2024-01-31 @新国立劇場
指揮:ヴァレンティン・ウリューピン
演出:ドミトリー・ベルトマン
美術:イゴール・ネジニー
衣裳:タチアーナ・トゥルビエワ
照明:デニス・エニュコフ
振付:エドワルド・スミルノフ
管弦楽:東京交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
タチヤーナ⇒エカテリーナ・シウリーナ
オネーギン⇒ユーリ・ユルチュク
レンスキー⇒ヴィクトル・アンティペンコ
オリガ⇒アンナ・ゴリャチョーワ
グレーミン公爵⇒アレクサンドル・ツィムバリュク
ラーリナ⇒郷家暁子
フィリッピエヴナ⇒橋爪ゆか
ザレツキー⇒ヴィタリ・ユシュマノフ
トリケ⇒升島唯博
ほか
チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」
全3幕〈ロシア語上演/字幕付〉
予定上演時間:約3時間5分
第Ⅰ幕〜第Ⅱ幕1場
100分
--休憩30分--
第Ⅱ幕2場〜第Ⅲ幕
55分
何十年か前に初めてこの作品に放送(録画)で接して以来、気にはなるけど没入もできないという隔靴掻痒の期間が長かった。
新国立劇場の前回の公演(2019年)が僕にとって「オネーギン」の初めての生舞台だったが、やはり、没入できなかった。
それは、少年少女(オネーギンこそ22歳と一応大人であるが、レンスキー18歳、タチヤーナ16歳、オリガ14歳)の、自己中恋愛、失恋、虚無、嫉妬の物語に付いてゆけず、加えて実年齢2〜3倍ほどの歌手が彼らを演ずるとあってはなお感情移入できない。
一方で、チャイコフスキーの音楽の魅力は、繰り出される美旋律だけではなく、全編を通じた作曲上の工夫(同じ下降音形の変奏など)が素人耳にも少しは窺えることもあって、十分に惹きつけるものがあること。
加えて、物語の展開に、オペラにありがちなご都合主義も破綻もなく、作品としてはきれいに整っていることは大きな魅力だった。
このアンビバレントな相剋が、「オネーギン」に対峙する態度を決めかねていた…と大袈裟にいえば言えるかも。
今回は、前回と同じ演出・美術だったが(多少不満はあるが…省略。)、まるで別の作品のように思えたのは不思議だ。
実に面白かった。
ワクワクした。それはオネーギンの心情に初めて共感を覚えたからだ。
そうなるとこれまで没入を許さなかったドラマが手中に落ちて、チャイコフスキーを素直に堪能できるようになった。
なぜだろう?
前回4人だった海外招聘歌手は6人(🇷🇺4人・🇺🇦2人)に増え、オケがなぜか東フィルから東響に変わった。
みんな上手だったが、僕が今回《覚醒》したのはそのせいでもない。前回も歌手もオケも何の不満もなかった。
僕自身が4年半で僕が成長したことは多分ない。むしろ鈍化したので受け入れられるようになったのかもしれない。
何かが弾けたのか?
帰宅後と翌日、手持ちビデオを取っ替え引っ替え、見処を中心に観たが、どれも全く新しい目で楽しむことができたのは今回の新国観劇の副次効果で、嬉しいことだった。
川の堤に小さな穴を掘り続けていたら、ある日、一気呵成に崩れ落ちたようなことかもしれない。
こんな爺さんになって、22〜26歳のオネーギンに共感するとは自分でも驚きだよ。
♪2024-017/♪新国立劇場-03