2016年8月27日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第321回

2016-08-27 @みなとみらいホール


小泉和裕:特別客演指揮者
若林顕:ピアノ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15
シューマン:交響曲第4番ニ短調Op.120

近年益々お茶の水博士ぽい小泉御大とベートーベン化が進んだ若林氏の独奏で、ブラームスのPf協奏曲1番とシューマンの交響曲第4番というドイツ音楽のエッセンスを聴かせる絶好のプログラム。
偶然だろうけど、いずれもニ短調。
この調性も弦楽器にとっては開放弦が共鳴して響が厚くなるのかもしれないな。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番は25歳位で書いているから、まだまだ若々しくてエネルギーが溢れている。
第2番はその約20年ほど後に書いているので、しっとりした部分があってこれはこれでいいけど、第1番は冒頭のティンパニーロールからしてドラマチックで、緩徐楽章である第2楽章以外は激情がほとばしっている感じがするが、これはひょっとしてクララ・シューマンへの思いの丈を音楽で表現したのかもしれないと思って聴くと一層ロマンチックだ。
ブラームスはティンパニーの使い方がうまいね。

シューマンの交響曲第4番は、ナマで聴くのはなかなか珍しく、2年半振りだったので楽章構成のことはすっかり忘れていた。
CDでは割と聴いているのだけど、CD(iTunes ライブラリー等)だと、一応4トラックに分かれているので、4楽章構成だと思い込んでいたが違うんだ。一応4楽章に別れるのだけど、全曲通して演奏される。
シューマンの作品にはそういうのが多い。
交響曲第1番も第2-3楽章はアタッカでつながっている。
3番も4-5楽章はほとんど間をおかずに演奏されることが多いように思うが、アタッカというのではなさそうだ。
ピアノ協奏曲も第2-3楽章は続けて演奏される。
チェロ協奏曲に至っては全3楽章休み無しだ。
バイオリン協奏曲も第2-3楽章は切れ目なし。
こんなふうでは一体楽章は何のためにあるのかとも思うが、彼にとっては必然なのだろうな。

楽章がつながっているかどうかは、叙上のごとくCDなどでは分からないので、ナマを聴く際には前もって解説に目を通しておかないと終曲で高揚できないという失敗をすることがあるので要注意だ。

その全曲通しで演奏される第4番は今はシューマン自身による改訂版で演奏され、これに作品番号が付いているので120番という晩年期の作品のようだけど初稿は第1番「春」の次に書いたものだそうで、その分若々しさがあるように思う。特に第3番「ライン」のような堂々とした感じより、ブラームスのピアノ協奏曲と同様に結構激しい。

今日の神奈フィルは2曲ともとても引き締まった演奏でよかった。

蛇足ながら今日のホルンはよくできました。


♪2016-115/♪みなとみらいホール-29

2016年8月16日火曜日

八月納涼歌舞伎 第一部

2016-08-16 @歌舞伎座


近松門左衛門 作
武智鉄二 補綴
一 嫗山姥(こもちやまんば)
岩倉大納言兼冬公館の場
荻野屋八重桐⇒扇雀
太田太郎⇒巳之助
局藤浪⇒歌女之丞
沢瀉姫⇒新悟
煙草屋源七実は坂田蔵人時行⇒橋之助

岡本綺堂 作
大場正昭 演出
二 権三と助十(ごんざとすけじゅう)
権三⇒獅童
助十⇒染五郎
権三女房おかん⇒七之助
助八⇒巳之助
小間物屋彦三郎⇒壱太郎
猿廻し与助⇒宗之助
左官屋勘太郎⇒亀蔵
石子伴作⇒秀調
家主六郎兵衛⇒彌十郎


2本とも初見。
「嫗山姥」は怪奇伝の類だろうか。
橋之助がその名前で出演する最後の舞台だが、それにしては甲斐性のない男の役(煙草屋源七実は坂田蔵人時行)だったな。

