2014年10月12日日曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第101回

2014-10-12  @ミューザ川崎シンフォニーホール


クシシュトフ・ウルバンスキ:指揮
東京交響楽団

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」


今月は東京交響楽団のコンサートが3回も続くことになった。
前回はオール・プロコフィエフ・プログラム。
今回はオールというかオンリーというかショスタコーヴィチの交響曲第7番だけ。
(因みに次回はチェコとポーランドの作品。)

演奏されるのが1曲だけ、というのは演奏時間が長いからで、プログラムに記載された(予定)時間は75分だ。当然休憩はなし。

この交響曲は、1941年末に完成し、初演は42年3月だった。
この時期は、ちょうどナチス・ドイツによるレニングラード包囲戦(41/9/8~44/1/18。戦闘自体は大掛かりなものではなかったが、交通が遮断されたことで軍人のみならず一般市民の多くが飢餓の犠牲となった。その数100万余人と言われている。)のさなかだ。


ショスタコはレニングラードに生まれ、その時点も暮らしていた。
いわば戦火の中で作曲を続け、第3楽章まで仕上げた後脱出して、当時政府の疎開地であったクイビシェフ(現在のサマーラ)に移り住んでから終楽章を書き上げて完成させたそうだ。

「レニングラード」を書く前(1936年)に共産党から所謂「プラウダ批判」を受け、作風を一変させてかの有名な交響曲第5番(日本では「革命」という副題が付いている。)を発表して熱烈歓迎され、その後は政府の路線に沿った作品を作り続けた。

交響曲第7番もその延長上にあり、対ドイツ戦のプロパガンダの側面は否定できない。
「反ナチズム」を込めたこの大曲の初演は厳しい環境の中だがソ連人民に受け入れられ成功した。

しかし、ショスタコはその後もジダノフ(ジダーノフとも)批判にさらされ、その評価が二転三転した作曲家だ。

第5番の評価・解釈も未だに定まっていないようだが、第7番も同様で、壮大なる失敗作という評があった。今もあるようだ。
一方、ショスタコが残した「証言」によって、第7番は「反ナチズム」というだけではなく、スターリンの圧政も含む「反ファシズム」を描いたものだという話になると、これまた評価が変わってきたようだ。中身は変わっていないのだけど。


音楽という抽象芸術は、生み出された途端、人の手を渡るたびに数々のストーリーを纏うことになる。作曲家の頭の中にあった音楽(コンテンツ)は、純粋な形ではもはや存在し得ない。
スコア(総譜)は共有されても、演奏家の解釈はそれぞれだし、同じ演奏を聴いても聴く耳の数だけの受け取り方がある。
その音楽がこれまでに纏ってきたストーリーが演奏家や聴衆をコンテンツから遠ざけたり過剰評価の原因を作るのだ。

佐村河内事件も、コンテンツがあまりに美しいストーリーを纏って登場していたのに、本人の作品ではなかったことが知られてしまうと、今度は薄汚いストーリーを身に纏うことになってしまった。コンテンツは少しも変わっていないのだけど。

僕は、佐村河内、否、新垣氏の作品が本当は立派なものだとか言うのではない。第一、聴いたことがないのだから好きも嫌いもないのだ。そうではなくて、(少なくとも)音楽はコンテンツが純粋に評価されることはない(作曲技法となると評価できるだろうけど)。
常に、我々はそれが身に纏ったストーリーを一緒に味わっている、ということを言いたいのだ。
良くも悪くも両者は切り離せない。
ストーリーは薄汚れているがコンテンツは美しいと言えればいいだろうけどそう簡単に割り切れない。割り切ってみたところで、その実、それはまたそういうストーリーを新たに付加させるのだ。

クラシック(音楽)は、そのストーリーに安定性がある。各自のストーリーがおよそ共有されるだけの時間を経てきたからだ。
安定評価までには長い時間がかかる。世間一般の評価が安定してきても、各人の受け取り方が一律になる訳ではない。各人には各人のストーリーがある。


で、この「レニングラード」は初めて聴く音楽だった。

でも、随所にショスタコーヴィチらしい旋律が顔を出して、全体として違和感なく受け入れることができた。
4つの楽章にはそれぞれショスタコが描いたイメージがある(最初は副題が付けられていたらしい。)。
「戦争」、「回想」、「祖国の大地」、「勝利」だ。

各楽章、そのイメージに沿って聴いておれば、なるほどそういう感じもする。
ただ、第3楽章は切れ目なく第4楽章に突入するので、そこのところを僕は聴き取れずに少しうろたえてしまった。

この曲も、先日の「千人の交響曲」程ではないにしてもオーケストラは大規模で、トランペット、トロンボーン各3本の組が2組。ホルンは9本。これに見合う弦や木管が並ぶ。
ラストの勝利の雄叫びは強力なものだった。


指揮のクシシュトフ・ウルバンスキも初めて。
ポーランド出身の32歳くらい。
レニングラード包囲戦は祖父の時代の話だろうが、ナチス・ドイツにもソ連にも侵略を受けたポーランド人としては、この曲を指揮するに当って、ショスタコが「証言」に残したように「反ファシズム」のストーリーを展開させたのではないだろうか。

75分の長尺を、暗譜で振り切った。
なんだか、すごいぞ!という感動のさざなみがホールにこだましたような気がした。

これが、僕の「レニングラード」が最初に纏ったストーリーだ。

♪2014-92/♪ @ミューザ川崎シンフォニーホール-11