2018年5月28日月曜日

東京都交響楽団 第856回 定期演奏会Aシリーズ

2018-05-28 @東京文化会館


小泉和裕:指揮
東京都交響楽団

アレクサンドラ・スム:バイオリン*

ドボルザーク:序曲《謝肉祭》op.92 B.169
グラズノフ:バイオリン協奏曲イ短調 op.82*
ドボルザーク:交響曲第7番ニ短調 op.70 B.141

上野でのA定期は1月のトゥーランガリラ交響曲以後3月も4月も他のコンサートと重なった為に池袋のC定期に振り替えたので、ずいぶん久しぶりの文化会館だ。その間にシーズンが変わり、席もちょうど3列後ろに下げた。左席に嫌な感じのオヤジがいて、定期会員のデメリットとして毎回会わなくちゃいけないのが苦痛だったし、そもそも少し前すぎると予てから思っていたので、今シーズンはちょうど良い感じの位置になった。もう、変えることはないだろうと思う。

新しい席ではどんな響きがするだろう、と興味津々。このところ、都響は、演奏というより、音の響の面で残念賞続きなので、祈るような気持ちで第一声ならぬ第一音を待ったが、ドボルザークの「謝肉祭」は出だしからもっさりして、迫力に欠けた。

次のグラズノフ「バイオリン協奏曲」は、以前読響でチャイコフスキーの協奏曲を演奏した時に好感できたアレクサンドラ・スムが今回もなかなか力強くて奮闘したが、元来この音楽ももっさりしている。弦が中低域を徘徊するようなピリッとしない音楽だ。
独奏バイオリンは時に大編成の弦楽合奏に埋もれがち。華やかさがない。

最後の交響曲はどうか。
やっぱり、アンサンブルが悪い。
管楽器の編成は作曲者によって指定されているから時に増やすことはあるかもしれないが、基本は楽譜に書かれた数だ。
それに対して、弦5部は特段指示がなく、管の編成の大きさに合わせて12型〜16型などを決めるはず。
今日の弦の編成はたぶん16形と言われている大編成だろう。自分の席からはビオラとコンバスの数しか分からないが、ビオラが12本、コンバスが8本なので、第1バイオリンは16人だったのだろう。
とにかく、多い。

冒頭の序曲も、バイオリン協奏曲も、交響曲も(管の編成は作品毎に作曲家による指示が異なるので変わるが)減5部の編成は全く変わらなかった。
まあ、大勢の方が厚いアンサンブルになって好都合だが、それは全員が揃って正しい美しい音を出す場合の話だ。
大所帯なので弦だけでもまとまりに欠けたが、管とのバランスが悪い。弦が多すぎる。でなければ管が非力だ。
管と弦がきれいに溶け合っていなかった。

一番最初に感じたもっさり感が最後まで尾を引いた。

♪2018-062/♪東京文化会館-03

2018年5月26日土曜日

河村尚子「ベートーベン ピアノ・ソナタ・プロジェクト」第1回(全4回)

2018-05-26 @フィリアホール


河村尚子:ピアノ

ベートーベン:
ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 op.7
ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 op.13「悲愴」
ピアノ・ソナタ第7番二長調 op.10-3
ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調 op.27-2「月光」
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ドビュッシー:月の光

河村尚子、満を持してのベートーベン・ツィクルスだそうな。フィリアホールでは今日はその第1回目だが、全国的…いや、世界的には今年の4月から始まっているようだ。

ただし、今後の予定として発表されているのは、今回を含む全4回でソナタ14曲を弾くというのだから、全32曲の半分にも満たないのは残念。
今日は4、7、8、14番だったが、フィリアホールで11月に予定されている第2回めが18、23、23、24番の4曲、来年4月が26、27、29番の3曲、来秋に最後の3曲(30〜32番)だ。
次回以降も聴きに行くつもりだが、3回目以降は日時も未定なので聴きに行けるかどうか分からないけど、行けたとしても17番や28番が含まれていないのは残念だな。

さて、久々に近くで見る…いや聴く河村尚子はなんとも魅力的だ。一音一音に入魂しているのがその姿勢や顔の表情の変化でよく分かる。ホンに表情が豊かで、大げさではなく、とても自然で音楽と一体になっているように見える。
彼女の考え方なり感覚がその表情を通じて聴手にも少しは伝わってくる気がする。できれば、彼女のそれらと完全にシンクロできたらとてもハッピーだろうと思うが、そこは才覚や知識の差で、うまくはゆかないけど、でも、音楽に誘い込まれるのは確かだ。

