2019年2月26日火曜日

川本嘉子と仲間たちによる「ベートーベン弦楽四重奏コンサート」

2019-02-26 @みなとみらいホール


川本嘉子:バイオリン&ビオラ
須山暢大:バイオリン
横溝耕一:バイオリン&ビオラ
宮坂拡志:チェロ

オール・ベートーベン・プログラム
弦楽四重奏曲第10番変ホ長調 作品74
弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131

公益法人国際音楽芸術振興財団という組織が無料で小規模なコンサートをみなとみらいホール小ホールで開催するのをfacebookで知ってNETで申し込んだ。

N響ビオラ首席の川本女史以外は知らない人ばかりだったが、チラシに書かれたプロフィールでは1人は大フィルのコンマス、2人はN響奏者だった。てことはN響の3人は定期演奏会やEテレのクラシック音楽館で日頃見ているらしい。次の機会に気にかけてみよう。

四重奏団の名前もなく、「仲間」と言っても、俄か作りのカルテットではないのかな。

久しぶりの弦楽四重奏、それもベートーベンのカチッとした構成力に富んだ音楽はとても心地良いのだけど、さらにアンサンブルの妙を感ずるまでには至らなかった。
個々の器量は問題ないのだろうけど、やはり、日頃から合わせていないと、曰く言い難いチームプレーが生み出す感興を生み出すまでには至らないのではないか。

♪2019-024/♪みなとみらいホール-07

初世尾上辰之助三十三回忌追善 二月大歌舞伎 昼の部

2019-02-26 @歌舞伎座


初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言
一 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)〜すし屋
いがみの権太⇒松緑
弥助実は三位中将維盛⇒菊之助
娘お里⇒梅枝
若葉の内侍⇒新悟
梶原の臣⇒吉之丞
梶原の臣⇒男寅
梶原の臣⇒玉太郎
六代君⇒亀三郎
弥左衛門女房おくら⇒橘太郎
鮓屋弥左衛門⇒團蔵
梶原平三景時⇒芝翫

初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言
長谷川 伸 作 / 村上元三 演出
二 暗闇の丑松(くらやみのうしまつ)
暗闇の丑松⇒菊五郎
丑松女房お米⇒時蔵
浪人潮止当四郎⇒團蔵
料理人作公⇒男女蔵
料理人伝公⇒彦三郎
料理人巳之吉⇒坂東亀蔵
料理人祐次⇒松也
建具職人熊吉⇒萬太郎
建具職人八五郎⇒巳之助
杉屋遣手おくの⇒梅花
湯屋番頭甚太郎⇒橘太郎
お米の母お熊⇒橘三郎
杉屋妓夫三吉⇒片岡亀蔵
岡っ引常松⇒権十郎
四郎兵衛女房お今⇒東蔵
四郎兵衛⇒左團次

三 団子売(だんごうり)
杵造⇒芝翫
お臼⇒孝太郎

「義経千本桜」から「すし屋」の段。
「義経千本桜」は五段続きだそうな。そのうちのいくつかは歌舞伎と文楽で観ていたが、「すし屋」は初めてだった。

凡その筋は知っているものの「すし屋」の前段に当たる「小金吾討死」の話が前に置かれるのかと思ったていたがそうではなく、いきなりの「すし屋」で、少しまごついた。予習しておいてよかったよ。

しかし、権太=松緑、維盛=菊之助の配役は、当代では最適・最好のコンビではなかったか。いずれも初役ということで、多分、厳しい目にはまだ役がこなれていないのだろうが、僕の目には十分楽しめた。この2人で再演を観たいものだ。

「暗闇の丑松」も初見。これは興味深い物語だった。
昭和初期の作品で、新歌舞伎といわれるジャンルだ。
新劇のような凝った構成と演出に唸る。
止むを得ず人を殺め、人混みの中に消えてゆく幕切れは「夏祭浪花鑑」を思わせた。底辺に暮らす無法者となった男や哀れ。

♪2019-023/♪歌舞伎座-01







2019年2月23日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホール名曲シリーズ 第4回

2019-02-23 @県民ホール


川瀬賢太郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
神奈川フィル合唱団

浜田理恵:ソプラノ
山下牧子:メゾソプラノ
宮里直樹:テノール
妻屋秀和:バス

ヴェルディ:レクイエム

今年2回目のヴェルディ「レクイエム」。
1月のヴィオッティ+東響の演奏があまりにも良かったので、それを上回るのは無理だろうが、できれば肉薄する演奏を期待したい…と思いながら出かけたが、それは杞憂。こちらもなかなかの出来栄えだった。