再会した女房八重桐(扇雀)から親の敵討ちや主家の難儀などを聞かされ、女房、妹や主君の苦労にひきかえ自分は源七と名を変え郭通いで身を持ち崩した不甲斐なさを恥じて切腹するが、その際に八重桐の胎内には時行の魂が宿り(将来坂田金時を産むことになる。)、そのため怪力の持ち主になって、悪党を蹴散らす~という話。

浄瑠璃(竹本)に合わせた長セリフが聴かせどころらしいが、あまり良く分からなかった。
元は傾城であった八重桐が神通力を得て変身するところが見どころで、これは衣装の早変わり(引き抜き?)もあっていかにも歌舞伎らしい。

「権三と助十」は江戸時代の長屋が舞台で繰り広げられる人情話であり、大岡裁きの話でもある。
まずは、この長屋の舞台装置がよく出来ていて、江戸時代の長屋はこういうものだったのか、と思わせる。猿回しや駕籠かき、小間物売りに女房たちが江戸の風情をよく表している。
染五郎(助十)と獅童(権三)もいかにもの江戸っ子ぶりで面白い。
話も良く出来ていて、セリフも現代劇風なので聴き取りやすい。

権三の女房おかんを演じた七之助が小粋な女っぷりでうまいなと思った。


♪2016-114/♪歌舞伎座-05

2016年8月15日月曜日

国立演芸場8月中席 桂歌丸噺家生活六十五周年記念公演

2016-08-15 @国立演芸場


落語 笑福亭茶光⇒色事根問
歌謡漫談 東京ボーイズ
落語 春風亭昇々⇒最終試験
落語 桂文治⇒鈴ヶ森
落語 桂歌春⇒九官鳥
落語 三遊亭小遊三⇒代わり目
―仲入り―
座談
落語 三遊亭圓楽⇒行ったり来たり
ものまね 江戸家まねき猫
落語 桂歌丸⇒江島屋怪談<三遊亭圓朝作 鏡ヶ池操松影から>

今月の中席は桂歌丸噺家生活六十五周年記念公演ということで、チケットは発売初日から殆どが売れていてお気に入りの席が取れなかった。
中席が始まる少し前に持病が悪化して入院したというニュースが流れて心配したが、初日から舞台復帰したので一安心。
今日も満員御礼でおそらく楽日まで席は埋まっているのだろう。

歌丸のほかにも不倫問題でいっとき騒がれた六代目圓楽、小遊三など芸達者が揃った舞台だったが、中身はどうかな。
いまいち乗れなかった。

歌丸師匠の演目は、記念公演ということからか(普段の寄席は始まってみないと演目が分からないのだけど)、全期間を通じて予め演目が決まっており、「江島屋怪談」一本だ。
これは初めて聴いたが、圓朝(牡丹燈籠、真景累ヶ淵などの作者)の作による文字どおり怪談だ。

語り口はうまいね。
病み上がりとも思えない声量がある。発音は丁寧で聴き取りやすい楷書のような日本語だ。
舞台照明も話に合わせて変化し、中盤からは客席の照明も落ちて暗くなり、歌丸師匠が、そのままでも幽霊のような体躯(体重じは35~6Kgだそうだ。)だが、ますますこの世の人ではなくなって一段と気味悪くなってドキッとさせられた。


♪2016-113/♪国立演芸場-09

2016年8月10日水曜日

フェスタサマーミューザ2016 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 ドイツ音楽の神髄! 飯守泰次郎のワーグナー

2016-08-10 @ミューザ川崎シンフォニーホール


飯守泰次郎:指揮
ペーター・シュミードル:クラリネット
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」から第1幕への前奏曲
モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K622
ワーグナー:楽劇「タンホイザー」序曲
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から『前奏曲と愛の死』
ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」から『ワルキューレの騎行』、『魔の炎の音楽』
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アンコール
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲


オケにも独奏者にも多少の不満はあったけど、大御所飯守泰次郎のワーグナーをミューザの特等席で聴く喜びがすべてを補って余りあり。
この夏のミューザフェスタ(今日で8ステージ目)で、最高の拍手喝采歓呼の嵐だった。
オケや独奏者に拍手というより(もちろんそれもあるが)、なんといってもマエストロ飯森への共感や敬愛がほとばしっているのだ。館内にその熱い思いが爆発している。

何度も何度もカーテンコールに呼び出されたが、その内、ひょいと指揮台に飛び乗って棒を振り下ろしたら、なんとアンコール演奏で「ローエングリン」から第3幕への前奏曲と実に華々しい音楽。
これで、館内はまた一層狂喜した。うまい演出だ。

ミューザのHPから

ワーグナーの中に挟まれたモーツァルトのクラリネット協奏曲はなくとも良かった。ワグナーばかりやって欲しかったよ。
まあ、それは別としても、この曲、よほど独奏者に過酷な技術を強いるのだろうか?先月のN響定期でも楽器故障のハプニングがあったが、今日も同様で、第2楽章あたりから、どうも無理やり吹いているような音になったりでおかしいなと思っていたが、第3楽章では遂に音が出ない箇所が何度か。こうなると、祖父・父についで親子三代にわたるウィーン・フィルの首席奏者(2010年まで)だったという世界的な名人が気の毒になってきたが、楽器の手入れも芸の一つだよ…なんて世界の巨匠を叱ってみる…^^; 


♪2016-112/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-22

2016年8月9日火曜日

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2016 昭和音楽大学 生誕110年! ショスタコーヴィチの「革命」

2016-08-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


海老原光:指揮
昭和音楽大学管弦楽団

ロッシーニ:歌劇「泥棒かささぎ」序曲
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

海老原光(ミューザのHPから)
昭和音大のオケは、毎年末のみなとみらいホールでのメサイアを楽しむ以外の演奏は聴いたことはなかった。
女学生が多い。男子学生は数えるほどしかいない。こんなことで、将来の日本楽壇はやって行けるのだろうかと心配するよ。

流石に音大。プロみたいに上手だけど何か違う。アンサンブルの密度かな。
でもショスタコの5番は、まあ、どこのオケがやっても上手に聴こえる音楽だけど、すっきりできた。


♪2016-111/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-21

2016年8月7日日曜日

フェスタサマーミューザ2016 日本フィルハーモニー交響楽団 オーケストラの醍醐味 バボラークの英雄

2016-08-07 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ラデク・バボラーク:指揮
仲道郁代:ピアノ
日本フィルハーモニー交響楽団

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
クーラウ:ピアノ協奏曲 ハ長調 Op.7
ベートーベン:交響曲第3番「英雄」

「魔弾の射手」序曲、有名なホルンの重奏によるメロディがあまり美しくないし、次いで出てくるクラリナットのメロディーも部分的に瑕疵があったように思った。
なぜ、指揮者のラデク・バボラークがこの曲を冒頭に置いたのか。自身が元はベルリン・フィルのソロ・ホルン奏者だったというから、そのホルンの聴かせどころの多いこの作品を選んだのだろうか。とすればあまり成功したとはいえないな。

彼女のfacebookから
続いて、ソナチネ・アルバムで有名なクーラウのピアノ協奏曲だが、これは初聴き。
仲道郁代にとっても初めて弾くのだそうで、協奏曲のソリストにしては珍しく楽譜見ながら、当然に譜めくり付きでの演奏だった。
プロなら暗譜して臨むべきではとも思ったが、初めての作品で大して練習量も取れなかったのだろうな。やむを得ないか。
カデンツァは自作のものを弾いたようで、その楽譜、というより落書きのような覚書は(彼女のfacebookで)公表していた。

クーラウは、ベートーベンより16歳年下(1786年生まれ)でこれは「魔弾の射手」を書いたウェーバーと同い年だ。
ベートーベンを尊敬していたそうで(この時代の作曲家はまあ、誰も同様だろうが)、このピアノ協奏曲は意図的かどうか知らないけどベートーベンのピアノ協奏曲第1番ハ長調に出だしがそっくりだ。全体が、彼自身のソナチネを複雑巧緻にした感じで、ベートーベンのような構成力や重々しさはない。まあ、軽快な音楽というべきか。ソナチネ・アルバムと違って、技術的には相当難しそうだったが。

