2019年1月30日水曜日

新国立劇場オペラ「タンホイザー」

2019-01-30 @新国立劇場


指揮:アッシャー・フィッシュ
演出:ハンス=ペーター・レーマン
美術・衣裳:オラフ・ツォンベック
照明:立田雄士
振付:メメット・バルカン

合唱⇒新国立劇場合唱団
バレエ⇒新国立劇場バレエ団
管弦楽⇒東京交響楽団

領主ヘルマン⇒妻屋秀和
タンホイザー⇒トルステン・ケール
ヴォルフラム⇒ローマン・トレーケル
ヴァルター⇒鈴木准
ビーテロルフ⇒萩原潤
ハインリヒ⇒与儀巧
ラインマル⇒大塚博章
エリーザベト⇒リエネ・キンチャ
ヴェーヌス⇒アレクサンドラ・ペーターザマー
牧童⇒吉原圭子

R.ワーグナー:オペラ「タンホイザー」
全3幕〈ドイツ語上演/字幕付〉

予定上演時間:約4時間5分
第Ⅰ幕70分
 --休憩25分--
第Ⅱ幕65分
 --休憩25分--
第Ⅲ幕60分

2007年初演から6年ごとに再演して3回目。今回は少し演出が変わっているらしいが、昔のを観ていないので分からぬ。

一昨年秋のペトレンコ指揮バイエルン国立歌劇場の引越し公演(NHKホール)に比べると意味不明場面が無く、筋の理解としては分かり易かった。

とはいえ「タンホイザー」のテーマというべき「愛の本質」の物語に対する解釈提示に関しては微妙だ。

ワーグナーは愛の本質をアガペvsエロスという2項対立が性愛によって一元昇華されると考えたのではないか(指環など)と思うが、タンホイザーでは単純にキリスト教的慈愛こそ愛の本質でありこれによって魂が救済されるという立場だが、そんなに単純でいいのだろうか、と疑問は止まない。

ワーグナーは本作の奥底に何かを仕掛けているのではないか?

お陰で、その後も家でMET盤を2回も観てしまったがなおも腑に落ちない。

さて、舞台美術はよく考えられて美しく機能的。
トルステン・ケール他声楽陣は健闘。
特に合唱が素晴らしい。

序曲〜夕星(ゆうずつ)の歌まで<口ずさめる>名曲の宝庫。

♪2019-008/♪新国立劇場-01

2019年1月25日金曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~名手と楽しむヨコハマの午後〜 アンサンブル・オムニス

2019-01-25 @みなとみらいホール


長原幸太:バイオリン
福川伸陽:ホルン
三浦友理枝:ピアノ

【第1部】
●クララ・シューマン:ロマンス イ短調(ピアノソロ)
●R.シュトラウス:アンダンテ(ホルン&ピアノ)
●ブラームス:スケルツォ ハ短調 WoO2~F.A.Eソナタより 第3楽章(ヴァイオリン&ピアノ)
●ブラームス:ホルン三重奏曲 変ホ長調 Op.40

【第2部】
●ラフマニノフ:前奏曲 嬰ハ短調 Op.3-2《鐘》(ピアノソロ)
●チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォ Op.34(ヴァイオリン&ピアノ)
●グラズノフ:エレジー 変ニ長調 Op.17(ホルン&ピアノ)
●ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 Op.67(ホルントリオ版)

バイオリン(長原幸太⇒読響コンマス)、ホルン(福川伸陽⇒N響首席)、ピアノ(三浦友理枝)という珍しい編成のトリオ。
第Ⅰ部ドイツ音楽集では、自らホルンを演奏できたというブラームスによるトリオ、第Ⅱ部ロシア音楽集ではショスタコのピアノ・トリオのチェロパートをホルンが演奏するという編曲版トリオがメインで、他にピアノと各奏者のデュエット等。三浦はソロ含め出ずっぱり。

チャイコフスキーとラフマニノフ以外は全部初聴きだった。
響きとして解け合いそうにもないとんがった編成だが、福川のホルンが冴えているからか、ブラームスのトリオは、こういうのもありかなと思わせたが、ショスタコでは弱音器を使ったり奏法を苦心してチェロの代わりを務めたが、これはなかなか苦しいところ。