県民ホールは客席だけでなく舞台も大きいので、その面から若干残念な部分はあった。

声楽独唱はオケの後ろ、合唱団の前に位置した。
合唱は120人位いたか。かなりの大所帯で迫力あり。
それに舞台は間口も広いが奥行きが相当深い。
それだけに声楽ソロが合唱と重なるところでは埋没しがちで、ラクリモーザやリベラ・メ等美しいソロをもっとよく聴きたかった。その為には、声楽独唱だけは、ステージ前方、オケより客席側での歌唱が効果的だったと思う。

もう一つは、大太鼓のサイズが小さかったのが残念。
たかが太鼓1個と謂う勿れ。ヴェル・レクにおいてはオーケストラ中最も大事な楽器なのだから。

いや、あれで相当に大きいのかもしれないが、大きなステージにあっては、存在感が今ひとつ。現に、音圧が物足りない。

「怒りの日」における強烈な裏拍打ちは思い切り大きく、重くて低い衝撃音を聴きたい。それが不足した。

神奈川フィルの演奏は案外控えめで、声楽ソロや合唱を前面に出していたように思う。さりとて音圧に不足もなく、良いバランスだったと思う。
また、全曲にわたって、90分近い長尺をたぶんノーミス(気付かなかっただけかもしれないが)で演奏したのもこれは珍しい。

神奈川フィルの演奏を東響より先に聴いておれば、こちらに軍配を挙げたかもしれないな。

♪2019-022/♪県民ホール-02

2019年2月20日水曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~名手と楽しむヨコハマの午後〜 宮田大&ジュリアン・ジェルネ

2019-02-20 @みなとみらいホール


宮田大:チェロ
ジュリアン・ジェルネ:ピアノ

【第1部】ファンタジーワールドへのいざない
サン=サーンス:白鳥
プロコフィエフ:バレエ音楽「シンデレラ」よりアダージョOp.97bis
ヤナーチェク:おとぎ話JW Ⅶ/5
レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲 P.172

【第2部】ピアソラのタンゴの世界へ
ピアソラ:オブリビオン
ピアソラ:グランタンゴ
ピアソラ:ブエノスアイレスの四季

----アンコール-------------
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲から第18曲
ピアソラ:リベルタンゴ

チェリストの中で1番聴く機会が多いのが宮田大。音の良さでも1番かな。柔らかくて甘さがあって、かつ脂を飛ばす勢いのある音も綺麗だ。
第一部はファンタジックな名曲を、第二部はピアソラの作品ばかりで、計2時間強。語りも入って楽しく堪能できた。

♪2019-021/♪みなとみらいホール-06

2019年2月19日火曜日

イブラギモヴァVn/ティベルギアンPf ブラームス:バイオリン・ソナタ全曲演奏会

2019-02-20 @みなとみらいホール


アリーナ・イブラギモヴァ:バイオリン
セドリック・ティベルギアン:ピアノ

ブラームス:バイオリン・ソナタ第1番ト長調「雨の歌」作品78
 〃:バイオリン・ソナタ第2番イ長調 作品100
 〃:バイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108
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クララ・シューマン:3つのロマンス 作品22ー1

イブラギモヴァは3度目。ティベルギアンは初聴き。が、15年来日時の2人によるデュオ・リサイタルがBSのクラシック倶楽部で放映され、録画したものを何度か視聴しているので昔なじみと再会した気分もあり。

イブラギモヴァのナマ演奏経験は過去2回はいずれもオケ定期での協奏曲で、好感していたので、今回はその美貌?も楽しみにして前から2列目の真ん中に席を確保。最前列も取れたけど何やら照れることもないのに腰が引けて…。

今回15年の演奏会録画を聴き直したが、このコンビによる演奏会は基本的に同一作曲家を取り上げるのだそうだ。この時はモーツァルトのソナタ集で、今回はブラームスのソナタ全曲。

15年来日時の演奏会
全曲といっても、ブラームスの場合、多品種少量生産で、他楽章形式・同一ジャンルで番号付きのものは交響曲の4作が最高で、ほとんど3作止まり。バイオリン・ソナタも全3曲だ。

