2014年7月27日日曜日

横響第656回定期演奏会

2014-07-27 @県立音楽堂


飛永悠佑輝:指揮
横浜交響楽団
河井勇人:バイオリン(2013年第67回全日本学生音楽コンクール小学生の部第1位&横浜市民賞受賞 小学6年生)

①プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」組曲第2番  Op.64から
第1曲モンターギュ家とキャピュレット家
第5曲別れの前のロメオとジュリエット
第7曲ジュリエットの墓の前のロメオ

オーケストラ体験学習
②チャイコフスキー:バレー組曲「眠りの森の美女」Op.66a から「ワルツ」
③シベリウス:交響詩「フィンランディア」 Op.26
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④メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
⑤ブリテン:青少年のための管弦楽入門 Op.34

アンコール
E.エルガー:「威風堂々」


今日は、演目が盛りだくさんで印象が散漫になった。
おまけにアンコールまであって、いささか食傷気味。

子どもたちの夏休みということもあってか、十数人の子どもたちも一緒に舞台に上がって横響と一緒に2曲演奏したのだけど、どうせやるなら最初は子どもたちだけの室内管弦楽を聴かせ、次に合同で演奏すれば良かったが、最初から最後まで混成部隊じゃどんな演奏レベルなのか分からないし、彼ら自身も張り合いがなかったのではないか。少なくとも聴衆としては物足りなかった。
若い芽を育てる目的ならもっと効果的な方法があったろうに。

今日の第1曲め、月初めにも日フィルで聴いた、プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」だが、今回は組曲第2番からの3曲だった。
この第1曲めの冒頭が耳を覆いたいような不協和音の最強音の塊から始まるのだけど、これはとても不快・不安だ。そういう劇的効果を狙っているのだ。
さて、今日の我らが横響は、ピッチのズレがさらに不快・不安を掻き立てるという危うい状態で開幕した。

最後のブリテンは、オーケストラメンバーにとってはある意味過酷な作品だ。
最初と最後は管弦楽でヘンリー・パーセルの主題とフーガが演奏されるが、「管弦楽入門」とあるように、中間部は楽器紹介を兼ねてパートごと、楽器ごとに変奏が続くのだ。
これで、今日の「ロメジュリ」のスーパー”不協和音”を出していた犯人探しをするような気の毒な聴き方もできる。そして、僕は真犯人を特定したのである…。という言い方は、まことに失礼だけど、まあ、今日は調子が出なかったんだなあ。難しい楽器だし…。



でも、残念感の漂う曲間に挟まれた格好のメンデルスゾーンは横響としても一番出来が良かったように思う。

バイオリンソロは河井勇人くん。小学校6年生。
昨年の全日本学生音楽コンクールで小学生の部で1位とともに横浜市民賞受賞したので、今日のステージにソリストとして招かれたのだけど、彼は一昨年も横浜市民賞を受賞しているので、僕は2度の受賞者演奏会や、昨年のコンクール本番でもその演奏は聴いているので驚くこともないけど、コンチェルトを聴くのは初めてだった。
あれで、もっと身体が大きくなったら大きな音も出せるようになるだろう。音楽の深奥に迫ってゆくのだろう。
何年かしたら同じコンクール出身者の千住真理子、竹澤恭子、庄司紗矢香、神尾真由子みたいに才能を世界に羽ばたかせるようになるかもしれないのだ。

盛りだくさんのプログラムに、お腹いっぱいのところ、これは別腹でしょと言うわけか、アンコールが「威風堂々」。
これも弾き慣れた感のある良い演奏だったが、本来客席も盛り上がるような音楽なのに、みんな疲れていたような気がしたよ。

1回の演奏会で曲目が多い場合は、強引でもいいから何か通底する思想で組み立てて欲しかった。
アンコールが聴衆サービスになるとは限らない。

…と、今日は辛口を書いてしまった。
でも、いつも、いろんな曲を安価で聴かせてくれる横響のファンであるも書き添えておこう!