まあ、変わり種を聴かせてもらったということで。


♪2019-007/♪みなとみらいホール-02

2019年1月19日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホール名曲シリーズ 第3回

2019-01-19 @県民ホール


小泉和裕:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」組曲第1番から
 “剣の舞”
 “バラの乙女たちの踊り”
 “レズギンカ”
ビゼー:「アルルの女」第2組曲 
リスト:交響詩「レ・プレリュード」
ムソルグスキー:歌劇「ホヴァーンシチナ」
 第1幕前奏曲 “モスクワ川の夜明け”
チャイコフスキー:荘厳序曲「1812年」

序曲、前奏曲などの名曲小品集。いずれも耳馴染みばかりで、気楽に楽しんだ…と言いたいところだが、実のところは響が気になって聴きながら何がおかしいのか、なぜ満足できないのか、ずっと考えていた。
こんな風に批判的に音楽を聴くのはアマチュアの楽しみとしては邪道かもしれないなあ、ということも併せて考えてみたり…。忙しい。^^;

県民ホールは音響的にはNHKホール、文化会館らの系譜にあり元々残響が少ないホールだが、それにしても乾いた響だった。

外気乾燥の影響もあったのかもしれない?

各パートの混ざり具合がしっくりこない。

特に、最後の、序曲「1812年」冒頭の低弦とVaの重奏は美しかった。が、これも徐々に木管、金管が加わって厚みを増してゆくと旋律パートが埋もれた部分もあり満足できない。

響が潤いに乏しい。

神奈川フィルの今年最初の演奏会だが、昨年最後の演奏会(「第九」)も県民ホールの同じ席で聴いた。
その際は、豊かな響を聴かせてくれたのだし、常日頃聴く響とは明らかに違っていた。今日は、実力が発揮されていない。
やはり、乾燥した空気のせいだったのだろうか。
だとしたら、エアコンがノーコントロールだな。
あるいは、自分の耳が乾燥した外気に触れていたためにその環境に合わせたチューニングをしていたのかもしれない。

♪2019-006/♪県民ホール-01

2019年1月15日火曜日

東京都交響楽団 第872回 定期演奏会Aシリーズ

2019-01-15 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団
イアン・ボストリッジ:テノール*

ブゾーニ:喜劇序曲 op.38
マーラー:《少年の不思議な角笛》から〜*
 ラインの伝説/
 魚に説教するパドヴァのアントニウス/
 死んだ鼓手/
 少年鼓手/
 美しいトランペットの鳴り渡るところ
プロコフィエフ:交響曲第6番変ホ短調 op.111

3曲ともナマでは初聴き。おまけに好みではないのが揃った。
でも、いずれも抵抗感なく楽しめた。

「不思議な角笛」。
NHK音楽祭2017でバリトンのマティアス・ゲルネも歌っているが今回はテノールのイアン・ボストリッジ。この人は2016年にも大野+都響でブリテンの歌曲を聴いた。
あまり、ドラマティックではないのでオペラよりこういった歌曲に向いてる感じがしたな。

ゲルネの放送録画で予習しておいたのも心地良い鑑賞を助けた。
が、演奏中に客席からの無粋な雑音は興を損ねた。

プロコフィエフの交響曲第6番も、案外親しみやすかった。
これまで1番、5番くらいしか聴いていないし、それもお仕着せだ。今日の演奏で一歩近づいた感あり。

オケは前回のB定期同様、弦が美音で驚く。

今年に入ってからコンサートは4回目(都響2回、日フィル、東響)だけど、このうち都響と東響は平均的に満足度が低く悪口を書くことが多かったが、どうしてだろう、年が改まってからのコンサートはいずれも満足度が高い。
不満の第一は弦の高域の不快音なのだけど、それがほとんどない。
音響面で難があるサントリーホールや文化会館でさえ、とても良い響きに聴こえるのだから不思議で、両耳から大きな耳垢がぽろっと落ちたのだろうか。

身体の変調なのかもしれないから、喜んでもおれないかも。


♪2019-005/♪東京文化会館-01

2019年1月13日日曜日

名曲全集第144回 壮大華麗な「レクイエム」

2019-01-13 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ロレンツォ・ヴィオッティ:指揮
東京交響楽団
東響コーラス

ソプラノ:森谷真理
メゾ・ソプラノ:清水華澄
テノール:福井敬
バス:ジョン ハオ(アン・リの代役)

ヴェルディ:レクイエム

ヴェルディ「レクイエム」。
モーツアルト、フォーレの作品と合わせて3大レクイエムと呼ばれているが、その音楽的<効果>は他の2作はもとより、知る限りのどのレクイエム(ベルリオーズ、ブラームス、シューマン、デュリュフレ、A.L.ウェッバー等)をも抜きん出ている。