さて、イブラギモヴァとティベルギアン、息の合った2人よる大好きなブラームスの世界をまったく何らの不満もなく堪能できた。
作品番号順に演奏されたが、どれも全てが同じように楽しい。コンビの巧さはもとより改めてブラームスの才人ぶりを思い知った。

肩当ては食器洗い用スポンジ
近くで見る彼女は正面から見る限りチラシと同じ顔つきで実年齢33歳よりもっと若く見えるが、横から見ると相当貫禄が出ている。15年来日時の演奏会と比べると、楽譜がiPadに変わり短髪が一層短くチコちゃんぽく(後ろは刈り上げ!)なったほか演奏スタイルは全く変わらない。
堂々として形が決まった演奏を聴き、演奏スタイルを見ていると、とても三十路の入り口に立っているとは思えない。

ブラームスのバイオリン・ソナタ全曲は、来月、川久保賜紀&小菅優でも聴くので楽しみにしている。ティベルギアンも同じく3月に単独リサイタルを聴く。これも楽しみ。

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余談だが、ブラームスの番号付き作品では、好みの順番をつけるのが実に難しい。
例えば、4曲ある交響曲のどれが一番好きか、これは答えられない。ピアノ・ソナタも3曲で順番をつけることは難しい。2曲あるチェロ・ソナタでも同じ。

これは、ハイドンはもとよりモーツァルト、ベートーベンなどと異なって同一ジャンルの作品数が少ない結果、全曲を等しく聴く機会が多いからだろうと思う。
また、ブラームスは<満を持して>作曲に取り掛かるタイプなので、取りこぼし?がないのではないか。

こういう事情が、ブラームス・ファンの全作品完全制覇を動機づける原因になっていると思う。もちろん、個々の作品が素晴らしいからというのが最大の要因だろうけど。

♪2019-020/♪みなとみらいホール-05

2019年2月16日土曜日

読売日本交響楽団第109回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2019-02-16 @みなとみらいホール
小林研一郎:指揮
読売日本交響楽団
牛田智大:ピアノ*

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ長調 作品23*
ブラームス:交響曲第2番ニ長調 作品73
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シューマン:子供の情景〜「トロイメライ」*
アイルランド民謡:ダニーボーイ(弦楽合奏版)

コバケン+牛田効果でチケットは完売だったそうだ。入場で4列に並ばされたのにはちょいとびっくり。

その牛田君はチャイコの1番をオケの見事なアンサンブル(冒頭のHrのなんと美しいこと)に乗って華麗にやってくれた。処処のフレーズに独自色を塗していたが、全体としては、奇を衒うこともなく正統派の感じ。ま、この若さ(19歳)で癖があってはまずいだろうけど。
ともかく、読響の巧さが光った。

ブラームス交響曲第2番は弦14型から16型に拡大。
それだけに響が厚い。
それを聴きながら昨日の東フィルのマーラーの交響曲第9番の演奏を思い出していた。
東フィルは高域と低域を増強して4本多かったが、数の差以上に重量級だったのは、管弦楽法の違いを考えてチョン・ミョンフンが効果的な弦の変則配置をしたのだなと得心。

読響のブラ2では16型にする必要がなかったのではないか。チャイコでは14型で十分に迫力ある美しいアンサンブルを聴かせていた。
16型で一層厚くした効果はアンコールの弦楽合奏「ダニーボーイ」(チャイコ弦楽セレナーデ風)ではゾクゾクする迫力があったが、ブラームスでは増強した弦高域にかえって透明感が失われたのが惜しい。

♪2019-019/♪みなとみらいホール-04

2019年2月15日金曜日

東京フィルハーモニー交響楽団 第916回サントリー定期シリーズ

2019-02-15 @サントリーホール


チョン・ミョンフン:指揮
東京フィルハーモニー交響楽団

マーラー:交響曲第9番ニ長調

何度聴いても捉えどころのないマーラー9番。東京フィルハーモニー交響楽団は定期会員ではないので1回券を買って聴きに行った。

今回も予習の為にCDでも何度か聴いたが、今回は、目下ベルリン・フィル・デジタル・コンサート・ホールの試聴期間中でもあるので、ベルリン・フィルの演奏でも2回も予習したせいもあってか、相当期待値が上がっていた。

東京フィルの演奏は、冒頭の弱音でのハープ、弦に乗る形の管楽器がモタついて先行き不安になってしまった。
この辺りはベルリン・フィルの連中は名人揃いだなあと思う。しかし、その後は持ち直して驚異的なアンサンブルが炸裂した。