さて、気になったことが一つ。
ピアノの音がイマイチだった。
良くなるホールであることは前に寺神戸亮のリサイタルを聴いて体験済みだけど、無伴奏バイオリンの場合はこの響具合がとても効果的だ。でも、ピアノ(スタインウェイ)の場合は、鳴り過ぎではないか、と思った。その音も、「ジャーン」という音で、あまり美しくない。「カーン」と抜けるような音で聴きたいものだ。

前半が終わった後の休憩中に調律師がだいぶ時間を掛けて整音か調律をしていたが、やはり、河村尚子にとっても何か違和感があったのかもしれない。でも、後半もピアノの鳴り方はさほど変わらなかった。
できたら、音楽堂やみなとみらいの小ホールで聴いてみたかった。

♪2018-061/♪フィリアホール-01

2018年5月24日木曜日

新国立劇場オペラ 開場20周年記念特別公演「フィデリオ」

2018-05-24 @新国立劇場


指揮⇒飯守泰次郎
演出⇒カタリーナ・ワーグナー
ドラマツルグ⇒ダニエル・ウェーバー
美術⇒ユリウス・ゼンメルマン
衣裳トーマス・カイザー
照明⇒クリスティアン・ケメトミュラー

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京交響楽団

ドン・フェルナンド⇒黒田博
ドン・ピツァロ⇒ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン⇒ステファン・グールド
レオノーレ⇒リカルダ・メルベート
ロッコ⇒妻屋秀和
マルツェリーネ⇒石橋栄実
ジャキーノ⇒鈴木准
囚人1⇒片寄純也
囚人2⇒大沼徹

ベートーベン:全2幕〈ドイツ語上演/字幕付〉予定上演時間:約2時間40分
第Ⅰ幕70分
 --休憩30分--
第Ⅱ幕60分

「フィデリオ」の生舞台は初めてだけど、ビデオディスクは持っているので、まるきり初めてという訳ではなかった。
そのディスクは2003年4月のザルツブル・イースター音楽祭でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルの演奏。演出はニコラウス・レーンホフのものだ。
時代設定はあえて不詳にしてあり、舞台装置も単純で抽象的なものだが、筋書きは台本どおりだと思う。

詳しく勉強した訳ではないが、他に参考資料を見ても、今回の新国立劇場でのプログラムに書いてある「あらすじ」を読んでも、だいたい似たり寄ったりの筋が書いてあるところから、ビデオ版の「フィデリオ」もベートーベンが拠にした台本に沿った演出だと思う。

であるので、これは、男装しフィデリオと名乗って政治犯牢獄で働きながら夫フロレスタンを救出する妻レオノーレの物語だと安心しきっていた。さらに言えば、フロレスタン個人が救済されるというより、政治犯が解放され思想信条の自由が勝利するという物語であるはず。

前から2列めという字幕を読むには不利な席だけど音楽にはどっぷり浸れる。音楽は文句なしにベートーベンらしさに溢れて、歌手には相当困難らしいが、聴いている分にはその良さを堪能できる。
なので、あまり字幕を熱心に追わず、音楽に集中していた。話がどう進み、どういう結末を迎えるか分かっているのだから。

ところがどっこい。
話が違う。
第2幕第2場から様子が変で、ラストはもうまるきり台本から逸脱した。いや、「逸脱」という言葉では不足するくらいのとんでもない最後だった。ベートーベンが生きていたらこの演出家を銃殺したのではないか。

新国立劇場だけでなく、これまでどこの劇場でも終演後にブーイングを聞いたのは初めての経験だ。いや確かに怒りたくなる。

演出家はカタリーナ・ワーグナー。
あのワーグナーのひ孫だそうな。
極東の歴史の浅い(この作品は会場20周年記念特別公演と位置付けられている。)オペラハウスで、好きにやってくれ、と言われて、思い切り遊んでみたか。

2月の二期会「ローエングリン」も深作健太の新演出が自己満足の為に奇を衒ったようで面白くなかったが、今回のカタリーナ・ワーグナーの新演出は、<読み替え>の限度を超えて「フィデリオ」を冒涜したような思いがする。

