2015年6月17日水曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.68 神奈川フィル名手による室内楽①

2015-06-17 @みなとみらいホール


直江智沙子 (神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第2バイオリン首席)
鈴木康浩 (読響ソロビオラ)
山本裕康 (神奈川フィルハーモニー管弦楽団 チェロ首席)
諸田由里子 (ピアノ)

モーツァルト:弦楽の為のディベルティメントK.563より
       第1楽章、第4楽章、第6楽章
モーツァルト:ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 K.478


ちょうどこの日、コンサートに出かける前にTVのクラシック倶楽部の録り溜めビデオで室内楽を何曲か聴いた。

聴きながら思ったのは、少なくとも室内楽の再生に関しては、我が家のオーディオ装置も(最近の設備投資が功を奏して)十分な能力があるという再発見。
ナマ演奏と比べても聴く場所によってはこれほど各楽器のクリアなサウンドは耳に届かないだろうな、という自己満足。

そんなことで、朝は気を良くして、午後のコンサートに臨んだ。
一曲めはバイオリン、ビオラ、チェロの三重奏だ。

弦楽合奏の第一声を聴いた途端、そのアンサンブルの妙なる響に、やっぱりナマにはかなわんとすぐ脱帽した。

室内楽でもとりわけ弦楽アンサンブルというのは、兄弟姉妹のようなもので、つまり、DNAを共有した者同士の集まりなので、音の重なりがとても美しい。
もちろん、演奏者の腕が悪くて音が合わなければ悲惨なことになるけど、今日のトリオは息が合って腕前も確かで(神奈川フィルと読響の各パート首席)、実に気持ちのいい音の混ざり具合だ。
まずは、音楽を聴くというより、音を楽しんだ(ま、これが「音楽」の所以でもあるけど)。

次が、メインイベントのピアノ四重奏曲第1番だ。
モーツァルトはこの編成を2曲しか書いていない。
当時、バイオリン、ビオラ、チェロにピアノが加わる形の四重奏曲はあまり人気がなかったらしい。

確かに、弦楽三重奏だけで演奏形態としてはほぼ完璧。
ここに第2バイオリンを加えて内声を豊かに表現力の幅を広げた弦楽四重奏という鉄壁のスタイルがあるのだから、ピアノという異分子を加えた四重奏というのは、音の響きとしてきれいに響かせることが難しい(ピアノだけが平均律)。

また、ピアノにどういう役割を持たせるのかという問題もピアノ三重奏(各楽器がソリストにならざるをえないだろう。)や五重奏以上(弦楽を伴奏に小ピアノ協奏曲として設計できる。)ならそれなりの割り切りができるだろうけど四重奏ではどっちつかずな感じがして難しいように思う。

現に、モーツァルトの先輩であるハイドンは弦楽とピアノの組合わせではピアノ三重奏曲しか書いていない(はず…)。

モーツァルトより14歳若いベートーベンが3曲のピアノ四重奏曲を書いたのは15歳の時だったらしい(モーツァルトが2曲のピアノ四重奏曲を書いた時期(1785~86年)とほぼ同じだ。)が、それきりでその後はこの編成には手を出していない。

やはり、この時期(古典派)の作曲家には扱いにくい楽器編成だという認識があったのではないだろうか。

しかし、モーツァルトの書いた2曲はいずれも素晴らしい。
分けてもこの日演奏された第1番ト短調は耳に馴染んでいるせいもあるが、なんて心地良いのだろう。

楽譜を見ていないし、他のピアノ四重奏と比べた分析もできないけど、聴きながら、4種類の楽器の使い方が巧いということは分かる。
シューマンやブラームスのピアノ四重奏曲も悪くないけど、モーツァルトのそれは音楽が明快なのがいい。
また、短調であるにもかかわらずテンポが良くメリハリが効いているのが「疾走する悲しみ」と言われる所以なのだろう。

もっとも、古典様式では第一楽章はAllegroが基本だから、短調の曲では「疾走する悲しみ」を感ずるのは当然なのかもしれないけど。

みなとみらいホールの小ホールは残響が長いので、時にピアノの音が響きすぎるきらいがあるけど、今日は弦楽とピアノのバランスが良くて、とても聴きやすかった。

最近のコンサートはフランス音楽、ロシア音楽、ドイツ音楽でも後期ロマン派が続いていたので、久しぶりに王道に立ち返ってドイツ(より正確にはウィーン古典派)の音楽に、眼福ならぬ耳福にあずかった。

♪2015-58/♪みなとみらいホール-18