特に、第2・第3楽章の賑やかな部分の迫力は、弦5部の編成が、第1バイオリンから順に16-16-14-10-10という変則の大編成が功を奏したか久々にゾクゾクする重厚な管・弦・楽の響を楽しんだ。

第1バイオリンと第2バイオリンが同数で、コントラバスが10本というのもあまり例がなく、時々音大の合同演奏会などでコンバス10本を経験することはあるが、プロオケでは「千人の交響曲」くらいの規模になるとあり得るだろうけど、他は思いつかない。
つまり、オーディオの世界では高音域と低音域を持ち上げるドン・シャリ型で、褒められた形ではないけど、ナマのオケでは時にこれが効果を持つということを実感した。
重厚なアンサンブルだが、その重さが並みのものではなかった。マーラーはこれを求めたのだろう。そしてこのような楽器の編成がマーラーの意図に沿うものだとチョン・ミョンフンは考えたのだ。おそらく、正解だったと思う。

また、今回のサトリーホールにおける席は、SS席のど真ん中で、好みは別にして、サントリーホールとしての極上音響をこの重厚長大音楽で確認できたのは幸運だった。

好みで言えば、今回の席より数列、前の方が音圧にまみれることができるので好きだけど、そのエリア(S席)が既に売り切れで、SS席しか残っていなかったのだ。不幸中の幸いはSS席は定期演奏会にしてはあまりに高い(1万5千円)ので、多くが売れ残っていたので、せめてもの真ん中を取れたのが良かった。

定期演奏会でSS席を設定しているのは東京フィルだけではないだろうか?尤も、他のオケでは同じエリアもS席だが、なぜか、取ることができない。ほとんどがスポンサーか関係者への招待席として非売席になっているように思う。

♪2019-018/♪サントリーホール-02

人形浄瑠璃文楽平成31年02月公演 第2部

2019-02-15 @国立劇場


近松門左衛門=作
大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)
 大経師内の段
     中⇒希太夫/鶴澤清丈
     奥⇒文字久太夫/鶴澤藤蔵

 岡崎村梅龍内の段
     中⇒睦太夫/鶴澤友之助
     奥⇒呂太夫/竹澤團七

 奥丹波隠れ家の段
     三輪太夫・南都太夫・咲寿太夫/鶴澤清友
     
  人形▶吉田和生・吉田簑紫郎・吉田勘一・吉田玉勢・
               吉田簑一郎・吉田玉志・吉田玉也

近松門左衛門の<世話物>の中でも、「大経師昔暦」は「冥途の飛脚」、「曾根崎心中」、「女殺油地獄」、「心中天網島」などと並んで、非常に有名な作品だが、あいにくこれまで文楽でも歌舞伎でも観たことはなかった。

この話も、おさん・茂兵衛にとって、ほんのちょっとしたはずみの事故のような出来事が、悪い方へ悪い方へと転がり、糸がもつれもつれて絡み合い、もう、どうにもならずに最悪の逃避行へと転落する。

茂兵衛への恋心から茂兵衛に味方した下女のお玉は京に近い岡崎村の伯父・梅龍の元に預けられ、おさん・茂兵衛は逃避行の傍、そこを尋ね、その後奥丹波に隠れ住むが、それも長くは続かず、ついに追っ手の手にかかる。
そこに梅龍が、お玉の首を持参し、全ての罪はお玉にあるので成敗した。おさん・茂兵衛に罪はない、と役人に申し立てるが、2人の不義は濡れ衣だと証明できる唯一の証人を殺してしまったと梅龍の早計を惜しみ、梅龍は地団駄踏んで悔しがる。

このラストチャンスまで、むしろ善意が3人の人生を踏み潰してしまうという悲劇に慄然とする。

それでも、おさん・茂兵衛はお互いに真実の愛を知らぬまま今日に至り、思いがけない地獄への道行きの中で、純愛に準ずることができたのがせめてもの幸いか。

今回は、ここまでの上演だったが、近松の原作ではその後2人は助命されるそうだ。にもかかわらず、実話の方は両者磔、お玉は獄門晒し首になるそうで、劇中、それを予告するかのように、おさん・茂兵衛の影が磔の姿に、お玉は窓から顔を出したその影が獄門首に見えるように演出されていて、これはかなり気味が悪い。

