それはメンデルスゾーンじゃないっ!と言う感じが最後まで払拭できなかった。音はすごくきれいだし、独奏者として音圧も十分。
なのに、気持ちが乗れないのは、表情が堅いからではないか。どうも、教本どおりだが、未だ、自分の音楽になっていない、そこまでこなれていない、という感じで、それはアンコールのバッハで更に極端に表れて、まだ仕上がっていないものを聴かされた感じだった。

5月20日、同じ場所で聴いたクロエ・ハンスリップ+読響のメンコンの味わい深さに比べるとこちらは砂を噛むような音楽だった。

オケもアンコールがあって、メンデルスゾーンの無言歌から作品30の「船歌」のオーケストラ版だったのが洒落ていたね。無言歌集の中で3曲ある「舟歌」の中でも一番有名でそれだけに馴染んでいるし、素直に美しい。

終演後インキネンを囲んで
♪2018-065/♪みなとみらいホール-17

2018年6月5日火曜日

国立演芸場6月上席

2018-06-05@国立演芸場


落語   古今亭始⇒たがや
落語   金原亭馬治⇒天狗裁き
声帯模写   丸山おさむ
落語          吉原朝馬⇒代り目
落語          桂藤兵衛⇒饅頭こわい
       ―  仲入り  ―
漫才          笑組           
落語          五明樓玉の輔⇒お菊の皿          
奇術          マギー隆司
<先代馬生三十七回忌追善・金原亭馬生十八番>
落語          金原亭馬生⇒抜け雀

今月の上席は、先代(十代目)金原亭馬生の37回忌追善ということで、当代(十一代目)の馬生がトリを務め、先代の得意とした演目を日替わりで口演するという企画だ。

だいたい先代の馬生を知らない。1982年に亡くなっているので今年37回忌という次第だ。もちろん、名前は知っているしラジオなどでは聴いていたと思うが、その頃は寄席に足を運ぶこともなかったのでご本人は知らない。Youtubeにいくつか残っているのを聴くとうまい。個人的には弟の志ん朝が大好きだけど、馬生もよく似た語り口で、味わい深い。

先代馬生の父が名人と言われた五代目志ん生。弟がこれまた昭和の名人とも言われる三代目志ん朝。立派な家系だが十一代目は先代の弟子で血縁はないらしい。血縁はないが、馬生の名跡を継いだということは周囲からもその技量が認められていたのだろうな。確かにうまいと思うけど、先代や志ん朝と比べてしまう。なんか淡白すぎて薄味だ。

今回もあちこちで寝てしまったが、「抜け雀」もこれからいよいよ面白くなるというところで寝てしまったのは誠に申し訳ない。

他に、声帯模写の丸山おさむというのは初めてだったが、あまり似てないけど、噺の組み立てが面白かった。歌の御三家二代目というのかな、郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹などの物真似というより歌真似が何しろ歌自体が懐かしいし、歌唱力もなかなかのもので、とても楽しめた。

奇術のマギー隆司はいつもそこそこに楽しめる。
落語は古今亭始、金原亭馬治など若手の出来が良かった。

♪2018-064/♪国立演芸場-08

2018年6月4日月曜日

東京都交響楽団 第855回 定期演奏会Bシリーズ

2018-06-04 @サントリーホール


ダニエーレ・ルスティオーニ:指揮
東京都交響楽団

フランチェスカ・デゴ:バイオリン*

モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』序曲 K.492
ヴォルフ=フェラーリ:バイオリン協奏曲ニ長調 op.26*
R.シュトラウス:交響的幻想曲《イタリアから》op.16
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アンコール
パガニーニ:24のカプリースから第13曲

折込チラシで予定されていたコンマスの矢部くんが急病で、神奈川フィルソロ・コンマスの﨑谷くんが代打に立った。こういう場合の代打コンマスって、オケ(の演奏)にどの程度関与しているのだろう。ひょっとしてゲネプロからの参加…なんてことはないだろうけど、十分リハーサルもできていないだろうし、そうまでして外部からコンマスを迎える必要があるのだろうか。都響には矢部くん以外にも四方、山本の2人のコンマスが居るのだからそのどちらかを使えばいいのではないか、と不思議に思う。

「フィガロの結婚」は元気の良い出だしだったが、テンポが良すぎたか、細かいフレーズの粒立ちが悪かった。

ヴォルフ=フェラーリのバイオリン協奏曲は初聴きだった。
だいたい、フェラーリって作曲家を知らない…と思っていたが、間奏曲「マドンナの宝石」 の作曲なんだ。有名な曲だけど、作曲者については知らなかったなあ。「乙女の祈り」を知っていても作曲者のバダジェフスカ(子供の頃は「バダルゼフスカ」と覚えていたな。)は知らないようなものだ。

フェラーリは1876年生まれ(1948年没)なので、ラヴェル(1875年)、ファリャ(76年)、レスピーギ(79年)などとほぼ同時代。作品はほとんど20世気に入ってから作曲されており、このバイオリン協奏曲も初演は1944年だそうな。
それにしては、全曲がロマン派の初期〜中期ぽくて、完全な調性音楽で、しかも甘美で親しみやすい。

また、独奏バイオリンのフランチェスカ・デゴはほぼ2年ぶりに聴いたが、前回の東響とのショスタコ協奏曲第1番の時と同様、実に迫力がある。楽器の音色もとてもきれいで、良く鳴って華やかで、先月のテツラフ(N響)やハンスリップ(読響)と比べても聴き劣りしない名演だった。まだずいぶん若そうだが、実力の程はアンコールの無伴奏でも納得させてくれた。
不思議なことに、この時東響を振ったのが、今日のダニエーレ・ルスティオーニだった。彼のお好みでデゴを指名したのかもしれないな。

メインがR.シュトラウスの交響的幻想曲「イタリアから」**だった。これも僕は初聴きだったと思う。冒頭のハーモニーがレスピーギのローマ三部作を彷彿とさせるいかにもイタリアっぽい響で始まった。オケの編成もやたら大きく、ここまで弦5部を膨らませる必要があるのか、とも思ったが、部分的にはその大編成が奏功して厚みのあるアンサンブルを聴かせてくれた。

ゲストコンダクターのルスティオーニは、終曲と同時に指揮台の上でくるりと身を翻し客席に向いた。どうだ、良かったろう!と言わんばかり。この派手な身のこなしが観客に受けてカーテンコールは歓呼の声に包まれた。御本人も満足の出来栄えだったようで、非常に喜んでいる姿に好感できた。

**プログラムには「イタリアより」と書いてあったが、fromの意味なので「から」が正しい。「より」では、イタリアよりどこか良いところがある…という意味ならそれでもいいけど。同じくドボルザークの「新世界から」を「新世界より」と表記する例が少なくないが、どうも気分が悪い。

♪2018-063/♪サントリーホール-06