♪2014-73/♪県立音楽堂-11

2014年7月26日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽堂シリーズ第2回定期演奏会

2014-07-26 @県立音楽堂




鈴木秀美:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

C.P.E.バッハ:シンフォニア二長調 Wq183-1
ハイドン:交響曲第88番ト長調 Hob.I:88「V字」 
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 Op.67「運命」

アンコール
ハイドン:交響曲第77番変ロ長調Hob.I-77から第2楽章



今年はC.P.E.バッハ(カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ⇒J.S.バッハの次男)の生誕300年ということで、コンサートの案内などにその名前をよく見かける。それも決まって「シンフォニア二長調 Wq183-1」というのはどうしてなのか、は分からない。

少なくとも今日のコンサートのテーマは古典交響曲の完成までの系譜ということなのだろう。

C.P.E.バッハはシンフォニア(交響曲と同義と考えていいと思っている。)を通じてハイドンに多大な影響を与えている。

ハイドンは言うまでもなく交響曲の父である。
古典派の交響曲を形式的に完成させた。

それを継承して究極の古典派交響曲を第5番「運命」として完成させたのがベートーベン。

今日はそういう流れとして3人の3つの交響曲が取り上げられた。


指揮者は客演の鈴木秀美。
チェリストとしては大御所だが(彼のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲は愛聴品だ。)、指揮者としては実兄の鈴木雅明(バッハ・コレギウム・ジャパン)のほうが有名だろう。
でも、鈴木秀美氏もバッハ・コレギウム・ジャパンの首席チェリストであり、バロック、古典派のチェリストとして高名であるだけでなく、自ら古典派を専門とするオーケストラ・リベラ・クラシカを結成、ハイドンを中心としたプログラムで活動しているだけに、今日のプログラムにはふさわしかったように思う。

もう一つ。
取り上げられた3曲は、古典派交響曲の系譜を読み解くというだけではなく、動機(最初の2小節)で音楽を組み立ててゆくという、「運命」でその極みに達する絶対音楽の系譜でもあるところが実に興味深いものであった。

C.P.E.バッハ:シンフォニア二長調については初めて聴いた(?)と思うが、遊び心にあふれていると思った。

これはハイドンでも同様だ。
ハイドンは108曲も交響曲を作っている。彼の時代、交響曲は注文生産であり、大量生産を余儀なくされた。その中で、ハイドンは色々と音楽的実験を試み、遊んでいる。そこにハイドンのユーモアがある。


そしていよいよベートーベンの第5番の登場だ。

いや~、一体ナマで聴くのは何年ぶり、どころではないような気がする。
ここまでポピュラーになってくると、オケも何か特別の事情でもない限り「運命」を定期演奏会で取り上げることはないからだ。

名曲だということはよく分かっている。
でも今更、何か発見があるのだろうか?

という気持ちで最初のタクトが振り下ろされるのを待ったが、もう冒頭の運命の動機で惹き込まれてしまった。
テンポがいいのだ。とても早い。
そして、ほとんどインテンポに聴こえる。

「運命」は第2楽章を除いて全てAllegro楽章だ。
それらの楽章にはところどころに指揮者としてはとてもおいしい聴かせどころが詰まっている。

例えば炎のコバケンならここぞとばかりにテンポ・ルバートで溜めに溜めたうえで全強奏でカタルシスを演出するだろう。

ところがどっこい。鈴木秀美という人は、やっぱり、バロック・古典派の人だ。そういう情緒的な演出は一切ない。

あゝ、ここがおいしいところなのに…という部分でも平気で同じテンポで流れてゆく回転寿司のようなものだ。
あれこれ気取らず淡々と味わうのはむしろ贅沢だ。

そういう音楽だった。
あまりにも潔くて爽快な「運命」だった。
演奏実時間は35分だった。

聴きながら、僕は、トスカニーニがNBC交響楽団と演奏したベートーベンを思い出した。

県立音楽堂という極めて残響の少ないソリッドな音響空間の中で問答無用と言わんばかりにアップテンポで、かつ、インテンポで演奏される「運命」は、トスカニーニのそれとまるで生き写しのような気がした。