余談:
この話も「桂川連理の柵」同様、実話が基になっている。
それを最初に浮世草子として発表したのが井原西鶴(「好色五人女」の中の「暦屋物語」)で、その33年後に近松門左衛門が同じ題材で浄瑠璃「大経師昔暦」を発表した。
両者の話の細部は知らないので相違も知らなかったが、これらを原作にした溝口健二監督の名作映画「近松物語」は何度も観てよく知っているので、近松の浄瑠璃「大経師昔暦」もおよそ、この映画のストーリーに近いものだと思い込んでいたが、実際に観てみると少し様子が異なる。

後からの俄か勉強だが、そもそも西鶴の描いた物語と近松の物語とではおさん・茂兵衛の関係がだいぶ違うようだ。加えて、溝口が映画化した際は、その両者を合体させてシナリオを作ったという。

映画の方は合理的な筋の展開で無理がなく共感するものが多いが、文楽「大経師昔暦」ではおさんと茂兵衛が不義の仲になる設定に無理がある。

大経師の女房おさんと下女お玉が寝所を交代する目的は、おさんがお玉のふりをして亭主・以春のお玉への夜這いの現場を押さえ、懲らしめる事にあった。
一方、茂兵衛は昼間自分を助けようとしてくれたお玉に礼を言おうと寝所に忍び込む。暗闇で顔が分からないとしても、茂兵衛が言葉は発しないとしても、おさんには忍び込んで来た男が自分の亭主でないことくらい素ぶりで分かるはず。にも関わらず、抵抗もせず、情を通じてしまうのも不可解。
だからこそ、溝口はここを改めて、すぐお互いが意中の人ではないと気がつくが、何しろ深夜の寝所に2人でいるところを見られたことで不義が疑われるという筋に変えている。

床本(シナリオ)を読む限り、2人はお互いの顔を確認した上で、互いに予期する相手ではなかったが、それでも結ばれるという筋立てに変更する演出は可能だし、そうすればその後の逃避行もよく分かるのだが、「伝統芸能」の世界では、新劇のような自由な解釈は許されないのだろうな。

♪2019-017/♪国立劇場-04

人形浄瑠璃文楽平成31年02月公演 第1部

2019-02-15 @国立劇場


第一部
桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
 石部宿屋の段
     芳穂太夫・亘太夫/
     野澤勝平・野澤錦吾
 六角堂の段
     希太夫・咲寿太夫・
     文字栄太夫/竹澤團吾
 帯屋の段
     前⇒呂勢太夫/鶴澤清治
     切⇒咲太夫/鶴澤燕三
 道行朧の桂川
     織太夫・睦太夫・小住太夫・
     亘太夫・碩太夫/竹澤宗助・
     鶴澤清馗・鶴澤清公・鶴澤燕二郎・
     鶴澤清允

  人形▶豊松清十郎・桐竹紋吉・吉田文昇・
     吉田玉男・吉田勘彌・吉田勘壽・
     吉田玉輝

「桂川連理柵」は「帯屋の段」が有名で、歌舞伎でもここだけ取り出したのを観ているが、今回はその前後も合わせて全4段。

話せば長い物語を端折りまくって記せば…。

帯屋の主人長右衛門(38歳)養子である。帯屋隠居の後妻のおとせ(とその連れ子儀兵衛)は、儀兵衛に店の跡を継がせようという魂胆から長右衛門に何かと辛く当たる。

一方、帯屋の丁稚長吉は隣家の信濃屋の娘お半(14歳)に夢中。お半は長吉など眼中になく、帯屋の跡取り、長右衛門を恋い慕っている。

儀兵衛はお半が長右衛門に宛てた恋文を入手したを幸いに、また、長右衛門が女房お絹の実弟のために密かに用立てた百両が店の金庫から消えていることを発見し、加えて自分たちがくすねた五十両も長右衛門の窃取だと言い長右衛門を責め立てる。
さらに、長右衛門が旅先で、長吉に言い寄られて困っているお半を我が寝所に入れた為に犯した一夜の過ちの結果、お半が妊娠してしまったことや、長吉の悪巧みでお客から預かった宝剣が見当たらなくなったことなどが重なり合い、長右衛門は八方塞がりになる。