聖書にテキストを求め、一応カトリックのレクイエムの形式をなぞってはいるが、オペラの大作曲家であるヴェルディに相応しく荘厳というより壮大、厳粛というより華麗な大作だ。
特に、ヴェルディの「レクイエム」を代表する第Ⅱ曲「怒りの日」は、古典的なレクイエムの形式に則ったもので、モーツアルトの「レクイエム」でも第Ⅲ曲に置かれた「怒りの日」は非常に印象深い。

が、ヴェルディは「怒りの日」の主題を3度も繰り返し、さらに最終曲にも登場させて、怒り狂っている!かのような激烈な音楽の配置によって「レクイエム」を単なる「鎮魂歌」にはしていない。
尤も、その対比として独唱者によって歌われる「ラクリモーサ(涙の日なるかな)」、「アニュス・デイ(神の子羊)」などの清明な美しさが輝き、とりわけソプラノ独唱と合唱による満を持しての最終曲「リベラ・メ(我を解き放ち給え)」の壮大なフーガのクライマックスが聴き手の心を激しく打つ…というヴェルディの巧みな構想。

さて、今日の演奏。

独唱・合唱・オケによる壮大華麗の一方で精緻精妙なる音楽をヴィオッティが明確な交通整理で信じられないほどの透明感を持って再現した。
早くも今年のベストかと思わせる上出来だ。東響としてもこんなに見事な演奏は記憶にない。

オケは最弱音から最強音までどのパートも埋もれることなく筋を通した感がある。
聖句の繰り返しが多いとしても長大な音楽を全曲暗譜で歌った東響コーラスも立派。
最終曲までの独唱はメゾ・ソプラノの清水華澄が目立つが、その鬱憤を晴らすようにリベラ・メでソプラノ森谷真理が大活躍して感動的フィナーレを歌い上げた。

終曲後、ヴィオッティは20秒ほど祈るような姿勢で休止した。
さもあらん。
観客もここは固唾を飲んで共に呼吸を整えた。拍手やブラボーのフライングもなく完全な終曲を待った。これが一層の感動を誘った。

拍手と歓呼の声は凄まじくカーテンコールは長く強力だった。
多くのプレーヤーがヴィオッティの指名を受けて喝采を浴びたのは当然でいつものとおりだが、今日に限っては大太鼓奏者に館内最強の拍手が巻き起こった。宜なるかな。「怒りの日」の大太鼓の最強音による裏拍打ちがあってこその「レクイエム」だもの。

ヴェルディ「レクイエム」は聴く機会が少ないが、今年は当たり年で来月の神奈川フィルも楽しみだ。

今日のように底力のある演奏家たちが気鋭の指揮者がもたらす化学変化でさらに音楽の高みを極める機会を共にできたことを幸運に思う。しかも、ミューザの特等席で味わうゴージャスな喜び。こんな楽しみを続けていて良いのだろうか、とふと反省の気持ちも…。

♪2019-004/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-01

2019年1月12日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第344回横浜定期演奏会

2019-01-12 @みなとみらいホール


下野竜也:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

三浦文彰:バイオリン*
ヨナタン・ローゼマン:チェロ*

ベートーベン:《プロメテウスの創造物》序曲 op.43
ブラームス:バイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 op.102*
ドボルザーク:交響曲第9番ホ短調 op.95《新世界から》
-----アンコール-----
我が母の教え給いし歌(管弦楽編曲版)

ベートーベン「プロメテウスの創造物」序曲。
冒頭の管・弦・打の強奏5連発が見事に美しくてその瞬間に既に引き込まれた。
激しさの中にも甘さが香り立つ心地良さ。音楽なんか二の次でこの響さえ聴けたら管弦楽を聴く喜びの大半を味わえる。
「音」を「楽しむ」という「音楽」の原点に納得する。

日フィルの腕もあろうが、みなとみらいホールの豊かな響のなせる技だ。先日のサントリーでの都響B定期もここで聴きたかったと思ったよ。

ブラームスW協奏曲は、ブラームス大好き人間にも捉えどころのない苦手曲だが、2人の独奏が明瞭で、彼らを追っておればこういう音楽なんだと輪郭が掴み易かった。
カーテンコールの若手2人の挙動が物言わぬ漫才コンビのようで微笑ましい。