新国立劇場の音楽監督である飯守泰次郎が最後に自ら指揮をする作品であったのにその有終の美を穢したとは言いすぎかな。

歌手陣はいつもながら素晴らしかった。
レオノーレを演じたリカルダ・メルベートは「ジークフリート」、「ばらの騎士」についで3度めだったが、迫力ある美声だ。
フロレスタン役のステファン・グールドは「リング」4部作についで5度目で、彼も見事なものだ。
他に、ロッコの妻屋秀和やマルツェリーネの石橋栄実など日本人歌手も引けを取らない歌唱だった。

ピットは東響で、これがなかなか良い。ミューザやサントリーで聴くときより響が良いのは、ピット効果なのか、新国立効果なのか分からないけど、音楽を聴く喜びを感じさせてくれる。

指揮者はじめ、演奏陣は力を尽くしているのに、この演出ではさっぱりだ。気の毒に思うよ。カーテンコールも盛り上がりに欠けた。

帰宅後、プログラムをよく読めば、ドラマトゥルク(定義がよくわからないし、プロダクション毎に役割も異なるようだ。)であるダニエル・ウェーバーなる人物がプロダクションノートを記していて、そこに今回の演出の解釈のヒントが出ていたが、仮に事前に読んでいたとしても、舞台で繰り広げられたとんでもない結末を誰が予想したろう。

舞台美術は全幕基本的に変化しない。何しろ全ては政治犯牢獄で始まり終わるのだから。全体に暗いのもやむを得ないだろう。
しかし、最大4階分(上下する)まで作ってあり、そこで芝居が行われるので、1階席からは終始見上げていなくてはいけないし、4階席からは舞台の上部は見えなかったのではないか。こういう点も美術や演出において考えてくれなくては困るな。

いやはや、音楽だけが救いだった。

バックステージツァーで舞台から客席を見る
♪2018-060/♪新国立劇場-06

2018年5月22日火曜日

東京都交響楽団 第855回 定期演奏会Bシリーズ

2018-05-22 @サントリーホール


下野竜也:指揮
東京都交響楽団

ヒラ・プリットマン:ソプラノ*

メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 op.56《スコットランド》
コリリアーノ:ミスター・タンブリンマン
 ─ボブ・ディランの7つの詩(2003)(日本初演)*

昨年末の文化会館での「第九」の後は、都響の演奏会は不作続きで、大満足はおろか、中満足もなかなかできないでいる。
今日の希望の星であった「スコットランド」でさえ、アンサンブルがガサついていて、本来の力が出ていないのではないかと思った。とりわけ、弦の透明感の不足を感ずる。

「音楽」であるからにはまずもって「音」が美しくなければだめだ。
長い中断を経て都響を聴き始めた頃は厚いアンサンブルにワクワクすることもあったが、最近は耳が肥えてしまい?ちょっとやそっとのレベルでは満足できなくなっている。

一つは僕の耳の問題(体調によって聴こえ方が異なる)、ホールの問題、曲目が本来持っている演奏効果、リハーサルの徹底具合、指揮者の音楽性などが複合的に影響して、同じオケでも出来がだいぶ異なってくるように思う。

「スコットランド」が大好き、という訳ではないけど、メインに置かれたのがコリリアーノ(初めて聴く名前だ。)という作曲家が2003年に発表してグラミー賞を受賞した作品だというので、現代音楽に関心のない我が身としては、せめて「スコットランド」で楽しみたいと思っていたのだけど、果たせず。

ボブ・ディランの7つの詩に作曲した作品は、聴いてみれば案じたほど小難しい(と言うより、現代の作品は自己中ぽいのが嫌いなのだけど…)音楽でもなかったが、さりとて楽しめるようなものでもなかった。
これを歌ったヒラ・プリットマン女史はやはりこの歌唱でグラミー賞を受賞したのだそうだ。目下のところ、この曲を歌うに最も相応しい歌手という訳だ。きれいな声だったが、作曲者の指示によりアンプ増幅による歌唱だった。サントリーホールのいつもは閉じている天井から黒い巨大なスピーカー群がぶら下がって降り、ここから彼女の歌が拡声された。ナマで歌っても十分館内に響き渡ったろうけど、何しろオケが巨大(プログラム掲載の楽器編成で数えたら打楽器だけで20種類も用意されていた。)な為に、ナマでは歌がかき消されるおそれがあるからだろう。
現代音楽はもう何でもありだから、これはこれで良いのかもしれないけど、個人的には受け入れ難い。

ボブ・ディランそのものをよく知らない。CDを1枚だけ持っていて、耳に馴染んでいるのは「風に吹かれて」と「タンブリンマン」くらいだ。聴きながら意味が分かるほど英語に堪能でもないし、集中できなかった。