そうこうしている間に、お半も、不義の子を宿した以上生きてはゆけないと長右衛門に書き置きを残し桂川に向かう。
もう、死を覚悟していた長右衛門だったが、お半が桂川で入水するということを知って、彼は昔の情死事件を思い起こさずにはおられなかった。
15年前に当時惚れ合った芸妓と桂川で心中しようと誓ったものの自分1人生き残ってしまった長右衛門は、これこそ天の啓示とばかり今度こそ情死を全うせんとお半の後を追うのだった。

…と長いあらすじを書いてしまった。これ以上短くすると、自分で思い出すときに役に立たないだろう。それにせっかく書いたから消さないでおこう。
実際の話はもっと入り組んでいる。

人生のほんのちょっとしたゆき違いが、運悪く重なり繋がることで、人の運命を転がし、それが雪だるまのように膨れ上がってしまうと、もう誰にも止めることはできなくなる。

現在進行形の柵(しがらみ)が、長右衛門にとってコントロール不能にまでがんじがらめに心を縛り尽くした時、ふと蘇る15年前の同じ桂川での心中未遂事件!

長右衛門にとっては、お半と桂川で心中することは、むしろ暗闇の中で見えた曙光なのかもしれない。
また、<14歳のお半>、<15年前の事件>と並べると、お半は芸妓の生まれ変わりか、あるいは芸妓が生んだ長右衛門の子供であったのかもしれない…と観客に余韻を残して幕を閉じるこの哀しい物語にはぐったりと胸を打たれる。

余談ながら、備忘録代わりに書いておこう。
人形を3人で操る場合の主遣い(おもづかい)は黒衣衣装ではなく顔を見せて演ずるのが普通だが、今回「石部宿屋の段」と「六角堂の段」では主遣いも、左遣い、足遣い同様、黒衣衣装だった(今回の公演第2部の「大経師昔暦」の「大経師内の段」も)。
不思議に思って、国立劇場に尋ねたら、極力人形に集中してもらうための演出で、昔から行われているるのだそうだ。黒頭巾をとったら弟子だった、ということはないそうだ。ま、そうでしょ。

余談その2
上方落語「どうらんの幸助」は、大阪の義太夫稽古処で「桂川連理の柵」ー「帯屋の段」のうち、後妻のおとせが長右衛門の嫁をいじめている部分を外から漏れ聞いたどうらんの幸助(喧嘩仲裁を楽しみとしている老人)が、本当の話だと勘違いして、これはほっておけないと、京都柳の馬場・押小路の帯屋に喧嘩納めにゆく、というとんでもない話でヒジョーにおかしい。

♪2019-016/♪国立劇場-03

2019年2月11日月曜日

国立演芸場02月中席

2019-02-11@国立演芸場



落語   金原亭馬久⇒狸札
落語   金原亭馬治⇒真田小僧
落語   蝶花楼馬楽⇒代り目
漫才   金原亭世之介
               古今亭菊春
落語   林家正雀⇒松山鏡
落語   金原亭馬生⇒稽古屋
獅子舞     金原亭世之介
                古今亭菊春
    ―仲入り―
大喜利 鹿芝居
『嘘か誠恋の辻占』~「辰巳の辻占」から~
脚本=竹の家すゞめ

源次郎:      金原亭馬生
お玉:          林家正雀
女将お春:   古今亭菊春
番頭世吉:   金原亭世之介
ざる屋玉助:金原亭馬玉
遊び人長次:金原亭馬治
手代久助:   金原亭馬久
手代駒吉:   金原亭小駒
叔父勘兵衛:蝶花楼馬楽

演芸場の二月中席といえば、毎年恒例の「鹿芝居」(噺家しばい⇒はなしかしばい⇒しかしばい)。
今年も、相変わらずの面子が揃って毎度古典落語をネタにした滑稽人情話。今回は「辰巳の辻占」に「ざるや」が折り込まれていた。
初日とあって満席だったが、芝居の方も練習不足で、誤って本気で転んだり科白が出てこなかったり。

下手ほど面白い落語のような素人芝居。
失敗も全てが爆笑の素。

大笑いの後はこれも恒例の手ぬぐい撒き。
僕は運良く?菊春と馬楽のを2つGETできた。
長く通っているが初めてだ。

手ぬぐいくらいじゃ物足りぬ。余勢をかって宝くじでも買ってみるかな。


♪2019-015/♪国立演芸場-02

2019年2月9日土曜日

N響第1906回 定期公演 Aプログラム

2019-02-09 @NHKホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
NHK交響楽団
アリョーナ・バーエワ:バイオリン*