帰宅後、1939年録音のトスカニーニ版を聴いてみたが、こちらは演奏時間が31分(ほかにも録音が残っていてもっと短いのもあるという)。すると、トスカニーニには及ばなかったけど、そのテンポの取り方はむしろトスカニーニ以上にスリリングだった。
第3楽章の低弦がガリガリとヤニを飛ばしながら疾走する部分など、アクロバティックでさえあった。

因みに手持ちのCDで他の演奏家のものは、シプリアン・カツァリス版が38分、朝比奈版が39分。それぞれに味わいがあるけど、今日の鈴木秀美+神奈川フィルの「運命」は忘れられない体験となったことはまちがいない。

♪2014-72/♪県立音楽堂-10

2014年7月13日日曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第99回

2014-07-13  @ミューザ川崎シンフォニーホール



イリヤ・ラシュコフスキー:ピアノ
ユベール・スダーン指揮
東京交響楽団

ムソルグスキー:歌劇「ホヴァンシチナ」より 前奏曲《モスクワ河の夜明け》
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」
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アンコール(ピアノソロ)
ラフマニノフ:「13の前奏曲」より第5番 ト長調 作品32-5



ムソルグスキーの歌劇といえば、「ボリス・ゴドノフ」くらいしか知らなかったので「ホヴァンシチナ」の前奏曲《モスクワ河の夜明け》ももちろんお初。

もっとも、ムソルグスキー自身はこれをピアノスコアのまま未完で逝去し、リムスキー・コルサコフが管弦楽版として完成させたそうだ。ボロディンの未完のオペラ「イーゴリ公」もR・コルサコフが完成させていることからも、R・コルサコフは管弦楽技法の大家でもあり、同国人ながら西欧音楽をロシア的に洗練させようとしたチャイコフスキーの対抗勢力としてロシア5人組の音楽を世に知らしめ遺したかったのだろうと思う。

前奏曲《モスクワ河の夜明け》は、初めてということもあったが、あまり耳に残る旋律がなく、なんだか、頼りないままに終わってしまった。歌劇の前奏曲であれば、こんなものなのかもしれないが。

            <イリヤ・ラシュコフスキー>

ラフマニノフのピアノ協奏曲は圧倒的に第2番、次いで第3番を聴く機会が多いが、できれば、1番、4番なども聴いてみたいものだ。2番はこの1年で3回めだもの。とはいえ、何度聴いても良いものは良い。
ピアニスト、イリヤ・ラシュコフスキーは30歳。まだまだこれから腕を上げてゆくのだろうが、もちろん、既にこの難曲を軽やかに弾きこなしていた。
全3楽章、どの楽章も甘くて哀愁に満ちた旋律にあふれて大いに酔わせてくれる。


交響組曲「シェエラザード」は、R・コルサコフがボロディンの未完の「イーゴリ公」のオーケストレーションの作業中にそれらの作品中のオリエンタリズムに触発を受けて書いたそうだ。

全編、アラビア風のエキゾチックな旋律が楽しい。バイオリン、チェロ、木管・金管のソロがあちこちに配置されているが、これがまたみんな腕に覚えありで、うまい。繰り返し登場するハープの伴奏に乗った独奏バイオリンによるシェエラザードのテーマは耳タコだけど、やはり実に美しい。

オーケストレーションの大家R・コルサコフがその技術をいかんなく発揮したこの大曲は、数多のオーケストラ作品の中でも管楽器の魅力を味わうのにおあつらえむきの名品だと得心した。

                                <ユベール・スダーン>

あ。1階最前列のおばちゃん!そんな目立つ場所で寝ないでください。

♪2014-71/♪ @ミューザ川崎シンフォニーホール-06

2014年7月11日金曜日

平成26年7月社会人のための歌舞伎鑑賞教室「傾城反魂香」

2014-07-11 @国立劇場大劇場


中村 梅玉(又平)
中村 魁春(又平女房おとく)
中村 東蔵(土佐将監光信)
中村 歌女之丞(将監北の方)
中村 梅丸(土佐修理之助)
中村 松江(狩野雅楽之助)
ほか