ところが、終曲すると、館内は拍手喝采、歓呼の嵐で大騒ぎだった。僕は全然ついて行けず、気分は白けたままだったな。

♪2018-059/♪サントリーホール-05

團菊祭五月大歌舞伎 昼の部

2018-05-22 @歌舞伎座


成田山開基1080年
二世市川團十郎生誕330年
安田蛙文・中田万助 作
奈河彰輔 演出
藤間勘十郎 演出・振付
通し狂言
一、雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)
市川海老蔵五役相勤め申し候
鳴神上人⇒海老蔵
粂寺弾正⇒海老蔵
早雲王子⇒海老蔵
安倍清行⇒海老蔵
不動明王⇒海老蔵


雲の絶間姫⇒菊之助
秦民部⇒彦三郎
文屋豊秀⇒松也
秦秀太郎⇒児太郎
小野春風/矜羯羅童子⇒廣松
錦の前⇒梅丸
八剣数馬/制多迦童子⇒九團次
小原万兵衛実は石原瀬平/黒雲坊⇒市蔵
白雲坊⇒齊入
小松原中納言⇒家橘
関白基経⇒錦之助
八剣玄蕃⇒團蔵
小野春道⇒友右衛門
腰元巻絹⇒雀右衛門

二、女伊達(おんなだて)
女伊達木崎のお光⇒時蔵
男伊達中之島鳴平⇒種之助
同  淀川の千蔵⇒橋之助

「雷神不動北山櫻」は僕にとって初めての演目だった。
全4幕の通し狂言で、そのうちに歌舞伎十八番(市川宗家のお家芸として選定された荒事の演目。)に選ばれている「毛抜・鳴神・不動」の3作を含むというのだから、1作で3度おいしい作品という言える。
尤も、歌舞伎十八番も現代も実際に演じられているのは8作品程度で、残りは今ではほとんど演じられることはないそうだ。内容が伝承されていないので、演るとすれば新作を作り上げるに等しいらしい。
「毛抜・鳴神・不動」も実際に舞台にかかるのはほぼ「毛抜」だけと言ってもよい状態のようだ。

僕も、「毛抜」は数回観たが、「鳴神」も「不動」も観たことはないし、今回の鑑賞で初めてそういう作品があることを知った次第だ。

1人口上から4幕大詰まで海老蔵が5役出ずっぱりで八面六臂の大活躍。外連味たっぷりの見得がこれ程似合うのは海老蔵だけか。
菊之助との絡みも見所。

筋の運びが必ずしも滑らかではないし、長過ぎるような気もするが、歌舞伎の面白さ、楽しさ、美しさをたっぷり詰め込んだ力作だ。

余談だが、「毛抜」が単独で演じられる時は、何故か劇中劇の形をとる。今回も2幕目がそれに当たるが、やはり、この幕だけは、舞台上手と下手に芝居小屋の看板が掲げられ、粂寺弾正が若衆や腰元にちょっかい出しては失敗する度に客席に向かって頭を下げ、「面目次第もござりませぬ」と言い訳するところも今回の「通し」上演でも同じだった。

♪2018-058/♪歌舞伎座-03





2018年5月20日日曜日

読響第104回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-05-20 @みなとみらいホール


イラン・ヴォルコフ:指揮
読売日本交響楽団

クロエ・ハンスリップ:バイオリン*

ブラームス:大学祝典序曲 作品80
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲ホ短調 作品64*
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第1番アダージョ

今日のコンマスは、特別客演コンマスの日下紗矢子だった。チューニング時の立姿が百済観音のようにスラッとしてスリムで、まずは目の保養になる。次席にはコンマスを務める機会が多い長原幸太が座っていた。

指揮のイラン・ヴォルコフは初めてだが、都響は指揮しているようだが、肝心の読響には初登場なのかどうか、解説には書いてなかった。

「大学祝典序曲」はバイオリンの高域が美しくないし、なにやらバラバラ感が拭えず。

ところが、2曲めのメンコンが素晴らしい。
バイオリン独奏はクロエ・ハンスリップ。現在30歳。英国人だが、ロシア人のような顔貌だ。何れにせよ美形のうちに入るかも。読響には初登場らしい。
その彼女が弾く冒頭の音色の豊かさにググっと惹きつけられた。小柄な体躯とは裏腹に全体に音量が豊かだ。ちょうど1週間前にテツラフの独奏+N響でベートーベンの協奏曲を聴いたときほどのDレンジの豊かさはないものの、十分な迫力だ。
プログラムには、彼女の使用する楽器が1737年製グゥアルネリだと書いてあった(Wikipediaではもう使っていないとある。)が、何であれ、楽器自体が良くなるのかもしれない。