R.シュトラウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品8
ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調*
-----アンコール-----
イザイ:無伴奏バイオリン・ソナ第5番ト長調 作品27-5から第1楽章「曙光」*

神奈川フィルでハンス・ロットを聴いた同じ日に、N響で同じ曲を聴くと、N響の次元の違う巧さに感心する。

ハンス・ロットのゴテゴテした音の厚塗りも透明感を得て管弦楽の妙となる。同日さほど時を置かずに2回目を聴いたせいもあるが、全体の骨格も見通しが良くなった。

とはいえほぼ全曲にわたって全奏・強奏が鳴り響く音楽は、スペクタクル巨編の映画音楽かゲーム音楽のようで、訴え方がモロに原始脳を刺激するので品が無く、聴いてい大いに疲れる。

多くの人は、コンテンツではなくこの音楽が纏う悲劇性というコンテキストに気持ちを奪われた結果心を寄せるのではないか、と思っているが、かくいう僕もブラームスが「美しい部分もあるが、残りは平凡で無意味」と手厳しく看破したというエピソードに囚われているのかもしれない。

R.シュトラウスのバイオリン協奏曲はCDで多少馴染んでいるけど、ナマは初聴きだった。適度にロマンチック。適度な叙情性。これがなんと17歳の作品とはとても思えない。
ハンス・ロットの交響曲が22歳の作品だが、これに比べてもとても老成した感がある。栴檀は双葉より芳しか。

バイオリン独奏は、こちらも初聴きアリョーナ・バーエワ嬢。アンネ・ゾフィー・ムターの若い頃に感じがよく似ている。妖艶で見た目も楽しませる。ステージから袖に引っ込む時に深く割れたドレスの襞が開いて長い美脚がチラと見えたぞ。

♪2019-014/♪NHKホール-01

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第347回

2019-02-09 @みなとみらいホール


川瀬賢太郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
藤村実穂子:メゾソプラノ*

マーラー:リュッケルトによる5つの歌*
 美しさゆえに愛するなら
 私の歌を見ないで
 私は優しい香りを吸い込んだ
 私はこの世から姿を消した
 真夜中に
ハンス・ロット:交響曲第1番ホ長調

「リュッケルトによる5つの歌」は前にN響定期でケイト・ロイヤルのソプラノで聴いた。バリトンが歌っている例もあるし、今回はメゾ・ソプラノだ。その都度オケの伴奏楽譜は移調するのだろうか?
いずれにせよ、馴染めない音楽だ。

藤村実穂子は3度め。世界的な実力者との評判だが、悲しいかな、その実力のほどはいつも実感できないでいる。オペラを1本聴けば感情移入できるようになるかもしれない。フツーに巧いとは思うのだけど。

さて、巷で噂のハンス・ロット交響曲1番。マーラーとはウィーン音楽院で学友だったそうだ。しかし、彼は作品が評価されず、精神を病んで25歳で夭逝し、マーラーとは対極の人生を送った。

その交響曲第1番は、その第1楽章を音楽院の卒業コンクールに提出したが師のブルックナー以外の誰からも評価されず、マーラーの作品が優勝した。
その後全曲を完成させ、ブラームスに見せたところ、「美しい部分もあるが、残りは平凡で無意味」と酷評されたそうだ。そのことも彼が精神を病むこととなった原因の一つらしい。

そのような悲劇的な人生を送った青年の音楽というコンテキストを纏った作品が、それにふさわしいコンテンツを擁するのかが聴きものである。

冒頭のトランペットの音が美しくなく、木管とのアンサンブルもモタついた出発で印象を損ねたが、その後は持ち直し、神奈川フィルは醜女の厚塗りのような音楽をとても熱演した。

しかし、やはり、若作りの音楽で、やりたいことをこの1曲で全部やってしまったようで、油絵の具を幾重にも塗り重ねたような派手で執拗すぎる音楽には共感できなかった。ブラームスの見立ては正しいと思う。