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解説 歌舞伎のみかた    澤村 宗之助                                   
              
近松門左衛門=作
傾城反魂香 (けいせいはんごんこう)一幕
 土佐将監閑居の場


今月の歌舞伎教室の解説は、真っ暗な回り舞台に幻想的な照明の下で、舞台が回転しながら、幾つもあるセリが徐々に上がってきて、順番に沈んでゆくという大仕掛な舞台の説明から始まった。

その後澤村宗之助が登場し、特に黒御簾音楽の効果について中心に説明が行われ、今更ながら感心した。

その上で、本篇の「傾城反魂香」を観たので、なるほど、ここであの音楽(浄瑠璃、太鼓、鼓、笛、ツケ打ち=舞台上手の端っこで板を打つ)が生かされているな、ということが分かり、歌舞伎の楽しみ方が一段深まったように思う。

近松門左衛門作「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」(土佐将監閑居の場)は、元々人形浄瑠璃のための作品で、後に歌舞伎に移されたものだそうで、それだけに浄瑠璃(義太夫)の語りがとても重要な役割をしているのが素人目にもよく分かる。
役者の動きがあたかも人形のようにさえ見えるのもそのせいだろう。

役者のセリフ回しと義太夫の語りが丁々発止のやりとりをして、実に面白い。
おまけに、今回のステージでは歌舞伎入門教室として演じられたために、義太夫部分は舞台両袖に電光字幕が用意されたので、完璧に理解できたのもありがたかった。
何しろ昔の言葉遣いであるために聴き取れても意味が分からないこともよくあるのだけど、漢字で表示されるとよく分かる。



「どもり」は差別用語であるとして今では「吃音」と言われるが、この古典作品ではそのままで表現されるのは致し方ないことだろう。主人公又平は「どもりの又平」として歌舞伎ファンでなくともその名前は知られているのではないだろうか。

才能はありながら話がうまくできない絵師又平は師匠の土佐将監から、土佐の苗字を許されないでいたが、女房おとくとともに師匠の隠居を足繁く通い、なんとか認めてもらおうと努力していたが、弟弟子修理之助に先を越され、師匠にもさじを投げられ、夫婦とももはやこれまでと自害を決心し、最後の名残に師匠宅の庭にある手水鉢に自らの絵姿を描くとそこに奇跡が生じて、思わぬ展開になるという話。

この吃音で必死に自分の気持を表現しようとする又平の演技は哀れを誘う一方で、亭主の口下手を補う女房おとくの滑舌の良さが好対象で掛け合い漫才のようでもあるが、二人して死を覚悟する場面などなかなか胸に迫るものがある。

最後は、又平おとくの仲の良い夫婦が滑稽味をだして安堵の笑いと喝采の中に心持ちの良い幕となった。

♪2014-70/♪ @国立劇場大劇場-04

2014年7月9日水曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.58 神奈川フィル名手による室内楽①<ティータイム・クルーズ>

2014-07-09 @みなとみらいホール

﨑谷直人(神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第1コンサートマスター 2014年4月より)
門脇大樹(神奈川フィルハーモニー管弦楽団 首席チェロ奏者)
梅村百合(ピアノ

マスネ:タイスの瞑想曲
カサド:無伴奏チェロソナタ 第3楽章
ハイドン:ピアノ三重奏曲 第25番 ト長調 「ジプシー・ロンド」Hob.Xv:25



マスネの「タイスの瞑想曲」はあまりにも有名だけど、元歌というべき歌劇「タイス」の話は全然知らなかったが、プログラムによれば、修道士アタナエルが娼婦タイスと出会い、その堕落した生活を改めるように説教して信仰への道に導く。彼の努力が実を結びタイスは修道女として生きる道を選択した。ところが、アタナエルはタイスが忘れられず、恋い焦がれて悶え苦しむ…という話で、(人によるが)信仰というものの薄っぺらい仮面を剥いでみせるようで興味深い。
タイスはその瞑想の中で、神への祈りを込めたのだろうか、それとも彼女もアタナエルへの恋慕と闘っていたのだろうか。