トリはベート-ベンの交響曲第3番「英雄」。
まずは、スローに始まったのに少し驚いた。第2楽章はさらに遅い。何と言っても「葬送行進曲」だから当然とも言えるが。
第3楽章のスケルツォくらいは早いテンポかと思ったが、これも聴き慣れたものより遅い。さらに第4楽章も相当遅く、結果的に実演時間は55分だった。もっとも第1楽章の提示部を楽譜通り繰り返したのかどうか記憶に無い。この長さだと繰り返したのだろうな。すると反復省略時に比べて4分位は余分にかかる。
すると今回の演奏が格別長いとも言えないのかもしれないが、まあ、聴いている時は遅い!と感じた。
テンポが遅い場合、演奏する側にも聴く側にも高いテンションを要求する。さあ、それが今回の演奏ではどうだったか。
僕の耳にはテンションに欠けたように思った。どうもイマイチまとまりが悪かったな。

余談だけど、帰宅して家のCDを確かめたらトスカニーニの第3番は47分、朝比奈隆のは61分。前者が提示部を繰り返したかどうか調べていないけど、とにかくテンポが早いので繰り返したとしても全体に短いのは理解できる。朝比奈はテンポが遅い上に確実に繰り返しているから長い。


♪2016-110/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-20

2016年8月1日月曜日

国立演芸場8月上席

2016-08-01 @国立演芸場


落語 柳亭市丸(前座)⇒狸札
落語 柳亭市楽⇒売り声
落語 入船亭扇蔵⇒子ほめ
曲芸 翁家社中
落語 川柳川柳⇒ガーコン
落語 三遊亭圓窓⇒枯木屋
―仲入り―
音曲漫才 めおと楽団ジキジキ
落語 橘家蔵之助⇒ぜんざい公社
奇術 花島世津子
落語 柳亭市馬⇒船徳

川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)という噺家がいたとは知らなかった。そもそも亭号に「川柳」(かわやなぎ)が存在するのも知らなかった。
彼は6代目三遊亭圓生の弟子(その時の名前は「さん生」)だが、自身の失敗や落語界のいざこざなどが原因して破門され、芸名を返せと求められたために、独自の(多少の謂れはあるらしいが)芸名を名乗ることになったそうだ。
ほとんど古典落語は演らない。今日の「ガーコン」も新作だ。新作と言っても10年以上は演じているはず。そして、ほとんどこの作品しか演らないという話も聞いたが。なので、1年に100回以上「ガーコン」を演じた時期があるそうだ。
昔は相当の売れっ子だったらしい。
噺は落語というより歌謡漫談みたいだ。軍歌~歌謡曲~ジャズを口ずさみながら(うまい。藤山一郎ふうだ)、面白おかしく世相を語る。ジャズはアフタービートだという実演をついには立ち上がって演る。その格好が足踏み脱穀機を稼働する姿に似ているところからその操作の擬音ガーコンが噺の題になったそうだ。
まあ、噺家の生き様には時に「落語」みたいなのを見聞するが、この人はまさに落語、いや漫談か。

面白いのだけど、なんだか、調子が狂ってしまう。

トリが柳亭市馬の「船徳」。これはまっとうな?な古典だ。
主人公の若旦那の設定にはいろいろバリエーションがあるようだけど、要するにド素人が渡し船の船頭になってお客を載せたはいいがなかなか船が進まないという話だ。その様子がおかしい。
舟は揺れてぐるぐる回り岸をこすりながら往くのでお客も前後左右に揺られっぱなしになるので、演ずる方もなかなか体力が必要だ。こういう噺はCDやラジオではおかしさが十分伝わらない。やはり、高座で<観る>のがおかしい。


♪2016-109/♪国立演芸場-08