尤もマーラー程長生きしたら俗なりに大成したかも。

♪2019-013/♪みなとみらいホール-03

2019年2月5日火曜日

国立演芸場02月上席

2019-02-05@国立演芸場


落語          山遊亭くま八⇒魚根問
漫才          ナイツ
落語          三遊亭遊喜⇒看板の一
曲芸          丸一小助・小時
落語          春馬 改メ 六代目  三遊亭圓雀⇒花筏
     ―仲入り―
講談          神田京子⇒与謝野晶子
落語          三遊亭圓丸⇒天狗裁き
ものまね    江戸家まねき猫
落語          三遊亭小遊三⇒引越しの夢

久々に楽しめた。
前座はパスして二つ目から。
山遊亭くま八の「魚根問」(さかな・ねどい)はなかなか語り口が良く二つ目にしては上々だ。

次の漫才のナイツには驚いた。
初めて聴いたがTVでも結構売れているらしい。
テンポよく、笑いがノンストップだ。
中程の野球がらみの無駄話もちゃんと最後には寿限無の噺に回収されてオチがつく。よく練られた台本だ。

昨秋、春馬から圓雀を襲名した三遊亭圓雀も相撲取りに仕立てられた提灯屋が命がけの勝負に追い込まれる噺を熱演。本人も関取級の身体つきでぴったり。

講談の神田京子はピンチヒッター。得意の演目「与謝野晶子」伝を聴くのは2度目だが、名調子に今回も気分良く乗せられた。

圓丸の「天狗裁き」、トリの小遊三の「引越しの夢」は筋もオチもわかっていてもおかしい。

江戸家まねき猫は、今や半世紀以上昔のTV番組「お笑い3人組」の三代目猫八の娘だそうだ。おそらく幼少の頃から芸事の世界で育ったのだろう。姿勢や語り口にはいつものことながら血統の良さを感ずる。動物のモノマネ、というより話術の巧さがさすがは江戸や一門と感心する。


♪2019-012/♪国立演芸場-01

2019年2月3日日曜日

名曲全集第145回 チャイコフスキー3大ピアノ協奏曲!

2019-02-03 @カルッツかわさき


秋山和慶:指揮
東京交響楽団

ピアノ:福原彰美(あきみ)、ミロスラフ・クルティシェフ、奥井紫麻(しほ)

チャイコフスキー
ピアノ協奏曲第3番変ホ長調 作品75(福原彰美)
ピアノ協奏曲第2番ト長調 作品44 原典版(ミロスラフ・クルティシェフ)
ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 作品23(奥井紫麻)

チャイコフスキーの3つのピアノ協奏曲を3人の独奏者で演奏。
今回からしばらくの間、ホームのミューザ川崎シンフォニーホールが改修のために、会場がカルッツ川崎に変更された。

そのカルッツの音響はとにかく管弦楽には不向きだ。
よほど後ろで聴けば管・弦が混ざるかもしれないが、それでは音圧が乏しくなる。他のホールではほぼ理想的な席だったが、カルッツでは弦の共鳴が響かず交響的ではない。管ばかり響いてまるで東響吹奏楽団!

しかし、東響と独奏陣はそのハンデをものともせず、補って余りある名演・怪演を聴かせてくれた。

チャイコPf協奏曲第3番は単一楽章だが、終盤長めのカデンツァ?のトリルの長いこと。このまま第2・第3楽章が続いたら腱鞘炎必至。福原彰美って初めて聴いたが、短い出番だが印象強かった。

第2番は初ナマ。
独奏のM.クルティシェフも初顔。
第1楽章は耳に馴染みがあったて記憶と摺り合わせながら気合の入った演奏を楽しんだが第2楽章のピアノ・トリオによる3重協奏曲風な緩徐楽章に喫驚した。
特にバイオリンとチェロの掛け合いに遅れてピアノが入るところの超美旋律はどうだ。深く心に沁みて揺さぶられた。
そのまま第3楽章もクルティシェフの入魂ぶりにすっかり乗せられた。

終曲の途端、ややフライング気味に客席から奇声が飛んだが、あれは多くのお客を代弁したものだった。
余韻もへったくれもないがそれで良い。歌舞伎の大向こうと同じで、気持ちを表すにはタイミングも大切だ。

いくつか配置された1.5倍の椅子
最後が一番有名な1番。
これを弾いたのが奥井紫麻。14歳。
背空きドレスも痛々しいような少女だ。
相当な逸材らしいがテンポが遅すぎ。表情を全然変えず、丁寧に正確に教科書どおりの間違いのない演奏で面白味がない。
天才の発露は感じなかった。でも、これから音楽性を磨くのだろう。

♪2019-011/♪カルッツかわさき-01