これから「タイスの瞑想曲」を聴くときはきっとこの話を思い出すだろうな。

現代スペインの作曲家にして高名なチェリスト、カサドの無伴奏チェロ組曲は、僕にとって、この曲しか知らないし(CDを持っている唯一の作品)、生で聴くのも初めてだった。
スペイン情緒たっぷりの名品でできれば全3楽章を聴きたかった。

ハイドンCD全曲聴破は、交響曲の前半1/3で頓挫しているので、今日のピアノトリオ第25番は多分今回のステージで初めて聴いたように思う。
通称「ジプシー・トリオ」とか「ジプシー・ロンド」という呼び方に記憶があったので、あるいはどこかで聴いたことがあったのかもしれない。

まさにハイドンとはこれだ、というような軽妙な味わいだ。
しかし、第3楽章が意外な展開で、なるほど「ジプシー」と呼ばれるのは納得。
西洋古典音楽の王道のような旋律とハンガリー民謡風のメロディーが輪唱するのだ。チャールダーシュの後半部分のような印象を受けた。とても面白い曲だ。

さて、今日のトリオは特に楽団名も付いていない俄ごしらえだろうが、弦の2人は同じオケのメンバーだしアンサンブルはお手のものだろう。

ピアノの梅村女史は1月に声楽リサイタルの伴奏者として聴いていたが、今日はトリオの一員として存分に技量を発揮できたのではないか。感じのいい人だ。

ちょうど1週間前に同じ場所でチャイコフスキーのピアノトリオを聴いたが、その時は3者のバランスに残念感があったが、今日はピアノが控えめというか、バイオリンとチェロをよく聴きながら演奏していたのではないか、と思った。実に良いバランスだった。

♪2014-68/♪ @みなとみらいホール-29

2014年7月6日日曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第46回

2014-07-06  @ミューザ川崎シンフォニーホール

小菅優:ピアノ
マーク・ウィグルスワース指揮
東京交響楽団

リスト:ピアノ協奏曲 第2番 イ長調 S.125
ワーグナー/フリーヘル編:
 楽劇「ニーベルングの指環」 
 〜オーケストラル・アドベンチャー〜
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アンコール
リスト:コンソレーション(慰め)より第3曲(ピアノソロ)


今日は、僕にとっては生で聴くのは初めての珍しい作品の組み合わせだった。

リストのピアノ協奏曲は、第1番が第2番との比較において極端に有名で、こちらはよく聴く機会があるが、第2番は存在は知っているし、CDも何かとの抱合せで持っていたが、ほとんど聴く機会もなく、今回の演奏会の耳ならしで初めて針を降ろしたようなものだった。

CDでは6トラックに分かれているので全6楽章のように見える(楽譜上も6つの部分に区分されているようだ。)けど、実際は全て続けて演奏される。

冒頭木管が、うっすらと空が明らんで来るようにボワ~と始まり、クラリネットが主要なテーマを奏で(これがその後もチェロの独奏に変化する)、ピアノがゆったりとアルペジオで入ってくる。

この第1部分だけがアダージョであるほか、第3部分がおっとりとしたチェロの独奏(主要テーマの再現)とピアノの対話を中心としてやはりテンポは緩やかだが、他の部分はずいぶん忙しい。全体は緩・急・緩・急・急・超特急という構成になっている。

その中で、ピアノだけが超絶技巧を見せるというのではなく、管弦楽の各パートもピアノの伴奏というより、対等な関係で全体の音楽を作っているようだ。

ソリストの小菅優はまだ若いのにだんだん貫禄が出てきた。出なくとも良い部分にも出ているが。


                                                         <小菅優>

その彼女の熱演も霞んでしまったのが、今日のメインプログラムだ。
ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」は4日間に分けて上演され、計15時間を要するという作品だが、その中から主要な14場面を抜きだし、組曲形式に仕立て直したものだ。
編曲者ヘンク・デ・フリーヘルのことは知らなかったが、現代の打楽器奏者であり、編・作曲家だそうな。