全体に気合の入った演奏で、切れ目のない楽章構成も相まって心地よい緊張感が漲った。

ソリストにしては珍しく楽譜を用意していたが、ほとんど見ていない。アンコールで弾いたJ.S.バッハでは譜面台に向かっていたから、見ながら弾いたのだろう。余談だが、楽譜を観るソリストと言えばコパチンスカヤを思い出す。彼女の場合は裸足で演奏した。ハンスリップが高いピンヒールを脱いだらえらくちっちゃくなってしまうだろうな、と思ったよ。ホンに、余計なことだけど。

メインが「展覧会の絵」だったが、これはもう冒頭のプロムナードがなんといっても素晴らしい出来栄え。それと第6曲(本日のプログラム上の表記。プロムナードを数えないやり方もあって必ずしも第6番目とは限らないけど。)サムエル・ゴールデンベルクとシュムレイ(ユダヤ人の金持ちと貧乏人)の弦楽ユニゾンの合奏が厚みがあって美しい。
が、残念なことに、「大学祝典序曲」同様、曲によっては管楽器群で、あるいは管と弦楽器の間でピタッと来ないものもあり、ざわつきが気になるところがあったのは残念。

♪2018-057/♪みなとみらいホール-16

2018年5月17日木曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年5月公演 第2部「彦山権現誓助剣」

2018-05-17 @国立劇場


彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
●須磨浦の段
  お菊⇒竹本三輪太夫
  内匠⇒豊竹始太夫
  友平⇒竹本小住太夫
  弥三松⇒豊竹咲寿太夫/鶴澤清友
 
●瓢簞棚の段 
 中 豊竹希太夫/鶴澤寛太郎
 奥 竹本津駒太夫/鶴澤藤蔵・鶴澤清公 

●杉坂墓所の段
 口 豊竹亘太夫/野澤錦吾
 奥 豊竹靖太夫/野沢錦糸
 
●毛谷村六助住家の段
 中 豊竹睦太夫/野沢勝平
 奥 竹本千歳太夫/豊澤富助

人形役割
  娘お菊⇒吉田勘彌
  弥三松⇒吉田簑太郎
  友平 ⇒吉田文昇
  内匠 ⇒吉田玉志
  佐五平⇒吉田玉勢
  お園 ⇒吉田和生
  伝五右衛門⇒吉田玉佳
  六助 ⇒吉田玉男
  母お幸⇒桐竹勘壽
 ほか

一昨日、鑑賞したばかりだが、頭に入っていない部分があって、気になってもう一度観ることにした。

「毛谷村」の段で、お園は父の決めた許婚六助に出会い、急に女らしく振る舞うようになるのだが、夕飯の支度をする時にかまどに火吹き竹で息を送る際に、あまりに慌てていて尺八を口にするシーンが歌舞伎にはある。

最初の鑑賞の際、ボーッとしていて、それに気づかなかった。果たして尺八の場面はあったのかなかったのか、それが気になってならない。それで、第1部の鑑賞日に第2部のチケットがあるかどうか調べたら幸いなことに良い席が残っていたので即GETした。

ところが、朝から第1部4時間超を観た後に、続いて第2部を観るというのはなかなかしんどいものがある。
いよいよというところまで来てまたもや注意散漫になってしまった。
「彦山権現誓助剣」は休憩込みで4時間37分もあるので、最後の毛谷村迄行きつく頃は相当疲れが溜まっていたのだ。

結局、火吹き竹の場面は確認できずじまいだった。
六助がお園や姑の見送りを受け、梅の枝と椿の枝を背中に挿してもらって仇討ちに出かけるところは観ていたのだけど。どうも、その瞬間、エアポケットに落ち込んだみたいだ。

ま、2回観たので、全体像ははっきりしてきたので良かったけど。

しかし、朝から通せば9時間37分だ。
休憩が合計90分。第1部と第2部の間の切り替えの時間が38分あったとはいえ、1日で2部とも観るというのはかなりの体力勝負だ。

♪2018-056/♪国立劇場-08

https://beelogbee.blogspot.jp/2018/05/305-2.html