メインの「新世界」には驚かされた。
聴き慣れた曲なのに、第1楽章提示部の繰り返しを含め、ところどころ聴き慣れぬ節回しが。
終演後日フィルの人に尋ねたら、今日のスコアは指揮者の下野バージョンだそうだ。彼の研究成果が今日の演奏に結集していた訳だ。その熱意と期待に応えて日フィルも上出来なり。

♪2019-003/♪みなとみらいホール-01

2019年1月10日木曜日

東京都交響楽団 第871回 定期演奏会Bシリーズ

2019-01-10 @サントリーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団

パトリツィア・コパチンスカヤ:バイオリン*

シェーンベルク:バイオリン協奏曲 op.36*
ブルックナー:交響曲第6番イ長調 WAB106(ノヴァーク版)

微睡(まどろみ)が感受性を高めるのは真実だ。

激しく眠い上にシェーンベルクの作品だというのに裸足で操るコパチンのバイオリン独奏がかつてないほどビンビンと響く。都響もぴったりシンクロして上出来だ。

さらに後半のブルックナー交響曲第6番の出来栄えはどうだろう。これがいつもの都響かと耳を疑うようなアンサンブルの馬力ある美しさ。

6番は聴く機会も馴染みも少ないにも関わらず、なんとも心地が良い。

加えて、今日のサントリーホールは、普段と違って〜乾燥していたのだろうか、非常にクリアな響きで驚いた。
音楽だけでなく、拍手までがサラウンドで粒立っている。
これは微睡みが齎した幻聴?それともリアル?

♪2019-002/♪サントリーホール-01

初春歌舞伎公演「通し狂言 姫路城音菊礎石」五幕九場

2019-01-10 @国立劇場


並木五瓶=作 『袖簿播州廻』より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言「姫路城音菊礎石」(ひめじじょうおとにきくそのいしずえ)五幕九場
国立劇場美術係=美術

序 幕  曽根天満宮境内の場
二幕目  姫路城内奥殿の場
           同    城外濠端の場
三幕目  姫路城天守の場
四幕目  舞子の浜の場
           大蔵谷平作住居の場
           尾上神社鐘楼の場
大 詰  印南邸奥座敷の場
           播磨潟浜辺の場

印南内膳⇒尾上菊五郎
生田兵庫之助/碪(きぬた)の前⇒中村時蔵
古佐壁主水/百姓平作実ハ与九郎狐/加古川三平⇒尾上松緑
弓矢太郎実ハ多治見純太郎/主水女房お辰/小女郎狐⇒尾上菊之助
印南大蔵/奴灘平⇒坂東彦三郎
久住新平⇒坂東亀蔵
桃井陸次郎/桃井八重菊丸⇒中村梅枝
高岡源吾⇒中村萬太郎
庄屋倅杢兵衛⇒市村竹松
傾城尾上⇒尾上右近
平作倅平吉実ハ桃井国松⇒寺嶋和史
福寿狐⇒寺嶋眞秀
金子屋才兵衛/早川伴蔵⇒市村橘太郎
飾磨大学⇒片岡亀蔵
牛窓十内⇒河原崎権十郎
中老淡路⇒市村萬次郎
近藤平次⇒兵衛市川團蔵
桃井修理太夫⇒坂東楽善
 ほか

初春恒例は菊五郎劇団のスペクタクルな娯楽大作。尤も、近年は当方が歳のせいか、話がややこしくて、筋書き手元に舞台を見ても話を追えない。もう一度観ないと頭に入ってこないようだ。ま、そこは気にしないのが正しい鑑賞法かもしれないけど。

菊五郎、時蔵、松緑、菊之助、彦三郎、2亀蔵、萬次郎、團蔵、楽善など気心の知れた仲間内とのチームワークは抜かりなし。今回は菊五郎の孫2人(和史・眞秀)が揃って出演。オバ様方が黄色い声。個人的には彦三郎、片岡・坂東の両亀蔵、松緑が大きな役で活躍が嬉しい。

これも恒例の手ぬぐい撒きは、大方1階席に沈没。舞台両翼にいた松緑と彦三郎だけが2階席まで届くホームラン数本。自席は最前列なので、腕を伸ばしたが、あと30cmくらいのところで届かず。右近、梅枝など本来は腕力があるだろうが、役柄を引き摺っては遠投もできまい。


♪2019-001/♪国立劇場-01