ワーグナーのオーケストレーションを可能な限りそのまま活かし、次の曲への移行部分を自らの作曲で繋いでいる。

楽劇「ニーベルングの指環」のコンパクト版という意味では、CDでカラヤンの指揮した楽劇「ニーベルングの指環」のハイライト版というのを持っており、時々睡眠音楽として聴くけどこちらは当然声楽も入っており、全部で19曲で構成されて80分を要するのでたいてい「神々の黄昏」に行き着く前に寝てしまっている。

今日のフリーヘル版には声楽は入らない。純粋に管弦楽のみで楽劇「ニーベルングの指環」の名場面を再現してくれるのだ。
全14曲の演奏時間は約70分だ。

これが、いわば至福の時であった。

「~指環」はDVD、BD、D-VHSでサヴァリッシュ、レヴァイン、ブーレーズ、ルイージと4組も持っていて少なくとも録画する度に一度は聴いているので、あらゆる歌劇・楽劇の中で一番視聴する機会の多い作品で、音楽を聴けば大体のシーンが思い出せる。

一度、ナマの舞台を4日間通して聴いてみたいと思っているが、そんな機会はきっと来ないだろう。

しかし、今日の「~指環」はそんな夢を少しは叶えてくれた。
これまでも、「ワルキューレの騎行」などは単独で聴く機会があったが、14曲「~指環」尽くしだ。

元々「~指環」には声楽ヌキの管弦楽曲として聴くにもふさわしいものがいっぱいあるので、少しの違和感も不足感も感ずること無く、延々続く70分の「~指環」の世界を堪能できた。


                                            <マーク・ウィグルスワース>

この演奏をするオーケストラの編成がすごい。
写真に撮ればそのまま楽器大図鑑になるような実に多彩な楽器のオンパレードだ。
トランペット、トロンボーンが各4本という数は驚くほどではないけど、その中に、バス・トランペット、コントラバス・トロンボーンなどという聞きなれない、見慣れないのが含まれている。
ホルンは9本でうち4本はワーグナー・チューバとの持替え。
ティンパニー2組、グロッケンシュピール、アンヴィル(金床)、ドラ等打楽器も多種多様。ハープは4台。木管も数が多くその中にバスクラリネットが混じっていた。

これだけの管・打楽器などに対抗して、弦パートも大所帯で、第1バイオリンが16人、チェロが10人、コンバスが8人、第2バイオリンとビオラは数が分からなかったが十数人ずついたはずだ。

この大編成オーケストラを、ちょっと身を乗り出せばハープに手が届きそうな(届くはずはないのだけど)近距離で聴いたので、迫力は満点。

以前にも東響の木管はうまいなあと感じたことがあったが、今日は金管も素晴らしかった。特にホルンは名手が揃っていたなあ。

前回のサントリーホールに続いて昨日も日フィルが残念感を残した(偶々のことで日フィルに問題がある訳じゃない。)が、今日はオーケストラの醍醐味を大いに味わいその不足を補って余りあるコンサートであった。

♪2014-68/♪ @ミューザ川崎シンフォニーホール-05

2014年7月5日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第299回横浜定期演奏会

2014-07-05  @みなとみらいホール


田部京子:ピアノ
物集女順子:ゲストコンサートマスター
西本智実[ミュージック・パートナー]指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキー:幻想序曲《ロメオとジュリエット》
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
プロコフィエフ:バレエ《ロメオとジュリエット》 作品64より
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アンコール
プロコフィエフ:ロメオとジュリエットから第18曲ガボット

今日は、指揮者が西本智実。コンサートマスター(ミストレス)は物集女順子、ピアノが田部京子と、主要キャストは女性ばかりだ。
安倍内閣の方針がここにも反映されているのは同慶の至り(^^;)。

グリーグのピアノ協奏曲を挟んで、チャイコフスキーとプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」だ。
西本智実はロシアで学んだ人だからロシアものは得意分野なのだろう。
宝塚歌劇のベルばらのオスカルを思わせるような容貌・風貌で、あるいは、固定ファンが多いのかもしれない。

チャイコの「ロメジュリ」は、オケは腕慣らし、観客は耳慣らし。
そうそう、こういう音楽だったなあ、という感じで可もなく不可もなく。ただし、サウンドはとてもきれい。

みなとみらいホール3階席最前列は舞台から遠いけど、音は程よく残響が交じり合ってまろやかで、喩え方が転倒しているけど、超HiFi装置で聴いているような耳障りの良い音がする。もちろん、日フィルの演奏レベルの高さもあってのことだけど。

<田部京子>

グリーグは20日ほど前に辣腕高校生のピアノで聴いたばかりだったが、やはり、プロのお姉さんの演奏を聴くと安定感がある。
田部京子って人のことは皆目知らなかったけど、プログラム記載の紹介を読むと学生時代は超優秀な成績を修め、国内外のコンクールでも記録破りの好成績を残している超優等生だ。たくさんのCDも出しているのに、なぜか、これまで縁がなかった。

グリーグでは、第1曲めのオケの編成に比べて6~7割に縮小されたのが意外だった。まあ、チャイコの「ロメジュリ」の規模が大きすぎるということもあるけど、弦楽5部に関してはなにも縮小することもないと思った。
第1バイオリン8人、チェロは5人、コンバスは4人など。
えらくコンパクトだ。

しかし、演奏を聴いてみると、むしろ、弦の各パートがくっきりして良かったように思った。ピアノも大管弦楽に埋もれること無く、明瞭な発音が聴こえたし、初演当時のオケの規模はこんなものだったのだろう。

                  <西本智実>

さて、今日のメインイベントは、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」全52曲から13曲を西本智実が選んだもの。

プロコフィエフは管弦楽版「ロメオとジュリエット」組曲を第1番から第3番まで作り、さらにピアノ用の「『ロメオとジュリエット』から10の小品」も作曲(編曲というべきか)している。

また、今日のアンコールで演奏されたのは、本番では何故か省略された「ロメジュリ」の第18曲だが、これは逆に交響曲第1番第3楽章からの転用だ。

プロコフィエフって、よほど「ロメジュリ」(のメロディ)を気に入ったのか、省エネ志向なのか、使い回しが多い人だ。

ところが、13曲とはいえ演奏時間46分が予定されている長大な作品だ(尤も全曲だと2時間半)。
そもそも、馴染みがない曲ばかりな上に、1曲平均4分弱の作品が一呼吸置きながら延々と続く感じで、これでは、音楽的な構成感は全くつかめない。
バレエが演じられておれば、物語性が理解できるだろうけど、「劇伴」の「劇なし版」だから、こういう演奏形式って何か、無理があるような気がしたなあ。

そう思うのは、そもそも馴染めていないからというのが最大の原因ではあるのだけど。

バレエ音楽にはこのテのものが多い。
でも、プロコフィエフ自身も別途作曲(編曲)しているように「組曲」として緩急取り混ぜた6、7曲で構成してあれば、落ち着いて味わうこともできると思うが、13曲は多すぎた。
なぜ、組曲版を使わなかったのだろう?

という疑問が、途中から湧いてきて、なかなか楽しむというところには至らなかった。

全曲が終曲しても、観客はそこで「終わり」だと誰も自信が持てないから、拍手して良いものやら悪いものやら。
ようやく指揮者が客席に顔を向けたので、やっぱり終わったらしい、ということで、拍手が広がったが、ラストはカタルシスが得られるように明確なジェスチャーが欲しかったな。

いや、演奏は良かったのだ。日フィルはうまいなあとずっと感じながら聴いていたよ。それだけに残念感あり。

♪2014-67/♪ @みなとみらいホール-28